2024年7月20日(土)

今日は熱い、あつい。

  この道は滅びへむかふその自覚なくて党派の争ひばかり

  まみどりの山なみ遠く見はるかす相模のやさしき色見ゆるなり

  大山独楽を作る木地師の少なくなるこのまま経れば滅びゆくなり

『論語』子罕三〇 孔子の言。「智者は惑はず、仁者は憂へず、勇者は懼れず。」

  智者は惑はず仁者は憂へず勇者は懼れずと孔子言ふなり

『正徹物語』198 「馴れて逢はざる恋」という題で、このように詠んだ。
・世の常の人に物いふよしながら思ふ心の色やみゆらん

「世の常の人に物いふ」と言っているのは、俗な表現のようであるが、こうあってもよいであろう。

  しばらくは馴れて逢はざるこの恋もわすれはてたるものにはあらず

『百首でよむ「源氏物語」』第二十四帖 胡蝶

秋の町を貫く池に竜頭鷁首の船を浮かべた。
・風吹けば波の花さへ色見えてこや名に立てる山吹の埼 秋好中宮方女房
・春の池や井出の川瀬にかよふらん岸の山吹底もにほえり 同
・亀の上の山もたづねじ舟のうちに老いせぬ名をばここに残さむ 同

源氏から玉鬘へ、
・橘のかをりし袖によそふれば変はれる身とも思ほえぬかな 光源氏

玉鬘の返歌。
・袖の香をよそふるからに橘の実さへはかなくなりもこそすれ 玉鬘

まるで一夜を過ごしたように、
・うちとけてねも見ぬものを若草のことあり顔に結ぼほるらむ 光源氏

  強情ゆゑに好めるものかいくたびも源氏が贈る文に書く文字

2024年7月19日(金)

朝は風が通って、いくらか涼しい。午前9時過ぎには暑い、暑い。

  けさも地にだんご虫ゐるつまづきさうになるも虫は潰さず

  鎧を丸めだんごのごときこの虫の沈黙こそが千金の価値

  草莽を転がりだせるだんご虫敵とおもへばたちまち鎧ふ

『論語』子罕二九 孔子が言った。「歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るることを知る。」人も危難の時にはじめて真価がよく分かる。

  歳寒くしてその後に松柏散らずみどり残れり

『正徹物語』197 慈鎮和尚の弟、奈良の一乗院門跡であった。十五夜の名に恥じない明月のもと、中門に佇んでいた時、力者法師がたくさん庭を掃いていたのが、「御同輩、どのように明月の今夜は慈円が歌を詠むだろうか」などといい合っている。さて、明朝、一乗院門跡は慈円のもとに書状を出した。その文面は、次のようなものであった。「恐れながら、心中隠さず申し上げます。天台座主、多くの門徒に仰がれるトップながら、真言・天台を研鑽し、教学を学ばれているならばともかく、毎日和歌に狂っていられることは、仏門のしきたりに背き、賤しい俗人と同じに見えますこと、遺憾です。こちらに使っているものどもが、昨夜の月を見てあなたのことを噂していました。まして世間の巷説は、どんなにかと推量します。これ以後は和歌をしばらく遠慮されるがいいと存じます。」と、こまごまと諫状を差し上げたので、慈円はその頃天王寺別当でもあって、寺に出かけられていたので、そちらへ一乗院門跡の書状をもって参上したところ、返事には「嬉しく拝見いたしました」とあって、さらに一首の歌を書いていました。

皆人に一のくせあるぞとよこれをば許せ敷嶋の道
と自筆で書かれたので、一乗院門跡は、「どうにもならぬ」匙を投げた。

  慈円を沙汰の限りと言ひ放つ一乗院門跡正しきものか

『百首でよむ「源氏物語」』第二十三帖 初音

六条院の紫の上の居所。
・薄氷とけぬる池の鏡には世に曇りなき影ぞ並べる 光源氏
・曇りなき池の鏡によろづ代をすむべき影ぞしるく見えける 紫の上

明石の姫君の居室から。
・年月をまつに引かれてふる人にけふ鶯の初音聞かせよ 明石の御方
・引きわかれ年は経れども鶯の巣立ちし松の根を忘れめや 明石の御方

  年月の松に誘はれ鶯の初音聞かせよ人は古れども

2024年7月18日(木)

曇り空が、しだいに晴天に。

  27℃は暑いか涼しいか九階に風の通ればいささか涼し

  じわっじわっ肌へを濡らすこの汗を人の証しと誇らしげなり

  エアコンのスイッチ入れる目途とする28℃をたちまちに超す

『論語』子罕二八 「(そこな)はず求めず、そうすればどうしても良くないことが起こる。」子路は終身これを口ずさんでいた。孔子が言う。「是の道や、どうして良いといえようか。」

  孔子と子路のあいだに齟齬があり子路早世すれば孔子かなしむ

『正徹物語』196 実相院の義運僧正が大峰に入峯されるということで、奈良の尊勝院へ立ち寄り、一晩宿り、翌朝早く出立したので、尊勝院の院主光経上人は自ら盃を持って外に出て、出立をお祝いしたところ、義運僧正が短冊を一枚手にして、「壮行の歌一首を聞かせましょう」と言って、私に下された。急なことで困惑したけれど、とやかく言って拒み通せない事なので、墨を静かに摺って、書きつけた歌である。
・このたびは安くぞこえんすず分けてもとふみなれし岩のかけ道

今回は二度目の入峯であったので、「もとふみなれし」と詠んだ。

  熊野道いくたび辿る険しさに慣れることなくけふも旅する

『百首でよむ「源氏物語」』第二十二帖 玉鬘

源氏は自邸に夕顔の娘を引き取る。
・知らずとも尋ねて知らむ三島江に生ふる三稜の筋は絶えじを 光源氏
・数ならぬ三稜や何の筋なればうきにしもかく根をとどめけむ 玉鬘

着物を贈られた末摘花の歌。
・着てみればうらみられけり唐衣返しやりてん袖を濡らして 末摘花
・返さむといふにつけても片敷の夜の衣を思ひこそやれ 光源氏

  片敷のさびしさに絶へ唐衣うらかへしてや袖を濡らさむ

2024年7月17日(水)

朝からずっと曇りが続くらしい。

深町秋生『鬼哭の銃弾』(双葉文庫)を読む。「スーパーいちまつ強盗殺人事件」を追う、退職刑事の父と現役刑事の息子の葛藤が凄いし、顛末も凄い。

  礼をするごとくに繁るあけぼの杉雨降ればしとど濡れそほちつつ

  雨に濡れしたたる葉むら下がりをりあけぼの杉のみどり増しつつ

  湿り気にかすかな小田急小田原線橋梁わたる音も湿りて

『論語』子罕二七 孔子が言う。「敝れたる縕袍を衣、狐貉を衣たる者と立ちて恥ぢざる者は、其れ由(子路)なるか。」

  破れたる縕袍を着て毛皮着る者とし立てど由は恥ぢざる

『正徹物語』195 「煙に寄する恋」という題で、このように詠んだ。
・立つとてもかひなし室の八嶋もる神だにしらぬむねの煙は 草根集4643

「室の八嶋洩る」から「護る神」へさっと変化させる箇所で、斬新なものになった。しかしこれも一回限りで「室の八嶋もる」という句を、二度とは詠むまいと肝に銘ずべきである。少し昔には「池にすむをし明けがた」「露のぬきよはの山かぜ」といった句は、二度真似て詠んでは名折れと思ったものだ。

  煙たつ室の八嶋をもる神もしらぬ恋するわれならなくに

『百首でよむ「源氏物語」』第二十一帖
葵の上と光源氏のあいだに生れた夕霧の元服、六位に任ず。
・紅の涙に深き袖の色を浅緑にや言ひしをるべき 夕霧

官位に満足はしていません。
源氏は新しき邸を新築した。
・心から春待つ園はわが宿の紅葉を風のつてにだに見よ 秋好中宮

  春待つも秋待つもともに風にのりけはひ伝へ来るを待つのみ

2024年7月16日(火)

朝から雨が降りはじめ、当分止みそうにない。

  コンビニにカフェ・オレを買ひ夏の雨じめじめ降り来さねさしの地に

  カフェ・オレの冷たきを飲む爽やかにまみどりの森に傘さしてゆく

  たうたつに『源氏物語』を想ひ出ず六条御休所、葵の上を殺す

『論語』子罕二六 「害を与えず求めもせねば、どうして良くないことが起ころう。」

子路は生涯これを口ずさんでいた。」孔子が言う。「そうした方法では、どうして良いといえるだろうか。」

  子路と孔子わづかに違ひがあるものを良きことを求めよと孔子は言へり

『正徹物語』194 「里の時鳥」という題で、このように詠んだ。
・あやなくも夕の里のとよむかな待つにはすまじ山時鳥

夕刻にはそもそも里はざわざわするものである。これが連歌なら、一体「何の声が響くのか」と言われるであろう。

  あやなくも里に鳴く鳥時鳥その声きかむ林ひろがる

『百首でよむ「源氏物語」』第二十帖 朝顔

賀茂斎院だった朝顔は交代になった。
・見しをりの露忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらん 光源氏

源典侍を思い出す。
・年ふれどこの契りこそ忘られぬ親の親とか言ひし一言 源典侍

藤壺が夢に現れる。
・とけて寝ぬ寝覚めめさびしき冬の夜に結ぼほれつる夢の短さ 光源氏

  もつとも夢みてゐたき人なるにこの短さやなんとしぬらむ

2024年7月15日(月)

雨っぽかったが、曇りというところか。午後、雨らしい。

  樹皮破れてますぐなる枝に繁りあふ欅の葉夏の天蓋をなす

  洞と洞つなぐ破れ目の長く伸び崩壊ちかきか一樹のけやき

  うすみどり色に錆びたる幹のうへのけやきの葉むらに守られてゐる

『論語』子罕二七 孔子の言。「敝れたる縕袍を衣、狐袍を衣たる者と立ちて恥じざる者は、其れ由(子路)なるか。」

  身穢き者と平気でたちたるは由なり他には誰もかなはず

『正徹物語』193 歌は極信体に詠めば、間違いはない。されどもそれは勅撰集の一体であり、それだけで堪能とはいはれがたい。これは御子左家が三流に分かれて以来、次第にこんな風になっていった。京極為兼は生涯の間、ひたすら奇矯な歌のみを好んで詠まれた。同じ時代に、二条為世はいかにも謹厳な極信体を詠まれたために、頓お阿・慶通・浄弁・兼好といった高弟も、みな師家の歌風を継承して、謹厳の体だけを歌道の到達点と思って詠んだので、このころから和歌がつまらなくなった。各流派に分裂する前は、俊成・定家・為家の三代とも、いかなる体をも詠んでいた。

  だんだんに窮屈になる和歌の道さまざまな体を詠むべきならむ

『百首でよむ「源氏物語」』第19帖 薄雲
・末とほき二葉の松に引きわかれいつか木高きかげを見るべき 明石の御方

藤壺の死。
・入日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる 光源氏

  山の端の薄(にび)(いろ)にくれゆかむおもふ人けふみまかりしもの

2024年7月14日(日)

重い雲が空を覆っている。朝は涼しかったが、やがて湿度が高くなる。

山本兼一『狂い咲き正宗』を読む。山本は二〇一四年に享年五十七で亡くなっている。

刀剣商ちょうじ屋光三郎の、御腰物奉行・黒沢勝義の嫡男だが、勘当され町のちょうじ屋の婿になった。その光三郎が主人公の刀剣物語だ。楽しい読書である

  刀剣を扱ふ商売わが夢のひとつとおもふ小説読みつつ

  水出し珈琲のこの芳香を嗅ぎやればここはコーヒー国熱帯の里

  時をかけて水出しコーヒーを抽出する香りよきかな黒ろぐろとして

『論語』子罕二六 孔子の言。「大軍でも、その総大将を奪い取ることはできるが、一人の男でも、その志を奪い取ることはできない。」

  三軍の帥は奪取出できても匹夫の志奪ふべからず

『正徹物語』192 一首懐紙は、「詠」の字の下に題を書く。「詠松有春色和歌」は、次のように書く。歌を三行三字に書く。奥をひろく余したもみにくい。一ぱいに書きあわせんとしたのもわるい。「詠」という字より前の空いたくらいに、歌の後の余白を書き残してあるのがよい。歌の行間があまり広いのもよくない。かといって三首歌を書く時のような行の幅でもだめだ。ちょっと広く空けて書くのがよい。俗人は、「春日同詠―和歌」と書き、全て一行に収める。出家者はただ「詠―和歌」とだけ書く。さらに「詠」の字の下に「夏日」「秋日」「冬日」などと書くのを、端作という。

  懐紙にも在家、出家で書き方に違ひあるべしやかましきかな

『百首でよむ「源氏物語」』第十八帖 松風

明石の御方と光源氏
・契りにし変はらぬことの調べにて絶えぬ心のほどは知りきや 光源氏
・変はらじと契りしことをたのみにて松の響きに音を添へしかな 明石の御方

冷泉帝から桂の邸の光源氏へ、またその返し
・月のすむ川のをちなる里なれば桂のかげはのどけかるらむ 冷泉帝
・ひさかたの光に近き名のみしてあさゆふ霜も晴れぬ山里 光源氏

  ひさかたの帝来ざれば月影もうすれとどかぬさびしくあらむ