2024年7月13日(土)

今日は割合涼しい。それでも暑くなってくる。

  眼鏡の遠近両用レンズに見るゆがめる像はわがすがたなり

  この遠近両用レンズに見ていればどこか歪みあり戦争映像に

  昔のレンズ懐かしむこの眼鏡百鬼夜行をまたも見るかや

『論語』子罕二五 孔子が言った。「忠信を主とし、己れに如かざる者を友とすること無かれ。過てば則ち改めるに憚ること勿かれ。」

  孔子の言ふ己れに如かざるものを友にせずだうしてここまで言ひきれるのか

『正徹物語』191 「深夜に夢覚む」という題で、このような歌が詠まれた。
・秋のよはながらにつくるためしまでおもひね覚の夢のうき橋
と詠んだが、「ね覚め夢」という事はない。「ねざむる夢」と詠むべしとて、なほし給
ひき。

  夢にさめて長柄の橋をおもふなりこの身をなにに立てんつもりや

『百首でよむ「源氏物語」』第十七帖 絵合
父親同士の権力争いがはじまる。女たちの歌。
・伊勢の海の深き心をたどらずて古りにしあとと波や消つべき 平内侍
・雲の上に思ひ上れるこころにはちひろの底もはるかぞ見る 大弐典侍
・みるめこそうら古りぬらめ年経にし伊勢をの海人の名をや沈めむ 藤壺

  いつのまにか古りぬるならむ伊勢の海の夏のすがたの腐れたるごと

2024年7月12日(金)

雨が降りはじめた。温度はいつもより低いけれど、湿気がひどい。

  コンビニのカフェ・オレを買ひ夏の空にとびだしてゆくただ歩くため

  カフェ・オレの冷たきを飲むうれしくてまみどり色を潜りゆくなり

  たまたまに『源氏物語』開きみる六条御息所、葵の上呪ふ

『論語』子罕二四 孔子が言う。「法語の言は、(よ)く従ふこと無からんや。これを改めるを貴しと為す。(そん)(よ)の言は、能く(よろこ)ぶこと無からんや。これを(たづ)ねるを貴しと為す。説びて繹ねず、従ひて改めずんば、吾れこれを如何ともする末きのみ。」

  みづからに法語、巽与の言学び改めざれば如何ともしがたし

『正徹物語』190 「そよさらに」「そそやこがらし」などという詞は、名人のふりをした詞である。好んで詠んではならない。嫌味で気障な感じがする。

  草原の荒れたれば吹く北風のそそやこがらし今宵さわぎつ

『百首でよむ「源氏物語」』第十六帖 関屋
・行くと来とせきとめがたき涙をや絶えぬ清水と人は見るらむ 空蟬
・わくらばに行きあふ道を頼みしもなほかひなしや潮ならぬ海 光源氏
・逢坂の関やいかなる関なればしげき歎きの中を分くらん 空蟬

  空蟬もいつのまにやら関越えて尼にしなりぬはかなかれども

2024年7月11日(木)

曇り空なれど暑くなった。

  焼失前の首里城の朱を模写するにこの朱の色のまぎれなきもの

  首里城へむかふ坂道をのぼりゆく塗師の古家など通りすぎつつ

  沖縄の空青くしてときをりに米軍兵のパワーハラスメント

『論語』子罕二三 孔子が言った。「青年は恐るべきだ。これからの人が今の自分に及ばないと、どうして分かるものか。ただ四十五十にして評判がたたないとすれば、それはもう恐れるまでもない。」

  後世畏るべし然れども四十五十に聞こえなければとるに足らず

『正徹物語』189 「潮のやほあひ」とは「八百合」と書く。四方より潮の満ちあふさかひを「やほあひ」というのだ。

  寄せきたる潮のやほあひ激しくも西へ東へ流れゆくなり

『百首でよむ「源氏物語」』第十五帖 蓬生 源氏が須磨・明石から帰って、のちに末摘花を見出すまでの物語。

おばが大宰府に下向する。
・絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら思ひのほかにかけ離れぬる 末摘花

・藤波のうち過ぎがたく見えつるは松こそ宿のしるしなりけり 光源氏
・年を経て待つしるしなきわが宿の花のたよりに過ぎぬばかりか 末摘花

  藤の花にまどひて訪ぬることあらずたまたま来たるわれならなくに

2024年7月10日(水)

暑い、暑い。7時前からエアコンだ。

  寝ねがたく夢みる老いの駆けてゆく郊外の町川流れたり

  その夢にわれは追はれて廃坑の山をくだりぬここはいづこぞ

  共に来し友に別れてここはいづこ建築物の多くはあらず

『論語』子罕二二 孔子が言った。「苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり。」

  苗のまま秀でざるあり秀でても実らざるあり努力が肝要

『正徹物語』188 夕日の光が残っている山の陰で、蜩が鳴くほど、興趣を覚えるものはない。さて「蜩の鳴く夕かげの大和撫子」と言っているように歌を転ずることは、難しいことである。「蜩の鳴く夕かげ」とあると、その下は雲とも日影とも書くであろうに、「大和撫子」と転じたのは、結びつかないようだが、見事に転じている。

定家の、
・蘭省の花の錦の面影に庵かなしき秋のむら雨

という歌を考えれば面白い。「蘭省の花の錦」を「秋のむら雨」に転じた。これは「蘭省の花の時 錦帳の下、廬山の雨の夜の草庵の中」という詩の境地を借りた。蘭省・錦帳とは御所のことだ。

  蘭省の花のさかりに秋の夜のむらさめ降るを庵にかなしむ

『百首でよむ「源氏物語」』第十四帖 澪標

光源氏と藤壺のあいだにできた東宮が、朱雀院に譲位した。光源氏は内大臣。
・みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐりあひけるえにしは深しな 光源氏
・数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ 明石の君

  住吉の社詣でにすれちがふなにはのことはかひなきものぞ

2024年7月9日(火)

今日も朝から暑い。9時過ぎですでに32℃、あ~あ。やってられません。

  日の領域と影の領域のくきやかに分断されて影虐ぐる

  けさもまたパティオはみみずの乾びたる死骸あまたに占領される

  ガザ地区に滅ぶるもののごとくにて死せる蚯蚓の肉色の屍

『論語』子罕二一 孔子が顔淵ことをこう言った。「惜しいかな(彼の死)。吾れ其の進むを見るも、未だ其の止むを見ざるなり。」

  顔淵の死を惜しむべしその進む道を見ざりきその止むを見ざるに

『正徹物語』187 「田の蛙」の題で、こう詠んだ。
・ゆく水にかはづの歌を数かくや同じ山田に鳥もゐるらん

この鳥は鴫である。しかし鴫は秋の鳥なので、ただ鳥と言えば、何の鳥かはっきりしない、ということで好都合なのである。苗代にはあらゆる鳥が降りている。

  苗代の水田に降りる鳥々のあと絶ゆるなく時に鳴きつつ

『百首でよむ「源氏物語」』第一三帖 明石
・むつごとを語りあはせむ人もがなうき世の夢もなかば覚むやと 光源氏
・明けぬ夜にやがてまどへる心にはいづれを夢とわきて語らむ 明石の君

  むつごとを語り合ひたき人あるになかなかにこたへてくれぬを嘆く

・うらなくも思ひけるかな契りしを松より波を越えじものぞと 紫の上
*帰京
・わたつ海にしなえうらぶれ蛭の子の脚立たざりし年は経にけり 光源氏
・宮柱めぐりあひける時しあれば別れし春のうらみ 朱雀帝

  このうらみ残してはならず宮柱太くし立てば女男神あひける

2024年7月8日(月)

朝から暑い。これからもっと熱くなる。37℃といっている。

  狂ひやすき季節をすぎてしかしなほこの濃みどりの木々に溺るる

  まみどりの木々に溺るるごとくなりあつしあつしの樹林出でたり

  樹々の森に深く入り来て戸惑ふはここは迷宮出口はあらず

『論語』子罕二〇 孔子が言った。「これに(つ)げて(おこた)らざる者は、其れ回なるか。」

  弟子のうちの回に対して言いへらく告げておこたらずざる者こそ回なり

『正徹物語』186 「落花」という題で、このように詠んだ。
・さけば散る夜のまの花の夢のうちにやがてまぎれぬ峯の白雲 草根集3098

幽玄体の歌である。幽玄とは、心の中にはあるが詞では表現できない。月に薄雲がかぶさっているのや、山の紅葉に秋の霧がかかっている趣向を、幽玄とする。これはどこが幽玄なのかと問われても、どこがそうだとは言えない。これを理解しない人は、月はこうこうと輝いて、一片の雲もない空にあるのが素晴らしいと、定めて言うことであろう。幽玄という美は、およそどこがどう趣味が良いとも、絶妙であるとも言えないところによさがある。

さて「夢のうちにやがてまぎれぬ」は、源氏物語の歌である。光源氏が、藤壺中宮に逢って、見ても又逢ふ夜稀なる夢のうちにやがてなぎるるうき身ともがな 光源氏

と詠んだのも、幽玄の姿である。「見ても又逢うふ夜稀なる」とは、以前も逢わず、以後も逢えまいので、「逢ふ夜稀なる」と言う。この夢が覚めないままで、夢を見ながら命が尽きたら、そのまま全ては闇に消えるはずである。「夢のうち」とは、逢瀬を指している。「あなたに逢ったと見えているこの夢の中に、そのまま我が身も没して、夢とともに果ててしまえよ」というのだ。藤壺の返歌には、
・世がたりに人やつたへんたぐひなき憂き身をさめぬ夢になしても 藤壺
とある。藤壺は光源氏にとっては継母である。それなのにこんな事があったので、たとえ情けない自分の身は夢の中に消えたとしても、不名誉な評判はとどまって、後世の語り草とされるに違いないという。光源氏の「夢のうちにやがてまぎるる」という意を、しっかり受けとめて詠んだのだ。

私の歌の「さけば散る夜のまの花の夢のうちに」とは、花が咲いたか見ると、夜の間にはや散っている。夜が明けてみると、雲は夢に没せずそこにあるので、「「やがてまぎれぬ峯の白雲」と詠んだのだ。「夢のうち」とは咲いて散るまでを指す。

  いくたびも逢ひたくならむ藤壺をおもふ心にさくら咲き散る

『百首でよむ「源氏物語」』第十二帖 須磨  光源氏は須磨に蟄居することになる。

紫の上との歌のやりとり。
・身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は薄れじ 光源氏
・別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし 紫の上

須磨へ落ちるまえに花散里を訪ね、別れの歌を交す。
・月影の宿れる袖はせばくともとめても見ばや飽かぬ光を 花散里
・行きつめぐりつゐにすむべき月影のしばし曇らむ空なながめそ 光源氏

再び紫の上と歌を交す。
・生ける世の別れを知らで契りつつ命を人に限りけるかな 光源氏
・をしからぬ命に代へて目の前の別れをしばしとどめてしかな 紫の上

須磨にて
・雲近く飛びかふ鶴も空に見よ我れは春日のくもりなき身ぞ 光源氏
・やほよろづ神もあはれと思ふらむをかせる罪のそれとなければ 光源氏

光源氏は、この須磨流しを謂れののないものと考えていたのだ。

  いはれなき罪なきわが身とおもへばこそ鶴鳴きわたれ高空に飛べ

2024年7月7日(日)

今日も暑くなりそうだ。また歩きに出かけられそうもない。

伊勢谷武『アマテラスの暗号』上・下を読み終える。帯の踊り文句がまったく役立たぬほど面白くなかった。ユダヤの民の信仰と日本の伝統信仰が似ているらしいが、それほど信憑性も感じられないし、刺客やスパイも嘘っぽい。また図表や写真、系図などが逆にうざったく感じた。でも、読み切ってしまったのだ。

  もんもんとものの芽どきをすぎたれど狂ひやすきはおのづからなる

  さつきつつじの枝刈りとられその花の萎びたるをも摘まれたりける

  あけぼの杉の枝それぞれに風にゆれ葉々の動きもそれぞれなりき

『論語』子罕一九 孔子が言った。「たとえば山を作るようなもの。まだもう一もっこというところを完成しないのも、止めたのは私である。たとえば土地をならすようなもの。一もっこをあけただけでも、その進んだのは私が歩いたのである。

ただの一もっこが功の分かれめ。それに停止も進歩も自分の責任で人ごとではない。

  何を為すにも一簣が肝心その一簣をつづける止めるもわがことなりき

『正徹物語』184(昨日間違えて184について書いてしまったので、今日は184)

初心の間は、し尽くせないほどの稽古をすべきだ。一夜百首、一日千首などの速連歌をも詠むことである。また五首二首を、五日、六日にじっくり思案することもあるべきだ。このように馬を疾走させるように速詠歌を詠んだり、逆に手綱を引っ張るようにして沈思して詠んだりすると、テンポの伸び縮みが自由にできるようになって、名人になる。最初から一首だけでも良い歌を詠もうとすると、一首二首すら詠むこともできず、向上することはない。

  とにもかくにも多くの歌をつくること素早く歌をつくることなり

『百首でよむ「源氏物語」』第十一帖 花散里
麗景院女御を訪ねてゆく途中、花散里を詠む。
・いにしへのこと語らへばほととぎすいかに知りてか古声のする 『古今和歌六帖』
・たちばなの香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ 光源氏
・人目なく荒れたる宿はたちばなの花こそ軒のつまとなりけれ 麗景院

  なつかしきたちばなの香をかぎやれば来し方おもふ女御を愛す

  なつかしきたちばなの香をかぎやれば来し方おもふ女御を愛す