2024年6月22日(土)

朝から青天。涼しいが、暑くなる。

  涼しきうちにあらゆることを済ませておこふわが家のゴミのけふは少なき

  ゴミ袋をぶらさげてあけぼの杉の樹下をゆく少し影濃しその影踏みて

  皐月つつじの花の残骸木に付きてどうもけがらはし垣なすみどり

『論語』子罕四 孔子は四つを絶った。意(勝手な心)を持たず、必(無理押し)をせず、固(執着をせず)なく、我(我を張る)なし。」

  孔子は意を持たず、必せず、固なく、我なしすばらしきなり

『正徹物語』170 「卯月の郭公」という題で、こう詠んだ。
・時鳥おのが五月を待つかひの涙も滝もこゑぞすくなき

『伊勢物語』の「我が世をば今日か明日かと待つかひのなみだの滝といづれ高けん」とは、行平が、鼓の滝を見て詠んだ歌だ。それを時鳥の涙の滝に取り替えたので、趣向が新しくなった。このように少しは変えないと歌は詠めない。「待つかひ」とは待つ間である。間の字を書く。

  卯月すぎて時鳥鳴くときを待つ滝のまへ落つる水ながれゆく

『伊勢物語』百二十段 男が好きになった女は、まだ世経ずとおぼえたるが、そうではなかった。さる高貴な男と、ひそかに情をかわしていた。それを知った男は、しばらくして詠んだ。
・近江なる筑摩(つくま)の祭とくせなむつれなき人の鍋の数見む

  近江なる筑摩の祭を見むとするどれだけ鍋を被り出でしか

2024年6月21日(金)

朝から雨。けっこう激しい。
柚月裕子『チョウセンアサガオの昨く夏』読了。柚月には珍しい十一の短編集だがそれぞれに怖いのだが、運命、そして涙がある。読みがいのある一冊だった。

  北からの風に押されて歩きゆくがたぼこ道を背中押されて

  北風になぶらてゐる老いのすがた前傾ふかくうつむきかげんに

  風吹けばゆくり歩むがここちよし新緑の木々のゆたかな葉々に

『論語』子罕三 孔子が言った。「麻の冕(冠)が礼である。この頃絹糸にしているのは倹約だ。そこで私は皆に従おう。主君に招かれたとき堂の下に降りて拝するのが礼である。この頃上で拝するは傲慢だ。皆とは違うけれど、私は下に従う。

  拝礼のときの冠みな絹なりその倹約にわれは従ふ

  拝礼のときは下より拝謁する上で礼することは傲慢

『正徹物語』169 「夢に寄せる恋」という題で、このように詠んだ。
・涙さへ人の袂に入ると見し玉とどまらぬ夢ぞうきたる

若紫の巻であろうか、紫の上が、まだ幼くていますのを光源氏が妻に迎えた時に「玉藻なびかん程ぞうきたる」と乳母が詠んだのは、まだ幼稚な年ごろの人を迎えても、生涯一緒に居られるであろうか、あるいは嫌われる性分なのかもわからない、それなのに妻に迎えてかしずいておくのは、なるほど頼りないことである。このような不安を「玉藻なびかん程ぞうきたる」と詠んだ。さて、私が「夢ぞうきたる」と詠んだのも、自分の魂があの人の袖の中へ飛んで入ったと夢に見るが、そのままとどまってはいられないので、我にかえるのだ。それで「玉とどまらぬ」と言っている。自分の魂が人の袂に入ると見ても、夢から覚めればもう帰っている。夢を詠むのに「見る」「覚むる」と言うと、手垢がついてよくない。「入ると見し」と言ったとことで、夢を見たという内容は感じられるので、「覚むる」と言わなくても、「玉とどまる」と言えば、もう夢から覚めたということは分かる。袖に入ると見たのにとどまらないので、 夢は頼りなく浮遊しているのである。

  たましひの袖に入るとぞ見てしよりわが夢ぞ浮くかなしかりけり

『伊勢物語』119段 浮気な男が、形見といって残った品々を見て、女は詠んだ。
・形見こそ今はあたなれこれなくは忘るる時もあらましものを

  形見にと残せしものを見ればこそ君を思へり無ければよきに

2024年6月20日(木)

今日も朝から天気はいい。暑くなりそうだ。

徳田秋聲『足迹』を徳田秋聲記念館文庫にて読む。『黴』の前編にあたる小説だが、ようやく手に入れ読むことができた。なかなか既存の文庫本が手に入らず金沢の徳田秋聲記念館で刊行しているのを知って、『仮装人物』や『縮図』とともに手に入れた。そうして『足迹』を読むことができたのだが、はま婦人をモデルにしたというお庄が、じつに魅力的なのだ。いらぬこともするのだが、そんなことも気にしつつ、ある意味破天荒な姿はいきいきしているではないか。そしてその文体の穏やかさ。いいですねえ。

  梅ジュース一杯にけふがはじまらむ雨後のみどりの濃きこの時に

  濃みどりにさみどり色の木々の葉つまっさかりなり夏立つならむ

  真みどりのあけぼの杉の真下より仰ぐ木の葉のさゆらぎてゐる

『論語』子罕二 達巷の村の人が言った。「大なるかな孔子は、広く学びて名声をもたない。」孔子はこれを聞いて、門弟子に言った。「私は何をやろう。御車をやろうか、弓をやろうか。私は御車をやろう。」

  達巷の人大なるものかな孔子なり言はれてあげくわれは御車と謂ふ

『正徹物語』168 「郭公を待つ」という題で、このように詠んだ。
・年もへぬ待つに心はみじかくて玉のをながき時鳥かな 草根集3202

「玉のをながき」は、私のことだ。七十歳まで生きてきたので「玉のをながき」ということになる。毎年、郭公は待つものなれば、「年をへぬ」と詠んだ。このように詠んで、何の役に立つかとは思うけれど、類想歌は詠むまいと努めるため、薮山をかき分けて進むかのように苦労して詠んでいます。

  郭公(ほととぎす)の鳴くときを待ち年を経ぬ待ちかねて去るときもありけむ

『伊勢物語』百十八段 長いあいだ便りもせずにいた女のところに、「忘れてなどいませんよ。これから伺います。」と男が言ってきた。女は詠んだ。
・玉かづらはふ木あまたになりぬれば絶えぬ心のうれしげも
男を詰ってます。

  長くひさしく女のもとを訪れずいいわけをする男は入れず

2024年6月19日(水)

朝から青天。雲がない。

  キャベツ畑にてふてふ二頭まひをどるからみあひつつまた離れつつ

  キャベツ畑のうへとぶ白き蝶二頭上になり下になり踊るがごとく

  いつのまにか消えたる蝶、のゆくへ追ふ天上たかく浄土の方へ

『論語』子罕一 「子、罕に利を言ふ、命と仁と。」
孔子は、利益と運命と仁とのことは殆ど語らなかった。

  利と命と仁については多くを語らず孔子の思ひはここにこそあり

『正徹物語』167 「首夏の藤」という題で、こう詠んだ。
・夏来ても匂ふ藤波あらたへの衣がへせぬ山かとぞみる 草根集3264

万葉集に「荒栲の藤江」と詠んでいる。藤の花の房は、木の根はあらあらとして、しかも妙なるものなれば「荒栲の藤江」と言った。
「荒栲の衣」と詠んだことはまずない。私が初めて詠んだ。「白妙の衣」という句も、白く妙なる衣ということなので、「荒栲の衣」と詠んでもさしつかえないだろう。

  荒栲の衣と詠める歌少なし正徹の自慢ここにきはまる

『伊勢物語』百十七段 昔、帝が住吉に行幸した。帝は詠んだ。
・われ見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松いく代経ぬらむ

すると、住吉の大御神が姿をあらわし。
・むつましと君はしら波瑞垣の久しき世よりいはひそめてき

  帝のこと幾代もいはひ神をりぬ住吉の大御神すがたあらはす

2024年6月18日(火)

雨。よく降る。激しく降るらしい。

  わが眼鏡と妻の眼鏡が卓上に対峙してゐる睨みあつてる

  近視度はすこしだけわれが勝つもののメガネのセンスは妻のはうがいい

  卓上に妻のメガネが開いたまま本を読んでる百ページあたり

『論語』泰伯二一 孔子が言った。「禹は吾れ間然することなし。飲食を(うす)くして  孝を鬼人に致し、衣服を悪しくして美を黻冕(ふつべん)に致し、宮室を卑くして力を溝洫(こうきょく)に尽くす。禹は吾れ間然すること無し。」

  禹の国を大絶賛する孔子なりされどいにしへ今は無き国

『正徹物語』166 懐紙を書くに、下をあけない。上を十分あけてあるのがよい。

  懐紙にも書き方がある下をあけず上をあけるよろしかかろうか

『伊勢物語』百十六段 陸奥の国まであてもなくさまよう男がいた。陸奥から京へ、思う人に歌をおくった。
・波間より見ゆる小島の浜びさし久しくなりぬ君にあひ見で

「旅に出て、かえってあなたのことを思うようになったのです」という意味なのだった。

最後のことばはいるのでしょうか。歌だけで充分わかりますが。

  みちのくはさびしきものよ京に住む君を思ひてすべあらざらむ

2024年6月17日(月)

雲が多いけれども、暑い。

  ふりかへるふと横をむくこと苦手にて悪性リンパ腫の後まあまあ歩く

  三千歩を歩きて帰るわが部屋に敷きっぱなしの床に倒れる

  わが前を人が通る、人がゐることに戸惑ふ歩行ままならず

『論語』泰伯二〇 舜には五人の臣下がいて、それで天下が治まった。周の武王が言うことには、「私には治めてくれるものが十人いる。」孔子が言う。「人材は得がたい、そのとおりだ。堯舜時代からあとでは、この周の初めこそ盛んだ。しかし婦人がいるから九人だけだ。文王は西方諸国の旗頭となり、天下を三つに分けて、その二つまでをにぎりながら、なお殷に仕えていた。周の徳は、まず最高の徳だといって宜しかろう。」
しかし、婦人一として外すのは、ジェンダー理論に反するような。時代でしょうか。

  周の文王至徳なり孔子称揚す人材あれば

『正徹物語』165 「巌の苔」という題で、このように詠んだ。
・乱れつついはほにさがる松が枝の苔のいとなく山かぜぞ吹く

「苔のいとなく」とは、さがり苔(サルオガセ?)は巻かれて糸が垂れるものであるから、そこで「苔のいと」と詠んだ。「いとなく」は「あしのいとなく」などというのと同じで、休みのないことである。舟子…

  乱れつつ風に吹かれてぶらりぶらりサルオガセわが行く手さへぎる

『伊勢物語』百十五段 男と女が、みちのくに住んでいた。男が「都へいなむ」と言うと女はひどく悲しんだ。せめて餞別をと思い、おきのいてみやこしまというところで、酒をふるまい、歌を詠んでおくった。
・おきのゐて身を焼くよりも悲しきはみやこしまべの別れなりけり

京へ帰る男の心だが、女に未練が残りそうだが。

  汝が胸に熾火のごとき思ひあればこの別れこそかなしきものを

2024年6月16日(日)

朝は割合涼しかった。次第に気温は上がっている。

  わが家を守るヤモリの出現にへっと驚くその小ささに

  あけぼの杉も夜の雨に濡れその重さ濃きみどり葉の下垂れてゐる

  夏つばきの花もすつかり散り落ちて苔に横たふ茶に犯されて

『論語』泰伯一九 孔子が言う。「大なるかな、堯の君たるや。堂々として天だけが偉大である。堯は、それを見ならわれた。蕩蕩として民能く名づくること無し。堂々として立派な業績をうちたてた。そして輝かしくも礼楽制度を定められた。」

  いにしへの堯の業績を絶賛すこの政治この礼楽尊きものを

『正徹物語』164 「虎の生けはぎ」ということが、新撰六帖題和歌に見えている。作者の為家が大納言であったところ、さらに子の為氏が大納言に任じられようとして、この官職に欠員があれば任ずるがいまは無いので無理だという。そこで父為家を辞退させて前大納言とし、為氏が大納言に任じられた。このとき為家は自らの感慨を述べて、「虎の生けはぎ」と詠んだのである。
 「生けはぎ」には無理やり官職を奪う意もあり。

  為氏が大納言職を奪ひたり虎の生けはぎやましきならむ

『伊勢物語』百十四段 仁和の帝が芹川に行幸したとき、お供をした男がいた。男は以前、大鷹の鷹飼いだったのだが、今はもう若くはない。役からも退いている。けれど帝は、男をお供としたのだった。男は、自分の着ていた模様摺りの狩衣のたもとに、歌を書きつけた。
・翁さび人なとがめそ狩衣今日ばかりとぞ鶴も鳴くなる

ところが、帝はこの歌を聞き、機嫌を悪くしてしまったという。男が自分のこととして詠んだのに、若くない帝は、「翁さび」をあてつけととってしまった。

  翁さびはわがことならむすこしばかり若からぬ帝の勘違ひなり