2024年6月15日(土)

晴れだ。朝方は涼しいのだが、やがて30℃。暑いのだ。

  ことしまた小さき守宮に出逢ひたりこの小さきもの愛らしきもの

  ベランダに逢いしは親が産みたらむいづこに親の産屋ありけむ

  九階のベランダに守宮素早きは去年より育つ守宮ならむか

 『論語』泰伯一八 孔子が言う。「巍巍たるかな、舜・禹の天下を有てるや。而して与らず(堂々たるものだ、舜や禹が天下を治めた様子は。それでいて自分では手を下さなかった」

  舜や禹の天下を治めたありさまを而して与らず理想の政治

『正徹物語』163 「虎に寄する恋」の題では、時刻の寅は詠まない。時刻の寅も動物の虎であるが、暦の寅は字も違う。この題は生きている虎のことなので、「虎ふす野べも」とか「石にたつ矢」など詠んでいるのがよい手本である。暦の寅はインと字音で読む。

  虎とみて射たるに石にあたり立つかくわが恋はとほらざりけり

『伊勢物語』百十三段 女と別れやもめ暮らしの男が詠んだ。
・長からぬ命のほどに忘るるはいかに短き心なるらむ

  長からぬいのちと思へど忘れたる女よこの世はかくも短かし

2024年6月14日(金)

朝からよく晴れて、暑い。30℃になるという。家の内も暑い。

  歩行してもふりかへるとよろけるわれならむ前から来る人の顔もわからず

  踏切を前にしてとどまるわれにしてJR相模線下り四輌が通る

  踏切の長くて途中に鳴りだせばあわててバーを潜りて出づる

『論語』泰伯一七 孔子が言う。「学は及ばざるが如くするも、猶これを失はんことを恐る。」

  努めても失なはんことを恐れたり孔子にしてかくも学成りがたし

『正徹物語』162 「爐火」の題にては、埋火をも焼火も詠むなり。埋火の題にては、爐火をば詠まぬなり。

  爐火といへば埋火も焼火も詠むべきぞ而して埋火では爐火詠まぬなり

『伊勢物語』百十二段 ねむごろに言ひ契りける女の、ことざまになりにければ、
・須磨の海人の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり

  わが身にはたなびかざるを恨みにて率直うたふがもとへはかへらぬ

2024年6月13日(木)

朝から曇っているが、やがて晴天になるらしい。

  と揺りかう揺り揺りゆられわが身も心も揺りゆられ

  遊びをせむとや戯れせんとや生れたるに四角四面のこの世に停まる

  このうるはしき今様うたふ遊女たち小舟に乗りて揺られうたへる

『論語』泰伯一六 孔子の言。「狂にして直ならず、侗(頭の中がからっぽ)にして愿(誠実)ならず、悾悾(おろか)にして信ならず。吾れはこれを知らず。」

  狂にして直、(とう)にして(げん)、悾々にして信ならずではどうしやうもない

『正徹物語』161 
・折ふしよ鵙なく秋も冬枯れし遠きはじ原紅葉だになし

これは「おもふともよもしらじ」をかくした沓冠の折句の歌だ。これはさっと詠めた。どんなに詠もうとしても、詠めない時もある。らりるれろは特に詠めない。天暦(村上天皇の治世)に女御・更衣など多くの方々へ、
・逢坂もはては往来の関もゐず尋ねて問ひこきなばかへさじ

と、詠まれて差し上げたところ、皆真意を理解しないので、ある女御で「尋ねて問ひこ」とあったので、「参上せよ」という歌であると勘違いして、その夜天皇のもとへ押しかけた人もいたし、また理解できませんという旨の返歌をした女御もいた。その中でただ一人、広幡の更衣という人から、薫物を進上されたのを、結構だとお思いになった。「あはせたきものすこし」という沓冠の歌であったのである。

  (くつ)(かうぶり)の難しさただならず広幡の更衣ひとりのみ解く

『伊勢物語』百十一段 高貴な女へ歌を詠んだ男がいた。ちょうど女房の一人が亡くなったところだった。それにかこつけて、女房を弔うふりで、女自身に詠んだ。
・いにしへはありもやしけむいまぞ知るまだ見ぬ人を恋ふるものとは

女は返した。
・下紐のしるしとするも解けなくに語るがごとは恋ひずぞあるべき

すると男はまた返した。
・恋しとはさらにも言はじ下紐の解けむを人はそれと知らなむ

う~ん、男の歌が最後だから、女の気持ちをくつがえせたのだろうか。どうも女の歌の方がよくはないか。

  女房の一人が亡くなるときにしも恋歌のごときはもつてのほかなり

2024年6月12日(水)

朝から快晴。暑いくらいだ。リハビリ他、なかなか忙しい。

  青いロマスカーと赤いロマンスカーがすれ違ふ午前六時十分厚木駅あたり

  JR相模線上り電車踏み切りが鳴りわが前通る

  約十五分歩いてくれば下り線のJR相模線に踏み切り閉鎖す

『論語』泰伯一五 孔子の言。摯(魯の名音楽家)の歌いはじめ、関雎(『詩経』の最初の歌)の楽曲の終わり、『洋洋乎として耳に盈てるかな。』」

  師摯のはじめ、『詩経』関雎の終はり。洋々乎として耳にひろがる

『正徹物語』160 「富士の氷室」というのは、本歌があることなのか不審である。氷室のある場所はたくさんあるが、富士に氷室があると詠んだのは見たことがない。順徳院の御製も「富士の氷室」はない。その御製に「限りあれば富士のみ雪の消ゆる日」とあるのは、万葉集に「富士の雪はもちに消えてもちにふる」とあれば、これを「限りあれば富士の雪もきゆ」とあそばしたるなり。

さて、「冴ゆる氷室の山の下柴」とあるは、氷室のある場所に居て、富士のことを出した。心は「富士の雪の消ゆる日も、氷室はなほさむし」という御製なので、富士に氷室ありといった御製ではない。「高嶋やあど川柳」

  高嶋や安曇の川風吹きぬれば柳の枝の濡るるばかりぞ

『伊勢物語』百十段 男のもとにひそかに通う女がいた。女から「今宵、夢になむ、見えたまひつる」と言えば、男が詠んだ。
・思ひあまりいでにし魂のあるならむ夜深く見えば魂結びせよ

  夜深ければたましひ飛ぶに返りくるそのたましひを結びとどめよ

2024年6月11日(火)

朝から天気がいい。暑いほどに気温が上がっている。

『新編同時代の作家たち』広津和郎作・紅野敏郎編(岩波文庫)を読む。大正文壇の様子がいきいきと、そして興味ぶかく記される。宇野浩二、そして芥川龍之介の自死、島村抱月の頼りなさ、他、田山花袋・菊池寛・大杉栄・葛西善三・相馬泰三・牧野信一・小出楢繁・直木三十五・三上於莵吉・正宗白鳥・志賀直哉が取り上げられる。いずれも、それぞれの文人の奇知を捉えて極めて面白い。

  夏の影は濃くして妻の前にある影ふむやうに妻が出かける

  あけぼの杉の影も西側に伸びてゐるその影の中妻が通過す

  木が違ふ木を(をろが)みて違ふこと気ちがひならむわれに狂あり

『論語』泰伯一四 孔子が言う。「其の位に在らざれば、其の政を謀らず。」

意外なほどに謙虚な孔子である。

  その位にあらざれば政務に謀らず孔子言ふこの謙虚さは孔子のものなり

『正徹物語』159 「祈る恋」の題では、どの神でも詠んでいい。「年もへぬいのるちぎりは初瀬山(をのへの鐘のよその夕暮・新古今1142)」と定家も詠んだので、仏に祈ってもよい。摂政藤原良経の「いく夜われ浪にしほれて貴船川(袖に玉ちる物思ふらむ・新古今1141)」という和歌は、貴船社には夜参するので「いく夜われ」と詠んだ。

  長谷寺の観音像に祈りたり鐘うつときをその時と決め

『伊勢物語』百九段 大切な人を亡くした友へ、男が詠んだ。
・花よりも人こそあだになりにけれいづれをさきに恋ひむとか見し

  さくら花散るときを死ぬる人やある人こそ恋ふる花よりもなほ

2024年6月10日(月)

朝から雨だが、午前7時過ぎには上がった。けれども当分は曇りらしい。

  どんよりと雲重くなる昼つ方阿弥陀が救ふいのちありけむ

  救はれざるわれにしあらむ地獄の底に彷徨ひ血まみれなりき

  まはだかに剝かれて閻魔を前にして懺悔したりき許されざるか

『論語』泰伯一三 孔子の言。「篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす(命がけで道をみがく)。危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道あれば則ち見れ、道なければ則ち隠る。邦に道あるに、貧しくして且つ賤しきは恥なり。邦に道なきに、冨みて且つ貴きは恥なり。」

君子の道も、なかなか厳しい。

  学を好み命がけに道をみがく危邦に拠らず乱邦には行かず

『正徹物語』158 「停午の月」とは、天空の中央にある月のことだ。何日の月であっても、天空の中央にある月は、みな停午の月である。

  みんなみの空に停午の月やある満月なればかがやきわたる

『伊勢物語』百八段 恋人の薄情を恨み女が詠んだ。
・風吹けばとはに波こす岩なれやわが衣手のかはくことなき

と女が口癖のように言っていたのを、男はそれは自分のことだと、女に返した。
・宵ごとにかはづのあまた鳴く田には水こそまされ雨は降らねど

  心では泣いてますよと暗示して男は詠めり思ひとどくや

2024年6月9日(日)

朝から曇り。ずっと夜まで曇って雨になるらしい。鬱陶しいが、意外と涼しい。

  花々を落してさみどりの色かがやく躑躅、皐月のいのちの色なり

  あけぼの杉のさみどりの葉々を揺らしたる中庭とほる風やありけむ

  さみどり色に木々のかがやくときならむさつき、みなづきすぎてゆくなり

『論語』泰伯一二 孔子の言。「三年学びて穀に至らざるは、得やすからざるのみ。」

「穀」は俸禄の意。つまり三年学んで仕官しない人は、得がたいものだ。

  三年を学びて仕官せざること得がたしといふさらに学ばむ

『正徹物語』157 「山に寄する恋」という題で、このように詠んだ。
・逢坂の嵐をいたみ越えかねて関のと山に消ゆるうき雲

ある者が「この歌は、恋の歌のように思えない」と言ったとか。そこで「このように風の歌として詠みならわしているものであります」と答えられたとか。邪魔者を風に見立てて恋歌を詠むではないかとう弁解らしい。

  さみどりの山に寄せたる思ひあり雲がくるとも消ゆるぞ雲は

『伊勢物語』百七段 高貴なる男がいた。その邸にいる女に、内記(中務省の役人)である藤原敏行が求婚した。女はまだ若く、文も、言葉もつたないし、ましてや歌など作れない。そこで男が代りに歌の下書きを書いて、その歌を敏行に届けた。敏行は感じ入った。そしてこう詠んだ。
・つれづれのながめにまさる涙川袖のみひちて逢ふよしもなし

男は、ふたたび女に代わって返した。
・浅みこそ袖はひつらめ涙川身さへながると聞かば頼まむ

返歌を読み、敏行はさらに感じ入った。以来ずっと、今に至るまで、文を巻いて文箱にしまってあるということだ。敏行と女が情をかわした後に、敏行はまた文を出した。
「あなたのところに行きたいのですが、雨が降りそうで心配です。私に運があるのでしたら、きっと雨は降らないでしょう」男は、また女に代わって詠んだ。
・かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる

歌を読み、敏行は、蓑笠を用意する間もあらばこそ、濡れながら、あわててやってきたのだった。

  これこそが歌の力か敏行は雨に濡れても女のもとへ