2024年6月1日(土)

六月である。今のところ天気はいい。

  よろこびはことしの梅の大き実を手にもてあそびその香嗅ぐとき

  よろこびは梅の実それぞれに振り分けてあばたあるもの寄せあつめたる

  よろこびは実から熟した液指に潰したるのち梅の実匂ふ

『論語』泰伯七 曾子が言う。「士はおおらかで強くなければならない。任重くして道は遠い。仁をおのれの任務とする。なんと重いことよ。死ぬまでやめず、なんと遠いことか。」

  士の道の死して後やむ遠からず仁もておのれの任となすべし

『正徹物語』152 初心のうちは、「月に寄する恋」「花に寄する恋」などの寄物の題は、詠みにくく感ずる。そして「見る恋」「顕るる恋」などの題でも、何かに寄せない題は詠みやすいように感ずる。熟達して、寄物はやさしく、ただ「聞く恋」「別るる恋」などが大変である。「暮春に鐘を聞く」という題でこのように詠んだ。
・この夕入相の鐘のかすむかな音せぬかたに春や行くらん 草根集2674

このようになだらかに詠み馴れるのがよい。そうはいっても、それは極北に到達した後で、初心者の境地に戻って、こんな歌が詠める。水上の月は、手で取れそうで、撮れないようなものだ。「ここの程はさうなく得がたきことなり。」

  正徹のわが歌自慢。春の暮れ入相の鐘の音遠ざかる

『伊勢物語』百二段 歌は詠まなかったが、男女の機微は心得ていた男がいた。親族に高貴な身分の女がおり、尼になった。女は、世間を疎んじて京を離れ、遠く山里に住むようになった。すると男は女へ、歌を詠んで贈った。
・そむくとて雲には乗らぬものなれど世の憂きことぞよそになるてふ

男がこの歌を送った相手は、かつての斎宮である。

  時を経て尼になりけるをみなへも歌を詠みたるむかし男は

明日は湯河原の宿に一泊の予定。明日の欄は明後日書くことになる。

2024年5月31日(金)

温帯低気圧に変わった台風一号が、南の海を遡っているようで、雨が止まない。風はそう吹いてはいない。

今日は、私の誕生日である。六十八歳、あんまりめでたくないが、まあまあか。

  もらひ梅を等級に分けそれぞれに梅干し、梅ジュース、梅ジャムにする

  トリアージにあらねど梅に優先順あれば傷ある梅の等級

  梅の実の匂ひ部屋内に充満す最初は爽やかやがてじっとり

『論語』泰伯六 曾子が言った。「小さいみなしごの若君をあずけることもできれば、諸侯の国家の政令を任せることもでき、大事にあたってもその志を奪うことができない。これこそ君子の人であろうか、君子の人である。」

  曾子が言ふ君子の人は孤を託し命を寄すべく奪ふべからず

『正徹物語』151 建保名所百首の題で、初心者は歌を詠んではならない。名所には、その場所で昔より詠み慣わしている題材があるので、新しく読む歌もおおよそは昔の歌と同じである。独創の余地はわずかである。初心の頃は名所の歌を詠みたがる。簡単に見えるからだ。私どもも歌が詠めないときは、名所を詠む。名所を詠むと二句や三句すぐに詞が埋まるので、それほど力を込めなくてよい。「高嶋や勝野の原」や「さざ浪や志賀の甘松」など詠めば、既に二句埋まる。私はもう四十年余歌を詠んでお学の稽古に詠んだものだ。しかしながら堀河百首は、ちょっと詠みにくい題である。初心者は二字題など、もっと自然で単純な、詠み慣れているものがよい。月や花といった、まっとうな題で詠むのがいい。弘長・宝治・建久・貞永といった年代の百首歌の題で詠むのがいいだろう。

  名所の題で詠むこと難き初心者は名所は名所でも詠みなれたもの

『伊勢物語』百一段 左兵衛府の長官である在原行平の邸には、いい酒があるという噂をきき人々が集まった。その日は、昇殿が許されている左中弁である藤原良近が、宴の正客であった。主の行平は、風雅を好み、瓶に花を活けさせていた。花の中に、目を奪わんばかりの立派な藤の花がある。花房の長さは三尺六寸(一メートル以上)。

皆は、その藤を題に歌を詠んだ。

詠みつくした頃、業平の兄弟(おそらく業平)が、客をもてなしていると聞いてやってきた。皆は、この男に歌を詠ませた。歌の詠み方など知らぬと男は辞退した。しかし無理に男に歌を詠ませた。こんな歌だ。
・咲く花の下にかくるる人多みありしにまさる藤のかげかも

意味を訊いた。男の答え。「今の世の頂点、太政大臣は藤原氏。その藤原一門の栄華のさかりを思い、詠んだ。」皆は黙った。なぜなら宴席には、藤原氏ゆかりの者と共に、藤原氏から遠い者たちも同席していたからだ。すぐにはわからなかったため、歌の底にある複雑な陰影を、皆は心の中でかみしめたのだった。

  場に応じ歌つくることは業平の得意技なり藤は藤原

2024年5月30日(木)

朝から暑い。いい天気で、気温上昇。夜、雨が来るらしい。

  夏つばきに清浄の花あまた着く白き花咲くこの夏の花

  白き花、芯のところは黄色い蕊浅きみどりに花映ゆ木の花

  昨年はほとんど咲かぬ夏つばき今年咲く花ただ可憐なり

『論語』泰伯五 曾子が言った。「才能があるのに無いものをたずね、知識ゆたかであるのに乏しいものにたずね、有っても無いように、充実してもからっぽのようにして、害をうけてもしかえしをしない。昔、わたしの友(顔回)は、そういうことにつとめた。

  顔回はなかなか素晴らしき友なりと曾子言ひたまふその謙譲を

『正徹物語』150 「花の八重山」は歌枕ではない。足柄でも多く八重山と詠んでいる。つまり、ただ幾重にも重なった山ということだ。

  山八重に重なるところたまたまに花咲けば「花の八重山」ならん

『伊勢物語』百段 後涼殿のはざまを渡る男がいた。あるやむごとなき人の局より、
わすれ草を、「しのぶ草とや言ふ」とて、いださせたまへければ、たまはりて、
・忘れ草生ふる野辺とは見るらめどこはしのぶなりのちも頼まむ

  たまたまに目にしたるかも男なり忘れてかしのぶこともまれなり

2024年5月29日(水)

昨日の激しい雨風は終って、あかるい空であるが、雲がある。

昨夜の風雨で皐月の花が散らばった。

  南からの風強ければ窓を打つまつこうから来る雨風の音

  窓を打つは鬼かとおもふ開けてはならぬはげしき乱打

  花々が落ちて散らばる皐月なり乱暴狼藉許しがたし

『論語』泰伯四 曾子、疾あり。孟敬子(魯の家老)これを問う。曾子は言った、「鳥が死ぬときはそのなきごえはかなしい。人が死ぬときには言葉は立派だ。君子が礼について尊ぶことは三つ。姿かたちを動かすときには粗放から離れる。顔つきを整えるときは誠実に近づく。ことばを口にするとき俗悪から離れる。この三つが礼に大切なことだ。祭の器物などのことは、役人がいる。」

  曾子疾にかかり申すこと暴慢、鄙倍を遠ざけて信に近づけ

『正徹物語』149 名人になる者は、最初から知られる。家隆卿が幼くして、
・霜月に霜の降るこそ道理なれなど十月に十はふらぬぞ

と詠んだのを、後鳥羽院は優れた人物になるに違いないと感嘆された。

名人の歌を前もって多く読んでいると、必ず構想力が先に向上する。そのため構想力ほどには表現力は自由に使えない。構想力だけが上達してしまったのがすこぶる質が悪い。表現力は、事物を観察する度合と関係ない。もちろん言葉遣いが巧みでも、構想力が働かねば歌は詠めない。だから事物を観察するときにはよくよく注意が必要だ。

  歌における心と詞の塩梅のむつかしさを言ふ正徹なりき

『伊勢物語』九十九段 右近衛府の馬場で、騎射が行われた。馬場のむこうにとめてある車の中に、女の顔が見えた。近衛府の中将である男は詠んだ。
・見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめ暮らさむ

女は返した。
・知る知らぬ何かあやなくわきていはむ思ひのみこそしるべなりけり

そののち男は女に逢い、女が誰か知ることとなる。

  ちらりと見たる女のもとに詠み贈るかくも女のこころをとらふ

2024年5月28日(火)

朝、しょぼしょぼ降っていたが、やがて本降りに。小雨になったり大雨になったりして夜半まで降り続くらしい。

  朝に行く道はさつきの花落ちてその花を踏む老いの歩みは

  しとしとと降る雨の中さつき花によろこばるるか老い独りゆく

  傘ささずさつきの花の咲くところ目によろこびて老いの楽園

『論語』泰伯三 曾子が病気になった。門弟子を呼び言った。「予が足を啓け、予が手を啓け。詩経には『戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し』とある。而今よりして、これから後、わたしももうその心配はないな、君たち。」

  曾子の病深淵に臨むか薄氷を履むかしかれどももう免れる

『正徹物語』148 人丸の御命日は秘する事なり。知っている人は少ない。三月十八日である。しかし人麻呂影供はこの日には催されない。六条の顕季の影供は夏六月であった。

  人麻呂の忌日を知るはまれにして影供も夏の六月にする

『伊勢物語』九十八段 太政大臣(藤原良房)に仕えている男がいた。九月ごろ、梅の造り枝に狩った雉をつけ献上した。
・わが頼む君がためにと折る花は時しもわかぬものにぞありける

男がこう詠んだので、大臣は深く感じ入り、使者に褒美を与えたのだった。

いささかこびているように感じられるが。

  へつらひのごときとおもふがさにあらずこの歌の持つ実直さあり

2024年5月27日(月)

朝から雲が空を覆っている。昼頃、雨になり、じきに止むらしいが、後も曇り。鬱陶しい。

  すずめ二羽つがひの鳥か新緑の木から木へ移る後先ありて

  すずめ鳴く、鳴きかはす声愛らしく木々の緑を移れるならむ

  たちまちに電線に飛ぶすずめごの跡追ふらしき一羽も飛べり

『論語』泰伯二 孔子の言。「恭にして礼なければ則ち労す。慎にして礼なければ則ちいじける。勇にして礼なければ則ち乱る。直にして礼なければ窮屈になる。君子、親に篤ければ則ち民仁に興る。故旧遺れざれば、則ち民が薄情でなくなる。」

  いづれにしても礼守るべし君子なれば親を思ひへば仁なるべしを

『正徹物語』147 「思ひきや」「我が恋は」という五文字は、この四、五十年詠んだことはない。思うに両方とも気障で嫌味な詞である。「我が恋」といはずとも、他の誰があなたの恋を論ずるか。「思ひきや」の代りに、「思はずよ」「知らざりき」などと詠む。

  思ひきやと詠むことはなし他の誰がおのが恋なぞを論ずるかなや

『伊勢物語』九十七段 堀河の大臣(藤原基経)の四十の賀を、九条の邸で催した。

中将であった翁(業平)が、詠んだ。
・桜花散り交ひ曇れ老いらくの来むといふなる道まがふがに

これは、これは、知ってもいるが、よい歌である。

  さくら花さかりをすぎて散りかかる老いへの道を迷はすごとく

2024年5月26日(日)

今日は曇りが続くらしいが、時折晴れた空が覘き暑い。

  一刷毛の雲の真下の影に入る少し涼しきさつき花咲く

  朝と夕、そして寝る前それぞれに薬剤のむも病状かはらず

  口に含む一錠一錠を喉に流す薬に寄りて溶け方ちがふ

『論語』泰伯一 今日から泰伯第八に入る。

孔子が言う。泰伯(周の文王の父季歴の兄。自分の方に位を伝えたいのだと見て取り、国を棄て、南方、呉へ亡命した)は至徳と謂うべきのみ。三度も天下を譲ったことになるが、人民はそれを讃えることさえできなかった。
人に知られることなく王位を譲ったのが泰伯である。

  泰伯の至徳を思ふ。知られずに王位を譲ること三度なり

『正徹物語』146 新羅明神の歌は、『続古今』に入っている。
・から船にのり尋ねにとこしかひありけるものをここのとまりに 続古今691

弘法大師、
・法性のむろ戸ときけど我すめば有為の浪かぜたたぬ日ぞなき 新勅撰574

という御詠歌は『新勅撰』に入っている。このように神明仏陀も歌をたしなまれた。歌は深い秘密を有するものなのであろう。

  新羅明神も弘法大師も和歌を成す歌とは神秘を底に秘めたり

『伊勢物語』九十六段 長年、女を口説き続けていた男がいた。女の心も木石ではなかったので、男を不憫に思った。女は、男に心を開いていった。ころは水無月泣かば。

女は、男に言ってよこした。「今はあなただけを思っています。ただ、できものが一つ、二つ出てしまった。暑い時期でもある。秋風が立ちはじめた頃、必ず逢いましょう。」時は経ち、「あの女は、男のもとへ行こうとしているらしい」とあちこちで噂がたった。噂がけちをつけた。女の兄が噂を聞き、男に女を渡すまいと、突然迎えにきた。女は、黄葉したかえでを女房に拾わせ、歌を書きつけた。
・秋かけていひしながらもあらなくに木の葉ふりしくえにこそありけれ

女は,書置きを、「あの人が使者をよこしたなら、渡してくれ」といって去った。その後、女がどうなったのかは、今日までわからない。幸せに暮らしたのかどうか誰も知らない。男は、まじないの柏手を打ち、呪っているということだ。「むくつけきこと。」人が誰かを呪うとき、果たして相手の身にふりかかってくるのかこないのか。それは誰にもわからないが、男は「今こそは見め」と言っているそうだ。

  男も女も未練がましくふるまへば男の呪ひもかなふべきなり