ちょっと寒い。晴れ曇りか。
これも2月25日のこと
朝から冷たき雨がしたたればさびしくあらむこの暗き窓
窓の外はしとどに雨のふりやまずなすことなすこと悪しき方へ
この雨の中にも走るトラックの荷はなに何処に運ばんとする
『孟子』離婁章句下117-3 是の故に、君子には終身の憂ひ有るも、一朝の患無きなり。乃ち憂ふる所の若きは則ち之に有り。『舜も人なり。我も亦人なり。舜は法を天下に為し、後世に伝ふ可し。我は由ほ未だ郷人為るを免れざるなり』是は則ち憂ふ可きなり。之を憂へば如何にせん。舜の如くせんのみ。夫の君子の若きは、患とする所は則ち亡し。仁に非ざれば為す無きなり。礼に非ざれば行ふ無きなり。一朝の患有るが如きは、則ち君子は患とせず」
君子には終身の憂ひはあるものの一朝の患などなきものなりき
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
極楽浄土のめでたさは 一つもあだなることぞなき 吹く風立つ波鳥もみな 妙なる法ぞ唱ふなる
(法文歌・極楽歌・一七七)
【現代語訳】極楽浄土のめでたさといったら、何一つ無駄なことなどないのだ。吹く風、池に立つ波、鳥のさえずり、すべてがみな尊い法文を唱えていることだよ。
【評】極楽の素晴らしさを聴覚的にまとめて讃美した歌。
『無量寿経』には、極楽では、宝樹に風が吹いて、すばらしい妙法の音をたてること、池の波が仏の声とも僧の声とも聞こえることが記され、『阿弥陀経』には、極楽に七宝の池があること、孔雀や鸚鵡、迦陵頻伽などの美しい鳥たちが鳴くこと、風に吹かれて宝樹が妙音をたてることなどが記される。これらによって広く浸透していた極楽のイメージであるが、千観(九一八~九八四)作『極楽国弥陀和讃』には、「八功徳水池すみて苦空無我の波唱へ 常楽我淨の風吹きて……孔雀鸚鵡声々に 妙法門をとなふれば」とあり、当該今様の表現に類似してる。
極楽絵においても阿弥陀三尊の前に大きく池が描かれるのが定型にとなっており、その池に蓮が咲き乱れていたり、竜頭鷁首の船が浮かんでいたり、色彩豊かな水鳥が描かれていたりして、視覚的に鮮やかな宝池の姿が浮かび上がるが、当該今様はその池に立つ波の音に注目して聴覚に訴える一首となっている。