雨、寒い。
山本ひろ子『中世神話』を読む。実に刺激的な新書であった。古代神話を基にしながら中世の伊勢でこのような中世神話が作られていたとは。外宮を中心にした仏教的な操作。渡会氏などがかかわり外宮の優位性を創った神話。凄いですねえ。痛快でもありました。古代からの国家神話を無効化するようなテクニック。面白かったです。読むのは初めてですが、レシートが挟まっていて、本が出版された当日に買っていることがわかる。一九九八年の新書である。わたくし四十二歳である。町田の久美堂本店で求めたことも記されている。それを六十九歳の今読み終えたことになる。もっと前に詠んで置くべき一冊であった。
薄き雲はピンク色に染まりたりさがみの春の空明けてゆく
風に散る白梅の花香りくる春のはじまり花散らしをり
鬼気迫る時にしあれど春の花香ればすこしゆつたりとして
『孟子』離婁章句下119 公都子曰く、「匡章は通国皆不孝と称す。夫子之と遊び、又従つて之を礼貌す。敢て問ふ何ぞや」と。孟子曰く、「世俗の所謂不孝なる者五有り。其の四支を惰り、父母の養ひを顧みざるは、一の不孝なり。博奕し、好んで酒を飲み、父母の養ひを顧みざるは、二の不孝なり。貨財を好み、妻子に私して、父母の養ひを顧みざるは、三の不孝なり。耳目の欲を従にし、以て父母の戮を為すは、四の不孝なり。勇を好みて闘恨し、以て父母を危ふくするは、五の不孝なり。章子は是に一有るか。
不孝なるもの五ありしかるに匡章一つもあらず
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
釈迦の説法聞きにとて 東方浄妙国土より 普賢文殊は獅子象に乗り 娑婆の穢土にぞ出でたまふ
(法文歌・雑法文歌・一九五)
【現代語訳】釈迦の説法を聞こうとして、東方浄妙国土から、普賢菩薩と文殊菩薩はそれぞれ、象と獅子に乗り、娑婆の苦脳に満ちた世界にこそいらっしゃたことだよ。
【評】普賢・文殊が聴聞にやって来るという躍動的な場面構成で釈迦の説法を印象付けた一首。普賢は仏の行徳を、文殊は仏の智慧を象徴するとされるが、両菩薩は、釈迦如来の左右の脇侍として、文殊は獅子に乗った姿、普賢は白象に乗った姿に造形されて人々に親しまれた。当該今様はこうした仏教美術の世界と深く関わっているものと思われ、釈迦三尊像を目の前にして歌っているかのような臨場感がある。
「東方浄妙国土」は固有名詞として普賢菩薩の住処とされることもあるが(→一六九)、ここでは、文殊の住処も含んで、東方の清らかな国土の意であろう。『法華経』普賢菩薩勧発品によれば、普賢は東方の「宝威徳上王仏国」にいるとされ、『華厳経』菩薩住所品によれば、文殊は「東北方」の「清涼山」にいるとされる。 「娑婆の穢土」は煩悩のけがれに満ちた現世を指す。第二句の浄妙国土と第四句の穢土が対比され、遠い浄土からこの穢土へ、はるばる移動してきた両菩薩の行動が巧みに表現されている。