3月11日(水)

朝から寒いが、晴れている。

  子どもらの遊具に遊ぶ声聴こゆ。うさぎに乗りて揺らるる子ども

  高きに上り躊躇したるか子どもなり間が少しありやがて滑りくる

  ブランコを高く揺すれる子どもあり。なんだかわからぬ声を発して

『孟子』離婁章句下119-2 (か)の章子は、(し)(ふ)善を責めて、相遇はざるなり。善を責むるは、朋友の道なり。父子善を責むるは、恩に(そこな)ふの大なる者なり。夫の章子は、豈夫妻子の属有るを欲せざらんや。罪を父に得て、近づくことを得ざるが為に、妻を出し子を屛けて、終身養はれず。其の心を設くるやおも(お)(も)へらく、(かく)(ごと)くならずんば、是れ則ち罪の大なる者なりと。是れ則ち章子のみ」と。

  匡章といふものは父の勘気を受け、妻子の孝養を受けやうとせず

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

龍女(りゆうによ)は仏に成りにけり などかわれらも成らざらん 五障(ごしやう)の雲こそ厚くとも 如来(ぐわち)(りん)隠されじ
     (法文歌・雑法文歌・二〇八)

【現代語訳】龍女は仏に成ったということだ。どうしてわれら女人も成仏できないことがあろうか。女の身に五つの罪障があって、雲のように厚く覆いかぶさってきても、成仏できる本姓は月の光のように、雲に隠されることはないのだ。

【評】龍女成仏を歌った一首。龍王の八歳の娘は、竜宮で文殊菩薩の教えを聞いて悟りを開き、たちまち男子と成って南方無垢世界へ行き、成仏を遂げた。『法華経』提婆達多品に説く龍女成仏の話は、法華経二十八品歌の中だけではなく、雑法文歌の中にも収められており、龍女関心の高さが窺われる。

「五障」は女性だけに存在する障害で、梵天王、帝釈、魔王、転輪聖王、仏身の五つの身分になれないことであるが、龍女は、女であるのみならず、子どもであり畜類であるという、三重の悪条件を超えて救われたのである。「われら」の語によって、当該今様の享受者が龍女と一体化していく臨場感が生まれ、同じような奇跡を熱望する切実さが伝わる。なお、「建水三年」(承元二年・一二〇八)の書写奥書のある石山寺蔵「結縁勧請声明」に「龍女ハホトケニナリニケリ。ナトカワレラモ。ナラサラム。五障ノクモコソアツクトモ。如来月輪カクサレヌモノコソアリケレ」の歌謡が載る。また『梁塵秘抄口伝集』の断簡と思しい穂久邇文庫蔵今様断簡は三句を「五障の雲こそ厚からめ」とする。このように、当該今様は、人々の心を捉え、多少の異動を持ちながら、広く流布し享受されたのである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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