今日も晴れてる。
2月25日のこと
ひさびさに海老名も雨がふりたまる上流にある津久井湖いかに
中津川上流にある宮ケ瀬ダムすこしは夏に備へられたか
全国のダム湖に水が満ちたればそれでよしとおもへどいかが
『孟子』離婁章句下117-2 此に人有り。其の我を待つに横逆を以てすれば、則ち君子必ず自ら反するなり。『我必ず不仁ならん。必ず無礼ならん。此の物奚ぞ宜しく至るべけんや』と。其の自ら反して仁なり。自ら反して礼有り。其の横逆由ほ是のごとくなるや、君子必ず自ら反するなり。『我必ず不忠ならん』と。自ら反して忠なり。其の横逆由ほ是のごとくなるや、君子曰く、『此れ亦妄人なるのみ。此の如くんば、則ち禽獣と奚ぞ択ばんや。禽獣に於て又何ぞ難ぜん』と。
君子には自ら反省を繰り返すその果てにこの男は禽獣同然
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
二月十五日朝より これらの法文説きおきて やうやく中夜に至るほど 頭は北にぞ臥したまふ
(法文歌・涅槃歌・一七四)
【現代語訳】釈迦は二月十五日の朝から尊い法文を説きおかれて、ようやく真夜中になったころに、頭を北にして横になられたのであった。
【評】釈迦の入滅を歌った一首。涅槃会(釈迦入滅の日に行う法要)で用いられる永観(一〇三三~一一一一)作『舎利講式和讃』の一部を抜き出している。和讃には「世間もとより常なくて これをぞ生死の法といふ 生も滅をも滅しをへ 寂滅なるをぞ楽とする 一切衆生ことごとく 常住仏性備はれり 実には変易ましまさず 二月十五日の朝より これらの妙法説きをへて やうやく中夜に至るほど 頭を北にて臥したまふ」とあり、これらの法文」が、①世間は無常であり、寂滅(煩悩の消えた悟りの境地)こそ真の楽であること、②一切の衆生には仏性が備わっており、仏は常に存在して変化することがないこと、という教えを指すことがわかる。独立した歌謡としては「これらの」という指示語がやや唐突であるが、対象が曖昧なまま、法のありがたさだけを、自明のこととして「これ」と身近に受け取っていくような感覚的な表現と言えようか。
今様の名手・源清経を外祖父に持つ西行は、
願はくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃 (『山河集』)
と詠み、釈迦入滅の「その」二月十五日死にたいと願ったが、ほぼ望み通り、文治六年(一一九〇)二月十六日に没した。このことは、多くの人々を感動させたが、釈迦の入滅が、「その」という語で表されている点、「これらの」という指示語を使った当該今様の表現と響き合うところがあるように思われる。
釈迦は入滅の前に、頭を北に、顔を西に、右脇を下にして横たわったと伝えられる。釈迦入滅の姿を描いた涅槃図も多く描かれ、涅槃会の折には堂の中央に掛けられた。和歌山・金剛峰寺蔵の仏涅槃図(国宝)は、わが国現存最古の絵画による涅槃図であるが、これは応徳三年(一〇八六)、まさに白河院が院政をはじめた年に制作されたものである。この涅槃図は、インドの浮彫や敦煌の壁画、中国の絵画に比べて、釈迦の横たわる宝台前のスペースが広くなって、会衆の数が多くなっていること、その結果、参加型ともいえるような、礼拝者自身が涅槃図の情景に参入する会衆の一人になりかわるような効果があることが指摘されている。
今様もしばしば、経典の物語の世界に、歌い手聞き手が入り込んでいくような表現を持ち、金剛峰寺仏涅槃図の画面構成とも一脈通じるところがある。当該今様を歌い聞く人々はこうした涅槃図の場面をも、ありありと思い浮かべたであろう。