2025年3月17日(月)

朝から晴れ、暖かくなるらしい。

  絨毯の上に対になるスリッパが間隔広くそっぽむきあふ

  奔放なるスリッパを覗き見るやうにゴミ箱の後ろにスリッパ一足

  二つとも皮をつかって洒落てゐるスリッパなれど天と地の差

『論語』季氏一〇 孔子曰く、「君子に九思あり。視るには明を思ひ、聴くには聡を思ひ、色には温を思ひ、(かたち)には恭を思ひ、言には忠を思ひ、事には敬を思ひ、疑はしきには問ひを思ひ、忿りには難を思ひ、得るを見ては義を思ふ。」

  君子には九つの思ふことがある視・聴・色・貌・言・事・疑・忿・得

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九〇 キナシノカルノ太子
こうして追うてきた時、太子はそれを迎えて、懐かしさのあまり、
隠国の 泊瀬の山の         死ねば埋まる(は)(せ)山の
大峡(おほを)には 幡張り立て        大峡(おおお)に幡を張り立てて
小峡(をを)には 幡はり立て       小峡(こお)にも幡を張り立てて
大峡にし 汝が定める      その二つある墓所のうち 死ねば共にと大峡をば
思ひ妻あはれ          定め選んで死をきめて ここまで尋ねて来た妻よ
(つく)(ゆみ)の (こや)(こや)りも         はるばる荒い波越えて
梓弓 立てり立てりも        槻の木弓の伏すように 梓の弓の立つように
後取り見る             あまたの月日を起き伏して
思ひ妻あはれ            会いに尋ねて来た妻よ

  あまたの月日をともにした思ひ妻あはれここにともに死すべし

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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