2025年3月22日(土)

晴れ、しかし朝は寒い。やがて二十度を超すらしい。

  今日もまたベランダをゆく黒鶺鴒織女のごとく大尻振りて

  そしてまた図体のわりに足ほそき黒鶺鴒に似合はぬ歩み

  冬の木の繊き枝には愛らしき数羽の目白木を揺らしをり

  なんとなく間抜け顔なる目白なり絵のやうな目のくりくりとして

『論語』陽貨第十七 一 陽貨(季孫氏の家臣。主家をおさえて魯の国政を握ったが、後に失脚) 、孔子を見んと欲す。孔子(まみ)えず。孔子に豚を(おく)る。

孔子其の亡きを時として往ききてこれを拝す。(みち)に遇ふ。孔子に謂ひて曰く、来たれ。(わ)(なんじ)と言はん。曰く、其の宝を懐きて其の邦を迷はす、仁と謂ふべきか。曰く、不可なり。事に従ふを好みて亟々時を失ふ、知と謂ふべきか。曰く、不可なり。

  日月逝く、歳我れと(とも)ならず。孔子曰く、諾。吾れ将に仕へんとす。

  陽貨のもとに仕へん日やあるか孔子どん答へ曖昧なり陽貨を嫌ふ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九五 アカキコ

そこで、アカキコの泣く涙は、その着ている丹染めの袖もぬれ通るほどであった。アカキコが答えた歌は、
御室に (つ)くや玉垣        御室の神の神主が 年ごろ仕えて来たように
築き余し (た)にかも寄らむ     年ごろ守ってきた上は
神の宮人             いまさら誰に仕えましょうか

  八十年、年とるままに天皇を思へばいまさら誰に仕へむ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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