今朝も天気だ。ずうっと晴れるようだ。
ゑんじゅの枝にみどりの葉の繁りそこにもぽつぽつ壺花咲く
山焼の烟など見えず感傷をおぼえることもあらず過ぎたり
遠山は大地にどっしり坐りたり動かず騒がず位置変へるなし
『論語』子帳三 子夏の門人、交はりを子帳に問ふ。子帳曰く、「子夏は何とか云へる。対へて曰く、「子夏曰く、可なる者はこれに与し、其の不可なる者はこれを距がんと。」子張曰く、「吾が聞く所に異なり。君子、賢を尊びて衆を容れ、善を嘉して不能を矜む。我れの大賢ならんか、人に於いて何の容れざる所あらん。我れの不賢ならんか、人将た我れを距がん。これを如何ぞ其れ人を距がんや。」
君子ならば尊き人と一般の人とを分けず包容し容れぬとなれば向うから拒む
前川佐美雄『秀歌十二月』 尾上柴舟
哀れにも晴れたるかなや飛ぶものは飛びつくしたる夕暮の空 (歌集・素月集)
「法師庵の縁にて空を仰ぐ絵に」という詞書があるから、これは画に題したので、つまり画賛だ。(略)この歌はそういう題詞と関係なく、これはこのまま独立してまことにすぐれた歌であると思われる。晴れわたった夕暮れの空に、飛ぶものすっかり飛んで行ってしまって、何もないというのだ。あとはとっぷりと暮れ沈む空があるばかりだという、この心境はただごとでない。(略)この透徹ぶりはどうだ。(略)これほど美しく、高いものはめったにないという気がする。(略)私はこの一首をようやく捜し出して、さすがは柴舟なるかなと思った。