2025年5月14日(水)

今日も晴れてる。25度くらいになるらしい。

  すずめ三羽がつらなりて花水木咲く枝移りゆく

  ひよどりの鳴く声聴かずばこすずめの三羽よりくる喜々として鳴く

  花水木の白き花をも吹き飛ばすやうにすずめも飛ばされてゐる

『論語』子張一七 曾子曰く、「吾れ諸れを夫子に聞けり、人未だ自ら致す者有らず。必ずや親の喪か。」

曾子が先生からお聞きしたのだが、人が自分の真情を出しつくすというのはなかなかないことだ。あるとすれば親の喪であろう。
まあ、そうかな。

  人が自分から真情を出さんとするは親の喪ならんか

前川佐美雄『秀歌十二月』三月 坂門(さかとの)人足(ひとたり)

巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ思はな巨勢の春野を (万葉集巻一・五四)

大宝元年秋、持統太上天皇が紀伊の国に行幸された時の歌で、巨勢は道のわかれるところ。(略)「つらつら椿」はたくさんの椿があるということで、たくさん連なっているとまで語にこだわらずともよい。次に「つらつらに」は「つくづくに」の意だが、「つらつら椿」はこの副詞と音をそろえるために作者の作ったことばだろう、と土屋文明はいっている。私はそれに同意する。そうしてその新造語がここでりっぱに生きてる。声調がよいのだが、その「つらつら」は椿の葉のつやつやと、またてらてらとしていることの感覚からもきている。この歌の作られたのは冬だ。そうして椿の咲く春を思いしのんでいる。(略)椿の花はよい。私は好きだ。そうしてこの歌も。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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