今日も朝からまあまあの天気だ。
あちこちに携帯電話を持つものが電話をするのかゲームをするか
音楽も演歌にはあらず若者にしか通じぬ楽音があるらしきなり
それぞれに調子はいいが歌詞聞きとれなければ老いにはつらき
『論語』子張一九 孟氏、陽膚をして士師たらしむ。曾子に問ふ。曾子曰く、「上其の道を失ひて、民散ずること久し。如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿れ。」
孟孫氏が陽膚(曾子の門人)士師(罪人を扱う官)にならせたとき、陽膚はその職について曾子にたずねた。「上の者が正しい道を喪っているために人民もゆるんでいること久しい。もし犯罪の実情をつかんだときは、あわれんでやって喜んではならぬ。
犯罪には哀れむことが重要なり上の者が道を失ふことこそ恐る
前川佐美雄『秀歌十二月』三月 藤原定家
春の夜の夢のうき橋とだえして峰にわかるる横雲の空 (新古今集)
春の夜の夢が浮き橋のようにはかなく途中でとぎれてしまい夢ともうつつとも覚えぬさかいはもう暁に近いらしく、雲が峰から離れて空にたなびいているようだというのである。(略)夢うつつの心情世界を歌いあげた心象風景である(略)散文に移すなどもってのほかである。(略)これはこのまま読んでその心を感じとるほかない。(略)定家の定家らしいその艶美なる象徴歌、その人工美の極致を行くものとして、私は純粋にこれを高く評価して珍重する。
かつて川田順はこの歌を激賞し「平安朝時代の貴族的和歌が辿り辿った道の最高峰に登りつめたものがこの一首であり、この一首残して他の何万首は湮滅し去っても平安朝和歌の存在理由は確実である。実に、この歌は和歌史上、柿本人麿の傑作と拮抗すべきものである」といっ た。いさぎよき言葉だ。私は忘れないでいるが、しかし順ほどに私はぞっこんではない。