朝から曇り、ちょいと寒い。
平尾道雄『維新暗殺秘録』読了。変革の時代は「暗殺の時代」と言っても、巻末の「維新暗殺年表」を見ても、本文を読んでも、その多さに驚く。本書では井伊直弼からはじまり象山や竜馬・慎太郎を経て明治の広沢真臣まで三十人を択び暗殺の顛末に触れる。知っているものも多いが、それぞれ歴史資料が掲げられ興味深いものであった。それにしても維新期の暗殺、テロ行為は普通ではない。犠牲者の悲しみをこそ知るべきであろう。
成瀬有、中井昌一、畠山英治、鈴木正博、棗隆と熊野の大辺路を辿ったことがある。
熊野路を辿れば道のまん中にわれらに挑むか古代蝦蟇の色
赤、みどり、黄色に青の原色に鎧ひたるごとし蟇蛙なり
頭を挙げて四つん這ひになり挑みくる蟇蛙よわれらを通さぬ覚悟
『論語』子張二二 衞の公孫朝、子貢に問ひて曰く、「仲尼焉にか学べる。」子貢曰く、 「文武の道、未だ地に墜ちずして人に在り。賢者は其の大なる者を識し、不賢者は其の小なる者を識す。文武の道あらざること莫し。夫子焉にか学ばざらん。而して亦た何の常師かこれ有らん。」衛の公孫朝が子貢にたずねた、「仲尼(孔子)はだれに学んだのか。」というと、子貢は答えた、「文王・武王の道はまだだめになってしまわないで人に残っていた。
すぐれた人はその大きなことを覚えているし、すぐれない人でもその小さなことを覚えている。別にきまった先生は持たれなかった。」
孔子の偉さを解きて子貢がいふ何の常師かこれ持たざらん
前川佐美雄『秀歌十二月』 正岡子規
瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり (竹乃里歌全集)
明治三十四年四月二十八日の作。「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽……」の歌をつくってからまる一か年経っている。そして子規の病気はいよいよ悪化している。(略)子規ほどの人だ。人一倍勝気の人が、ちょっとやそっとで「うめくか、叫ぶか、泣くか」などわめくはずがない。よほど苦しかったのだろう。(略)しかし「をかしければ笑ふ」場合もあったのである。このフジの歌は十首の連作からなり「墨汁一滴」記載の作だが、そのおわりに「おだやかならぬふしもありがちな病のひまの筆のすさみは日頃稀なる心やりなりけり。をかしき春の一夜や」とある。病中子規のめずらしき好日であったようだ。(略)私の若いころの話だが、赤彦や茂吉がいかほどにこの歌を称賛しても、そのおもしろさもよさものみこめぬ人が多く、〝花ぶさ長ければ〟〝とどくなりけり〟とか、からかうものもあったりしたのだ。けれどやはりこれはすぐれた歌で、病中の子規の心を思いやるなら、それが純客観的な歌であるだけにかえってつきぬ味わいがある。