2025年5月24日(土)

今日は曇り空。夕刻、雨になるらしい。

高村薫『我らが少女A』上・下読了。合田雄一郎は警察大学校教授になっている。そして合田たちが捜査した十二年前の未解決事件が、再び甦る。西武多摩線の多摩駅を中心にして当時の関係者があれこれ語られる。栂野節子を殺害したのは誰か。おそらく少女Aに収斂していくのだが、その上田朱美も死に、多くの関係者も野川から去って、事件は犯人の可能性だけを残し終る。合田は、桜田門に異動するらしい。定年までもう少しなのだが。ということは合田雄一郎シリーズはまだつづくということだ。

歓迎すべきであろう。

  洗面台の上の天井の隅っこに虫をりにけり小さき茶色

  色濃きは何虫ならむ小さき棒状の茶色虫動かず

  天井より歯磨き、顔洗ふわれわれを覗くがごとく虫がをりにき

『論語』堯曰二 権量を謹み、法度を(つまびら)かにし、廃官を修むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民、心を帰せん。重んずる所は、民、食、喪、祭。

  君子が重んずるは民であり食糧、そして喪と祭りなり

前川佐美雄『秀歌十二月』四月 作者不詳

春霞ながるるなべに青柳の枝くひもちて鶯鳴くも (万葉集巻十・一八二一)

春の雑歌のうち「鳥を詠める」十三首の三首目である。春ガスミ、青ヤギ、ウグイスと材料はそろっている。それが「ながるる」であり「枝くひもちて」であり「鳴くも」である。美しいものばかりをたくみに料理してまことにみごとなできばえである。そのウグイスが青ヤギの枝をくわえて鳴いたというのがよいのである。(略)すがやかな感じをもたらしているのである。(略)美しくハイカラに歌ってやろうとしているのだが、それを感じさせないのがこの歌のすぐれたところである。けだし万葉集も末期ごろの爛熟した文化のいぶきがふんぷんと感じられる。ウグイスの歌ではこれと次の山部赤人の歌とが双璧のようだ。

百済野の萩の古枝に春待つと居りし鶯鳴きにけむかも (同巻八・一四三一)

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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