朝から晴れ。
ハン・ガン『光と糸』を読む。ノーベル文学賞受賞後、初のエッセイ・詩・植物日記・写真……ハン・ガンの小説を読む前に読んでおきたかった。「光へ向かう生命の力。」「人間性の陽溜まりと血溜まりと。その二つが常に隣り合っていて、どちらかへ行こうとしたらもう一つも絶対に通らなくてはいけない。」(帯文)
公園の白梅匂ふ一隅に目と耳とわが軀もよりゆく
白梅が匂ふところを避け得ざるしばしとどまり写真に写す
公園を散歩の道に選びしは梅の花咲くすずめごがくる
『孟子』離婁章句下115 孟子曰く、「天下の性を言ふや、則ち故のみ。故なる者は、利を以て本と為す。智に悪む所の者は、其の鑿するが為なり。如し智者にして禹の水を行るが若くならば、則ち智を悪むこと無し。禹の水を行るや、其の事無き所に行る。
如し智者も亦其の事無き所に行らば、則ち智も亦大なり。天の高きや、星辰の遠きや、苟も其の故を求むれば、千歳の日至も、坐して致す可きなり」
智者は自然の道理に従ひて無理せず智を働かせば徳また多し
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
数多の菩薩の頂を 釈迦の右の手房して 三度かい撫でたまひしは 一乗弘めむためなりき
(法文歌・法華経二十八品歌・嘱累品・一四八)
【現代語訳】多くの菩薩たちの頭を、釈迦が右の手で三度お撫でになったのは、法華の教えをさらに広めようというためであった。
【評】『法華経』嘱累品の内容を平易にまとめた一首。嘱累品冒頭に「爾の時、釈迦牟尼仏は法座より起ちて、大神力を現わし、右の手を以て無量の菩薩・魔訶薩の頂を摩でて、この言を作したまはく「我は無量百千万億阿僧祇劫において、この得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修得せり。今以って汝等に付属す。汝等よ、応当に一心にこの法を流布して、広く増益せしむべし」と。是の如く三たび諸の菩薩・魔訶薩の頂を摩でて……」とある。
「一乗」は、衆生を仏の悟りに導く唯一の教え、すなわち『法華経』を指す。経本文に忠実な作ではあるが、数多・三(度)・一(乗)と数を並べた面白さがある。
「手房」は手首、腕の意味で用いられることもあるが、ここでは手と同義。
この劇的な場面は「摩頂付嘱」の画題でしばしば絵画化されており、釈迦が右手を伸ばし、ひざまずく菩薩の頭に触れている様子が描かれる。