3月5日(木)

晴れだが、寒い。

木内昇『新選組 幕末の青嵐』読了。新選組を描いて、総集編の感じがある。定本と言ったところか。近藤勇・土方歳三・沖田総司・山南敬助・永倉新八・原田左之助・斎藤一・藤堂平助・伊藤甲子太郎、佐藤彦五郎らが、それぞれ章ごとに主人公になったかのように綴られる。これだけ人物像がはっきり物語られれば、これから新選組を書こうとするものが少なくなることが予想される。そして総司の死や歳三の最後には涙が出そうになる。涙もろいのは老いたことの証しだろうか。

  (しま)はれた箱よりことしも笑顔にて女雛・男雛の登場である

  外に出て少しは嬉しさにはしゃげばよし女雛よ、男雛よ

  金屏風立てて背後を守りをる雛人形の落ち着き得たり

『孟子』離婁章句下116 公行子、子の喪有り。右師(いうし)往きて弔す。門に入るや、進みて右師と言ふ者有り。右師の位に就きて、右師と言ふ者有り。孟子 右師と言はず。右師悦ばずして曰く、「諸君子皆(くわん)と言ふに、孟子独り驩と言はず。是れ驩を簡にするなり」と。孟子之を聞きて曰く、「礼に『朝廷には位を(へ)て相与に言はず。階を踰えて相(いふ)せず』と。我礼を行はんと欲するに、子敖(しがう)は我を以て簡なりと為す。亦異ならずや」と。

  喪は大礼なり。さすれば階を隔て話せぬわれを失礼といふは異なり

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

法華経(たも)てる人そしる それをそしれる報いには (かしら)七つに(わ)れ裂けて (あ)梨樹(りず)の枝に異ならず
       (法文歌・法華経二十八品歌・陀羅尼品・一六三)

【現代語訳】『法華経』を信じ保つ人を非難するなら、その非難した報いとして、頭は七つに割れ裂けて、阿梨樹の枝に異ならぬ無残な有様になるだろう。

【評】『法華経』陀羅尼品にある十羅刹女(仏教の守護神。羅刹は本来、インドの神話・伝説に現れる鬼であるが、陀羅尼品の十羅刹女は法華行者を守る善神である)ン言葉「若し我が呪に順はずして説法者を悩乱せば、頭は破れて七分と作ること、阿梨樹の枝の如くならん」による。陀羅尼品では、薬王菩薩以下の菩薩や仏教の守護神がそれぞれ『法華経』信仰者を守る呪文を説く。その最後に置かれたのが十羅刹女の呪文「イデイビ イデイビン イデイビアデイビ イデイビ デイビ デイビ デイビ デイビ ロケイ ロケイ ロケイ ロケイ タケイ タケイ タケイ トケイ トケイ」であった。

「阿梨樹」はインドにあったとされる樹の名。七つの花托(花柄の頂上にあって、花弁、雄しべ、雌しべ、萼などをつける部分)を持つとされる。「枝」というのはこの花托をいうらしい。

当該今様では、『法華経』受持者を誹謗した者の側に下される罰の酷さを強調し、『法華経』受持者に与えられる守護の強さを反対側から歌っている。「人そしる それをそしれる報い」という続き具合には、むごたらしい罰を提示する前の息せき切った感じが表れていよう。   『法華経』普賢菩薩勧発品では、「もし『法華経』を軽んじるものがあれば、歯は欠け、唇は黒く鼻は平らになり、手足はねじれ、口は歪み、目は斜視となり、体には悪しき瘡ができて膿みただれ、悪臭を放ち、その他ひどい病気を得るだろう」とされており、『法華経』誹謗の報いがここでも具体的に表現されている。こうした報いのむごたらしさは、地獄あ絵の詳細さなどと同様、一方では人々の怖いもの見たさの好奇心を満たすものでもあり弘仁年間(八一〇~八二四)に成った説話集『日本霊異記』でも、『法華経』を書写して寺に奉納した女人を謗った者の顔が醜く歪んだ話(下-二〇)や、『法華経』を読誦する僧を嘲笑した者の口が歪み、そのまま死んでしまった話(中-一八)が語られている。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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