朝から寒いが、晴れている。
子どもらの遊具に遊ぶ声聴こゆ。うさぎに乗りて揺らるる子ども
高きに上り躊躇したるか子どもなり間が少しありやがて滑りくる
ブランコを高く揺すれる子どもあり。なんだかわからぬ声を発して
『孟子』離婁章句下119-2 夫の章子は、子父善を責めて、相遇はざるなり。善を責むるは、朋友の道なり。父子善を責むるは、恩に賊ふの大なる者なり。夫の章子は、豈夫妻子の属有るを欲せざらんや。罪を父に得て、近づくことを得ざるが為に、妻を出し子を屛けて、終身養はれず。其の心を設くるやおも以為へらく、是の若くならずんば、是れ則ち罪の大なる者なりと。是れ則ち章子のみ」と。
匡章といふものは父の勘気を受け、妻子の孝養を受けやうとせず
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
龍女は仏に成りにけり などかわれらも成らざらん 五障の雲こそ厚くとも 如来月輪隠されじ
(法文歌・雑法文歌・二〇八)
【現代語訳】龍女は仏に成ったということだ。どうしてわれら女人も成仏できないことがあろうか。女の身に五つの罪障があって、雲のように厚く覆いかぶさってきても、成仏できる本姓は月の光のように、雲に隠されることはないのだ。
【評】龍女成仏を歌った一首。龍王の八歳の娘は、竜宮で文殊菩薩の教えを聞いて悟りを開き、たちまち男子と成って南方無垢世界へ行き、成仏を遂げた。『法華経』提婆達多品に説く龍女成仏の話は、法華経二十八品歌の中だけではなく、雑法文歌の中にも収められており、龍女関心の高さが窺われる。
「五障」は女性だけに存在する障害で、梵天王、帝釈、魔王、転輪聖王、仏身の五つの身分になれないことであるが、龍女は、女であるのみならず、子どもであり畜類であるという、三重の悪条件を超えて救われたのである。「われら」の語によって、当該今様の享受者が龍女と一体化していく臨場感が生まれ、同じような奇跡を熱望する切実さが伝わる。なお、「建水三年」(承元二年・一二〇八)の書写奥書のある石山寺蔵「結縁勧請声明」に「龍女ハホトケニナリニケリ。ナトカワレラモ。ナラサラム。五障ノクモコソアツクトモ。如来月輪カクサレヌモノコソアリケレ」の歌謡が載る。また『梁塵秘抄口伝集』の断簡と思しい穂久邇文庫蔵今様断簡は三句を「五障の雲こそ厚からめ」とする。このように、当該今様は、人々の心を捉え、多少の異動を持ちながら、広く流布し享受されたのである。