3月13日(金)

曇りだから寒い。

  思ふやうに読書進まず二月にはわづか三冊これではだめだ

  少なくとも去年の方が読む量は多し倍ほどは読了したり

  読む本、読みたき本ばかり増えたるにとても追ひつかず老いたるかなや

『孟子』離婁章句下120-2 子思 衛に居る。斉の冦有り。或ひと曰く、「冦至る。蓋ぞ諸を去らざるやと。子思曰く、「如し(きふ)去らば、君誰と(とも)にか守らん」と。

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

摩耶(まや)のなかより(む)れ出て 宝の(はちす)足を受け 十方(じつぱう)七度(ななたび)歩みつつ 四句(しく)の偈をぞ説いたまふ
    (法文歌・雑法文歌・二一八)

【現代語訳】釈迦は、摩耶夫人の胎内から誕生した。足を上げるたびに七宝の蓮華あそれを受け、十方に七歩ずつ歩きながら、四句の偈をお説きになった。

【評】釈迦誕生の際の奇瑞を歌った一首。生れてすぐ十方(東・西・南・北・北東・南東・北西・南西・上・下)に歩き出すと、釈迦の足を受けるようにして美しい七宝の蓮華が花開く。釈迦は高らかに四句の偈(仏の教えや仏・菩薩の徳をほめたたえる韻文)を唱えたという。典拠として『仏本(ふつほん)行集(ぎようじつ)(きよう)』巻八、『(ほう)広大(こうだい)荘厳(しやうごん)(きよう)』巻三、『大方便仏(だいほうべんぶつ)報恩(ほうおん)(ぎやう)』巻七、『過去現在因果経』巻一などの経、および『今昔物語集』巻一-二話「釈迦如来、人界生給語」などが指摘されてきたが、より直接的な典拠として、近年紹介された金沢文庫蔵の声明資料があげられる。

摩耶ノ右脇ヨリ生レ 宝蓮ミアシヲ受シカバ 十方七歩ヲ行ジッゝ 四苦ノ偈ヲ ゾ説キ給フ

先にあげた諸経でも釈迦は摩耶夫人の右脇から生まれたとされ、釈迦の誕生を題材にした絵画や彫刻でも、嬰児たる釈迦は、摩耶夫人の右袖から顔をのぞかせている。胎内からの誕生であれば、特に珍しいことはないので、本文としては、新出資料の「右脇」がよりよい形のように思われる。今様の音数からすると、「なか」は「わき」とでもあるべきところか。「宝蓮」を「宝の蓮」とし、「行ジツゝ」を「歩みつつ」として、今様は、よりやわらかな表現になっている。

さらに新出資料においては、問題の歌の三首後に「我生(がしやう)(たい)分身(ぶんしん) (ぜ)最末(さいまつ)後身(ごしん) 我已得漏尽(がいとくろじん) (とう)復度(ふくど)衆生(しゆじよう)」(私は輪廻転生の業が尽き、もう二度と生まれ変わることはないから、これが最後の人間としての身である。私はすでにすべての煩悩を超越したので、これからは仏となって一切の衆生を救おう)という四句の偈が見える(『今昔物語集』巻一ー二話にもほぼ同じ偈載る)。当該今様では具体的な内容が記されない「四句の偈」であるが、当時の人々には、この「我生胎分身」の偈が強く意識されていた可能性もあるだろう。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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