3月16日(月)

朝は雨、やがて曇りから晴れてくるらしい。

小池真理子『月夜の森の梟』をよむ。良人であった藤田宜永への鎮魂の賦だ。夫婦で作家。三十七年の付き合いだったという。肺に腫瘍が見つかってから一年十カ月。そして死後。辛いとか悲しいとかの言葉では語れないことをエッセイに書いた。何度も何度も不覚の涙。

  退屈だなあと声にするときいささかの疚しさあれば本を読む真似

百合の花墓場に咲くや五六本 泉鏡花

  泉鏡花最後の小説「(る)(こう)新草(しんさう)」。(つひ)の思ひはふるさと金沢

辻野糸七

  おそらくは鏡花の悔いを負うたるか、辻野糸七どこかぎこちなし

『孟子』離婁章句下122 斉人、一妻一妾にして、室に(を)る者有り。其の良人出づれば、則ち必ず酒肉に(あ)きて、而る後に反る。其の妻与に飲食する所の者を問へば、則ち尽く富貴なり。其の妻其の妾に告げて曰く、「良人出づれば、則ち必ず酒肉に饜きて、而る後に反る。其の与に飲食する者を問へば、(ことごと)く富貴なり。而も未だ嘗て顕者の来ること有らず。吾将に良人の之く所を(うかが)はんとす」と。(つと)に起き、(なな)めに良人の之く所に従ふ。国中を(あまね)くするも、(とも)に立つて談ずる者無し。(つひ)東郭墦(とうくわく)(はんかん)の祭る者に之きて、其の余りを乞ふ。足らざれば、又顧みて他に之く。此れ其の(えん)(そく)を為すの道なり。

変な話だ。

  斉の人で毎日酒肉に満腹なりその跡着ければ墓場通ひ供物の残飯喰ふばかりなり

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

仏も昔は人なりき われらも終には仏なり 三身仏性具せる身と 知らざりけるこそあはれなれ
  (法文歌・雑法文歌・二三二)

【現代語訳】仏も昔は人間だった。われらも最後には仏に成れるのだ。仏に成るべき性質を本来備えている身だと知らずに、仏道をなおざりにしているのは悲しいことだよ。

【評】すべての衆生が仏性を持っていることを歌う一首。たとえば『涅槃経』獅子吼菩薩品に「一切衆生悉く仏性あり」とするのはよく知られているが、当該今様は、その仏性の存在に気づかない凡夫の悲しさの方に焦点を当てて、深い哀感を漂わせる。

「三身」は(ほつ)(しん)(永遠不変の真理そのもの)、(ほう)(じん)(修行の報いとして得た、功徳を備えた身)、(おう)(じん)(さまざまな衆生救済のため、それぞれに応じて現れる身)の三者を指すが、いずれも仏の身を現わしたものであり、「三身仏性」は「仏性」というのと同じ。衆生が本来備えている仏に成り得る資質をいう。

『平家物語』巻一「祇王」の章段には、白拍子の祇王がこの今様を歌い替えた話が見え、よく知られている。祇王は平清盛に愛されて栄華を極めていたが、やがて別の白拍子・仏御前が清盛の寵愛を得るようになると、屋敷から追い出されてしまう。翌年になって、祇王は突然呼び出され、清盛と仏御前の前で今様を歌うように命ぜられる。祇王が涙ながらに歌ったのは次のような今様であった。

仏も昔は凡夫なり われの終には仏なり いづれの仏性具せる身を へだつるのみこそ悲しけれ
(仏も昔は凡人であった。われらも最後には仏に成れるのだ。どちらも仏性を備えている身であるのに、分け隔てをするのが悲しいことだ――私も仏御前も同じ白拍子であるのに、清盛様が私たち二人を分け隔てして扱うのが悲しいことです)

この今様は『梁塵秘抄』二三二番歌の「三身」を「いづれも」と歌い替え、「知らざりけるこそあはれなり」を「へだつるのみこそ悲しけれ」と歌い替えて、仏道をなおざりにする愚かな人々についての一般的な歎きを、清盛が自分と仏御前とを分け隔てすることへの個人的な歎きに巧に転換している。『源平盛衰記』では、第三句以下が「三身仏性具しながら へだつる心のうたてさよ」になっており、「悲し」という自分自身の感情ではなく、「うたて」という相手に対する不満を表す言葉を用いることで、「仏性を有しているはずなのに、分け隔てなどをする清盛様の心のなさけないことよ」と、清盛に対する批判がより強まっている。この祇王の歌い替えは、その場にいた人々の心を動かし、皆、涙を流したという。

今様の歌い手には、美しい声で歌う音楽的な技術だけでなく、このように、その場にふさわしく歌い替える能力も求められた。臨機応変に歌詞を歌い替えられる、いわば文学的な力も重視されたのが、今様という歌謡の大きな特徴だったのである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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