7月24日(木)

またまた暑いのだ。

文庫になっている『今スグ知りたい日本国憲法』を読んだ。古い文庫本だが、ひょっとしたら日本国憲法を全文読み通すのははじめてかもしれない。国民に総意があることはわかるが、そんなもん選挙で問えるわけなかろう。

  ハワイコナの癖ある味のどことなくやさしさもある夏の昼どき

  珈琲の香りただよふキッチンに引き寄せられて老いも従ふ

  珈琲の豆挽くときの香りよさ妻が豆挽く、わたくしが嗅ぐ

『孟子』梁恵王章句上3 梁の恵王曰く、「寡人の国に於けるや、心を尽くすのみ。凶なれば、則ち其の民をに移し、其のを河内に移す。河東凶なるも亦然り。隣国の政を察するに、寡人の心を用ふるが如き者無し。隣国の民少なきを加へず、寡人の民多きを加へざるは、何ぞや」と。

  梁の恵王く「わたくしは民政に力を注いでゐる。而るに隣国はいかならむや

前川佐美雄『秀歌十二月』九月 長塚節

白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり (同)

大正三年、節三十六歳、死ぬ一年前の歌である。五月からアララギに連載しはじめた「鍼の如く」其一の冒頭に見える。茂吉によると節は「僕の歌に対する考はこんなものだ」といってこの歌を示したそうであるが、節のいわゆる「冴え」「品位」のよく感じられる歌で、自信があったのだろう。この歌には「秋海棠の画に」と詞書がついている。それは病中世話になったお礼のため、平福百穂の描いた袱紗の画の賛をして久保猪之吉夫妻に贈った一首である。画賛の歌などは美辞麗句に終わりがちだが、これは実感のこもる真率な作で、シュウカイドウを活けるには白磁の瓶がよく似合うと考えている。それはやはり高い趣味性から来ているが、その瓶に霧といっしょに朝の冷たい水を汲んだといっている。井戸水とはいっていないが、これは流れの水ではなく、深い掘りぬき井戸の水である。「霧ながら」「水くみにけり」の調べにそれが感じられる。(略)私は左千夫よりは節の純粋な澄徹の高品を愛する。(略)節は孤高の人だった。

7月23日(水)

毎日暑い。

  立ち上がる珈琲の香に顔よせてその匂ひこれこそ大人の香り

  キッチンに珈琲豆を挽く音す期待が胸をふくらませたり

  ミルクたっぷりその上に砂糖三杯甘くして珈琲を飲む高校一年

「孟子」梁恵王章句上2-3 に曰く、「時の日か喪びん。と偕に亡びん」と。民之と偕に亡びんと欲せば、台地鳥獣有りと雖も、豈能く独り楽しまんや」と。

  呪ひの言葉にこの日いつか亡ぶとあれば台地鳥獣も早晩なくす

前川佐美雄『秀歌十二月』九月 長塚節

馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし (長塚節歌集)

「初秋の歌」と題する連作十二首中第五番目の歌。前後に次のような作がある。

小夜深にさきて散るとふ稗草のひそやかにして秋さりぬらむ

おしなべて木草に露を置かむとぞ夜空は近く相迫り見ゆ

芋の葉にこぼるる玉のこぼれこぼれ子芋は白く凝りつつあらむ

節の代表作としてよく問題にされる。いずれもが傑作で、優劣はにわかにきめら れないが、なお私はこの歌をこそ節のもっとも節らしき作として推奨する。(略)初秋の感はウマオイの声にきわまるといいたい。そのウマオイがあの長い触覚、その髭をうごかしながらやって来た。それを「髭のそよろに来る秋は」と表現した。「そよろ」はそろりと、ゆるりと、おもむろに、というほどの意だが、やはり「そよろ」でないとぴったりこない。だからどこに来たのかなどという愚問を発してはならない。それは庭の木の茂みに来るだけではない。縁がわに来ることもあり、机の上に来ることもある。じっとしている時でも絶えず触覚を動かしている。そういうウマオイを節は子供のころから知りつくしている。あえて写生しようとして写生したのではなく、巧まずしておのずから調べに出て来たかのごとく、天衣無縫を思わせる。とくに下句「まなこを閉ぢて想ひ見るべし」は、上句の繊細に似て、しかも的確なる表現と渾然相和し、冥想にふけっている作者の姿勢をさえも感ぜしめる。清澄限りなき希有の高、品、これをこそ真の象徴というのであろう。(略)この歌は明治四十年、節二十九歳の作、今の三十歳前後の歌人たちには以てゆく考え合わせるとよい。

7月22日(火)

今日も暑い。

米澤穂信『栞と嘘の季節』。高校の図書館係の話だが、とても高校生とは思えない。本格的な探偵だ。トリカブトの栞をめぐって推理が進む。

  クリスタルガラスがおこす乱反射ひかりの燦爛こそが夏なり

  透明硝子の輝く明るさ右の手に掲げてしばしひかりを灯す

  赤と黒の江戸切子卓に据ゑたりきこのカップ挟み媼と翁

『孟子』梁恵王章句上2-2 詩に云ふ、「をし、を経し之を営す。庶民之をめ、日ならずして之を成す。軽始かにすること勿れ。庶民のごとく来る。王に在れば、伏する、たり。白鳥鶴鶴たり。王に在れば、ちて魚躍る」と。文王民力を以て台をり、沼を為り、而して民之を歓楽す。其の台を謂ひて霊台と曰ひ、其の沼を謂ひて霊沼と曰ひ、その有るを楽しむ。古の人は民と偕に楽しむ。故に能く楽しむなり。

  古の賢者は楽しみを独占せず民らと偕に楽しむべきや

前川佐美雄『秀歌十二月』八月 柿本麿歌集

ぬばたまの夜さり来ればまきむくの川音高しもあらしかも疾き (同・一一〇一)

「川を詠む」の二首目の歌。「ぬばたまの」は夜、夕、黒、昨夜、今夜、夢、妹、月などの枕詞だが、ここでは夜、その黒い夜に掛かる。「夜さり来れば」は「夜になって来ると」である。わかりやすい歌で解釈を要せぬが、これも前と同じおもむきの自然観照の歌だが、四句から五句への調べが高く、また急速で、はげしくあらしの吹き出した暗夜のさまをさながらに思いしのばせる。これも人麿の歌だろうといわれているが、私の考えは前の歌と変わらない。

7月21日(月)

今日も暑い。

  山に近き墓処には一基の墓が立つたつた一つ父の名のみ刻まれ

  誰にでも必ずやつてくる死なるもの空無の如きを俟ちつつをりぬ

  日々を送るこのあはただしさの果てにある死といふものを怖れつつをり

『孟子』梁恵王章句上2 孟子、梁の恵王にゆ。王、に立ち、を顧みて曰く、「賢者も亦此を楽しむか」と。孟子対へて曰く、「賢者にして後此を楽しむ。不賢者は此有りと雖も楽しまざるなり。」

  沼上に鴻雁麋鹿を楽しむは賢者なり不賢者は楽しむことなし

前川佐美雄『秀歌十二月』八月 柿本人麿歌集

あしひきの山川の瀬の鳴るなべに弓月が岳に雲立ち渡る (万葉集巻七・一〇八八)

巻七の「雑歌」で、「雲を詠む」の題のついている二首目の歌。「あしひきの」は山の枕詞。「なべに」は語源「並べに」で、「と共に」「と一緒に」の意。この三句の「なべに」が耳に聞く「山川の瀬の鳴る」と、目で見る「弓月が岳に雲立ち渡る」とをみごとに結び合わせ、それからして一首を生動させた。ここを「鳴りにつつ」「鳴る時に」「鳴るゆゑに」「鳴るなれば」「鳴りひびき」その他いくらでも変えてみるとよい。するとこれ以上の語のないことはだれにでもわかる。「さっきから山川の瀬音が急に高まったと思ったら、弓月が岳に黒雲が立ちこめている。今にも驟雨がやって来そうだ」というぐらいが表の歌意だが、かき曇って、あたりが急に暗くなって来たことや、降り出す前のはげしい風が吹いて草木のなびいているさまも同時に感じさせる。複雑な自然 現象が、よく単純化せられ、いささかも遅滞するところがない。声調ゆたかに行きわたり朗々のひびきをもつ、稀に見る大きい歌だといってよい。

7月20日(日)

朝晴れているが、もうすぐ気温は上昇するのだろう。参議院選挙。

  箱根湯本の陶器を扱ふ商店に贖ふ珈琲カップ一つ破れたり

  お気に入りの珈琲茶碗の緑の色やや濃きにカフェの香り

  カップに立ちのぼる珈琲の湯けむりを冷房効いた部屋に見てゐる

『孟子』梁王章句上1-3 未だ仁にして其の親を遺つる者有らざるなり。未だ義にして其の君を後にする者有らざるなり。王も亦仁義と曰はんのみ。何ぞ必ずしも利と曰はん」と。

  王はまた仁義を言へり心がけよ利など口にせざるが王なり

前川佐美雄『秀歌十二月』八月 古泉千樫

ふるさとの 最も高き山の上に青き草踏めり素足になりて (歌集・青牛集)

いったん健康をとりもどした千樫は、翌年三月姪の婚礼に列するために帰郷した。郷里安房郡吉尾村。この時、「ふるさとの最も高き山」である「嶺岡山」というのにのぼった。三百メートルに達しない山だが、それでももっとも高い山に相違ない。健康を案じのぼったことは同じ時の他の歌でわかるが、病気回復のよろこびは青草を素足で踏んでみたかった。その冷たい青草の感触をたのしみたかったのだ。幾年ぶりのことなのか。千樫は心ゆくばかり故郷の村を、その生家を見おろしていたことだろう。心の素直な歌で、感情が行きわたっていて、たれでもが同感する。

千樫は若くして左千夫の門に入りもっとも左千夫に可愛がられた人だ。しかし赤彦や茂吉とちがって、その全力を出しきらずして昭和二年八月、数え年四十二歳でなかなった。迢空は千樫は骨惜しみをするといったが、かなり怠惰なところもあったようだ。生活だ苦しくても案外のんきであったという性格だろうか、その歌はだからして少しも暗くないのである。

7月19日(土)

今日も暑くなるらしいが、朝はまあまあ。

  山の木はそれぞれに深きみどりなりおぼろけなるは雨来るらしき

  どことなくどんよりするは雨近き夏の箱根の山ならむかな

  金目鯛の干物を網に焼く匂ひ部屋にただよふ旅を終へたり

  金目鯛の干物の身をばせせり食ふこのたのしさや旅すればこそ

『孟子』梁恵王章句上1-2 王は何を以て吾が国を利せんと曰ひ、大夫は何を以て吾が家を利せんと曰ひ、士庶人は何を以て吾が身を利せんと曰ひ、上下交利を征れば、国危ふし。万乗の国、其の君を弑する者は、必ず千乗の家なり。千乗の国、其の君を弑する者は、必ず百乗の家なり。万に千を取り、千に百を取る、多からずと為さず。苟も義を後にして利を先にすること為さば、奪はずんば饜かず。

  義を後にして利を先にはからんとすれ奪はずんば厭かず

前川佐美雄『秀歌十二月』八月 古泉千樫

うつし世のはかなしごとにほれぼれと遊びしことも過ぎにけらしも(歌集・川のほとり)

十一首連作の「稗の穂」の中の一首だが、この歌の前にある佳作、

ひたごころ静かになりていねて居りおろそかにせし命なりけり

でもわかるように、これは病臥中の歌である。千樫はこの前年、すなわち大正十三年

に突然喀血して肺病を宣告された。もともと頑健を自信していただけに打撃は大きかった。千葉県の田舎から東京に出て来て職にありついたものの薄給だった。毎日が苦しい陋巷の生活だったのに、不治の病気にかかったのだ。自分を大切にせず、身体を乱暴に、ぞんざいにあつかって来たことを後悔している。この歌はそれのつづきで過去を反省している。

「はかなしごと」は、はかなきこと、はかないことどもというほどの意味だが、千樫の造語だろう。あるいは先用者があるかもしれぬが、よく定着している。ここはどうしてもこれでなければならないようだ。「ほれぼれと遊びし」はおおかたうつつを抜かし遊んだということだろうが、うかうかとしていた、迂闊だったというような思いもこめられてある。むろんこの世の中のことは何もかもがはかないのではないが、心が弱るとそういう気になるものか。酒はきらいな方ではなかったけれど、別に放蕩をしていたわけではない。四人の妻子をかかえて生きあえいでいたのだから「ほれぼれと遊びし」というほどのこともないはずだが、しかし千樫は詩人である。心のぜいたくな人だっただけに、外がわから見ただけではよくわからない。もしかしたら命をかけて作って来た自分の歌を、その歌の世界をいっているかもしれないのだ。そう思うと結句の「過ぎにけらしも」の悲しみは深い。夜を徹して気ままに歌を作ったのも過去のことだ。今はそれも出来なくなったと歎いている。

おもてにて遊ぶ子供の声きけば夕かたまけてすずしかるらし

これも同じ時の作だが、おびただしい書物に狭められた二階の室に臥しながら、涼しくなる秋を待ちかねていた。

秋さびしもののともしさひと本の野稗の垂穂瓶にさしたり

「稗の穂」一連はいずれもすぐれているが、発表当時、中でもこれが一番好評だったと記憶する。「稗の穂」の題もこれによったのだから千樫も自信があったのだろう。(略)今となってみると、この野稗の歌よりは「うつし世のはかなしごと」の歌の方が千樫らしい。本質的な歌人としての千樫をよくあらわしていると思われる。

7月18日(金)

いい天気である。暑くなりそうだ。

昨日で『中庸』を読み終えたことになる。これで『老子』『論語』『大学』『中庸』までを読んだということだ。しかし道は遠い。せめて四書をと思い、今日からは『孟子』と考えている。宇野精一全訳注『孟子』を使う予定である。

  ユトリロの絵を飾りたる喫茶店しづかなりここに珈琲を喫す

  パリの町、人を描きて哀感あるユトリロの水彩画親しきものを

  硝子箱の中なる球体関節人形ぶきみなるかな夜に動きだす

  箱根湯本の商店街のなつかしく温泉饅頭よろこびて買ふ

  温泉饅頭にかぶりつくなり妻とわれ旅の途中のよろこびなりき

『孟子』梁恵王章句上1-1 孟子、梁の恵王にゆ。王曰く、「、千里を遠しとせず来る。亦将に以て吾が国を利する有らんとするか」と。孟子対へて曰く、「王何ぞ必ずしも利と曰はん。亦た仁義有るのみ。

  さてさて恵王何をばのたまふ利などなしただ仁義あるのみ

今日よりいよいよ『孟子』である。宇野精一に従い、各章断片に分けたものを一編一編読んでいこうと思っている。時間はかかるであろうが。

前川佐美雄『秀歌十二月』 長意吉麿

苦しくも降りくる雨か神が埼狭野のわたりに家もあらなくに (同・二六五)

神が埼(三輪崎)も狭野(佐野)も今は新宮市に編入せられたが、紀勢線で和歌山から新宮に着く一つ手前の駅が三輪埼であり、二つ手前の駅が紀伊佐野で、ともに人家にさえぎられるけれど車中より望みうる海岸の地である。「わたり」は「あたり」ではなく、渡し場で、海にも川にも用いる。この歌はむろん「降り来る雨か」と詠歌しているところがよいのであるが、「苦しくも」という語の意味内容、それに感じがどこか新味を思わせるからか、万葉集中の秀歌として新古今集時代でも評判がよかったらしい。それだからこれを本歌として藤原定家は、

駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ

と詠んだ。(略)しかし定家の歌は口調はよいけれど、しょせんは机上の作である。

(略)いきいきとして実感みなぎる意吉麿の歌とは比ぶべくもないのである。(略)行路困難のさまが思いやられて、情景目に見ゆるごとき作である。