11月23日(日)

昨夜、少し雨が降ったのか、地面が濡れていたが、朝から概ね晴れている。

  ただいまの声を掛ければ、おかへりの妻の声なり。二人の部屋に

  北側の空は晴れ、南側は雲多く雨降るか晴れかの境を歩く

  けやき樹の中に隠りて鳴く声に白色鶺鴒樹に紛れゆく

『孟子』縢文公章句上48-3 然友復た芻に之きて孟子に問ふ。孟子曰く、「然り。以て他に求む可からざる者なり。孔子曰く、『君薧ずれば(ちよう)(さい)(まか)せ、粥を(すす)り面は深墨、位に即きて哭すれば、百官有司、敢て哀しまざる莫きは、之に先んずればなり。上、好む者有れば、下、必ず(これ)より甚だしき者有り。君子の徳は、風なり。小人の徳は、草なり。草之に風を(くは)ふれば、必ず(ふ)す』と。是れ世子に在り」と。

  君子は風、小人は草。風吹けば草倒る。つまり世子によりてなり

藤島秀憲『山崎方代の百首』

こんなところに釘が一本打たれいていじればほとりと落ちてしもうた 『右左口』

この歌は方代自身に語ってもらうのがよさそうだ。以下『青じその花』より。

別に打たれている釘をみて発想したわけではない。釘のところに立っていたら恐らく歌にはしなかっただろう。目の前にモノを置いてデッサンとやらをやるような心意気は昔からないし、これからもやらないだろう。錆びて腐っていたからという描写もこの歌にはしていない。ただ、「いじれば落ちた」というだけのつまらぬことに興があっただけである。

耳のない地蔵はここに昔より正しく坐してかえりにられず 『右左口』

方代にとって短歌とは、大仏でもなく、本尊でもなく、道端に立つ地蔵だったのだろう。ありがたく崇められなくても、常に身近に存在することが大事なのだ。『青じその花』で次のように書いている。

歌が自分の生命だとか、文学だとかいう言葉をちょいちょい聞くことがあるが、本当にそう、思っているのかしらん。私にはどうも大変だなあと同情する。歌は手軽であるから作るのだ。

でも、方代こそが一番に短歌を自分の生命と感じていたはず。やってることと言っていることが違うじゃないか。

11月22日(土)

今朝も晴れ、妻と少しだけ歩いた。

  ひさびさの太陽のひかり直差すにわが進むべき道を示せり

  年寄るとはちょつとしたことにも涙する時代劇観てまたも涙ぐむ

  涙腺の弛みて人の死をかなしめりただ時代劇の中なる死をも

『孟子』縢文公章句上48-2 (ぜん)(いう)反命す。定めて三年の喪を為さんとす。父兄百官、皆欲せざるなり。故に曰く、「吾が宋国魯の先君之を行ふ莫く、吾が先君も亦之を行ふ莫きなり。子の身に至りて之に反するは、不可なり。且つ志に曰く、『(さう)(さい)は先祖に従ふ』と」曰く、「吾之を受くる所有るなり」と。然友に謂ひて曰く、「吾他日、未だ嘗て学問せず。好んで馬を馳せ剣を試む。今や父兄百官、我を足れりせざるなり。恐らくは其れ大事を尽す能はざらん。子我が為に孟子に問へ」と。

  縢の世子が三年の喪をせんとすれど父母百官反対したりき

藤島秀憲『山崎方代の百首』

人間はかくのごとくにかなしくてあとふりむけば物落ちている 『右左口』

数多くの物を落しながら人は生きている。過去を振り向けば、それはそれは多くの物が落ちている。まったくその通りだから、説明は一切要らない歌だ。

しかし一方で、この歌には原稿用紙を千枚使っても書ききれないだけの私小説が詰まっている。

ふと口を突いて出て来たような言葉だが、ぎゅっと人生を濃縮している。短歌を作るとは人生を三十一音に濃縮することだ。二倍濃縮もあれば、百倍濃縮もある。それは歌人によって歌によって違って来るのだが、この歌はさしずめ千倍濃縮と言ったところか。

きぬた石いしのくぼみのありどころうす暗がりにわが涙垂る 『右左口』

昭和四十九年に『右左口』は出た。その十六年後に出版された『シンジケート』で穗村弘はこのように歌った。

ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は

設定は似ている。が、似ているから良いとか悪いとかの問題ではない。誰もが悲しい存在なんだなとしみじみと思う。方代も穂村弘も、どうしようもなく泣けてくる時がある。

それを三十一音という短い詩で表そうとしたから似ているだけのことだ。

(いやあ、私には、全然違うように思いますが……)

11月21日(金)

晴れ。

  有隣堂本厚木店の地下へゆくにスロープがあると誰も教へず

  何度目かの転倒は強く肩を打つ大丈夫ですかと優しき声す

  大丈夫、大丈夫と言ひて立ちあがる肩の痛みを堪へてぞ立つ

『孟子』縢文公章句上48 縢の定公薨ず。世子 (ぜん)(いう)に謂ひて曰く、「昔者(むかし) 孟子嘗て我と宋に言へり。心に於て終に忘れず。今や、不幸にして大故に至れり。吾、子をして孟子に問はしめ、然る後事を行はんと欲す」と。然友 (すう)に之き、孟子に問ふ。孟子曰く、「亦善からずや。親の喪は固より自ら尽す所なり。曾子曰く、『生けるには之に事ふるに礼を以てし、死せるには之を葬るに礼を以てし。之を祭るに礼を以てす。孝と謂ふ可し』と。諸侯の礼は吾未だ之を学ばざるなり。然りと雖も吾嘗て之を聞けり。『三年の喪、斉疏(しそ)の服、(せん)(じゆく)(し)は、天子自り庶人に達し、三代之を共にす』と。

  親の喪は三年、斉疏の服、飦粥の食、天子から庶人まで同じことをす

藤島秀憲『山崎方代の百首』

酒を売る店のおかみとたちまちに親しくなりて居を変えてゆく 『右左口』

読み方は二つ。店の近くに引っ越す。さすれば頻繁に店に通えてもっと親しくなれる。これが一つ。

店からは遠い場所に引っ越した。さすれば会うこともなくなり、おかみとの縁も切れる。これがもう一つ。

私は後者で読んだ。深入りは避けたい。色恋は荷が重すぎる。だから親しくなった途端に身を引く。自分には恋をする資格がないと思っているのだ。たちまち親しくなり、たちまち別れる。

内容は相当重いのだが、軽い歌に仕上げてしまう。深刻ぶるのは苦手な方代。

おもむろに茶碗のふたをそっと取りすすれどだれもいるはずがない 『右左口』

方代の歌の素材はそう多くない。身の回りにあるもの(その最たるものは自分自身なのだが)が素材の中心。ゴッホがひまわりを何枚も描いたように。草野心平が蛙を生涯のテーマとしたように。

「おもむろに茶碗のふた」の歌が『右左口』にあと二首ある。蓋をとる行為をもつて失望と羞恥を歌っている。<おもむろに茶碗の蓋をとっている吾のうしろを除き給うな><なんという不思議なことだおもむろに蓋とって茶をのんでいる>

11月20日(木)

晴れ。

  われもまた腐臭を発する老人なり鼻腔を開き臭ひ嗅ひでる

  わが腐臭後ろに曳きて歩くなり背後よりくる人皆怪訝

  怪訝なる顔してわれを追越せる人よ聞きたまへ明日の自分ぞ

『孟子』縢文公章句上47 (とう)の文公 世子(せいし)為りしとき、将に楚に(ゆ)かんとし、宋に(よぎ)りて孟子を見る。孟子 性善を(い)ひ、言へば必ず堯舜を称す。世子 楚自り反りて、復た孟子を見る。孟子曰く、「世子吾が言を疑ふか。夫れ道は一のみ。成覵(せいけん) 斉の景公に謂ひて曰く、『彼も丈夫なり、我も丈夫なり。吾何ぞ彼を畏れんや』と。顔淵は曰く、『舜何人ぞや。予何人ぞや。為す有る者亦(かく)(ごと)し』と。公明(こうめい)(ぎ)曰く、『文王は我が師なり。周公豈我を欺かんや』と。今、縢は長を絶ち短を補はば、将に五十里ならんとす。猶ほ以て善国と為す可し。書に曰く、『若し薬瞑眩(めんげん)せずんば、(そ)疾瘳(やまひい)えず』と」

  孟子、縢の文公がまだ世子の時にいふいま縢は小さくも立派な国になる

藤島秀憲『山崎方代の百首』

汲みおきの手桶の底からのぞきおるおのれの頬に手を当ててみる 『右左口』

手桶の水に自分の顔が映っている。頬に手を当ててみたら、水に映る自分も頬に手を当てた。簡単に言ってしまえばそれだけのことなのだが、方代のマジックにかかると、何もかもが逆転し、妖しく不思議な世界に生まれ変わる。

手桶を覗いているはずなのに手桶の底にいる自分に覗かれている。手桶の外にいる自分と手桶の底に入る自分がいて、どちらが本当の自分なのか自分自身でもわからなくなってくる。まるで落語の「粗忽長屋」の世界。自分を見失いつつ、自分を捜し求めている。

右の眼をうっすらあけて見ておれば紙の袋が立ちあがりたり 『右左口』

右眼を失明している方代である。だから、うっすら開けようが、ぱっちり開けようが、本当は何も見えない。でも、見えてくるものがある。ただそれは、父と母の姿でもなく、ふるさとの景色でもなく、紙の袋なのだ。空っぽなのか、中に何か入っているのか。得体の知れない存在だ。

当然のごとく「紙の袋が立ちあがりたり」は暗喩である。何かなのである。中身の見えない新しい時代が起こっている……ということかも知れないが違うかも知れない。

読者の数だけ答えがある。

11月19日(水)

晴れ。

  いつもの公園には老人チームが陣取って草刈りなどを行使してをる

  一人一人が鎌だったり熊手だったり籠だったりをそれぞれに持つ

  何人かで話をしつつ草むしる、草刈る、草をまとめて袋に

『孟子』公孫丑章句下46 孟子 斉を去りて(きう)に居る。公孫丑問うて曰く、「仕へて禄を受けざるは、古の道か」と。曰く、「非なり。(すう)に於て吾王に見ゆることを得、退いて去る志有り。変ずるを欲せず、故に受けざるなり。継いで師命有り、以て請ふ可からず。斉に久しきは、我が志に非ざるなり」と。

  斉王に見えてすぐに去らんとすされど戦乱に長く過ごせし

藤島秀憲『山崎方代の百首』

かたわらの土瓶もすでに眠りおる淋しいことにけじめはないよ 『右左口』

土瓶が続き、『青じその花』の引用も続く。

同居する土瓶については、方代自身も熱く語ってもらう方が良さそうだ。歌の秘密も少しずつ見えて来ることだし。

ここに私が坐っている。土瓶がそこに存在する。この離れがたい空間のもどかしい思慕に私は眼をつむる。

自分が現在、土瓶の前に坐っているということで、それを意識しない時間は無に等しいのだ。私の歌の調は、そんなもどかしさの中からほそぼそと生まれてくるような気がしてならない。

涙ぐましいことなりしかなわが手よりすべり落ちたる皿割れにけり 『右左口』

口の欠けた土瓶は使い続けることができても、割れてしまった皿はどうにもならない。もう取り戻せない。

すべり落ちるという一瞬の出来事で、大事なものが失われてしまう。皿は一例に過ぎず、人と人との交わりにも当てはまる。一瞬が永遠に変わる。

あるいは「すべり落ちた」一瞬とは、右眼に砲弾を受けた瞬間かも知れない。あの時に自分の一生は割れてしまった。いやいやもっと以前、母より生れ出た瞬間が「すべり落ちた」ときではないか。生れて来たことそのものが「涙ぐましいこと」だったのか。

11月18日(火)

朝から天気はいいが、寒い。

  弱き葉が先んじて落つるかももぢには早き楠木まだみどりなり

  一枚一枚踏まぬやうに歩く公園の内それでも葉を踏む

  枝から落ちて紅葉のやうな色なせど木にはみどりの濃き葉の繁り

『孟子』公孫丑章句下45 孟子 斉を去る。(じゆうぐ)(ぐ) (みち)に問うて曰く、「夫子 不予の色有るが(ごと)く然り。前日、虞(これ)を夫子に聞けり。曰く、『君子は天を怨みず。人を(とが)めず』と」曰く、「彼も一時(いちじ)なり、此も一時なり。五百年にして必ず王者の興る有り。その(かん)、必ず世に名ある者有り。周由り而来(このかた)、七百有余歳なり。其の数を以て以てすれば、則ち過ぎたり。其の時を以て之を考ふれば、則ち可なり。夫れ天未だ天下を平治するを欲せざるなり。如し天下を平治するを欲せば、今の世に当りて、我を(お)きて其れ誰ぞや。吾何為れぞ不予ならんや」と。

  充虞、孟子に問ふに王者を補佐するもの我をおいて誰があろうか

藤島秀憲『山崎方代の百首』

砲弾の破片のうずくこめかみに土瓶の尻をのせて冷せり 『右左口』

方代と土瓶はとことん仲がいい。

第三歌集の『こおろぎ』に<卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり>という歌がある。どちらも方代の代表歌を選べば必ず挙がって来る一首。体のどこかが痛いときは土瓶が手当てしてくれる。心のどこかが苦しいときは土瓶が話を聞いてくれる。

『青じその花』にはこのように書かれている。

たしかこの土瓶はある農家の竹藪の中に捨ててあったのを、見つけて拾ってきたものである。(中略)ひとり者の私にとっては、もう身内の一人である。

選ばれしこの運命にしたがいて今日は土瓶の垢を落せり 『右左口』

土瓶との二人(?)暮らしも選ばれた運命、切っても切れない縁である。だから逆らうこともなく、汚れが目立ってきた土瓶の垢を今日は落としている。

『青じその花』にこのようにある。

外から小屋の中を覗いてみると、暗がりに口のこぼれた土瓶と、ぬれた涙の方代の顔だけが消えのこっている。こみ上げてくるおかしさだ。私はこの土瓶が好きである。(中略)毎日の私になくてはならぬ代物である。まず朝起きて水を沸かしてお茶を飲む。酒のある時はあたためては話しかける。

11月17日(月)

今日も晴れ。いい天気だ。

  ひさびさの日出のひかり生きるべきなりと言ふが如くに

  空の雲あかね色して明けてゆく雨の日続くその後の朝

  朝のひかりの中をからす二羽上下に飛びて空を翔びゆく

『孟子』公孫丑章句下44-2 曰く、「(か)の尹士は(いづく)んぞ予を知らんや。千里にして王に見ゆるは、是れ予が欲する所なり。遇はざるが故に去るは、豈予が欲する所ならんや。予已むを得ざればなり。予三宿して昼を出づるも、予が心に於て猶ほ以て速やかなりと為す。王庶幾くは之を改めよ。王(も)(これ)を改めんか、則ち必ず予を反さん。(そ)れ昼を出でて、而も王予を改めよ。王如し諸を改めんか、則ち必ず予を反さん。夫れ昼を出でて、而も王予を追はざるなり。予然る後浩然として帰志有り、予然りと雖も豈王を舎てんや。王(な)ほ用て善を為すに足れり。王如し予を用ひば、則ち豈徒斉の民安きのみならんや。天下の民挙安からんや。王庶幾くは之を改めよ。予日々に之を望めり。予豈是の小丈夫の若く然らんや。其の君を諫めて、受けられざれば、則ち怒り、悻悻然として其の面に見れ、去れば則ち日の力を窮めて、而して後に宿せんや」と。尹士之を聞きて曰はく、「士は誠に小人なり」と。

  孟子がことの経緯を語らへば尹士納得す「誠に小人なり」

藤島秀憲『山崎方代の百首』

こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり 『右左口』

筋を通して読み解こうとすると、読者がしどろもどろになってしまう。あたたかい思いをすれば普通は、しどろもどろが治まりそうなものだ。でもこの歌は逆にしどろもどろが発生してしまっている。

なぜなのどろう?

あたたかさに慣れていないからなのか?しかし周囲にはあたたかい人が多くいた。だからたぶん、あたたかくされることへのいたたまれなさなのだと思う。こんなにあたたかくしてもらっても何のお返しもできないのですよ……あたたかさに恐縮する方代である。

川崎の夕方の町にあらわれて小ざかななどを見て廻れるよ 『右左口』

見て廻れる人は方代である。が、もう一人の自分がいて離れたところから自分を動画撮影しているような歌いかたをしている。カメラはときに方代の横顔を、ときに小魚を、そしてときには町全体を俯瞰するように写している。これだけで小編の映画になりそうな映像性のある作品だ。

「夕べの町に」とすれば七音に収まるのに、字余りしてまで「夕方の町に」を選んでいる。生臭い生活感が夕べでは絶対に出ない。だから夕方に拘った。言葉を大切にした結果だ。