11月16日(日)

晴れ。

  鳩の羽処々方々に落ちてゐるからすとの戦争に敗者となりし

  雨降れば鳩の羽濡れ足に踏むよしよくやった鳩の敗北

  鴉らの勝ちの遠吠え響くなりマンションの鳩消えたるかなや

『孟子』公孫丑章句下44 孟子 斉を去る。(ゐん)氏 人に語げて曰く、「王の以て(たう)・武(た)る可からざるを識らざれば、則ち是れ不明なり。其の不可なるを識りて然も且つ至らば、則ち是れ(たく)(もと)むるなり。千里にして王に見え、遇はざるが故に去る。三宿して而かる後、(ちう)を出づるは、是れ何ぞ濡滞(じゆたい)なるや。士は則ち(ここ)に悦ばず」と。高子(かうし)以て告ぐ。

  孟子去るに斉の尹士がぐずぐず三晩も泊り昼に発つとは気に入らぬと言ふ

藤島秀憲『山崎方代の百首』

頭よりバケツをかむりバケツの穴の箇所捜しおる 『右左口』

明かりが差し込めば、そこに穴がある。実に効率的な穴の捜し方。だが、普通の人は、こんなことを短歌にしようと思わないし、よもや短歌になっても、読まされる人はたまったものじゃない。

だけど方代ならば短歌にしてしまうし、読んでも十分おもしろい。方代というキャラクターがトッピングされるからだ。キャラで得している歌なのである。

しかもこの歌、三句がない。<頭より/バケツをかむり/〇〇〇〇〇/バケツの穴の/箇所捜しおる>、ときに方代は不思議なことをしてのける。

赤き色の落葉をくべてこごえたる前と後ろをあぶりていたり 『右左口』

今では懐かしい存在になってしまった冬の風物詩「焚火」あたたまるのではなく「あぶりていたり」。「スルメイカ、か?」と笑って突っ込みを入れたくなるような動詞「あぶり」で焚火を満喫している様子を歌う。

このトボけた物言いが方代らしい。

結局、私は「方代の歌」を読んでいるのではなく、「方代」を読んでいると思う。作品から立ち上がってくる方代そのものに強く惹かれているから、何度も何度も繰り返し読めるわけだ。愛すべきキャラクター方代さん、十分に焚火で温まってください。

11月15日(土)

朝は曇りだったが、すぐに晴れてきた。気持ちのいい日だ。

  雨ふれば赤いパラソルの妻がゆく九階のベランダにその行方追ふ

  雨の昼は気圧が重く立ち上がりしもはればれとせず

  うづくまるごとくに部屋の中に坐す手足もなべて自由にならず

『孟子』公孫丑章句下43 孟子斉を去り、(ちう)に宿す。王の為に行を留めんと欲する者有り。坐して言ふ。応へず。(き)(よ)りて臥す。客悦ばずして曰く、「弟子(ていし)斉宿(さいしゅく)して後敢て言ふ。夫子(ぐわ)して聴かず。請ふ復び敢て(まみ)ゆること勿らん」と。曰く、「坐せよ。我明らかに子に(つ)げん。昔者(むかし)、魯の繆公(ぼくこう)は、子思(しし)(かたはら)に人無ければ、則ち子思を安んずる能はず。(せつ)(りう)申詳(しんしやう)は、繆公の側に人無ければ、則ち其の身を安んずる能はざりき。子長者の為に慮りて、子思に及ばず。子長者を絶つか。長者子を絶つか」と。

  賢者を遇する道の礼遇に及ばざる者の言やいかに

藤島秀憲『山崎方代の百首』

薮かげの小さきわが家に一枚のハガキがあした投げこまれたり 『右左口』

ポエムと現実に片足ずつ突っ込んでいると前の歌で書いたが、ユーモアと切なさ、ぬくもりと冷たさ、美しさと醜さ、聖と俗、生と死、愛と失望といったように、方代の歌は相反するものに片足ずつ突っ込んでいる。

ユーモアに両足を入れることはなく、必ず片足は切なさや怒りに踏み込んでいる。アンビバレントと言おうものなら「そうした難しいことじゃなくて、人間ってもともと複雑だからね」と方代に言われそう。

言葉の一つ一つは寂しい歌も、全体を通せば何だか笑ってしまう。悲劇を喜劇に仕立て替えてしまう。

手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る 『右左口』

今ではパックに入れて売られているが、昭和の中ごろまでは、鍋を持って買いに行くのが当たり前だった豆腐。方代は手のひらにのせている。器用だと感心するよりも、有り得ないと絶句してしまう。

だけど、普通では有り得ないことも、方代の手に掛かるとリアリティが発生する。「方代さんなら有り得るね」と思わせるキャラクターなのだ。

キャラクターが立ってくる短歌は実は少ない。理屈では納得できなくても、作者名で納得させてしまうキャラクターを方代は持っている。

11月14日(金)

朝から晴れ。秋らしい。

野崎歓『翻訳はおわらない』を読む。エッセイ風に書かれているが、鷗外の『ファウスト』論や『渋江抽斎』のことなど、また山田ジャク先生の話など、エピソード満載の書。興味深く読んだのだった。

  朝ガラス鳴けばいづこに鳩どもは逃ぐるかむかうの公園の木々

  公園にはすずめが領するけやきあり鳩がゆきてもすぐに立ち去る

  本当は嫌いなカラスしかしよく鳩を追い払へさすればよきなり

『孟子』公孫丑章句下42-3 古の市(た)るや、其の有る所を以て、其の無き所に(か)ふる者なり。有司者(いうししや)は之を治むるのみ。(せん)丈夫(ぢやうふ)有り。必ず龍断(ろうだん)を求めて之に登り、以て左右望して市利を(あみ)せり。人皆以て賤しと為す。故に従つて之を征せり。商に征すること、此の賤丈夫自り始まる」と。

  市とは物と物とを交換するものなれど賤しきものがこれを壊す

藤島秀憲『山崎方代の百首』

瑞泉寺の和尚がくれし小遣いをたしかめおれば雪が降りくる 『右左口』

鎌倉市にある臨済宗円覚寺派の寺院・瑞泉寺。一三二七年に創建、無窓疎石を開山とする。「花の寺」として知られる。現在の住職は歌人の大下一真氏。

この歌に出てくるのは先代の大下豊道和尚。「それはそれは、とてつもない偉い坊さんである」と方代は言っている。生きてゆくことが面倒になり、死を急ぐような気持ちにかきたてられるとき、方代は瑞泉寺を訪れた。「和尚の静かに語るお言葉の一つ一つを聞き留めていると不思議に心がなごんでくる」と『青じその花』に書いている。

ゆで卵ひとつ手に持ち急げども他人の敷居は高し 『右左口』

歌人の吉野秀雄宅も方代がしばしば訪れた他人の家。方代が言うには、吉野と大下豊道和尚は「人もうらやむじっこんの仲」。「人」は方代自身のことであろう。

手土産は山菜が多かった。行く途中で採ったものだから新鮮。でも、引け目はある。

「ゆで卵ひとつ」の土産と同じように自然と敷居は高くなる。

小道具の使い方がうまい方代だが、「ゆで卵ひとつ」も絶妙。シュールでありつつ、生活感がある。ポエムに両足を突っ込むことはせず、片足はポエムから出て現実という地を踏んでいた。

11月13日(木)

寒い。ずっと曇り。

  鳩どもがマンション、隣のマンションをも領するごとく翔び回りけり

  羽を落し九階の廊下にも来るような素振りを見せて屋上へ行く

  屋上と隣のマンションのエレベーターの窪み鳩の居場所なり

『孟子』公孫丑章句下42-2 陳子、時子(じし)の言を以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「然り。(か)の時子(いづく)んぞ其の不可なるを知らんや。(も)し予をして富を欲せしめば、十万を辞して万を受けん。是れ富を欲するを為さんや。季孫曰く、『異なるかな子叔疑(ししゆくぎ)。己をして政を為さしむ。用ひられざれば則ち已まん。又其の子弟をして卿為らしむ。人亦(たれ)か富貴を欲せざらんや。而して独り富貴の中に於て、龍断(ろうだん)を私する有り」と。

  孟子が言ふもしわれが富を欲せば十万を辞して万余を受ける可し

藤島秀憲『山崎方代の百首』

焼酎の酔いのさめつつ見ておれば障子の桟がたそがれてゆく 『右左口』

「障子の桟がたそがれてゆく」を実際の景色と読めば、日の暮れになり酔いが覚めて来たということになる。飲んでしまったことへの悔いを表わしているとも読める。障子の桟は自分の心の内に在る。ボロボロに破れた心の中の障子、たそがれやすい障子だ。

答はない。私は、自分のその時の気分を反映させて、実際の障子として読んだり、心の中の障子と読んだりしている。つまり、方代の歌は読者のその時の気分に沿えるだけの柔軟性を持っている。読みを楽しみ、遊ばせてくれる。読者にやさしい歌なのだ。

ねむれない冬の畳にしみじみとおのれの影を動かしてみる 『右左口』

方代は実に多くの人に支えられていた。親しみやすい人柄が幸いしたのだろう。金がなくなれば小遣いくれた鎌倉瑞泉寺の大下豊道和尚。自宅の敷地内に四畳半の家を建てて住まわせてくれた鎌倉飯店店主の根岸侊雄。名前をあげればキリがない。

歌われている畳は根岸が建てた家。五十七歳の方代が得た終の棲家だ。まさか畳がるとは、まさか電気が通っているとは、思ってもみなかった。
「畳にしみじみとおのれの影を動かし」て、還暦近くに得た幸せを噛みしめている。

11月12日(水)

今日もいい天気だ。

梨木香歩『家守綺譚』を読む。楽しかった。嬉しかった。軽やかに異常事態を語っている。各章それぞれに植物が標題になっている。そして起こる綺譚が、自然で、楽しいのである。これだけ読ませる本は、あまり無いのではないか。近藤ようこのマンガ版をぜひ読んでみたい。

十月の半ばころの話だ。

  金木犀のつぶつぶの花の盛りなりこの木が香るとき死者が来るなり

  金木犀の香りあり。我が亡き友を思うひと時

  ことしは一ヶ月遅き金木犀。それでも健気に香りくるなり

『孟子』公孫丑章句下42 孟子 臣たることを致して帰る。王就いて孟子を見て曰く、「前日は見んことを願ひ得可からざりき。侍して朝を同じうすることを得て甚だ喜べり。今、又寡人を棄てて帰る。識らず、以て此に継いで見ることを得可きか」と。対へて曰く、「敢て請はざるのみ。固より願ふ所なり」と。他日、王、時子に謂ひて曰く、「我、中国にして孟子に室を授け、弟子を養ふに万鐘を以てし、諸大夫国人をして、皆矜式(きようしよく)する所有らしめんと欲す。子蓋ぞ我が為に之を言はざる」と。時子、陳子に因つて以て孟子に告げしむ。

  斉王の申すことを陳子告げむ孟子をして民の模範たらんと

藤島秀憲『山崎方代の百首』

担ぎだこ取れし今でももの見れば一度はかついでみたくなるのよ 『右左口』

いろいろな仕事に就いた方代、港湾で荷を担ぐ仕事も体験したらしい。担ぎだこが出来るまで働かなかったとしても、体が味わった辛さや痛みはいつまでも忘れない。その痛みをユーモアに転 じてゆく。おちゃらけて「かついでみたくなるのよ」と言ったりして。

「雀百まで踊りを忘れず」と言う。幼い時分からの習慣は老いてもなかなか抜けないという意味だが、方代は切り替えが得意な人ではなかったと思う。過去を引きずってしまうタイプ。だから、広中淳子をいつまでも思い続けた。純粋と言えばとても純粋なのだ。

夜おそく出でたる月がひっそりとしまい忘れし物を照らしおる 『右左口』

全てを言わない。百あるところを七十くらいで歌いとどめて、あとは読者に想像してもらう。読者は残り三十をあれこれ想像して楽しむ。

いかに省略するかが歌を作る醍醐味、いかに省略を埋めるかが歌を読む醍醐味。短歌の楽しみとは、省略を巡る作者と読者の攻防にある。

この歌も七十どまり。三十が省略されている。「しまい忘れし物」とは何なのだろう。すごく大事なものなのか、そもそも目に見えない精神的なものではないのか?私は下駄とかバケツとか、他愛のない物を想像している。

11月11日(火)

寒いが、晴れている。

  死者のこと思へるわれは生者にて死すればすべてが曖昧になる

  死者のこと思はねば死者はまた死にす死者は迷ひて成仏できず

  生きてゐるうちに死者たちを思はんか思へば死者も死者としてある

『孟子』公孫丑章句下41-2 孟子を見て問うて曰く、「周公は何人ぞや」と。曰く、「古の聖人なり」と。曰く、「管叔をして殷に監せしめしに、管叔殷を以て(そむ)くと。(これ)有りや」と。曰く、「周公は其の将に畔かんとするを知つて、而して之を使(せし)めしか」と。曰く、「知らざるなり」と。「然らば則ち聖人すら且つ誤つこと有るか」と。曰く、

「周公は弟なり。菅淑は兄なり。周公の誤つも、亦(むべ)ならずや。且つ古の君子は過てば則ち之を改む。今の君子は、過てば則ち之に(したが)ふ。古の君子は、其の過つや、日月の食するが如し。民皆之を見る。其の(あらた)むるに及んでや、民皆之を仰ぐ。今の君子は、豈(ただ)に之に順ふのみならんや。又従つて之が辞を為す」と。

  今の君主は過ちを押し通し理屈すらつける過ち重ぬ

藤島秀憲『山崎方代の百首』

青桐の垂れる夕べの靄のなか花より白き君にしたがう 『右左口』

ただ一度出会った広中淳子は思い描いたとおりの美しい人だった。『青じその花』で方代は書く。

結核ということは聞いていたが、そうやつれてはおらず、白いうなじと黒いつぶらな瞳の清らかな娘である。あまりの美しさに茫然として(以下略)

方代は思わず「おしたい申しております」と口走る。その言葉は「おかしいわ(中略)お会いしたのは今日が初めてよ」と一蹴した淳子は、「しっかりしてください。どうかそんなに放浪の生活をつづけないで、定職について」と続ける。かくして七年の放浪生活が終った。

亡き父もかく呼んでいた道ばたに小僧泣かせの花が咲いている 『右左口』

地方によって、人によって異なるのだが、スズメノカタビラやコニシキソウといった抜いても抜いても生えて来る手強い草を小僧泣かせと言う。草むしりが小僧の仕事だったころのエピソードから名づけられた。

父は物知りであった。自然の中で生きる術を幅広く知っていた。後年、方代は鎌倉に住むが、山に入っては野草を採って食べた。父から教わった知恵が役に立ったのだ。

草の花は可憐で美しい。立ちどまり、屈み込み、花を観察しながら、父の言葉を思い、恋しい人を思う。

11月10日(月)

寒いけれど晴れがつづくらしい。

二十日ほど前

  やうやくに金木犀の木の花の匂ひくるなり道筋の角

  大きめの金木犀の木がありきやっとこの頃香りはじめる

  金木犀の小さなオレンジ色の花むらにわが鼻寄せて香りに浸る

『孟子』公孫丑章句下40-2 斉人、燕を伐つ。或るひと問うて曰く、「斉を勧めて燕を伐たしむと。(これ)有りや」と。曰く、「未だし。(しん)(どう)『燕伐つ可きか』と問ふ。吾之に応へて『可なり』と曰ふ。彼然り而して之を伐てるなり。彼如し『(たれ)か以て之を伐可き』と曰はば、則ち将に之に応へて曰はんとす、『天吏為らば則ち以て之を伐可し』と。今、人を殺す者有らんに、或ひと之を問うて『人殺す可きか』と曰はば、則ち将に之に応へて『可なり』と曰はんとす。彼(も)し『孰か以て之を殺す可き』と曰はば、則ち将に之に応へて曰はんとす、『士師(しし)(た)らば、則ち以て之を殺す可し』と。今、燕を以て燕を伐つ。何為れぞ之を勧めんや」と。

  斉と燕はどっちもどっち斉が燕討つは燕が燕を討つやうなり

藤島秀憲『山崎方代の百首』

男五十にして立たねばならぬめんめんと辞書をひきひき恋文を書く 『右左口』

論語ならば「三十にして立つ」。五十といえば天命を知る年齢だ。しかし方代は二十年遅れて立とうとしている。しかも恋文を書いている、それも辞書をひきひき書いている。これでは「而立」はままならない。「立たねばならぬ」は決意だけで終わったことだろう。

初句から結句までユーモアと思えば良いのだが、結婚することなく一生を通した生き方を考えれば、この歌には切実なる思いが潜んでいる。特に「めんめんと」の辺り。

「めんめんと」恋文を書いたことが本当にあった。それは三十代半ばのことである。

はぎしりして鑕を打つ靴を打つときの間もあり広中淳子 『右左口』

方代の恋の相手として知られる広中淳子。方代が三十代半ばに所属していた短歌誌

「工人」の仲間である。淳子は結核で自宅療養中。だから二人が会ったのは、たった一度きり。放浪の旅の最後に、和歌山に住む淳子を訪ねた。布団の上に淳子はいた。    要は「工人」に掲載される短歌を読み、短歌からイメージされる作者像に恋をしてしまったわけ。純粋で一途な片思い。片時も忘れられない、うぶな恋心を歌ったこの歌は、結句に「広中淳子」と置いたことで印象が一気に濃くなった。