10月26日(日)

今日も雨、雨ながら、朝少しだけ降雨なし。その隙を見て歩いた。

  愛らしきすずめが垣に入り、そして飛び立つ曇りの空へ

  朝ごとにすずめ集まる処ある、けふは公園の巨大な欅

  公園を取り巻く木々に秋の葉のあればすずめら枝に集まる

『孟子公孫丑章句下33-3 故に曰く、『民を域るに、封疆の界を以てせず。国を固むるに、山谿の険を以てせず。天下を威すに兵革の利を以てせず』と。道を得る者は助け多く、道を失ふ者は助け寡し。助け寡きの至は、親戚も之に畔き、助け多きの至は天下も之に順ふ。天下の順ふ所を以て、親戚の畔く所を攻む。故に君子戦はざる有り。戦へば必ず勝つ」

  君子は戦はざればそれまでだがひとたび戦へば必ず勝つ

林和清『塚本邦雄の百首』

その夏の葬りの死者が戰死者にあらざるを蔑されき忘れず 『詩魂玲瓏』(一九九八)

第二三歌集、塚本邦雄は七六歳である。変わらぬ多作を誇り、歌集の中心に総合誌三〇〇首一挙掲載という未曽有の大作「月耀變」を置く。しかし残念ながら、過去作の焼き直しや言葉狩り批判、詩句のもじりと類想歌が多く、愛好者以外には響きにくい。

しかし歌集中にこの歌を見つけた時は、涙が出た。これは昭和一九年八月三〇日に母を亡くした折りの歌なのだ。死因は胃癌、まだ五四歳。戦死者以外の死はまるで価値がないかのように扱われたのか。これこそ戦争の愚の本質を突く歌ではないだろうか。

雨霽れてああ三百の雫する杉原一司忌の桐の花 『詩魂玲瓏』

杉原一司が他界してその年は四八年目。死者は永遠に二三歳の青年のままである。死者への手向けとして出版した第一歌集『水葬物語』、前衛短歌の時代とその後の前衛狩りの時代、そして大家となり受勲もした現在。つねに傍らで杉原青年が叱咤激励してくれていると思いつつ長い時間を歩いて来たのであろう。

かつて「僕は君以外の誰も懼れない。信じない。愛しない。」(「若き死者への手紙」)と書いた塚本。この痛切な叫び。愛さないではなく、関西方言のまま「愛しない」と叫んだ声は、桐の花咲く五月の空へ谺して消えることはない。

10月25日(土)

雨、雨、雨……

  けやきの木に秋の空。日の明けて雲ぞ自由に動きたりけむ

  雲の動きゆつくりとして明けがたの公園はあやしき色に変はる

  歩きゆくに雨の跡どころまた自転車の通り道でこぼことして

『孟子』公孫丑章句下33-2 三里の城、七里の郭、りて之を攻むれども勝たず。夫れ環りて之を攻むれば、必ず天の時を得る者有らん。然り而して勝たざる者は、是れ天の時 地の利に如かざればなり。城高からざるに非ざるなり。池深からざるに非ざるなり。ならざるばなり。多からざるに非ざるなり。して之を去るは、是れ地の利 人の和に如かざればなり。

  天の時、地の利にも人の和にこそ及ばざりけり

林和清『塚本邦雄の百首』

プレヴェール忌忘るるころに「おゝバルバラ、戦争とは何とおいしいものだ」 『汨羅變』

かつて『日本人靈歌』の「死せるバルバラ」の章で「冬苺積みたる貨車は遠ざかり<Oh!Barbara quell connerie guerre>と詠んだ塚本が、この時は「戰争とは何とおいしいものだ」と詠む。

反語の意もあろうが、むしろ本質をついた表現だとも言える。もし人類すべてがそう思っていなければ、すでに戦争などは無くなっていよう。この歌集にも戦争を題材にした歌は数多あるが、この歌が最も恐ろしい。ブレヴェールの詩、モンタンの歌に涙した時期は過ぎた。そして戦争を求める者たちが台頭するのみ。

咳を殺してあゆむ靖國神社前あなたにはもう殺すもの無し 『汨羅變』

八月十五日に首相として靖国神社へ参拝する、などと公言する者が国の長になろうとするこの時代。塚本邦雄は必ずそういう者たちが、もう一度愚かな過ちを起こすことをずっと歌で予言していたのだ。

「あなた」とは誰か。かつて戦争を主導、あるいは扇動し、多くの民を死に追いやった者たち。塚本には生涯の仮想敵として、その顔貌がはっきりと見えていたのだろう。歌が発表された時点では、戦中派の杞憂のように思われていたのかもしれないが、現在は違う。あたり一面、きな臭さに満ちているではないか

10月24日(金)

曇りと言うが、時々小さな雨。

  この間まで九月であつたがもう十月、時の速さに驚くばかり

  この年もあと三か月を残すのみ何なし得たか悔やむばかりぞ

  このやうに時の推移を速やかと感ずるも老い、老い深くなるか

『孟子』公孫丑章句下33 孟子曰く、「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。

  戦ぎに天候・時日、地形の利、そして人の和あれば及び難し

林和清『塚本邦雄の百首』

あぢさゐに腐臭ただよひ 日本はかならず日本人がほろぼす 『風雅黙示録』

一時期〝短歌滅亡論〟の歌が多かった塚本邦雄。しかし現在も短歌は詠まれ、若い世代にブームさえ巻き起こしている。これを塚本は嘉するのか、それとも「こういう滅び方もある」と瞑目するのだろうか。

この時期には国の滅びに関する歌が多い。塚本は社会詠を状況的に詠うことはなく、人間の業の集積として国内外の情勢を捉えようとする。その時見えてくるのは、必ずまた過ちを起こしてしまう人間の愚かさである。政治は腐敗し、世情殺伐とした現在の日本が向かう先を塚本は予見していたのだ。

椿一枝ぬつと差出し擧手の禮嚇かすなこの風流野郎 『汨羅變』(一九九八)

中国湖南省北東部を流れる汨羅江。詩人の屈原が、国を憂い投身した所として知られる。塚本邦雄は屈原の「離騒」に大きな影響を受け、常にその悲調が心底に流れる、と言う。汨羅を題材とした歌を多く詠み、歌集名にも「變」を付して採用した。

跋は「風流野郎に献ず」と題されていて、この歌の主人公は相当塚本好みの人物像のようである。近畿大学教授就任以来、戦争により失われた青春を取り戻すかのように、講義にも学生との交流にも情熱を注いでいた。風流野郎と呼びたくなる学生もいたのだろう。

10月23日(木)

今日は曇りから晴れてくる。

  この夜にも幾万組のまぐあひがおこなはれけむ涙ぐましき

  幾人のおみなご懐妊したるものか産めよ増やせよは遠きものなり

  もう疾うに役に立たざるわれならむ然れども性欲消ゆることなく

『孟子』公孫丑章句32-3 孟子曰く、「伯夷は隘なり。柳下恵は不恭なり。隘と不恭とは、君子由らざるなり。」

  伯夷はかたくな、柳下恵は不謹慎。どちらも君子は従はざりき

林和清『塚本邦雄の百首』

定家三十「薄雪こほる寂しさの果て」と歌ひき「果て」はあらぬを 

『風雅黙示録』(一九九六)

本歌取りの技法を集大成した藤原定家。現代において最も多くの本歌取り作品を試みた塚本邦雄。この歌は本歌取りというより、定家に対して塚本が見解を示した歌であろう。「六百番歌合」に冬朝の題で出された定家の歌「一年をながめつくせる朝戸出にうす雪こほるさびしさの果て」を、判者の藤原俊成は「深雪ではないのか」と言って負とした。塚本はそれに対し、ガラス状に凍りつく薄雪だからこそ「寂しさの果て」なのだと意を唱えつづけた。そして定家の倍以上の歳になり、「果て」などはないという境地に至ったのだ。

暗殺されし帝は崇峻のみならずごりつと齒にこたへて酢牛蒡 『風雅黙示録』

崇峻天皇はかねてより政治的に対立していた蘇我馬子大臣が放った刺客・東漢駒により暗殺された。日本史の中で臣下により暗殺されたと正史に明記されている唯一の天皇である。それ以前に父の仇としてまだ七歳の眉輪王に殺された安康天皇の例があるので、塚本邦雄はそのことを指摘しているのかもしれない。ただこの詠いぶりから、崇峻・安康のみならず、と言っているような気がして、ではどの天皇の事なのだ、雄略か武烈か、あるいは称徳か文徳か、疑心暗鬼のようになってしまう。ああ牛蒡が固く歯に障る。

10月22日(水)

朝から雨、雨、雨……

中沢新一『精霊の王』を、ようやくの事で読み終える。精霊は宿神であり、後ろ戸に潜むものであり、摩多羅神である。それは翁になって出てくる。柳田国男の『石神問答』におけるサカ・シャクの神と諏訪地方のシャクジとの関わり合いを周到に解き明かす。そして金春禅竹『明宿集』を中心に論じた神々と人間の精神史である。宿神は、私の卒業論文のテーマでもあった。

  この人はわが新歌集を深く読んでくれる贈呈すべし住所録の中

  この人はおざなりにしかわが歌集読まざりしものなれど寄贈す

  歌集を送る住所録の氏名・住所をたしかめて人の行方の興味深く

『孟子』公孫丑章句32-2 はを羞ぢず、を卑しとせず。進んで賢を隠さず、必ず其の道を以てす。せられて怨みず、してへず。故に曰く、『爾は爾為り、我は我為り。我がにすと雖も、爾焉んぞ能く我をさんや』と。故にとして之とにして自ら失はず。いて之を止むれば止まる。援いて之を止むれば止まる者は、是れ亦去るをしとせざるのみ」

  柳下恵はまるでどうでもよいかのやうに仕へたる止めてがあれば止まるのみ

林和清『塚本邦雄の百首』

獻身のきみに殉じて寐ねざりしそのあかつきの眼中の血 『獻身』

この歌集の末尾には「一九九四年六月二十九日永眠の畏友/政田岑生にこの一巻を獻ず」とだけ記され跋はない。そこに塚本が政田へ寄せる信頼と友情の深さ、そして身を切る喪失の悲しみが浮かび上がる。

菅原道真の漢詩「口に言ふこと能はず眼中の血」を基とする結句は、どんな言葉でも悼むことのできない念を表す激烈な挽歌として深く心に刺さる刃となる。

塚本は、自らを文学者として成功に導いてくれた政田を深く愛していたのだろう。通夜の席でただ一人ずっと側にいたいと言った顔を忘れることはできない。

うるはしき閒投詞たち あいや、うぬ、いざや、なむさん、すわ、されば、そよ 『獻身』                                  

かつて『感幻樂』の中で「鑚・蠍・旱・雁・掏摸・檻・囮・森・橇・二人・鎖・百合・塵」と、短歌の韻律に乗せた名詞一三語で暗示的な物語を作って見せた塚本邦雄。この度は間投詞。それも歌舞伎のセリフに出て来そうな大時代的な言葉ばかりである。思わず発する感嘆に、これほどのバリエーションを歴史的に有する日本語。そしてそれが市井の言葉であることにも改めて感心させられる。この時期の塚本が純然たる西欧美学よりも、江戸趣味的な「崩しの美」に魅かれていたことがよくわかる一首である。

10月21日(火)

曇りだが、雨が降ってくるような。

  雨、雨、雨、そして雨……一日中雨が降る。またまた雨なり

  雨のため湿度も高しわがからだをおさへこむやうに低気圧が通る

  雨の日はどんよりとして心晴れぬ老いたるわれなりを動かせず

『孟子』公孫丑章句32 孟子曰く、「伯夷は其の君に非ざればへず。その友に非座れば友ともせず。悪人のに立たず。悪人と言はず。悪人の朝に立ち、悪人とふは、を以て塗炭に坐するが如し。悪を悪無の心をすに、をと立ちて、其の冠正しからざれば、望望然として之を去り、将にされんとするがく思ふ。是の故に、諸侯其の辞命を善くして至る者有りと雖も受けざるなり。是れ亦就くをしとせざるのみ。

  伯夷は己のつかへるべき主君でなければ仕へざる悪ある朝には潔しとせず

林和清『塚本邦雄の百首』

黑葡萄しづくやみたり敗戰のかの日より幾億のしらつゆ 『魔王』(一九九三)

長年の好敵手・岡井隆が宮中歌会始の選者となり歌集『宮殿』(一九九一)を上梓したことを意識し、塚本は歌の魔王となる道をあえて選択したのだ、という藤原龍一郎の指摘がある。確かに塚本の覚悟が定まったような気迫をこの『魔王』からは感じることができる。

巻頭のこの歌は斎藤茂吉「沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ」(『小園』一九四九)への反歌であろう。茂吉が悲痛な思いで詠んだ雨を「しづくやみたり」という塚本。半世紀幾億の涙が流されても人間は戦争を止めない。この歌の製作時に、湾岸戦争が勃発した。

父よあなたは弱かつたから生きのびて昭和二十年春の侘助 『魔王』

『魔王』の跋は長文で充実した内容である。そこで創作の主題は「詩歌の探求」「人生と世界への問ひかけ」であり、その核に<>がある、と明記する。「記憶になまなましい軍國主義と侵略戦争」「地球は滅びるといふ豫感」が通奏低音となっていると言う。

これは歌集から読み取れることであり、わかりやすい言挙げのようだが、あえて書きたかったのだろう。ただこの時期、先行する詩句のもじりやパロディで成立している歌が多すぎるように思う。多作は塚本の信条であったが、言葉の量で圧す方法には疑問が残る。

10月20日(月)

朝、雨。曇りのようです。

知念実希人『硝子の塔の殺人』読了。やっと読み終わった。どうも私は本格ミステリというものが、苦手なのかもしれない。五百ページを越す作品に、いったい何日かかったものか。要は絵空事なのだ。嘘っぽい名前を持つ登場人物にまず馴染めない。最初の方は苦労した。最後の遊馬が謎ときを始めたくらいから、結末まではスピード感をもって読めたが、私には社会性がないものは物足りないのだろう。というか本格ミステリを読むのが苦手なのだ。

  公園の木々にスズメら遊びたり鶺鴒二羽も混じりて遊ぶ

  すずめらのたちまち木々を抜けだして電車が通る柵に集まる

  鶺鴒も雀の後を追ひかける二羽のうち一羽がす早く糞垂る

『孟子』公孫丑章句31 孟子曰く、「子路は人 之に告ぐるにち有るを以てすれば、則ち喜ぶ。禹は善言を聞けば、則ち拝す。大舜はより大なる有り。善、人と同じうし、己を舎てて人に従ひ、人に取りて以て善を為すを楽しむ。より、以て帝と為るに至るまで、人に取るに非ざる者無し。を人に取りて以て善を為すは、是れ人と善を為す者なり。故に君子は人と善を為すより大なるは莫し」

  有徳の君子としては人とともに善をなすより偉大なことなし

林和清『塚本邦雄の百首』

迦陵頻伽のごとくほそりてあゆみますあれはたまぼこのみちこ皇后 『黄金律』

塚本邦雄が天皇や皇帝と詠う時には、昭和天皇のイメージが揺曳する。「還暦の皇子」とかつて詠んだのは平成の天皇の皇太子時代のことか。そしてこの皇后のイメージ描写はすさまじい。「迦陵頻伽」は仏教における想像上の鳥。上半身は美女、下半身は鳥の姿で描かれることが多い。比喩としては美しいが、それよりも「ほそりて」へ注目が集まるのは否めない。「あれは」にも驚きが込められている。そして道にかかる枕詞「たまぼこの」。言葉の仕掛けがすべて、年を重ねた痩身の人の影をやや辛辣に描ききっている。

山茱萸泡立ちゐたりきわれも死を懸けて徴兵忌避すればできたらう 『黄金律』

塚本邦雄は、ズバリ言いたい真実を叫びのように歌うこともある。この下の句は、太平洋戦争開戦以来ずっと脳裏に繰り返し再生され続けてきたフレーズだっただろう。実際の塚本は、昭和一七年に呉の海軍工廠に徴用されたのだが、そこから同僚が戦地へ駆り出される日々がつづき、徴兵は身に迫る現実そのものだったのだ。郷里や家族を人質に取り、若き生命を指し出させるのは、まさに国による洗脳そのものである。

戦後どれほど時を経ても、その絶対悪に対する恐怖と嫌悪は消えない。春を告げる黄の花を見てさえも。