2025年3月17日(月)

朝から晴れ、暖かくなるらしい。

  絨毯の上に対になるスリッパが間隔広くそっぽむきあふ

  奔放なるスリッパを覗き見るやうにゴミ箱の後ろにスリッパ一足

  二つとも皮をつかって洒落てゐるスリッパなれど天と地の差

『論語』季氏一〇 孔子曰く、「君子に九思あり。視るには明を思ひ、聴くには聡を思ひ、色には温を思ひ、(かたち)には恭を思ひ、言には忠を思ひ、事には敬を思ひ、疑はしきには問ひを思ひ、忿りには難を思ひ、得るを見ては義を思ふ。」

  君子には九つの思ふことがある視・聴・色・貌・言・事・疑・忿・得

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九〇 キナシノカルノ太子
こうして追うてきた時、太子はそれを迎えて、懐かしさのあまり、
隠国の 泊瀬の山の         死ねば埋まる(は)(せ)山の
大峡(おほを)には 幡張り立て        大峡(おおお)に幡を張り立てて
小峡(をを)には 幡はり立て       小峡(こお)にも幡を張り立てて
大峡にし 汝が定める      その二つある墓所のうち 死ねば共にと大峡をば
思ひ妻あはれ          定め選んで死をきめて ここまで尋ねて来た妻よ
(つく)(ゆみ)の (こや)(こや)りも         はるばる荒い波越えて
梓弓 立てり立てりも        槻の木弓の伏すように 梓の弓の立つように
後取り見る             あまたの月日を起き伏して
思ひ妻あはれ            会いに尋ねて来た妻よ

  あまたの月日をともにした思ひ妻あはれここにともに死すべし

2025年3月16日(日)

雨だ。北からの風が強い。寒い雨だ。

テーブルの横に置いて、時間があれば開いていた『山村暮鳥詩集』(藤原定・大江満雄篇)一九六六年初版・一九九四年十一版、弥生書房・世界詩40だから、相当古い本だが、箱入りでしっかりしている。以前買ったものを、全編読んだのは今回がはじめてだ。暮鳥の詩というと「おおい雲よ」くらいしか知らなかったが、その短い詩のよさに驚いた。「また蜩のなく頃となつた/かな かな/かな かな/どこかに/いい国があるんだ」とか「まづしさを/よろこべ/よろこべ/冬のひなたの寒菊よ/ひとりぼつちの暮鳥よ、蠅よ」。どちらも「ある時」という題である。

  大空を鵄が回遊するときはマンションに居付く鳩も失せたり

  其処此処に糞を落してマンションの十階の屋上に住みつくらしき

  鳩を好くことば聞こえず憎む声あまた聞きつつ肯くわれなり

『論語』季氏九 孔子曰く、「生まれながらにしてこれを知る者は上なり。学びてこれを知る者は次なり。困みてこれを学ぶは又其の次なり。困みて学ばざる、民斯れを下と為す。」

つまり人間には生まれつき差別があるということか。昔のことではあるが、こんな差別が許されるのだろうか。こんなふうに読んできて、『論語』は、どうも信じがたい。

  孔子は生まれながらに差があると言ふべしされどそれが正しいか

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八九 ソトホシノ皇女
後にまた、恋しさに堪えかねて、太子のあとを追うて行かれる時、
君が行き (け)(なが)くなりぬ     太子が島に行ってから 長い月日がたちました
山たづの 迎へを行かむ     もうこの上はじっとして
待つには待たじ         帰りを待ってはいられない

この山たづというのは、今の(たつ)(げ)である。

  カルノ皇子が流されてから長くなりわれはもう帰りを待てず

2025年3月15日(土)

今日は、今十度、午後三時ころ雨になるらしい。昨日、一昨日と打って変わって寒い。

  口臭か、それとも口から出る息か、体温ありき。われのものなり

  マスクの内に息すれば口臭きわれならむ老人の息嗅ぎたくもなし

  千歩ほど歩けば息も上がりたり吐く息つく息かくもはげしき

『論語』季氏八 孔子曰く、「君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎れ、聖人の言を侮る。」

  君子には天命、大人、聖人の言、この三つをば畏れありけり

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八八 ソトホシノ皇女(軽大郎女の別名)
ソトホシノ皇女も、太子に歌を奉って、
夏草の (あひ)(ね)の浜の      夏草青く茂ってた 浜辺に忍んで寝たことが
(かき)(がひ)に 足踏ますな      二人の仲を裂きました 石に隠れた蠣貝に
明かして通れ         足を切ったりせぬように 道はよく見て行きなさい

  夏草の青く茂れる相寝の浜思ひでとして足切らぬよう

2025年3月14日(金)

春のおもむき。晴れている。

  中庭の底を覗けば赤き花、椿の常緑の中にぽつぽつ

  あけぼの杉はまだ冬木なりどことなく枝も頼りなくして

  百日紅のひねくれた幹もさらされて春とは名ばかり冬の木ならむ

『論語』季氏七 孔子曰く、「君子に三戒あり。少き時は血気未だ定まらず、これを戒むることに色に在り。其の壮なるに及んでは血気方に剛なり、これを戒むること闘に在り。其の老いたるに及んでは血気既に衰ふ、これを戒むること得に在り。」 

  君子には三つの戒め。若きは女色壮年は争ひ老年は欲

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八七 カルノ太子
また、
(おほきみ)を 島に(はふ)らば        王であるこのわれを 島に流さばこの船の
(ふな)(あま)り い帰り来むぞ       帰りの時にまた乗って 都に帰ってきて見せる
わが畳ゆめ           わが敷きなれた畳をば ゆめ汚したりせぬように
(こと)をこそ 畳と言はめ       口こそ畳と言うけれど
わが妻はゆめ           ゆめゆめ許さぬ わが妻も

この歌は「夷振(ひなぶり)の片下ろし」である。

  王を島に流せばわが妻も畳のごとくゆめ許さざる

2025年3月13日(木)

今日は、暖かくなるらしい。久しぶりの太陽がある。

昨日「枯木のある風景」の感想を書いたが、講談社文芸文庫版・宇野浩二『思い川/

枯木のある風景/蔵の中』を読んだ。他の二編も、じつによかった。三十年に及ぶ小説家牧と芸妓三重との真の恋愛を描いて、滋味すら感ずる作品は当然ながら、宇野浩二の代表作であり、読売文学賞を受賞し、さらに出世作である『蔵の中』も奇妙な饒舌感があって圧倒された。

  欠片ほど貴重なものがあるものかかけら残して滅ぶるものか

  人の欠片を拾い蒐めて人があるわれも欠片の集積ならむ

  人のかけら、とりわけわれの欠片を宙めがけ投げて棄てたり

『論語』季氏六 孔子曰く、「君子に侍するに三愆あり。言未だこれに及ばずして言ふ、これを躁と謂ふ。言これに及びて言はざる、これを隠と謂ふ。未だ顔色を見ずして言ふ、これを瞽と謂ふ。」

君子に侍して三種のあやまち。まだいうべきでないのに言うのは「がさつ(躁)」、言うべきなのに言わないのは「隠す」、君子の顔つきも見ないで話すのを「盲(瞽)」という。

  君子に侍する時の注意を述べる孔子、弟子を信ずることなかりしか

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八六  カルノ太子

カルノ太子は、伊予の温泉に流された。流された時の歌、
(あま)(と)ぶ 鳥も使ぞ         大空翔る鳥さえも 二人の使となりましょう
(たづ)(ね)の 聞えむ時は       鶴の鳴く音を聞いたらば
わが名問はさね          尋ねて下さい わたくしを

この三首(八四・八五・八六)は「天田振(あまだぶり)」である。

  天を飛ぶ鳥の鳴く音を聞く時は二人はここに居るとぞ思へ

2025年3月12日(水)

今、十一度だというが、寒い。

今日は、奈良東大寺二月堂のお水取りだという。春になるのだ。宇野浩二「枯木のある風景」は、画家の島木新吉と古泉圭造の敬愛と離反の小説だが、奈良に写生に出かける島木が、このお水取りの日に、それをほとんど意識しないことを書き、妙におもしろいのだ。

  ベランダを雨に飛ばない黒鶺鴒可愛く跳ぬる尻尾を振りて

  鶺鴒がベランダを右に左に跳ぬるやう冷たき雨が(み)を濡らしても

  この寒さを飛びだすときもありしかな(おほぞら)へちょっと散歩してくる

『論語』季氏五 孔子曰く、「益者三楽、損者三楽。礼楽を節せんことを楽しみ、人の善を道ふことを楽しみ、賢友多きを楽しむは、益なり。驕楽を楽しみ、佚遊を楽しみ、宴楽を楽しむは、損なり。」

  孔子曰ふ益者三楽、損者三楽。人間はさう截然と割り切れるものか

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八五 キナシノカルノ太子
また、
天飛(あまだ)む 軽嬢子          軽のおとめよ 人陰に
したたにも 寄り寝て通れ     隠れ忍んで行きなさい
軽嬢子ども            涙が人に知れぬ様に

  天飛む軽のをとめよ人陰に隠れ忍びて行きなさい涙を人に知られぬやうに

2025年3月11日(火)

東北大震災の日から14年。いまだ遺骸の不明な人が2520人ほどいるらしい。

雲っていて寒い、夕刻には雨が降るという。

  早咲きのさくらの白き花開くかすかに花の匂ひただよふ

  マンションのパティオの隅に四本の早咲きざくら満開のとき

  わづかながら香りただよふ早咲きの白きさくらのも花散らしをり

『論語』季氏四 「孔子曰く、益者三友、損者三友。直きを友とし、(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。便癖(べんぺき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり。」

まあ、そうではあろうが、友だちを差別してはいないか。

  直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とすこの三友は益なり

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八四 キナシノカルノ太子

それでアナホノ皇子は軍を解いて退いた。オホマヘコマヘノ宿禰は、カルノ太子を捕え、連れてきてアナホノ皇子のもとに参った。太子は捕えられて歌った。 
天飛(あまだ)む 軽の嬢子(をとめ)        軽のおとめよ そのように
(いた)泣かば 人知りぬべし     君が泣く声高いゆえ 二人の仲を人が知る
(は)(さ)の山の 鳩の        波佐の山の鳩の様に
下泣きに泣く          声を立てずに泣きなさい

  天飛む軽の嬢子よ甚く泣けばその声高く人知りぬべし