2025年3月10日(月)

朝は寒いが、気温は少し上がるようだ。

1945年のこの日未明、東京大空襲。死者およそ10万。記憶しておくべき日だ。

  カップを三つわが目の前の卓に置き麦茶に紅茶、水を容れたり

  麦茶はミネラル・水は薬・紅茶はクッキーそれぞれに遇はせ

  夜ぞ遅くトイレに通ふ老いわれが卓に用意する麦茶いただく

『論語』季氏三 孔子曰く、「禄の公室を去ること五世なり。政の大夫に(およ)ぶこと四世なり。故に(か)三桓(さんかん)の子孫は(び)なり。」

魯では爵禄を与える権力が公室を離れてから五代(宣公・成公・襄公・昭公・定公)になるし、政治が大夫の手に移ってから四代(季武子・悼子・平子・桓子)になる。だからあの三桓(孟孫・叔孫・季孫)の子孫も衰えた。

  政の大夫の手に移り四代を経れば三桓の子孫も衰ふ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八三 オオマヘコマヘノ宿禰

するとオホマヘコマヘノ宿禰は、手を挙げ、膝を打ち、舞楽して歌いつつ、皇子のもとにやってきた。その歌は、
宮人の 足結(あゆひ)の小鈴        宮人たちがわが門に 騒いでいるのは足結の
落ちにきと 宮人とよむ      鈴が落ちたと騒ぐのだ
里人もゆめ            近くの里の人どもも 決して騒ぐに及ばない

  足結の小鈴落ちたり宮人の騒げど里の人よ騒ぐな

2025年3月9日(日)

朝は寒いものの、きのうより八度上がるそうだ。きのうは、ほんとに寒かった。

北方謙三『風樹の剣』、日向流五部作の一冊目である。この一冊で充分楽しめた。祖

父・日向将監、父・日向森之助、そして日向景一郎の物語。将監が死に、父を殺す旅に出る景一郎、いったい何人を殺すのであろうか。こんなふうに殺さなければ、生きていかれない時代、日々もあったのだろうか。それにしてもせつない。

  このコップ何に見えるか答へよと父に問はれし幼きわれなり

  松の幹に縛りつけられし幼きわれに悪を見出でし父にあらむか

  わが友らの前に立ちつつこの軍刀振り下ろしたる父がありにき

『論語』季氏二 孔子曰く、「天下道あれば、則ち礼楽征伐、天子より出ず。天下道なければ、則ち礼楽征伐、諸侯より出づれば、蓋し十世にして失わざること希なし。大夫より出づれば、五世にして失わざること希なし。陪臣国命を執れば、三世にして失わざること希なし。天下道あれば、則ち庶人は議せず。

  天の下に道ある時は平民はまつりごとの批判せざりき

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八二 アナホノ皇子

アナホノ皇子はいよいよ軍兵を起こして、オホマヘヲマヘノ宿禰の家を囲んで、宿禰の門に至った時に、雹が盛んに降ってきた。それで歌った。
大前(おほまへ)小前(をまへ)宿禰が 金門(かなと)(かげ)      大前小前の宿禰らの 金門の陰に雨よけよ
かく寄り(こ)ね 雨立ちやめむ    雨もそのうちやむだろう

  大前小前の宿禰らの金門陰に雨よけよ雨もそのうちやむだらう

2025年3月8日(土)

薄曇りで、太陽は出ず、寒い。

  むすめが来て祖母(おほはは)の部屋を整ふるいくつものごみを平気で捨てる

  一応は整ひしかも母の部屋腰弱くなればベッドを入れる

  天気よき朝に燃やすごみを捨てにゆく母の部屋よりこぼるるごみを

『論語』季氏第十六 一 季氏、将に顓臾(せんゆ)を伐たんとす。(ぜん)(ゆう)・季路、孔子に(まみ)へて曰く、季氏、将に顓臾に事あらんとす。孔子曰く、「求(冉臾)よ、乃ち(なんじ)是れ過てること無からんや。夫れ顓臾は昔者先王以て東蒙の主と為し、且つ邦域の中に在り。是れ社稷の臣なり。何を以てか伐こと為さん。冉有曰く、「夫の氏これを欲す。吾れ二臣は皆欲せざるなり。孔子曰く、「求よ、周任に言あり曰く、力を陳べて列に就き、能はざれば止むと。危うくして持せず、顛って扶けずんば、則ち将た焉んぞ彼の相を用ひん。且つ爾の言は過てり。虎兕(こじ)(こう)より出で、(き)(ぎょく)(とく)中に毀るれば、是れ誰の過ちぞや。」冉有が曰く、「今夫れ顓臾は固くして費に近し。今取らずんば、後世必ず子孫の憂ひと為らん。」孔子曰く、「求よ、君子は夫のこれを欲すと曰ふを舎ひて必ずこれが辞を為すことを疾む。」丘や聞く、「国を有ち家を有つ者は寡なきを患へずして均しからざるを患へ、貧しきを患へずして安からざるを患ふと。蓋し均しければ貧しきこと無く、和すれば寡なきこと無く、安ければ傾くこと無し。夫れ是くの如し、故に遠人服せざれば則ち文徳を修めて以てこれを来たし、既にこれを来たせば則ちこれを安んず。今、由と求とは夫の子を相け、遠人服せざれども来たすこと能はず、邦分崩離析すれども守ること能はず、而して干戈を邦内に動かさんことを謀る。吾恐る、季孫の憂ひは顓有に在らずして蕭牆(しょうしょう)の内に在らんことを。」

  子路と冉有は季子を補佐する立場なれど季孫の心配ごと屏の内にあり

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八〇 八一 キナシカルノ太子
また、
(ささ)(ば)に 打つや(あられ)の         笹葉に霰が音立てて
たしだしに (ゐ)(ね)てむ後は      降って打つ様にしっかりと
(はか)ゆとも           抱き寝たあとは(ひと)(ごと)が 何とうるさくあろうとも
(うるはし)しと さ寝しさ寝てば       きみとほんとに寝たあとは
刈薦(かりごも)の 乱れば乱れ         (こころ)がたとひ刈薦と 乱れようともかまわない
さ寝しさ寝てば           ほんとにきみと寝た上は

これは「夷振(ひなぶり)上歌(あげうた)」である。

  愛すべき人と相寝て乱るればさ寝しさ寝てばきりもあらず

2025年3月7日(金)

ひさびさにいい天気だ。

  むすめが夜来てその祖母の部屋を整のふ紙ごみ捨てて

  重き数箇の燃やすゴミぶら提げゆく妻と吾れなり

  天気よく乾燥したるゴミの集積場ああこのときと吾は身構ふ

『論語』衞靈公四二 師冕見ゆ。階に及べり。孔子曰く、「階なり。」席に及べり。孔子曰く、「席なり。」皆坐す。孔子告げて曰く、「某は斯に在り、某は斯に在り。」師冕出づ。子帳問いて曰く、「師と言うの道か。」孔子曰く、「然り。固より師を相くるの道なり。」

楽師の冕=当時、楽師は盲人であった。だから階段とか席とか誰それ・誰それと丁寧に教える。そんな孔子の姿を見ていて、弟子の子張があれが楽師と接するときの作法でしょうかと確認した。楽師を介助するときの作法がこれである。

  楽師の冕、盲目なれば階段、席、観客などを丁寧に教ふべし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七九 キナシカルノ太子

天皇崩御の後、キナシノカルノ太子(允恭天皇の皇子)が皇位につくことに決していたのに、まだ即位に至らぬうちに、その同母(いろ)(も)のカルノ大郎女と通じて、歌をよんだ、
足引きの 山田を作り      山田作れば高いゆえ
山高み 下樋(したひ)(わし)せ       下樋渡して水をやる
下娉(したど)ひに わが娉ふ(いも)を     その下樋行く水の様に 隠れ通うたわが妻を
下泣きに わが泣く妻を     忍んで泣いたわが妻を
今日(こぞ)こそは 安く肌触(はだふ)れ     今日こそ肌に触れて抱く

これは「志良宜歌」である。

  あしびきの山田に通す下樋のようなるわが妻忍びたるかな

2025年3月6日(木)

小さな雨が降っていたが、やがて曇りに。

  ひよどりが低きところを飛ぶ時は高き空には鳶回遊す

  声出さず足下低く移りゆくひよどり一羽なにを怖れし

  ひよどりは今日は低きを移りゆく珍しき春の朝明けにして

『論語』衞靈公四一 孔子曰く、辞は達するのみ。

ことばとは、意味を伝えるのが第一だ。辞は達することが第一なり

  言葉とは意味あるを伝ふそれが第一

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七八 イザホワケノ命(履中天皇)

大坂峠の登り口まで来た時に、一人の女がお会いになった。その女が言うには、

「刀や弓矢を持った人々が、大勢この山をふさいでいます。当岐痲(たぎま)道から廻って超えるのがよいでしょう。

そこで天皇は、また歌って、
大坂に 遇ふや嬢子(をとめ)を        大坂峠にさしかかり
道問へば (ただ)には(の)らず       会うたおとめの言う道は
当岐(たぎ)(ま)(ぢ)を告る           近道でない当岐麻道

  大坂峠より大和に入るには遠けれど当麻道がよい軍勢あらず

2025年3月5日(水)

雪だといっていたが、おおかた雨。そして寒い。

鳩は嫌いだ。

  偉さうに中庭のどこかに鳩のこゑいづこか見えねど憎き鳩来る

  いづこからかまたいづこにか鳩数羽偉さうに鳴くマンションどこかに

  鳩が鳴くいづくかに鳴く分からねどたしかに二羽の相寄り合ひて

『論語』衞靈公四〇 孔子曰く、「道同じからざれば、相ひ為に謀らず。」

「志す道が同じでなければ、たがいに相談しあわない。

まあ、そうだね。

  志す道おなじからざれば相ひ謀ること決してなからむ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七七 イザホノワケノ命(履中天皇)

波邇賦坂に着いて、難波の皇居を望むと、皇居の焼けている火が、まだ赤々と見えている。そこで、また歌をよんだ。
波邇賦(はにふ)坂 わが立ち見れば      波邇賦の坂にわれ立ちて
かぎろひの 燃ゆる家群(いへむら)       見れば盛りと燃え上がる
妻が家のあたり           妻が家あるそのあたり

  波邇賦坂に立ちてわが見れば燃え盛る妻が家あるあたりなるかも

2025年3月4日(火)

午前中は雲って寒い。午後は雪かもしれない。

  公園には梅の木八本に白き花蓬けたりけり八本すべて

  公園に梅を見上げるわれならむ老いぼれていつまでも白き花みる

  蓬けたる白梅の香に溺れたし放恣なり淫靡なり惑溺したり

『論語』衞靈公三九 孔子曰く、「教へて類まし。」

教育による違いはあるが、生まれつきの類別はない。だれでも教育によって立派になる。

そうだといいのだが。

  孔子先生いささか楽観的に思はるる生まれつきの類別おこなはれたり

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七六 イザホワケノ命(履中天皇)

天皇はもと難波の宮に坐したのであるが、大嘗祭の酒宴に、たいへん酔ったようで、前後も知らず熟睡していた。この時、弟スミノエノナカツ王が、天皇を弑し奉ろうとして、皇居に火をつけた。

倭漢(やまとのあやの)(あたえ)の祖先に当たる(あ)(ち)(のあたえ)は、ひそかに天皇を連れだし、馬に乗せて大和に非難した。丹比(たじひ)(ぬ)に至ってはじめて、天皇は目ざめ、「ここはどこじゃ」と言った。「スミノエノナカツ王が、皇居に火をつけたのでございます。それで今、わたしめが陛下を連れ出し、大和へ逃げて行く途中です」と言った。天皇はそこで詠んだ。その歌は、
丹比(たじひ)(ぬ)に 寝むと知りせば      丹比野に 寝ると思えば
防薦(たつごも)も 持ちて来ましもの      薦屏風 持ち来るものを
寝むと知りせば           野に伏して 風の強さよ

  阿知の直に救ひだされしイザホワケノ命目覚むれば歌をうたひたまひき