太陽は、ずっとくもの中。
水仕事すればトイレに行きたくなる冷たき水は秋の水なり
秋の水、蛇口よりほとばしり皿、碗を洗ふ水流となる
蛇口よりほとばしり出る秋の水。冷たく思ふがそれもよきなり
『孟子』公孫丑章句下36-3 他日、王に見えて曰く、「王の都を為むる者、臣五人を知れり。其の罪を知る者は、惟孔距心のみ」と。王の為に之を誦す。王曰く、「此れ則ち寡人の罪なり」と。
他日、孟子は王に見え罪をしるは孔距心のみと言へば此れ私の罪である
藤島秀憲『山崎方代の百首』
亡き母よ侮る勿れ野毛市の夜のとどろきに歌一つなす 『方代』
『青じその花』で方代はこのように書いている。
私の歌のすべては学問の中から生まれてくるものではない。二十貫の力石をかつぎかついだこの中から生まれてくるものだ。
野毛市は横浜にあった闇市。混乱の中で、一首が生まれた。侮られるような生き方であることを自覚してはいるが、自分に今できることは歌を成すことのみ。
「亡き母よ」と母に呼び掛けているが、全ての人々に「侮る勿れ」と言いたい気分なのだ。
野の末に白き虹たつくれどきよ吾に憩いの片時もなし 『方代』
「白虹」と書いて「はっこう」という虹がある。太陽の光が霧に反射して出来るもの。とても深く、とても儚い虹である。
この歌が発表された昭和二十五年、歯科医師と結婚している姉・関くまの許に方代は落ち着き、放浪生活を終りにした。そして懸命に働いた。
戦後に初めて訪れた安定した生活だった。でも、方代は知っていたのだ。この暮らしが白い虹のように淡く儚いものであることを。片時の憩いでもないことを。