2025年5月10日(土)

朝から雨、やがて曇りに。

  手すりから海棠の樹に移りゆくすずめの平行移動愛らしきもの

  すずめの少しふくれた二羽止まる日のひかりに腹毛やはらかくして

  高きところへ飛びゆくものもあればまた地平を移るすずめもあらむ

  ゑんじゅの花咲き垂るるゑんじゅの花盛りなり穂状の白き

  槐のさみどり色の枝に垂れ白き穂状の花さかりなり

『論語』夏張一三 子夏曰く、「仕えて優なれば則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕ふ。」

  官につきて余力があれば学ぶべし学びてのち力があれば官につくべし

前川佐美雄『秀歌十二月』三月 和泉式部

つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来む物ならなくに (和泉式部歌集)

「つれづれ」は、独りつくづく思いつづけてながめてあるをいうのである。

恋い思う人を待ちこがれているうれわしき気持、それを空に託して歌いあげた。(略)やはり爛熟した王朝文化を身につけた、もっと複雑で高等な、あわれともかなしともいいようのない女ごころを歌っているのだ。萩原朔太郎はこれをもって千古の名吟とさえいったが、式部傑作中の傑作なのだ。(略)ともあれ式部は当代第一の女流歌人であり、前代の小野小町といえども遠く及ばない。嫌ひょっとすると当代多くのすぐれた男の歌人たちも式部にはかなわなかったのではないか。

その千五百首にのぼるおびただしい式部の集は、ことごとく恋の歌ばかりだといってもよい。しかも初恋の相手は定かでなくても、なおその詩情は彼女の生涯のいずれの歌にも付きまつわっていると見られる。この天才も晩年は不遇で、憂悶のうちに悲惨な生涯を閉じた。尼になろうとした時の歌をかかげておく。

かくばかり憂きを忍びて長らへばこれよりまさる物をこそ思へ

小野小町のものも和泉式部のものも立派な鑑賞に思えるが、どうも「女」が気になる。とてもジェンダー平等には思えないし、男女区分のあった時代とすれば、そうなのだが、眼川佐美雄にしてそうだったかと思うと、いささか残念である。

2025年5月9日(金)

朝から曇り、夕刻雨になるらしい。

草野心平に「るるる葬送 Accompanied by Chopin,s Funeral march」という詩がある。

  天に召されこの世には何も残さずに蛙のるるるおさらばるるる

  蛙のるるるはもうゐない。いづこにも見ず天に召されし

  るるるは死んでもうゐない。悔めども悩めどるるるはゐない

  日本沙漠の砂をふみ砂漠のくらい闇をふむるるるの葬送にしづかにすすむ

  かたむく天に鉤の月るるるは見えず天にまします

『論語』夏張一二 子游曰く、「子夏の門人小子、酒掃(さいそう)応対進退に当たりては則ち可なり。抑々(そもそも)末なり。これに(もと)づくれば則ち無し。これを如何。」子夏これを聞きて

曰く、「(ああ)、言游(子游)誤まてり。君子の道は孰れをか先にし伝え、孰れをか後にし倦まん。(こ)れを草木の区して以て別あるに譬ふ。君子の道は焉んぞ(し)うべけんや。始め有り卒り有る者は、其れ唯聖人か。」

  (ああ)、子游よ過ちてをり門弟はそれぞれに育つそれぞれに伸ばす

前川佐美雄『秀歌十二月』三月 小野小町

あはれなり我が身のはてや浅緑つひには野べの霞とおもへば (新古今集)

歌の意味からすれば、初句「あはれなり」は結句の「霞とおもへば」のあとにつづくものだが、それをあえて初句に持って来て、しかも切っている。女としては大胆だとも思われるけれど、これがこの歌をしてひとしおあわれぶかいものにしている。「野べの霞」は、死後火葬に付されて、その煙が野べの霞となるのであろうと、自分の身の果てを思い悲しんでいるのである。しかし火葬の煙など考えずに、歌の表にあらわれた意味だけの「野べの霞」と解しても十分にわかる歌だ。(略)この歌は「哀傷歌」として新古今集に入集しているけれど、新古今はむろん、古今集時代よりも前代の歌人で、また古今集時代よりは下るけれど、これも同じく前代の歌人である和泉式部とともに新古今集では客員としての取りあつかいを受けている。(略)ただ絶世の美女であったことと、きわめて気位の高い女であったことだけは確かな様だ。生涯夫を持たなかったのは、遂げられぬ恋、仁明天皇をひそかに想いつづけていたためであるという人もあるほどだ。

2025年5月8日(木)

一応晴れているが、いささか寒いのである。

  森林の木々にみどりのかすみつつあまやかなる香ぞ入りてゆくなり

  藪原に迷ひ入りにき。その場処を這ひ出しすまでの苦難ありたり

  山毛欅林に娘を肩にのせてゆくそしてさまよふ出口が見えず

『論語』子張一一 子夏曰く、「大徳は(のり)を踰えず。小徳は出入して可なり。」

大きい徳(孝や悌など)についてはきまりをふみ越えないように。小さい徳(日常の容貌やふるまい)については出入りがあっても宜しい。

  大徳は(のり)(こ)へず小徳は出入り可なりと子夏が言へり

前川佐美雄『秀歌十二月』三月 窪田空穂

覚めて見る一つの夢やさざれ水庭に流るる軒低き家 (歌集・さざれ水)

『さざれ水』は空穂の第十二歌集で、昭和九年の刊行である。(略)空穂はすでに六十歳近い。(略)時におりおり昔を思い、故郷に心をはせたりもする。この歌はそれが幻覚となってあらわれたので、「幻の水」と題する連作四首中の一首である。

ひらたくいえば白昼夢である。ひっそりとして物音ひとつしない真夏真昼、ふと幻が過ぎた。夢のように過ぎたのだ。それが「覚めて見る一つの夢」で、ありありと見えた郷里の家の庭の光景が「さざれ水庭に流るる軒低き家」なのである。この「一つの夢」はふと見た幻覚と、そうしてそれを惜しむ思いの両方をふくめている。

「覚めて見る」そうして「一つの夢や」と三句につづくことばづかいは空穂ひとりのもので、写生派などとはちがうようだ。(略)今日の歌人は、学者もともに万葉はわかっても古今、新古今は理解できないが、空穂は学者としても最高権威者、それがその歌をして独自の風をなさしめ、追従を許さない、一口にいえば郷愁の歌だが、それはさざれ水のようにたんたんと澄みとおっていて、その心境をしのばせる。

2025年5月7日(水)

晴れだ。連休もきのうで終わりだ。

  飲みはじめはたださらさらと半ばにはまだまだ行けるそしてへべれけ

  へべれけになればいつでもおもはざることに出っくはすとりかへしつかぬ

  飲めずなりて一杯二杯で酔うたれば情けなしやまいを老いを憎む

『論語』夏張一〇 子夏曰く、「君子、信ぜられて而して後に其の民を労す。未だ信ぜられざれば則ち以て己を(や)ましむと為す。信ぜられて而して後に(いさ)む。未だ信ぜられざれば則ち以て己を(そし)ると為す。

君子は人民に信用されてからはじめてその人民を使う、まだ信用さないのに使うと人民は自分たちを苦しめると思うものだ。また主君に信用されてからはじめて諫める、まだ信用されないのに諫めると主君は自分のことを悪く言うと思うものだ。

  信用ができなければ人民も主君もなべて仕へはしない

前川佐美雄『秀歌十二月』三月 窪田空穂

鉦鳴らし信濃の国を行きゆかばありしながらの母見るらむか (まひる野)

明治三十八年刊行の処女歌集『まひる野』に出ている。死別した母を思い出の形で歌った「母の死ねる頃を思ひて」と題する連作六首中の一首で、当時ひろく愛誦されていた歌である。(略)この「鉦鳴らし」はむろん巡礼の鉦である。巡礼になって信濃の国をたずね歩いたならば、生前の母にまみえることができるかもしれぬと、ひとすじになき母を追慕する。その感情は清純で、若々しい気分にみちみちている。(略)いうならば自分のかわりに歌ってくれたような気がする。この歌はそういうよき意味の大衆性を持っている。同じ連作中の、

生きてわれ聴かむ響かみ棺を深くをさめて土落とす時

われや母のまな子なりしと思ふにぞ倦みし生命も甦り来る

などはややおもむきを異にしてリアリズムの精神が感じられ、後の空穂歌風の根源を思いしのばせるが、「鉦鳴らし」の歌はなおロマンチシズムが濃厚で、新詩社「明星」の作風とやや共通するところがある。(略)新詩社中の詠み手とうたわれたが、一年ほどで退社している。(略)それから次第に空穂独自の歌風がはじまる。

雲よむかし初めてここの野に立ちて草刈り人にかくも照りしか

これは『まひる野』の中でもいちばん美しい歌だ(略)翌年、水野葉舟と合著で刊行した第二歌集『明暗』には次のような秀歌がある。

我が涙そそぎし家に知らぬ人住みてさざめく春の夜来れば

都会生活者として、借家を移り変りしていたのだろう。思い深い歌で、初期の空穂の歌のなかではこれを第一番とする。人生のすがた、その真実感、人間生活の悲しみがしみじみと嘆くがごとく胸にしみこんでくる。このころから空穂の歌はだんだん自然主義文学の方向をたどり人生派風になってゆく。

2025年5月6日(火) 

今日はずうっと雨らしい。夜には止むか。

悪性リンパ腫三回目

  悲しみはわれにもあらむ病みてなほ快癒せざりきと医師は言ふなる

  老耄(もうろく)(やまひ)も加はり体調がわづかに良き日はそれまでのこと

  七十歳を前に快癒のみこみなし後はただただ足を動かす

『論語』子張九 子張曰く、「君子に三変あり。これを望めば(げん)(ぜん)たり、これに即けば温なり、其の言を聴けば(はげ)し。」

君子には三種の変化がある。離れて見るとおごそかで、そばによるとおだやかで、そのことばを聞くときびしい。

  君子には三種の変化があると言ふ儼然として温でありその言聴けば厲しかりけり

前川佐美雄『秀歌十二月』三月 中臣宅守

(ちり)(ひぢ)の数にもあらぬわれ故に思ひ侘ぶらむ妹が悲しさ (万葉集巻十五・三七二七)

塵泥の身、数ならぬ身などの言葉は今日のわれわれにも親しく感じられるが、それがここにある。「侘ぶらむ」は気力を失いうちしずんでいるだろうの意。自分のためにこのようなつらい思いをさせるのがすまない、という歎き歌だが、なにかよわよわしい感じがする。娘子の「焼き亡ぼさむ」の歌の情熱的なのにくらべて、これはひどくうちしおれていてあわれである。(略)しかし心身ともうちくじけてしまうと、こういう口つきにもなるのであろうかかえって同情したくもなる。感情が一時代前よりほそくこまかく、しなやかになっていて、万葉末期の特色が感じられる。なお宅守には次のような秀歌がある。

あかねさす昼は物思ひぬばたまの夜はすがらにねのみし泣かゆ (同・三七三二)

これに対して娘子は歌った。

吾が夫子(せこ)が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな (同・三七七四)

この「命残さむ」がたとえようもなくよい。そうして「忘れたまふな」である。やさしき心づかいのあたたかな言葉だ。「焼き亡ぼさむ」の歌とはまったく趣を異にするけれど、娘子の歌ではこれがもっともよいともいえる。

2025年5月5日(月)

今日も天気よし。端午の節供だ。

  けふこそは五日のあやめに過したしこの何年かは六日のあやめ

  季節に遅れず湯を彩れるあやめ草するどき匂ひ吸ひ込み吸ひ込む

  あやめ草の香りする湯に深く沈むわれまたあやめのするどき匂ひ

『論語』子張八 子夏曰く、「小人の過つや、必ず文る。」

  子夏がいふ小人はあやまつときは必ず飾る

前川佐美雄『秀歌十二月』三月 (さ)(ぬの)茅上娘子(ちがみのをとめ)

君が行く道の長路(ながて)を繰り畳ね焼き亡ぼさむ(あめ)の火もがも (万葉集巻十五・三七二四)

巻十五の終わり三分の一は「宅守相聞」といわれる贈答歌が占める。その目録の詞書には、「中臣朝臣宅守の、蔵部の女嬬狭野茅上娘子を娶きし時に、勅して流罪に断じて、越前国に配しき。ここに夫婦の別れ易く会ひ難きを相歎き、各々慟む情を陳べて贈答する歌六十三首」とあり、男四十首、女二十三首を載せている。(略)

くわしいことはわからない。

この歌は宅守が越前に流されてゆくに際して娘子の詠んだ歌の第二首目である。一首目は、

あしびきの山路越えむとする君を心に持ちて安けくもなし (同・三七二三)

と、その大和から近江を経て、山越えに北国へ行く宅守の身を心配している。「君を心に持ちて」など、可憐な女心をよく歌い、まかなかの佳作だけれど、やや独立性を欠くようだ。全体の序歌みたいな役を負い、なお詞書に支えらえているとみられる。

それよりもやはり一般的に人気のあるのは二首目の歌だ。「あなたのお行きになる遠い長い道を手繰りたたんで焼き亡ぼしてしまう天火があればよい」というので、「そうしたらあなたを引き戻せるだろう」の意をそれとなく裏にひそめている。「畳ねは「たたみ」で「たたむ」こと。「天の火」は文字通り「天火」。(略)天の火は原始人でさえいちばん恐れた火であるから、その恐ろしい火をいうのはこの場合ごく自然なのだ。(略)この歌の底には怒りがこもっている。どうにもならないという怒り、それが爆発したのではなく、それを文学的に比喩の形を借りてこのように処理したので、どことなく理知的な感じがする。「焼き亡ぼさむ天の火もがも」などはじつによい句で、万葉集女流歌人のなかでやはりきわだってすぐれた歌である。

2025年5月4日(日)

よい天気だ。連休中

『昭和の名短編 戦前篇』荒川洋治編。昭和前期の短編小説十三篇があつめられている。どれもおもしろいものだから、またたくまに読み終えてしまった。書きたいことはいくらもあるが、今は胸の内にたいせつにその読後感のいろいろを温めておきたい。ひとつだけ書いておけば、最後の織田作之助「木の都」の「口縄坂」であろうか。「つまり第二の青春の町であった京都の吉田が第一の青春の町へ移って来て重なり合ったことになるわけだと、この二重写しで写された遠いかずかずの青春にいま濡れる想いで、雨の口縄坂を降りて行った。」しかしその坂を降りることはもうない。

  蒼古たる風合のあるけやき樹の葉の繁り天を覆ふがに広く

  人が来て燥ぐときあり仏壇に蠟燭灯ししづけさ破り

  遠く見る小田急線のすれ違ふ上り各駅下り急行

  仏壇は父の存念で神棚にわが家いつから神州清潔の民

『論語』子帳七 子夏曰く、「百工、(し)に居て以て其の事を成す。君子、学びて以て其の道を致す。」

  子夏がいふ職人は肆にいて仕事なす君子こそ学びてその道をきはめん

前川佐美雄『秀歌十二月』 野中川原史麿

(もと)ごとに花は咲けども何とかも(うつく)(いも)(また)咲き(で)こぬ (同・一一四)

これはその二首目の歌だが、前の歌の下には「其二」と記載されてある。つまり二首連作で、二歌は分離すべきではないことをあらわしている。初句「幹ごとに」は    木が略されている。木の幹ごとにということであり、四句の「愛し妹が」の「愛し」はかわいい、愛らしいとnorinいう形容詞。(略)木の幹ごとに花は咲いているが、どうしてあのかわいい妻がもう一度かえってきてくれないのだろうか、と花咲く木をみて悲しみ訴えている。この「幹ごとに花は咲けども」は三句以下の序詞になっているけれど、結句の「復咲き出こぬ」とともにじつに素朴な口つきの語である。とつとつとして稚拙かと思うほどだが、その「愛し妹」の美しさを何とものやわらかく、ういういしくいいえたものかなと、その感じ方、そのいいあらわしように私はかぶとをぬぐのだ。みごとな客観描写である。小手先でなく、全身で感じとっている。よごれなき心だけが感じとることのできる真実がみられる。叙情詩としての本格的なもので、人麿に先行している。むろんこれと同時代ごろの歌は万葉集にも少しはいれられてあるが、それらの秀歌にくらべて遜色はみない。歌は古い時代のものの方がよい。