12月29日(月)

よく晴れている。

  男の絵を画くことなし。北澤映月の筆は華麗に女を描く

  するどき眼、黄色い眼をしたきつね顔、さくらの花に蠱惑の舞妓

『孟子』縢文公章句60-3 世衰へ道微にして、邪説暴行(また)(おこ)る。臣にして其の君を弑する者之有り。子にして其の父を弑する者之有り。孔子懼れて春秋を作る。春秋は天子の事なり。是の故に孔子曰く、『我を知る者は、其れ惟春秋か。我を罪する者も、其れ惟春秋か』と。

  孔子いふ我を知るものは『春秋』なり我を罪するも『春秋』のみ

川本千栄『土屋文明の百首』

争ひて有り経し妻よ吾よりはいくらか先に死ぬこともあらむ 『山谷集』

<喧嘩ばかりしてきた妻よ、私よりはいくらか先に死ぬこともあるだろう。>

前歌と同じ連作「八月十六日」の最後の一首。妻テル子に対しても、遠慮の無い筆致で日常の家庭における姿を描き、夫婦喧嘩も多く描いてきた。人の死、自分の死についてを思いを巡らせて最後は、共に生きてきた妻もいつか死ぬだろう、妻が先かもしれないと思う。どちらかの死の時点まで続く夫婦という関係は、愛憎に関わる感情語で簡単に表現することはできない。いつか来る別れを様々に思う自分を描写するしかないのだ。

身ひとつを専ら安くと願へるは吾が何時よりのことにかあらむ 『山谷集』

<自分の身ひとつだけをひたすら安全に、と願うようになったのは、いつからのことなのだろうか。>

「専ら」は「もはら(もっぱら)」。「ひたすら」の意味。利己的に保身だけを願う心理を描いている。自分の弱い面をさらけ出した、ある意味勇気ある告白だ。この他にも「人よりも忍ぶをただに頼みとすわが生ぞさびし子と歩みつつ」等、身を守るために耐え忍んで生きる、という歌を幾つも作っている。自ら強いた不本意な生き方だった。日本が長い戦争へとなだれこんでいく時代の空気を既に強く実感していたのだろう。

12月28日(日)

曇り。寒い。

  「祇園会」の芸妓と舞妓とを描き分けその手それぞれに美しきもの

  圧巻は「女人卍」。淀君を中心にして阿国・ガラシャに一葉・千代女

  描きしはジェンダー論を観るごとしそれぞれに凛とした美しさある

『孟子』縢文公章句60-2 堯舜既に没し、聖人の道衰ふ。暴君(かはるがは)(おこ)り、宮室を(やぶ)りて以て汙地(をち)と為し、民安息する所無し。(でん)を棄てて以て園囿(ゑんいう)と為し、民をして衣食するを得ざらしむ。邪説暴行又作る。園囿・汙地・沛沢(はいたく)多くして、禽獣至る。紂の身に及んで、天下又大いに乱る。周公、武王を(たす)けて、紂を誅し、(えん)を伐ち、三年其の君を(たう)ず。(ひ)(れん)(かい)(ぐう)に駆りて、之を戮す。国を滅ぼす者五十。虎・豹・犀・象を駆りて、之を遠ざく。天下大いに悦ぶ。書に曰く、『(おほ)いに(あきら)かなるかな文王の(はかりごと)。丕いに(つ)げるかな武王の(いさをし)。我が後人を佑啓(いうけい)して、(みな)正を以て欠くること無からしむ』と。

  文王の謀、武王の烈咸正を以て欠くることなく正を行なふ

川本千栄『土屋文明の百首』

無産主義に吾はあらねど草山はゴルフリンクに遮断されたり 『山谷集』

<私は無産主義ではないけれど草山はゴルフリンクに遮断されている。(それを見るのは嫌な気分である。)>

昭和五年「六甲山」より。昭和四年の世界恐慌の影響から日本に昭和恐慌が起こり、庶民の生活は脅かされていた。同じこの頃のゴルフは、日本における歴史がまだ浅く、まさにほんの一握りの裕福な人々の遊びだった。そんな一部の金持ちのために山がゴルフ場に遮断され、自分のような貧しい者は自然を楽しむこともできない。無産階級の主義を支持するわけではないがと断りながら、富裕層への不快感を歌にしている。

ふるさとの盆も今夜はすみぬらむあはれ様々に人は過ぎにし 『山谷集』

<ふるさとの盆の行事も今夜には終わってしまったのだろう。あわれなことであるが、様々に人は生き、死んでいった。>

昭和五年「八月十六日」より。この連作では、明け方に目覚めて人の生死について思いを巡らせる様子が描かれている。今夜は盆であったが、今年も帰省しなかった。この二、三年、肉親の祖母や父だけでなく、同級生だった芥川龍之介や先輩歌人古泉千樫など、何人もの知人が亡くなっている。故郷の人も様々な死に方をした。いつか来る自分の死へも、思いは至ったのだろう。

12月27日(土)

晴れた。

柚木麻子『BUTTER』を読む。なかなか手強い小説であった。週刊誌記者・町田理佳と男たちを殺害した罪で逮捕・収監された梶井真奈子との対峙、つまり二人の面会と会話を中心にした小説かノンフィクションか。随所に西洋料理に関するレシピが出ていて、どれもバターをたくさん使う。胸焼けしそうな気分になってくるが、まあ面白い。炊きたて飯に大量のバター、少しの醤油は、いかにも旨そうだが、それ以外はなんとも諄そうで辟易だ。最後の場面は、七面鳥を料理する話だが、ちょっと共に食べたくなる明るさがある。

  おほかたは女性の絵なり。表情が(よはひ)重なるごとに細る

  絵の女の若きは顔の(まる)くして、やがて伸びゆく大人びてゆく

  「二面像」は、仏像のごとく手を開き光と影の顔二つもつ

『孟子』縢文公章句60 公都子曰く、「外人皆夫子 弁を好むと称す。敢て問ふ、何ぞや」と。孟子曰く、「(われ)豈弁を好まんや。予已むを得ざればなり。天下の生は久し。一治一乱す。堯の時に当り、水逆行し、中国に氾濫す。蛇龍之に居り、民定まる所無し、下なる者は巣を(つく)り、上なる者は営窟(えいくつ)を為る。書に曰く、『(かう)(ずゐ)余を(いまし)む』と。洚水とは洪水なり。禹をして之を治めしむ。禹 地を掘りて之を海に注ぎ、蛇龍を駆りて之を(しょ)に放つ。水地中由く行く。江・淮・河・漢、是なり。険阻既に遠ざかり、鳥獣の人を害する者消ゆ。然る後、人平土を得て之に居り。

  孟子が言ふ決して議論好きではないのだが今の時勢では仕方なし

川本千栄『土屋文明の百首』

幼かりし吾によく似て泣き虫の吾が児の泣くは見るにいまいまし 『山谷集』

<幼かった私によく似て泣き虫であるわが児が泣くのは、見るたびにいまいましい。>

文明には一男三女がいるが、この子は「自分に似て泣き虫で腹が立つ」というので長男の夏実であると思われる。亡くなった父にも、泣いている子にも、血が繋がっているからこそ、自分とよく似た、見たくない面がある。肉親だからこそ嫌なのだ。結句は、自分の子に対して「見るにいまいまし」とはっきり言葉にして言い切っている。八音でそれほどの字余りではないが、圧迫感があり、強く長い句に感じられる。

代々木野を朝ふむ騎兵の列みれば戦争といふは涙ぐましき 『山谷集』

<代々木野を朝に踏んで訓練している騎兵の列を見れば、戦争というのは涙ぐましいものだ。>

東京都渋谷区にあった代々木練兵場が舞台。歌の背後に万葉集巻一「たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野」があると「アララギ」の宮地伸一が指摘している。この時期には、歌人は戦争を称揚すべきとの意見もあり、結句は弱弱しいとか反軍国的などと取られた。しかし文明の視線は、単に日本の不安定な未来を予感するだけではなく、死を前提にしながらも戦争をやめない。人間が本来持つ哀しさを見つめている。

12月26日(金)

晴れてたかな。

  相模川下流域には(くさ)(むら)が小さき島なす。その(あひ)に川

  湘南銀河大橋てふ大仰なる名の橋渡り北澤映月の絵を観むとして

  松園に麦僊に師事する映月の絵の美しさなかなかなりき

『孟子』縢文公章句下58 公孫丑問うて曰く、「諸侯を見ざるは、何の義ぞや」と。孟子曰く、「古は臣為らざれば見ず。(だん)(かん)(ぼく)は垣を踰えて之を辟け、(せつ)(りう)は門を閉ぢて(い)れず。是れ皆已甚(みなはなは)し。迫らば斯に以て見る可し。陽貨、孔子を見んと欲して、礼なしとせらるるを(にく)む。大夫、士に賜ふこと有るに、其の家に受くること得ざれば、則ち往きて其の門に拝す。陽貨、孔子の亡きを(うかが)ひて、孔子に(じよう)(とん)(おく)る。孔子も亦其の亡きを(うかが)ひて、往きて之を拝せり。是の時に当り、陽貨先んぜり。豈見ざるを得んや。曾子曰く、『肩を(そびや)かし(へつら)ひ笑ふは、(か)(けい)よりも(つか)る』と。子路曰く、『未だ同じからずして言ふ。其の色を観るに、赧赧(たんたん)(ぜん)たり。(いう)の知る所に非ざるなり』と。是に由りて之を観れば、則ち君子の養ふ所、知る可きのみ」と。

  君子の養ふところは浩然の気なることおのづからわかる

川本千栄『土屋文明の百首』

春すぎてゆくと云ふことも思はざりき桜のこれる今日は遇ひける 『往還集』

<もう春が過ぎて終ってしまうのだということすら意識していなかった。まだ散らずに残っていた桜に今日は偶然出会ったのだ。>

忙しい毎日、疲労感を感じながら過ごしている。季節の移り変わりに鈍感になっていたが、今日まだ咲いていた桜に出会い、春の終りを強く感じた。散り残る桜だからこその美しさだろう。韻律は、五・八・六・八・七と、定型をはみ出している。初句と結句で整えてはいるが、二句から四句のぼんやりと緩い韻律に、日常生活に疲労した心境が滲む。

しかすがに草野の中をゆく水をこひ思ひつつ眠る今夜も 『往還集』

<そうはいうものの、草野の中を流れて行く水を、恋い求めるように思いつつ眠るのだ、今夜も。>

「しかすがに」は「そうはいうものの、そうではあるが」という意味の歌ことば。「こひ」は、慕う「恋ひ」と求める「乞ひ」の両方の意味を掛けている。

昭和四年「日常吟(三)より。この連作では日常生活の細かい場面と、思い通りに行かないできごとにいらいらする様子が描かれている。そんな日々でも、寝るときには、草原をゆく水のような、遠く澄んだものを恋う。疲労と寂しさの中に一抹の清涼感が感じられる。

12月25日(木)

何だっただろう。

  おほかたは信じざれども朝起くれば枕の横にプレゼントあり

  少年の願ひを聞きてそのとほりプレゼント届く貧窮の家にも

  鶏の足に喰らひつくなりクリスマスソングを聞きつつ

『孟子』縢文公章句下57 孟子 (たい)不勝に謂ひて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫(たいふ)有らんに、其の子の斉語せんことを欲すれば、則ち斉人をして(これ)(ふ)たらしめんか。楚人をして緒に傅たらしめんか」と。曰く、「斉人をして之に傅たらしめん」と。曰く、「一斉(いつせい)人之に傅たるも、衆楚人之を(きう)せば、日に(むちう)ちて其の斉たることを求むと雖も得可からず。引いて之を荘・岳の間に置くこと数年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦得可からず。子、(せつ)居州(きよしう)を善子と謂ひ、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼(ひ)(そん)、皆薛居州ならば、王は誰と与にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と与にか善を為さん。一薛居州、独り宋王を如何せん」と。

  薛居州たつだ一人の力では何ともしがたし宋王のこと

川本千栄『土屋文明の百首』

死病ならば金をかくるも勿体なしと父の云ふことも道理と思ふ 『往還集』

<どうせ死ぬ病気なら治療する金がもったいない、と父の言うことも道理にかなっていると思う。>

文明の父は事業に失敗し、故郷の家と田畑を売り払って上京。米屋を営んでいたが、震災に遭い、バラック住まいだった。病気が見つかり急いで文明を呼ぶが、話題は金を惜しむことだ。自分の父ならそう言いそうだし、確かにもったいないと文明も思う。治療して少しでも長生きをと望むようでもない。肉親と自分を、非情な突き放した視線で描いた一首。文明は父への複雑な愛憎を多くの歌にしたが、父に似た自分にも苛立っている。

かはるがはる幼き二人おぶひつつ登る峠に夏雲雀なく 『往還集』

<幼い二人の子供を代わる代わる負ぶってやりながら、峠に登った。峠には夏雲雀が揚がり鳴いている。>

昭和三年「伊香保榛名」より。故郷に近い榛名山麓の温泉地、伊香保への旅の一場面。この時期には、東京に妻子を呼び寄せ一緒に暮らし始めており、次女と三女も生まれていた。この歌の二人は当時六歳と四歳の長男長女だ。幼くてすぐに疲れたり歩くのに飽きたりするので、おんぶしてやる。子煩悩な面が素直に出ている明るい歌だ。

緑の夏山に、高く揚がる雲雀の声が響く。大きな自然の中での、親子の楽しいひとときだ。

12月24日(水)

またまた寝坊、雨だ。雨だ。寒い。

  大学の同級生の死の知らせしかも彼女は自裁と告ぐる

  その夫の連絡先を知りたれど勇気なしその死を問ふこと

  理由あれどせめてもの思いはあの世こそ明るかるらむ

『孟子』縢文公章句下56-3 臣たるを(おも)はざる(ところ)有り。東征して(そ)の士女を(やす)んず。(そ)玄黄(げんくわう)(はこ)にし、我が周王に(せう)して休を見、惟れ大邑(たいいふ)周に(しん)(ぷ)す。其の君子は玄黄を匪に(み)てて、以て其の君子を迎へ、其の小人は簞食壺漿(たんこしやう)して、以て其の小人を迎ふ。民を水火の中より救ひ、其の残を取るのみ。大誓に曰く、『我が武(こ)れ揚がり、之が(さかひ)を侵す。則ち残を取り、殺伐用て張る。湯に(おい)て光在り』と。王政を行はずして(しか)云ふ。苟も王政を行はば、四海の内、皆首を挙げて之を望み、以て君と為さんことを欲せん。斉・楚大なりと雖も、何ぞ畏れん」と。

  湯・武のごとく王政を行なへば皆君を仰ぎ主君と見なす

川本千栄『土屋文明の百首』

ただひとり吾より貧しき友なりき金のことにて交絶てり 『往還集』

〈その人は、友達の中でただ一人、私より貧しいひとであった。金のことが原因で絶交したのだった。〉

人間心理の襞を仮借なく描き出すこの歌には、自然主義文学の影響が感じられる。特に金銭が絡む醜さの赤裸々な表現は、それまでの短歌にあまり例がない。文明短歌の特徴の一つであろう。この次の歌「吾がもてる貧しきものの卑しさを是の人に見て堪えがたかりき」も同時に味わいたい。自分の持っているのと同じ嫌な面をその人が持っていて、それを見せられのが耐えられなかった、と鋭く心理に切り込んでいる。

合歓の花の彼方の海に入らむ日や汽車とまり処に汽車とどまれり 『往還集』

<合歓の花が咲き連なり、その彼方に海が見える。その海に今、沈もうとしている日よ。駅には乗って来た汽車が停車している。>

前方には静かな海に沈む日、後方の駅には停車している汽車。大自然と近代的な汽車を合わせて歌う。「日や」と上句で感動を強調、背景になる下句では、「駅」を「汽車とまり処」と表現し、ほぼ同じ音の繰り返しで韻律を整える。目に浮かぶ景色も耳に響く調べも美しい。大正十五年「谷浜にて」より。当時、新潟県の谷浜を通る旧北陸本線は、今より海岸線近くを走っていた。

12月23日(火)

ちょっと寝坊。晴れ。

  あけぼの杉の茶褐色の葉散り落ちてさう遠からず裸木になる

  裸になる冬のあけぼの杉を愛す日暮れも朝もひかり浴びつつ

  冬の木のあけぼの杉を仰ぎをりなにも纏はぬ幹と枝のみ

『孟子』縢文公章句下56-2 湯始めて征する、(かつ)自り(はじ)む。十一征して天下に敵無し。東面して征すれば、西(せい)(い)怨み、南面して征すれば、北狄(ほくてき)怨む。曰く、『(なん)(す)れぞ我を後にする』と。民の之を望むこと、大旱(たいかん)の雨を望むが如きなり。市に(おもむ)く者止まらず。(くさぎ)る者変ぜず。其の君を誅し、其の民を弔ふ。時雨の降るが如し。民大いに悦ぶ。書に曰く、『我が(きみ)(ま)つ。后来らば其れ罰無からん』と。

  湯王の悦ばるること嬉しくて民は望めりその善政を

川本千栄『土屋文明の百首』

休暇となり帰らずに居る下宿部屋思はぬところに夕影のさす 『往還集』

<休暇となったが妻子の待つ家に帰省せず、一人暮らしの下宿部屋で過ごしている。夕方になると、部屋の思わぬところに思わぬ角度で光(=影)が射してくる。>

長野時代、文明は短歌よりも教育の仕事に打ち込んだ。しかし方針を認められず、不本意な転勤をきっかけに退職し、怒りと失望を感じていた。その後、関東大震災後の東京で大学予科の講師をしながら、一時期妻子と離れて暮らした。普段は働いている時刻、休日で家にいるので、いつもはきづかなかった夕影に気づく。細かい心の動きを描き、都市生活者の孤独と物憂い気分を歌う。

出勤時の舗道(いししきみち)に落ち散りて人はみざらむ百合の樹の花 『往還集』

<百合の樹の高い所に花が咲いている。人々が出勤時に行き交う、舗装された街路にその花が落ちて散っているが、人は見ようともしないだろう。>

関東大震災は未曽有の災害であったが、それをきっかけに、街全体が急速に近代都市東京へと生まれ変わっていった。道路の舗装が最も進んだのもこの時期だ。初夏の都会の舗装路を人々は道に落ちた花などには目もくれずに歩いて行く。大都市の無機質な舗装路と、そこに散る花との対比が強調されている。