2025年2月24日(月)

晴れてるが、寒い。

  後朝に分かれてつらき楕円の月この道さびしき女との別離

  女との別れに浮かぶ朝の月あかるきひかりはよりあはれなり

  木の藪に隠れ行きにし(みやこ)までなげきばかりに涙せりけり

『論語』衞靈公三一 孔子曰く、吾れ(かつ)て終日食らはず、終夜寝ねず、以て思ふ。益なし。学ぶに如かざるなり。」

前に一日中食事もせず、一晩中寝ないで考えたことがあるが、むだであった。学ことには及ばない。

  終日食はず終日い寝ず考える無駄なり学ぶことには及ばざるかも

『古事記歌謡』蓮田善明訳 六八 メドリノ王

仁徳天皇が67の歌のように尋ねると、メドリノ王は答えて歌った。

(たか)(ゆ)くや (はや)(ぶさ)(わけ)の     空高く飛ぶ隼の
御襲料(みおすひがね)           (みこ)(かつぎ)(きぬ)を織る

これによって、天皇はメドリノ王の心をさとられて、還幸になった。

  空高く飛ぶ隼の王が着る被の帛織るしかく愛せる

2025年2月23日(日)

晴れてる。寒い。

今日も俳句

  夜深くペットボトルに茶を喫す

  これの世とあの世のさかひに椿咲く

  濃きさみどり色濃き花の椿なり

  カフェ・ラテをストローに飲む今宵かな

『論語』衞靈公三〇 孔子曰く、「過ちて改めざる、是れを過ちと謂ふ。」

過ちをしても改めない、これを本当の過ちという。

まあ、そうだよな。

  過ちても改めざればそれこそを真の過ちといふ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 六七 仁徳天皇

天皇は弟のハヤブサワケノ王を仲に立てて、異母妹のメドリノ王を望んだところが、メドリノ王は使者のハヤブサワノ王に、「皇后様の嫉妬が強いので、ヤタノ若郎女も、思い通りに召すこともできないのでしょう。ですから、わたしは仕えたくありません。あなたの后にとわたしは思っています。」

こう語って、すぐに婚姻になってしまった。そこで、ハヤブサワケノ王は、それきり天皇に返事することができなかった。

天皇は、今度は直接にメドリノ王のいる所に行き、その殿の戸の閾に立つと、メドリノ王は、機に上がって衣を織っていられた。天皇は歌で、 

(め)(どり)の わが(おほきみ)の       女鳥の王の織る機は
(お)ろす機 誰が(たね)ろかも     誰に着せよと織る機か

  女鳥のわが王の織る機はいったい誰に着せむために織る

2025年2月21日(金)

晴天なれど、寒いのです。

  上空の高きところに残りの月楕円形して明るきかがやき

  後朝の月にやあらむ西空に明るき楕円のひかりかがやく

  この空にかがやく今朝の残りの月楕円型なれど妙に明るし

『論語』衞靈公二八 孔子曰く、「衆これを悪むもの必ず察し、衆これを好むもの必ず察す。

大勢が憎むときも必ず調べてみるし、大勢が好むときみ必ず調べてみる。(盲従はしない。)

  憎むときも好めるときも察すべし盲従するなく必ず調ぶ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 六五 仁徳天皇

天皇が、ヤタノ若郎女を慕って、贈った歌、

八田(やた)の 一本(ひともと)(すげ)は        八田の小菅はただひとり
子持たず 立ちか荒れなむ    子もなく栄える時もなく
あたら菅原(すがはら)           立枯か闌れか惜しいもの
(こと)をこそ 菅原と言はめ     口でこそ言う 菅原と
あたら(すが)(め)          心はいとしい清し女よ

  八田の乙女は子を持たず栄えることなし心のみ愛し

2025年2月20日(木)

今日も朝から晴れているが、寒い、寒い。

  曇り空には薄き雲その雲透けて冬の日がさす

  やがては雲の透き間に出でてくる日のほのぼのと翳りゆくなり

  カップに湛へその紅茶飲むわれイギリス流の紳士ならむか

『論語』衞靈公二七 孔子曰く、「巧言は徳を乱る。小、忍びざれば、則ち大謀を乱る。」

ことば上手は徳を害する。小さいことにがまんしないと大計画を害する。

  巧言は徳を害し小さいことを忍びざれば大謀を害す

『古事記歌謡』蓮田善明訳 六四 仁徳天皇

そこで天皇は、皇后のいる入口に立って、歌った。

つぎねふ 山城女の      山城女が小鍬持ち
小鍬持ち 打ちし大根の    掘れば大根の葉がさやぐ
さわさわに 汝が言へこそ   さわさわざわざわ君がまた
うち渡す (や)(は)えなす    嫉妬騒ぎにこのように
来入り(まゐ)(く)れ         人をぞろぞろ連れてきた

右の、天皇と皇后との歌った六首は「志都歌の返し歌」という楽名の歌である。

  大根の葉のさわさわとさやぐやうに騒ぎおこせば人ぞろぞろ来

2025年2月19日(水)

寒い、寒いが、晴れ。

梅崎春生『十一郎会事件 梅崎春生ミステリ短編集』を読む。基本的に戦争から帰ってきた者が中心になるミステリというか不気味な物語が続き、息をもつげぬおもしろさがある。その技巧的な文体がうれしい。梅崎春生も復員兵であった。

  恋闕はあはれを誘ふ京三条高山彦九郎宮城に向かふ

  いつのまにか伴林光平に化身して『南山踏雲録』書きてゐしなり

  南山を越えむとしたる天誅組維新のさきがけかなしきものぞ

『論語』衞靈公二六 孔子曰く、「吾は猶ほ史の文を闕き、馬ある者は人に借してこれに乗らしむるに及べり。今は則ち亡きかな。」

記録者が慎重で疑わしいことは書かずにあけておき、馬を持つ者が人に貸して乗せてやるというのが、まだわたしの若いころにはあった。今ではもうなくなってしまった。

一種の懐旧譚だろうか。

  昔は馬あるものはそれを貸し記録に収めず今はなかりし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 六三 クチヒメ

クチコノ臣が、(六二)の歌を申し上げるその折は、大雨であった。その雨も避けず殿前に平伏すると、皇后は裏戸の方に出て、後に廻れば出てくるのであった。匍い廻って、庭の中にひざまずいている時に、庭の水溜りが腰までも深く、クチコノ臣は赤い紐をつけた青摺の衣服を着けていたので、その水溜りの水が赤紐に触れて、青色もみな赤く染まってしまった。クチコノ臣の妹のクチヒメは皇后にお仕えしていたが、これを見て歌う、

山城の 綴喜(つつき)の宮に        皇后さまに申し上げます
もの申す あが(せ)の君は      わたしの兄の有様は
涙ぐましも            涙なしでは見れませぬ

  クチノコノ命はわが兄その有様涙なしには見ることできず

2025年2月18日(火)

雲だらけだが、日がさしてくる。

  ある時はクサヤのごとき老母なり臭ひふりまき廊下を歩く

  肋骨あらはにむきだしシャツを着る恥ずかしき思ひもすでにあらず

  三度目の悪性リンパ腫質悪し二度と直らぬ不具合ばかり

『論語』衞靈公二五 孔子曰く、「吾の人に於けるや、誰をか毀り誰をか誉めん。如し誉むる所の者あらば、其れ試みる所あり。斯の民や、三代の直道にして行ふ所以なり。

人に対して、誰でもむやみに毀ったりほめたりはしない。もしほめることがあれば、はっきり試した上でのことだ。今の人民も(夏・殷・周)三代の盛時にまっすぐな道に従って行っていた人々と同じだ。(軽々しく毀誉をはさむことはできない。

  誰をしも毀誉の差つけることはせず今の民でも直道に行ふ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 六二 仁徳天皇

また、

つぎねふ 山城女(やましろめ)の        山城女が鍬持って
小鍬(こくは)持ち 打ちし大根(おほね)       掘った大根の根のように
(ね)(じろ)の (しろ)(ただむき)          白いそなたの(かいな)取り
(ま)かずけばこそ          抱いたこともなかったら
知らずとも言はめ         いまさら知らぬと言えもしよ

  そなたのことを抱いたこともなかったら愛しているなどなどと言はざるものを

2025年2月17日(月)

雲があるが、晴れている。午後、寒くなるらしい。

  西連山の上には大き月残るこのひかる月うつくしかりき

  山脈の上空に浮かぶ残りの月後朝なればぼやけて見ゆる

  山脈の稜線に沈む残りの月円き満月妙に明るむ

『論語』衞靈公二四 子貢問て曰く、「一言にして以て終身これを行なう者ありや。」孔子曰く、「其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。」

ひとことだけで一生行なっていけるということがあるでしょうか。まあ、思いやりだね。自分の望まないことは人にしむけないことだ。

  ただ一言に終生これを行なひしことあるらむか孔子、恕と答ふ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 六一 仁徳天皇

丸邇臣クチコをつかわして、

御室(みむろ)の その高城(たかき)なる     御室の高城の大豕子の
大豕子(おほいこ)が原          原にある名の池心
大豕子が原にある       その心さえ今は無く
(きも)(むか)ふ 心をだにか      そなたはそむいて避けるのか
相思はずあらむ        思う心も消えたのか

  まだわれを信ずることができぬのか相思ふこころも汝に失はれたるか