2025年2月17日(月)

雲があるが、晴れている。午後、寒くなるらしい。

  西連山の上には大き月残るこのひかる月うつくしかりき

  山脈の上空に浮かぶ残りの月後朝なればぼやけて見ゆる

  山脈の稜線に沈む残りの月円き満月妙に明るむ

『論語』衞靈公二四 子貢問て曰く、「一言にして以て終身これを行なう者ありや。」孔子曰く、「其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。」

ひとことだけで一生行なっていけるということがあるでしょうか。まあ、思いやりだね。自分の望まないことは人にしむけないことだ。

  ただ一言に終生これを行なひしことあるらむか孔子、恕と答ふ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 六一 仁徳天皇

丸邇臣クチコをつかわして、

御室(みむろ)の その高城(たかき)なる     御室の高城の大豕子の
大豕子(おほいこ)が原          原にある名の池心
大豕子が原にある       その心さえ今は無く
(きも)(むか)ふ 心をだにか      そなたはそむいて避けるのか
相思はずあらむ        思う心も消えたのか

  まだわれを信ずることができぬのか相思ふこころも汝に失はれたるか

2025年2月16日(日)

曇り空、そして寒い。17℃になるというが。

  山茶花の赤き花々散り落ちて避けんとすれど踏みつぶしたり

  花赤く咲きたる山茶花この垣を歩き通らむ地に花落つる

  この赤きところをいつか通りぬけ異界へむかふわれの行末

『論語』衞靈公二三 孔子曰く、「君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず。」

君子はことばによって(立派なことをいったからといって)人を抜擢しない、また人によって(性格が悪いからなどといって)ことばをすてることはしない。

  君子なればことばによって抜擢せずまたはことばによって排除せず

『古事記歌謡』蓮田善明訳 六〇 仁徳天皇

天皇は、皇后が山城から大和の方に上られたと聞いて、舎人のトリヤマという者を使として差向けた。その時の歌、

山城に い(し)け鳥山      急げ 鳥山
い及け い及け        山城へ
(あ)が愛し妻に         わが愛し妻は山城ぞ
い及き会はむかも       追いかけ行って妻に会え

  山城に急げ鳥山急げ急げわが愛しき妻は山城にゐる

2025年2月15日(土)

雲は少しあるものの、よい天気である。

  いつのまにか貪欲になるわれなるか意地悪しもからすのごとし

  からす飛ぶ。町の上空に旋回し睥睨すべし恥部まで覗く

  からすうるさければその上をとんび旋回しとんびの声する

『論語』衞靈公二二 孔子曰く、「君子は矜にして争はず、群して党せず。」

君子は謹厳だが争わない、大勢といても党派をくまないそうです。

  君子といふものは謹厳にして争はず大勢といて党派をくまず

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五九 イハノヒメノ命

山城から廻って、那良山の登り口に着いて歌う。

つぎねふや 山城川を      山城川をゆらゆらと
宮上り わが上れば       のぼりのぼって奈良山の
青丹よし 奈良を過ぎ      山の口まで来て見れば
小楯(をだて) 倭を過ぎ         わたしの行きたいその国は
わが見が欲し国は        奈良のむこうの倭村
葛城(かづらぎ)高宮            倭の村をまた過ぎて
我家(わぎへ)のあたり          葛城に坐す親の里

こう歌って、また山城の方に引き返し、しばらくの間、筒木の韓人のヌリノミの家に滞在した。

  山城川をさかのぼり奈良山すぎて葛城高宮我家のあたりに

2025年2月14日(金)

晴れ、冷たい。

有栖川有栖『砂男』を読む。単行本未収録短編集である。「女か猫か」「推理研vsパズル研」「ミステリ作家とその弟子」「海より深い川」「砂男」「小さな謎、解きます」の六編。実を言うと有栖川有栖のミステリははじめてだ。期待するところもあったが、期待するほどではなかった。言ってみれば、ミステリの論理なんだな。空中で話をすすめているようなところが、どうも。しかし「ミステリ作家とその弟子」「砂男」はおもしろかった。

  梅の香の充満したる公園のほぼ満開の六本の木

  爛れたるごとくに白梅ひらきたる香も淫蕩に匂ひくるなり

  梅の香の匂ふ公園にわが入れば菅原道真に化身したりき

『論語』衞靈公二一 孔子曰く、「君子は(こ)れを己れに求む。小人は諸れを人に求む。」

君子は自分に反省して求めるが、小人は他人に求める。なんでも悪いことは他人のせいにする。それは君子ではない。

  おのづから常に反省するが君子なんでも他人のせいにするは小人

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五八 イハノヒメ命

仁徳天皇は、この頃、ヤタノ若郎女と仲良くしていた。そのことをイハノヒメ命に告口するものがいた。皇后は非常に恨み、かつは怒り、船に載せてあった三角柏を、一つも残らず海に投げ捨てた。そこを御津の崎という。そうして、宮中へ帰らず、難波を避けて、堀江をさかのぼり、淀川を山城まで上った。この時の歌。

つぎねふや 山城川を      山城川をゆらゆらと
川上り わが上れば       のぼって行けば岸の上に
川の辺に (お)ひ立てる      生えて茂った烏草樹の木
(さ)草樹(しぶ)を 烏草樹の木      茂る烏草樹のその下に
(し)が下に 生ひ立てる      生えた椿の葉も広く
葉広 五百箇(ゆつ)(ま)椿(つばき)        咲くその花も赤々と
其が花の 照り(いま)し       その花のようにかがやいて
其が葉の (ひろ)り坐すは      その葉のように大らかに
大君ろかも           わが大君のとうとさよ

  嫉妬深きイハノヒメノ命が歌ひたる山城川を上る歌大君どうか尊くあれよ

2025年2月13日(木)

今日も晴れてる。暖かくなって、午後冷えてくるらしい。

シャープペンシルの0,5m芯卓に散らばれば夢の中われはばらばらになる

  シャープペンシルの0,5m芯こころの譬喩かもわれはばらばら

  この寒さに目覚めたりけむわが軀なりこれも悪性リンパ腫ゆゑか

『論語』衞靈公二〇 孔子曰く、「君子は世を(お)へて名の称せられざることを(にく)む。」

今の名声のために気を配るのはよくないが、いつかは真価を認められるようにと

自分をみがくのである。

そうかなあ、真価は認められなくともよくないだろうか。孔子も小さい。

  世を終へて真価を認められねば君子ならずかいやさうでもなからふ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五七 クロヒメ

なた、クロヒメが歌う。

倭方(やまとへ)に 行くは誰が夫      ひそかに忍んでやってきて
(こもり)(づ)の 下よ(は)へつつ      落葉の下行く水の様に
行くは誰が夫          ひそかに大和へ帰るのは 誰が思いの夫でしょう

  大和よりひそかに来たり隠水の下よ延へつつ帰るは誰ぞ

2025年2月12日(水)

今日も晴れ。そして寒い。

谷川俊太郎編『辻征夫集』(岩波文庫)を読む。辻征夫も谷川俊太郎も、今は亡き人であるが、詩の中に歌や俳句が嵌め込まれていたりして、わたしは好きだ。二人の対談がまたおもしろい。詩は各人の好き嫌いがあるから読んでもらうしかないが、対話の文言に興味深いものがあって、心惹かれた。「上ずるという詩の基本」「人生がちゃんとある詩」「実際に生きているリアリティと完全に切り離されていいんだろうか」

どれも谷川の発言だが、これいいな。

「珍品堂主人、読了セリ」に心筋梗塞発作に死んだ父を弔うような一首がある。

  そのかみの浅草の子今日逝きぬ襯衣替へをれば胸あたたかし

今日は俳句を

  寒すずめ毛羽立つが見ゆ愛らしき

  寒の日はあつけらかんと厚着して

  寒なれば(ぬ)くときものを腹に入れ

  寒がらす今朝もうるさく鳴きにけり

  寒ければ温き炬燵に丸くなる

『論語』衞靈公一九 孔子曰く、「君子は能なきことを病ふ。人の己れを知らざることを病へず。」

君子というものは、自分に才能なきことを気にして、人が自分を知ってくれないことなど気に掛けないものある。どこか独善的であるようにも思える。

  君子なれば能なきことも人に己を知らざるも憂ふることなし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五六 クロヒメ

天皇が帰る時、クロヒメの歌、

倭方(やまとへ)に 西風(にし)吹き上げて     大和に向いて西風が 吹いて離した雲の様に
雲離れ 退(そ)き居りとも      離れて君が行ったとて
われ忘れめや          心は離れておりませぬ

  愛するべきあなたが大和へ帰るともわれ忘れめや愛する人を

2025年2月11日(火) 紀元節 釋迢空の128回目の誕生日だ。

今日も寒いが、青天だ。

  朝爪をコツンコツンと音たてて斬り捨ててゆく吾妻にあらむ

  寒がらすずぶとき声に鳴きにけり

  朝爪を切るとき妻の表情のにんまりとして桑原くはばら

『論語』衞靈公一八 孔子曰く、「君子、義以て質と為し、礼以てこれを行なひ、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。」

これは人間の理想像のようだ。正義をもとにしながら、礼によって行ない、謙遜によって口にあらわし、誠実によってしあげる。これが君子だと孔子は言ったのだ。

義、礼、孫、信これらができてこその君子なり孔子の理想高きにありし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五五 仁徳天皇

クロヒメは、その国の山方という地に迎え、接待した。クロヒメが吸物の菘菜を摘む所に行き、歌った。

山県に 蒔ける(あを)(な)も      山の畑に蒔いた菜も
吉備人と 共にし摘めば     吉備のおとめと来て摘めば
(たぬ)しくもあるか         心もたのし二人ゆえ

  山の畑に二人来て菘菜を蒔きて共に摘むかくもかくもぞ楽しくもある