2025年5月28日(水)

昨夜雨だったらしいが、晴れている。

  あじさゐの藍色の花咲きにけりひつそり三輪目に著くして

  地獄の底を這ひつくばるがわれが身の果つるところやこの場所にして

  覗き見る火炎地獄の中にゐる鬼に甚振られわれやありけむ

  いつのまにか熱湯地獄を這ひずりニヤリと笑ふ衰亡のわれ

『大学』第一章 一 大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親しましむるに在り、至善に止まるに在り。

止まるを知りて后定まる有り、定まりて后能く静かにして后能く安く、安くして后能く慮り、慮りて后能く得。物に本末あり、事に終始あり、先後する所を知れば則ち道に近し。

『論語』にくらべれば、言わんとするところが明瞭であるように思うが、どうだろう。

  大学の道とは明徳を明らかにし至善にとどまることに在りにき

前川佐美雄『秀歌十二月』四月 厚見王

(かはづ)鳴く神奈備(かむなび)(がは)ににかげ見えて今か咲くらむ山吹の花 (万葉集巻八・一四三五)

「蝦」は「蛙」だが、この歌の場合は「河鹿」である。あの美しい声で鳴くカジカである。ヤマブキの咲くころはカジカはまだ鳴かないけれど、河とカジカはつきものである。だから神奈備河をいうのにカジカを持ってきた。一つの習慣でもあり歌を作るための技術でもあったわけだ。枕詞とまではなっていないが「蝦鳴く」は神奈備河の清流をたたえるための修飾語の役を負っている。神奈備河は神奈備山のふもとをめぐる河をいうので、飛鳥川か竜田川かなどといわれるけれど、三輪も春日もそれぞれに神奈備河を持っているから、この歌はいずれこの河なるや知りがたい。

カジカの鳴く神奈備河にかげをうつして今ごろヤマブキの花が咲いているのであろうか、というのでたれにも受けいれられる美しい歌である。(略)「かげ見えて」の「かげ」はヤマブキの水に写っているかげではなく、神のかげであるかもしれない。(略)そういう用意があっての「かげ見えて」であるなら、この歌はいっそう美しさを増す。とまれ、調子のよい流麗な歌だから、これが本歌となって後世さまざまの模倣歌を生んだ。厚見王の系統は未詳、この歌とともに万葉集に三首でているにすぎない。

2025年5月27日(火)

今日も曇りつづきらしい。

北方謙三『寂滅の剣』、日向景一郎シリーズ5。最終巻を読んだ。五冊、読みでがあった。最終は半ばですこし緩みがあるように感じたが、最終決戦、また景一郎と森之助の対決場面は圧巻、圧倒された。結局、景一郎が森之助を斬ることになるのだが、これも予想通りであった。景一郎は、たたただ虚しく、旅に立つ。

  睾丸(きんたま)の役目は疾うに終へたるか役にたたざるふぐりぶら提げ

  男の性のほとんど役に立たざるに欲望のみはいまだ失せず

  男女差のなき世を願ふわれならむしかれど残る好みや欲は

  ひよどりが鳴かねばすずめの二羽がくるけふの中庭(パティオ)は親しみがある

『論語』堯曰五 孔子曰く、「命を知らざれば、以て君子たること無きなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。言を知らざれば、以て人を知ること無きなり。」

  命・礼・言これを知らずば君子ならず立つこともなし人も知らざる

これで、ようやっと『論語』もお終いだ。『論語』を最初から最後まで読んだのは、私にとってはじめてだが、身になったかといわれたら、ふ~む、という疑問がある。多くの章段の意義も忘れているし、覚えていることも説明できるわけではない。しかし、読み切ったことはたしかだ。その足跡はここに刻まれている。読み切って、かかった時間(一日一章段)も膨大だが、その間の私をたいしたものだと思うのである。自分で褒めてやりたいのだ。

明日からは四書のうちの『大学』をまた一章づつ読むことにしよう。ありがとう『論語』と言っておきたい。

前川佐美雄『秀歌十二月』四月 志貴皇子

(いは)(ばし)垂水(たるみ)の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも (万葉集巻八・一四一八)

巻八の巻頭歌、志貴皇子の「懽の御歌」である。岩の上を走り流れ落ちる滝のほとりのワラビがもう芽を出す春になったよ、とよろこんでいる。(略)「岩ばしる」の方が音調がよい。「垂水」もほそぼそと落ちる水ではなく、勢いよく流れ落ちる滝であった方が、よろこびをいうのに似つかわしい。「さ蕨」は早蕨ではなく、「さ」は接頭語。「石激る」の初句から「垂水の上のさ蕨の」と「の」の助辞をかさねて終りまで休止しない。とくに四句を一音多い字あまりにして調べを高め、ゆたかに大きく「なりにけるかも」の結句を得て、まれにみる丈高い歌になった。

(略)志貴皇子の宮は奈良の春日にあった。そのあとが白毫寺であるといわれる。だからこの「石激る垂水」は春日山から流れでる能登川、率川、宜寸川のいずれかの滝と考えられる。(略)志貴皇子の歌は全部で六首だが、いずれもすぐれており、この歌は万葉集中でも傑作の一つに数えられる。

2025年5月26日(月)

明るい曇りだ。雲が薄い。

  河原鶸二羽近寄りて鳴きにけり常に近くを飛び、歩く二羽

  どんよりとした曇り空はしゃげども心のらずにゆき過ぎにけり

  少しばかり明るさ覗く空合にみどり濃き森迫り来るなり

  みどり色の何色あれば山肌の木々を画けるか微妙な色合ひ

『論語』堯曰四 子張、孔子に問ひて曰く、「如何なれば斯れ以て政に従ふべき。」子の曰く、「五美を尊び四悪を屏組ぞければ、斯れ以て政に従ふべし。」子張が曰く、「何をか五美と謂ふ。」子曰く、「君子、恵して費へず、労して怨みず、欲して貧らず、泰にして驕らず、威にして猛からず。」子張が曰く、「何をか恵して費へずと謂ふ。」子曰く、「民の利とする所に因りてこれを利す、斯れ亦た恵して費へざるにあらずや。其の労すべきを択んでこれに労す、又誰をか怨みん。仁を欲して仁を得たり、又焉をか貧らん。君子は衆寡と無く、小大と無く、敢て慢ること無し、斯れ亦泰にして驕らざるにあらずや。君子は其の衣冠を正しくし、其の瞻視を尊くして、儼然たり、人望みてこれを畏る、斯れ亦威にして猛からざるにあらずや。」子張曰く、「何をか四悪と謂ふ。」子の曰く、「教えずして殺す、これを虐と謂ふ。戒めずして成るを視る、これを暴と謂ふ。令を慢くして期を致す、これを賊と謂ふ。猶しく人に与ふるに出内の吝なる、これを有司と謂ふ。

  孔子が子張に謂ひにける君子とは五美を尊び四悪をしりぞく

前川佐美雄『秀歌十二月』四月 若山喜志子

家には君かへるでのもみぢばの双手をあげて子らは待ちつつ (歌集・筑摩野)

喜志子は牧水の妻だが、牧水は一年の大半は旅に出ていた。旅と酒の歌人といわれたほどの牧水である。その牧水は早稲田大学時代は制服も着たらしいが、その後はいっさい洋服というものを着ず、和服を着てどこへも気楽に出かけていった。その行く先も時にはわからないことさえあった。そういう牧水の家に帰ってくる日をまちわびている歌だ。(略)牧水の歌風に似てすなおな歌で、この歌といっしょに発表された、

その泊り今宵は毛野か信濃路かここの駿河は時雨降りつつ (同)

とともに私は時評でほめたことがある。大正十三年ごろのことだが、牧水一家は大正九年から東京を離れて沼津の千本浜に家を建てて住んでいたのである。

2025年5月25日(日)

朝は雨、やがて曇りに。

  死神は背後よりきて強引にわがたましひを抜きとらむとす

  いつのまにか死神に(あ)こそ魅入られて拉致さるるあの世へ

  死神に両腕とられ連れられて炎熱地獄へ抛りこまれる

『論語』堯曰三 寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民を任じ、敏れば則ち攻あり、公なれば則ち(よろこ)ぶ。

君主の資格かな。寛・信・敏・公ということか。

  寛なれば人望、信なれば人民、敏なれば仕事、公なれば悦ぶ

前川佐美雄『秀歌十二月』四月 若山牧水

うす紅に葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花 (歌集・山桜の歌)

この「山桜花」は、山に咲いているサクラ花にはちがいないが、なお「山桜」なる種類をさしての「山桜花」で、「うす紅に葉はいちはやく萌えいでて」によって、それがわかる。ヤマザクラはうす紅の若葉がまずひらいて、それから花が咲きだすからだ。それは昨今はやりのソメイヨシノなどとはまったく違う淡泊な感じのサクラだが、その特徴がよくとらえられている。(略)自然のなかに同化しているかのごとくおのずからにしてそれが調べに出ているのである。欲や得がないのである。だから歌はむこうからひらりと飛びきたって牧水の手中にはいる。自然詩人牧水の面目躍如たりというべきか。こうした牧水の歌はわかりやすいのが特徴である。調べもよいからよく朗詠されたりして大衆にも親しまれる。(略)いきいきとした生命力が美しいリズムとなって一首を貫流していて、透徹した詩魂の高さが感じられる。牧水歌風の完成期における傑作のひとつである。しかしこの歌よりは同じ連作のなかの次の歌の方をよしとする人もあるだろう。

瀬々走るやまめうぐひのうろくづの美しき春の山ざくら花 (同)

(略)この歌は前の歌とはまた違う感覚的な美しい歌として称揚されるのである。どちらを好むかはその人によるが、なお前の歌のすなおにしておのずからなる、そのやさしくて美しき歌柄をこそよしとするのである。これは大正十一年春、伊豆湯ヶ島温泉における連作二十余首中にあり、歌集の名もこれらの歌から来ていた……

2025年5月24日(土)

今日は曇り空。夕刻、雨になるらしい。

高村薫『我らが少女A』上・下読了。合田雄一郎は警察大学校教授になっている。そして合田たちが捜査した十二年前の未解決事件が、再び甦る。西武多摩線の多摩駅を中心にして当時の関係者があれこれ語られる。栂野節子を殺害したのは誰か。おそらく少女Aに収斂していくのだが、その上田朱美も死に、多くの関係者も野川から去って、事件は犯人の可能性だけを残し終る。合田は、桜田門に異動するらしい。定年までもう少しなのだが。ということは合田雄一郎シリーズはまだつづくということだ。

歓迎すべきであろう。

  洗面台の上の天井の隅っこに虫をりにけり小さき茶色

  色濃きは何虫ならむ小さき棒状の茶色虫動かず

  天井より歯磨き、顔洗ふわれわれを覗くがごとく虫がをりにき

『論語』堯曰二 権量を謹み、法度を(つまびら)かにし、廃官を修むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民、心を帰せん。重んずる所は、民、食、喪、祭。

  君子が重んずるは民であり食糧、そして喪と祭りなり

前川佐美雄『秀歌十二月』四月 作者不詳

春霞ながるるなべに青柳の枝くひもちて鶯鳴くも (万葉集巻十・一八二一)

春の雑歌のうち「鳥を詠める」十三首の三首目である。春ガスミ、青ヤギ、ウグイスと材料はそろっている。それが「ながるる」であり「枝くひもちて」であり「鳴くも」である。美しいものばかりをたくみに料理してまことにみごとなできばえである。そのウグイスが青ヤギの枝をくわえて鳴いたというのがよいのである。(略)すがやかな感じをもたらしているのである。(略)美しくハイカラに歌ってやろうとしているのだが、それを感じさせないのがこの歌のすぐれたところである。けだし万葉集も末期ごろの爛熟した文化のいぶきがふんぷんと感じられる。ウグイスの歌ではこれと次の山部赤人の歌とが双璧のようだ。

百済野の萩の古枝に春待つと居りし鶯鳴きにけむかも (同巻八・一四三一)

2025年5月23日(金)

明るいけれど曇り。太陽は雲のかなたにぼやけている。

  吾れが入る前にトイレに行くもののすっぱいやうなる臭ひを残す

  この臭ひは妻のものなり鼻つまみしばしがまんしわが糞を(ひ)

  雲古、うんこ、ウンコいつもねばりて(ひ)るもののけさは一気に排泄したり

『論語』堯曰(ぎょうえつ)第二十 一 堯曰く、「(ああ)(なんじ)舜、天の歴数、爾の(み)に在り。(まこと)に其の中を執れ。四海困窮。(てん)(ろく)永く終へん。舜も亦た以て禹に命ず。

(とう)曰く、予れ小子(しょうし)(り)、敢て(げん)(ぽ)を用て、敢て昭かに(こう)皇后(こうこう)(てい)に告す。罪あるは敢て赦さず、帝臣(かく)さず、(えら)ぶこと帝の心に在り。(わ)が躬罪あらば、万方を以てすること無けむ。万方罪あらば、罪は朕が躬にあらん。

周に大賚(たいらい)あり、善人是れ富む。周(しん)ありと雖ども仁人に如かず。百姓(ひゃくせい)過ち有らば予れ一人に在らん。

堯・舜・禹と帝位が譲られた(禅譲)、禹は夏王朝を開いて子孫に伝え、桀に至って殷の湯に攻め滅ぼされる(放伐)。この章は、尭から周の武王まで、古代の聖天子のことばを集めたもの。

  堯・舜・禹と禅譲されて桀に至り湯に滅ぼさるる中国古代史

前川佐美雄『秀歌十二月』四月 尾張連

うちなびく(はる)(きた)るらし山の(ま)の遠き(こ)(ぬれ)の咲き行く見れば (万葉集巻八・一四二二)

尾張連とあるだけで名も伝も不詳。「うちなびく」は「春」にかかる枕詞。春になって草木がやわらかに萌えいでる。そこからきた修飾語であるらしい。「うちなびき」をよしとする人もあるが、それでは調べが俗になる。やはり「うちなびく」の方がよいし、枕詞としてもおちつく。いよいよ春がきたらしい。みあげる山の木々が花咲いてゆく。きのうよりきょうはさらに遠い峰の奥まで咲いたのがみえるというので、山の低いところから咲きはじめた花が、次第に高いところへ咲き移ってゆく時間的経過をあらわしている。この「遠き木末の咲き行く」がじつに自然な表現で、たとえようもなくよい語だ。そして「咲き行く見れば」の結句に作者の思いが集中している。(略)万葉集にサクラの歌は四十首あまりだ。(略)なおこの歌は巻十に第二句が次のようにあらためられてはいっている。作者は不詳、万葉集末期の口調を感じる。

うちなびく春さり来らし山の際の遠き木末の咲き行く見れば (同巻十・一八六五)

2025年5月22日(木)

夜雨が降っていたようだが、今は晴れている。

  男でもなく、ましてや女でもない老耄もいまだに苦しむおのれの性に

  もうすでに男の殻は脱がされて老耄といふ存在なるかも

  ぢぢいもばばあも同じなりもてあますものが減りつつあるか

『論語』子張二五 陳子禽、子貢に謂ひて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼、豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て不知と為し、言は慎しまざるべからざるなり。夫子の及ぶべからざるや、猶ほ天の階して升るべからざるごときなり。夫子にして邦家を得るならば、所謂これを立つれば斯に立ち、これを道びけば斯に行い、これに綏んずれば斯に来たり、これを動かせば斯に和す、其の死するや哀しむ。これ如何ぞ其れ及ぶべけんや。」

  孔子より子貢が賢るといふものよ天に階してのぼるべからず

前川佐美雄『秀歌十二月』四月 在原業平

白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消なましものを (伊勢物語)

業平の恋愛の対象として選ばれた多くの女の中に藤原長良の女高子がいる。後に入内して清和帝の後宮となるが、この高子と恋に落ちると二人はしめしあわせた。逃げることだったのだ。そこである夜業平は女を盗み出し、女を背負いながら春日野へんまで走り出た。その途中、草の上に置いた露を見て女がたずねた。「あの白い玉は何ですか」と。しかし男はまだ行く先が遠かった。それに夜もふけていることでもあり、それには何とも返事をせずに道を急いだ。けれど女の兄たちにその隠れ家は見出され、女は取り返された。そうして業平は罰せられ、東国の旅に出なければならなかった。それを悲しんで詠んだのがこの歌だと伝えられている。

(略)けれど「露とこたへて」と即座にいうのがやはり王朝時代の心だ。「消なましものを」は、ものやさしく、そうしてものはかなさそうな、今にも消えるかと思うほどのたえだえの息づかいさえも思わせる。(略)その「伊勢物語」は「竹取物語」と併称せられる平安朝初期仮名文小説のさきがけでもあり、また歌人としてもりっぱだった。貫之は古今集の序の中で業平の歌をあげつろうてはいるけれど、何としても特色ある随一の歌人で、よく比肩するものがない。