2025年2月10日(月)

青天、しかし寒い。

奥泉光『虚傳集』読了。偽書の歴史小説集。著者初の短編集らしい。これが大方、嘘ばかりであろうが、どこか本当っぽく、奥泉が創ったであろう、あれこれの偽書を用いて、本当らしく書かれている。この書は本物であろうかと思って、辞書を引いても出てこない。偽書なのだ。本物らしく歴史の中に埋め込んで卓抜である。最後の「桂跳ね」には、いかにも本物らしい辞世の歌が出てくる。

  君がため馬駆りて越ゆ桂川 野路の草葉の露と散るとも

三島由紀夫の辞世のような下手さが、いかにもという感じだ。どこかおもしろく、たのしい書物である。

  大山にも彼方丹沢連山にも谷筋は白、夕べ雪ふる

  大山に雪が積もるも今年初めでたきものよ手を合はせをり

  今年最低の寒き日にして大山もわづかに雪の降り積もりけむ

『論語』衞靈公一七 孔子曰く、「群居して終日、言 義に及ばず、好んで小慧(しょうけい)を行なふ。難いかな。」

一日中集まっていて、話が道義のことには及ばず、好んで猿知恵をひけらかすというのでは、困ったものだね。

いや、まったくだ。

群居して終日道義に及ばずに猿知恵ひけらかす困ったものだ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五四 仁徳天皇

天皇は、クロヒメを恋しく思い、淡路島見物と皇后を欺いて行幸した時に、淡路島から、はるばると展望して歌った。

おしてるや 難波の崎よ        難波の崎より船出して
出で立ちて わが国見れば       はるかに国を見渡せば
淡島 淤能碁呂島           島が見えるよ波の上
檳榔(あぢまさ)の 島も見ゆ           おのごろ島や淡島や
(さ)(け)(つ)島見ゆ             あじまさ島にさけつ島

淡路島から吉備の国に行幸した。

  皇后には淡路行幸と偽りてクロヒメに会ひに吉備へと赴く

2025年2月9日(日)

今日も晴れ。だがあいかわらず寒い。

電熱温床の上に干されし妻の下着にからまりつくはわれのTシャツ

  妻の下着にわれの下着がからまりてどこか淫蕩なり絨毯の上

  靴下と靴下が挨拶する如き電熱温床あたたかなりき

『論語』衞靈公一六 孔子曰く、「如之(いか)(ん)、如之何と曰はざる者は、吾れ如之何ともすること(な)きのみ。」

どうしようか、どうしようかと言わないような者は、わたしにはどうしようもないねえ。 なんだか言葉遊びというかこの対語の重ね方がおもしろくもある。

  如之何、如之何といはざる者はわれには到底如之何ともし難し

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五三 仁徳天皇

皇后のイハノヒメノ命は嫉妬深い方だった。吉備の海部直の娘クロヒメが美しいと聞いて、お召しになったが、皇后の嫉妬を恐れて、故国へ逃げ帰った。天皇は高殿から、船出するのをはるかに見送って、歌った。

沖方(おきへ)には 小船連(こぶねつら)らく      沖に小船の連なる中を
もろざやの まさづ子(わぎ)(も)    吉備のおとめの船が行く
国へ下らす           ふるさと向けて帰り行く

皇后はこの歌を聞いて、非常に怒り、大浦に人をやって、クロヒメを船から追い降ろし、陸路を歩いて国に帰らせた。

  天皇が愛せし姫を皇后の嫉妬に帰す歩きて帰す

2025年2月8日(土)

今日も寒い。そして晴天。

  一九四五年、占領下の京都に起こることなど知らず

  ひょっとしたら原子爆弾を落とされしか京都盆地の地勢よろしき

  京都伏見には陸軍の基地ありさしずめ伏見は軍都ならむか

『論語』衞靈公一五 孔子曰く、「躬自から厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる。」

われとわが身に深く責めて、人を責めるのをゆるくしていけば、怨んだり、怨まれたりから離れるものだ。

  人を責めず己みづから責め厚くすれば則ち怨みに遠し

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五二 ウヂノ若郎子ノ皇子

水上からの鉤でその沈んだあたりを探ると、着物の下の鎧に引っかかり、それがかわらと鳴った。だから、そこを訶和羅崎と呼ぶようになった。その死骸を引き上げた時に、ウヂノ若郎子ノ皇子の歌。

千早人 宇治の渡に       宇治の渡りの岸の辺に
渡瀬(わたりせ)に立てる (あづさ)(ゆみ)(ま)(ゆみ)     (お)える梓と(まゆみ)の木
射伐(いき)らむと 心は(も)へど     その梓弓檀弓もて
射取らむと 心は思へど     射伐ろ射取ろうと思えども
本方(もとへ)は 君を思ひ(で)       つくづく弓を見てあれば 本べは先考(ちち)を思い出で
末方(すゑへ)は (いも)を思ひ出       末べは妹らを思い出で
(いら)なけく そこに思ひ出     あれやこれやといらいらと
かなしけく ここに思ひ出    あれやこれやに悲しくて
射伐らずぞ来る 梓弓檀弓    ついに射らずに帰り来る

オホヤマモリノ命の遺骸は那羅山に葬られた。

  ちはやぶる宇治の渡りに沈みたる大山守を惜しみて嘆く

2025年2月7日(金)

寒い、寒い。青天である。

秋尾沙戸子『京都占領 1945年の真実』読了。原子爆弾が落とされる可能性もあった京都の一九四五年以降の米軍の占領下にあった時代の動きが記されている。知らなかったことも多く、興味深い読書になった。占領軍の手から守られた京都御所、上賀茂神社の森を開発して開かれたゴルフ場、京都大学の核開発疑惑、祇園の変化、山鉾巡行の不思議など飽きないのだが、それだけ占領下に色々あったことが如実に触れられている。

  露天の湯につかりてため息もらすときはや山に入るなごりの赤さ

  夕暮れてこの山中を宿と決める蛇を操る人、皿回しも居る

  峠の道にすれ違ふものは修験者か法螺貝腰に下りくるなり

『論語』衞靈公一四 孔子曰く、「臧文仲(魯の大夫)は其れ位を窃める者か。柳下恵(魯の賢大夫。『孟子』微子篇には「聖人の和なる者」と評する)賢を知りて与に立たず。」

  なかなかに辛辣な評を孔子は下すかはりに柳下恵を讃へたりけり

『古事記歌謡』五一 オホヤマモリノ命

船を進められ、それが中流にさしかかった時、船を傾けて、水中に落とし入れた。オホヤマモリノ命は、それからいま一度、水面に浮かび上がったが、それなり、水のままに流されて行った。流れながら歌った歌。
千早(ちはや)(ぶ)る 宇治の(わたり)に       宇治の早瀬に棹執って
(さお)(と)りに 速けむ人し       速船こげる舟人は
わが(もこ)(こ)む           早く救いにここへ来い

川の岸に伏していた兵は、あちらこちら、いっせいに立って、弓に矢をつがえながら、命を追い流した。そこで訶和羅崎に至って、ついにそのまま水中に没した。

  ちはやぶる宇治の渡りに棹執りて速船をこぐ人やありけむ

2025年2月6日(木)

よく晴れているが、またまた寒い。

ハン・ガン『別れを告げない』を読む。済州島四・三事件を扱い、キョンハとインソンの二人によるインソンにかかわる母や親族の生と死をめぐる小説だ。いわば赤狩りの惨烈な結果が夢とも現実ともつかず展開する。事件が古い分、『少年が来る』より分かりやすいかもしれない。多くの島民が惨殺されているのだが、その事件の後が夢の如く詩的に描かれるが、無惨な場面多く、読むにつらいところがあるものの、読みがいのある一冊であった。

海老名ジャンクションへ向かう圏央道の高架が九階のベランダからよく観える。

  暁闇を走行したるトラックの列なすごとき圏央道は

  圏央道に渋滞したる車の列海老名ジャンクションあたり

  猛スピードで走りぬけたる車もある圏央道昼の時間帯には

『論語』衞靈公一三 孔子曰く、「已んぬるかな。吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。」

ああぁ、おしまいだなあ。わたしは美女を好むように徳を好む者を見たことがないよ、とは孔子の嘆きなのであろうか。「已んぬるかな」は孔子の老齢、死に近きことを嘆いているのか。また「色を好むが如き」とは孔子の実感が言わせているのであろうか。興味深い章段である。

  色を好むが如く徳を好むものにつひに逢はずに老いぼれたるか

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五〇 応神天皇

この須須許理が酒を造って奉った時、天皇はこの献上の酒に、心も浮き浮きと酔うて、歌った、
須須許理が醸みし御酒(みき)に     須須許理が造った酒に
われ酔ひにけり         わしは酔うたぞ
(こと)無酒(なぐし) (ゑ)(ぐし)に         平安無事のうま酒に
われ酔ひにけり         わしは酔うたぞ

こう歌いながらお出ましになった時、御杖で、大坂(大和国北葛城郡百済村)の道の中に大石をお打ちになると、その石が走って逃げて行った。だから、諺に「堅石も酔人を避ける」というのである。

  酔うて杖に石をたたけばその石の走って逃げるこの不思議さよ

2025年2月5日(水)

きわめて寒いが、晴れ。

熱海の公園で植木業者が剪定作業をしているところ、頼んで伐った枝をもらってきた熱海ざくらが、やっとこさ咲きはじめた。

  ためらひを見せつつつぼみのひらきゆく壺に活けたる寒ざくらの枝

  室内のぬくみにやうやうなれたるか薄桃色に透けたる花は

  野暮ったい枝それぞれに花着けて可憐なり白く透けたる花は

『論語』衞靈公一二 孔子曰く、「人にして遠き慮り無ければ、必ず近き憂ひ有り。」

これまた有名な章句である。「人として遠くまでの配慮がないようでは、きっと身近に心配事が起こる。」

  なるほどと思ひしものの人として遠き慮り有りけるものか

『古事記歌謡』蓮田善明訳 四九 吉野の国主の歌

吉野の白檮生という所で、背の低い酒槽を作り、その酒槽に酒を造って、その酒を献上する時に、舌鼓をうち、笑う伎をして歌う
白檮(しらかし)(ふ)に (よく)(す)を作り       白禱の木蔭に酒槽(さかぶね)すえて
横臼に (か)みし大御酒(おほみき)        心をこめ醸むその大御酒は
(うま)らに (きこ)しもち(を)せ        ほんに香もよい味もよい
まろが(ち)              たんと召しませ甘酒(うまざけ)

この歌は、国栖人らが、朝廷に御酒を奉献する時に、ずっと今に至るまでうたう歌である。

  吉野の国栖の人らがうたひたる甘酒(うまざけ)を聞こしもち(を)せまろが父

2025年2月4日(月)

今日も寒いが晴れている。

内海健『金閣を焼かねばならぬ 林養賢と三島由紀夫』を読む。著者は、私より一つ上の精神科医である。それゆえに今で言えば「統合失調症」が「分裂症」として中心的に論じられる。金閣を実際に焼いた林養賢と、それを溝口に仮託して『金閣寺』を書いた三島由紀夫。「金閣をやかねばならぬ」という衝動を描いて両者を重ね合わせる。圧倒的な精神医としての見解、その迫力は、読者の亢ぶりは際限ない。よい読書であった。

  金閣が燃やされたのも当然と思ひし中学生われが居たりき

  わたくしもどこか偏頗な思ひありて金閣を燃やす青年を肯ふ

  あたらしくなりたる金閣を一度見しこの偽物と唾棄したりけり

『論語』衞靈公一一 顔淵、邦を(おさ)めんことを問ふ。孔子曰く、「夏の時を行ないひ、殷の輅に乗り、周の冕を服し、楽は則ち韶舞し、鄭声を放ちて佞人を遠ざけよ。鄭声は淫に、佞人は殆ふし。」

夏の暦―季節の春のはじめとして農事に便利。殷の輅の車―木製で質素堅牢。周の冕の冠―上に板がついて前後にふさのたれた冠。儀礼用として立派。音楽は舜の韶の舞い。鄭の音曲をやめ口上手なものを退ける。鄭の音曲は淫ら、佞人は危険だ。

  邦を治めるには夏の暦、殷の(ろ)の車、(べん)の冠、音楽は舜の(しょう)(ぶ)

『古事記歌謡』蓮田善明訳 四八 吉野の国栖人ら

吉野の国栖人らが、オホササギノ命の佩いている刀を見て歌う。
品陀(ほむだ)の 日の御子大雀(おほささぎ)       品陀の日の御子大雀
大雀 佩かせる大刀        大雀命の佩き給う
本剣(もとつるぎ) 末振(すゑふ)ゆ           諸刃の剣の切先は
冬木(の)す (か)らが下樹(したき)の     たとえば葉もない冬の木に 霜の真白く凍るよう
さやさや             きらきらきらり冴えている

  品陀の日の御子大雀佩かせる太刀のきらきらきらりかがやいてゐ