2025年5月7日(水)

晴れだ。連休もきのうで終わりだ。

  飲みはじめはたださらさらと半ばにはまだまだ行けるそしてへべれけ

  へべれけになればいつでもおもはざることに出っくはすとりかへしつかぬ

  飲めずなりて一杯二杯で酔うたれば情けなしやまいを老いを憎む

『論語』夏張一〇 子夏曰く、「君子、信ぜられて而して後に其の民を労す。未だ信ぜられざれば則ち以て己を(や)ましむと為す。信ぜられて而して後に(いさ)む。未だ信ぜられざれば則ち以て己を(そし)ると為す。

君子は人民に信用されてからはじめてその人民を使う、まだ信用さないのに使うと人民は自分たちを苦しめると思うものだ。また主君に信用されてからはじめて諫める、まだ信用されないのに諫めると主君は自分のことを悪く言うと思うものだ。

  信用ができなければ人民も主君もなべて仕へはしない

前川佐美雄『秀歌十二月』三月 窪田空穂

鉦鳴らし信濃の国を行きゆかばありしながらの母見るらむか (まひる野)

明治三十八年刊行の処女歌集『まひる野』に出ている。死別した母を思い出の形で歌った「母の死ねる頃を思ひて」と題する連作六首中の一首で、当時ひろく愛誦されていた歌である。(略)この「鉦鳴らし」はむろん巡礼の鉦である。巡礼になって信濃の国をたずね歩いたならば、生前の母にまみえることができるかもしれぬと、ひとすじになき母を追慕する。その感情は清純で、若々しい気分にみちみちている。(略)いうならば自分のかわりに歌ってくれたような気がする。この歌はそういうよき意味の大衆性を持っている。同じ連作中の、

生きてわれ聴かむ響かみ棺を深くをさめて土落とす時

われや母のまな子なりしと思ふにぞ倦みし生命も甦り来る

などはややおもむきを異にしてリアリズムの精神が感じられ、後の空穂歌風の根源を思いしのばせるが、「鉦鳴らし」の歌はなおロマンチシズムが濃厚で、新詩社「明星」の作風とやや共通するところがある。(略)新詩社中の詠み手とうたわれたが、一年ほどで退社している。(略)それから次第に空穂独自の歌風がはじまる。

雲よむかし初めてここの野に立ちて草刈り人にかくも照りしか

これは『まひる野』の中でもいちばん美しい歌だ(略)翌年、水野葉舟と合著で刊行した第二歌集『明暗』には次のような秀歌がある。

我が涙そそぎし家に知らぬ人住みてさざめく春の夜来れば

都会生活者として、借家を移り変りしていたのだろう。思い深い歌で、初期の空穂の歌のなかではこれを第一番とする。人生のすがた、その真実感、人間生活の悲しみがしみじみと嘆くがごとく胸にしみこんでくる。このころから空穂の歌はだんだん自然主義文学の方向をたどり人生派風になってゆく。

2025年5月6日(火) 

今日はずうっと雨らしい。夜には止むか。

悪性リンパ腫三回目

  悲しみはわれにもあらむ病みてなほ快癒せざりきと医師は言ふなる

  老耄(もうろく)(やまひ)も加はり体調がわづかに良き日はそれまでのこと

  七十歳を前に快癒のみこみなし後はただただ足を動かす

『論語』子張九 子張曰く、「君子に三変あり。これを望めば(げん)(ぜん)たり、これに即けば温なり、其の言を聴けば(はげ)し。」

君子には三種の変化がある。離れて見るとおごそかで、そばによるとおだやかで、そのことばを聞くときびしい。

  君子には三種の変化があると言ふ儼然として温でありその言聴けば厲しかりけり

前川佐美雄『秀歌十二月』三月 中臣宅守

(ちり)(ひぢ)の数にもあらぬわれ故に思ひ侘ぶらむ妹が悲しさ (万葉集巻十五・三七二七)

塵泥の身、数ならぬ身などの言葉は今日のわれわれにも親しく感じられるが、それがここにある。「侘ぶらむ」は気力を失いうちしずんでいるだろうの意。自分のためにこのようなつらい思いをさせるのがすまない、という歎き歌だが、なにかよわよわしい感じがする。娘子の「焼き亡ぼさむ」の歌の情熱的なのにくらべて、これはひどくうちしおれていてあわれである。(略)しかし心身ともうちくじけてしまうと、こういう口つきにもなるのであろうかかえって同情したくもなる。感情が一時代前よりほそくこまかく、しなやかになっていて、万葉末期の特色が感じられる。なお宅守には次のような秀歌がある。

あかねさす昼は物思ひぬばたまの夜はすがらにねのみし泣かゆ (同・三七三二)

これに対して娘子は歌った。

吾が夫子(せこ)が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな (同・三七七四)

この「命残さむ」がたとえようもなくよい。そうして「忘れたまふな」である。やさしき心づかいのあたたかな言葉だ。「焼き亡ぼさむ」の歌とはまったく趣を異にするけれど、娘子の歌ではこれがもっともよいともいえる。

2025年5月5日(月)

今日も天気よし。端午の節供だ。

  けふこそは五日のあやめに過したしこの何年かは六日のあやめ

  季節に遅れず湯を彩れるあやめ草するどき匂ひ吸ひ込み吸ひ込む

  あやめ草の香りする湯に深く沈むわれまたあやめのするどき匂ひ

『論語』子張八 子夏曰く、「小人の過つや、必ず文る。」

  子夏がいふ小人はあやまつときは必ず飾る

前川佐美雄『秀歌十二月』三月 (さ)(ぬの)茅上娘子(ちがみのをとめ)

君が行く道の長路(ながて)を繰り畳ね焼き亡ぼさむ(あめ)の火もがも (万葉集巻十五・三七二四)

巻十五の終わり三分の一は「宅守相聞」といわれる贈答歌が占める。その目録の詞書には、「中臣朝臣宅守の、蔵部の女嬬狭野茅上娘子を娶きし時に、勅して流罪に断じて、越前国に配しき。ここに夫婦の別れ易く会ひ難きを相歎き、各々慟む情を陳べて贈答する歌六十三首」とあり、男四十首、女二十三首を載せている。(略)

くわしいことはわからない。

この歌は宅守が越前に流されてゆくに際して娘子の詠んだ歌の第二首目である。一首目は、

あしびきの山路越えむとする君を心に持ちて安けくもなし (同・三七二三)

と、その大和から近江を経て、山越えに北国へ行く宅守の身を心配している。「君を心に持ちて」など、可憐な女心をよく歌い、まかなかの佳作だけれど、やや独立性を欠くようだ。全体の序歌みたいな役を負い、なお詞書に支えらえているとみられる。

それよりもやはり一般的に人気のあるのは二首目の歌だ。「あなたのお行きになる遠い長い道を手繰りたたんで焼き亡ぼしてしまう天火があればよい」というので、「そうしたらあなたを引き戻せるだろう」の意をそれとなく裏にひそめている。「畳ねは「たたみ」で「たたむ」こと。「天の火」は文字通り「天火」。(略)天の火は原始人でさえいちばん恐れた火であるから、その恐ろしい火をいうのはこの場合ごく自然なのだ。(略)この歌の底には怒りがこもっている。どうにもならないという怒り、それが爆発したのではなく、それを文学的に比喩の形を借りてこのように処理したので、どことなく理知的な感じがする。「焼き亡ぼさむ天の火もがも」などはじつによい句で、万葉集女流歌人のなかでやはりきわだってすぐれた歌である。

2025年5月4日(日)

よい天気だ。連休中

『昭和の名短編 戦前篇』荒川洋治編。昭和前期の短編小説十三篇があつめられている。どれもおもしろいものだから、またたくまに読み終えてしまった。書きたいことはいくらもあるが、今は胸の内にたいせつにその読後感のいろいろを温めておきたい。ひとつだけ書いておけば、最後の織田作之助「木の都」の「口縄坂」であろうか。「つまり第二の青春の町であった京都の吉田が第一の青春の町へ移って来て重なり合ったことになるわけだと、この二重写しで写された遠いかずかずの青春にいま濡れる想いで、雨の口縄坂を降りて行った。」しかしその坂を降りることはもうない。

  蒼古たる風合のあるけやき樹の葉の繁り天を覆ふがに広く

  人が来て燥ぐときあり仏壇に蠟燭灯ししづけさ破り

  遠く見る小田急線のすれ違ふ上り各駅下り急行

  仏壇は父の存念で神棚にわが家いつから神州清潔の民

『論語』子帳七 子夏曰く、「百工、(し)に居て以て其の事を成す。君子、学びて以て其の道を致す。」

  子夏がいふ職人は肆にいて仕事なす君子こそ学びてその道をきはめん

前川佐美雄『秀歌十二月』 野中川原史麿

(もと)ごとに花は咲けども何とかも(うつく)(いも)(また)咲き(で)こぬ (同・一一四)

これはその二首目の歌だが、前の歌の下には「其二」と記載されてある。つまり二首連作で、二歌は分離すべきではないことをあらわしている。初句「幹ごとに」は    木が略されている。木の幹ごとにということであり、四句の「愛し妹が」の「愛し」はかわいい、愛らしいとnorinいう形容詞。(略)木の幹ごとに花は咲いているが、どうしてあのかわいい妻がもう一度かえってきてくれないのだろうか、と花咲く木をみて悲しみ訴えている。この「幹ごとに花は咲けども」は三句以下の序詞になっているけれど、結句の「復咲き出こぬ」とともにじつに素朴な口つきの語である。とつとつとして稚拙かと思うほどだが、その「愛し妹」の美しさを何とものやわらかく、ういういしくいいえたものかなと、その感じ方、そのいいあらわしように私はかぶとをぬぐのだ。みごとな客観描写である。小手先でなく、全身で感じとっている。よごれなき心だけが感じとることのできる真実がみられる。叙情詩としての本格的なもので、人麿に先行している。むろんこれと同時代ごろの歌は万葉集にも少しはいれられてあるが、それらの秀歌にくらべて遜色はみない。歌は古い時代のものの方がよい。

2025年5月3日(土)

憲法記念日。天気はいいようだ。

  憲法記念日を嘉するべきか唾棄すべきかわれまだ惑ひ決しがたし

  天皇の章、また人権の章などは直すべしされど九条手を入れがたし

  九条を壊してはいけない自衛隊を加へることもわれ堪へがたし

  それぞれの階の扉を押しあけて(をうな)(をきな)が顔を出したり

  春なれば媼も外へ這ひだして喜びのこゑか不気味なる声

  つつじの大ぶりの花があちらこちらマンションの四囲に囲めるやうに

『論語』子帳六 子夏曰く、「博く学びて篤く志し、切に問ひて近く思ふ、仁其の中に在り。」

広く学んで志望を固くし、迫った質問をして身近に考えるなら、仁の徳はそこにおのずから育つものだ。

  博く学び篤く志し切に問ふさすれば仁徳そこにあるべし

前川佐美雄『秀歌十二月』二月 野中(ぬなかの)川原史(がはらふひと)(まろ)

山川に鴛鴦(をし)二つ居て(たぐ)ひよく(たぐ)へる(いも)を誰か()にけむ (日本書紀・一二三)

「山川」は山の中の川、よつて「ヤマガハ」とにごる。「副ひよく」は「副ひ」がよい。いっしょにいるのがよいというほどの意で、「副へる妹」はそのように仲のよい妻ということになる。山の流れに遊んでいるオシドリのつがいのように、仲のよい美しい妻をたれが連れ去ってしまったのか、これは妻の死を嘆く挽歌なのである。

大化五年三月、中大兄皇子(のちの天智天皇)は蘇我倉山田大臣を討滅せられた。

その時、倉山田麿の娘で、皇子の妃であった蘇我造媛は父の最期を悲しむあまり、みずから死をえらんだ。皇子と媛との夫婦仲はよかっただけに、皇子の悲しみはひととおりではなかった。その皇子のみ心をうちをおしはかって、史麿の作った歌だと伝えられる。つまり代作である。代作でも代作らしい感じの少しもしない情のこもった歌で、オシドリの浮かぶ山川の景を配して、叙情と叙景との融合に成功し、よく短歌化しえているのは、作者がただものではない証拠だ。

2025年5月2日(金)

雨が降ったり、止んだり、また降る。

  あけぼの杉は夏の木なればやはらかくみどり葉茂り一人格なす

  沙羅の花落下して寂しさみどりの葉も夏のものやや濃くなりぬ

  苔絨毯みどり色したやはらかさその色観ればうれしきものよ

『論語』子張五 子夏曰く、「日々に其の亡き所を知り、月々に其の能くする所を忘るること無し。学を好むと謂ふばきのみ。」子夏がいった、「日に日に自分の分からないことを知り、月々に覚えていることを忘れまいとする、学問好きだといって宜しかろう。」

子夏の自讃でしょうか。

  日々分からぬを知り月々に覚えてゐるをたしかめるわれを学問好きと言ふなり

前川佐美雄『秀歌十二月』二月 市原王

一つ松幾夜か経ぬる吹く風の声の(す)めるは年深みかも (万葉集巻六・一〇四二)

「同じ月十一日に、(いく)(ぢ)の岡に登り、一株(ひともと)の松の下に集ひて(うたげ)する歌二首」の中の一。もう一つは大伴家持の歌、

たまきはる命は知らず松が枝を結ぶ情は長くとぞ思ふ (同・一〇四三)

同じ月とは天平十六年一月のことで、このところ宴がつづいる。(略)安積皇子は病弱で、この宴のあった一か月ほど後に亡くなられている。御年十七歳、不幸な皇子であった。(略)皇子の急死を藤原仲麻呂の暗殺だとする説もある。

家持の歌はこの皇子の御長命を祈ったので、昔よりのならい、そのしるしなる松    が枝を結んで「情は長くとぞ思ふ」と寿ぎお祝い申し上げたのだ。(略)前の歌と同じくこれも完全に独立性のある歌だから支えいらない。誦していると年老いた末の声が聞こえてくる。自然の声、神の声で、おのずから頭が下がる。前の歌を近代的だといったが、これはむしろ王朝風で、その悲しきまでに細くて高いしらべは、松風の歌の類型のもとをなしている。

2025年5月1日(木)

今日も晴れ。

  花房の短き藤の棚に近く見をれば虻蜂寄りてよろこぶ

  藤の房あまり匂はず地に遠くぶら下がりをれど蜂の音わづか

  遠くより藤の色見えよりゆかむうすむらさきの匂ふばかりに

  四錠の薬飲み捨て春の町へ出てゆく老いによろこびあらむ

  この道をよたよたとして歩みゆくわれにあらずや髭など生やし

  ETCの利用はできぬ料金所渋滞の列しばしつづけり

『論語』子帳四 子夏曰く、「小道と雖ども必ず観るべき者あり。遠きを致さんには泥まんことを恐る、是を以て君子は為さざるなり。」

たとい一枝一藝の小さな道でもきっと見どころはある。ただ君子の道を遠くまで進むためにはひっかかりなる心配がある。だから君子はそれをしない。

  君子とは近くの道にこだはらず遠くに進む必要がある

前川佐美雄『秀歌の十二月』二月 作者不詳

(あかとき)夜烏(よがらす)鳴けどこの山上(をか)(こ)(ぬれ)の上はいまだ静けし (万葉集巻七・一二六三)

もう夜が明けたというので夜烏が鳴いているけれど、まだこの岡の木立の枝先あたりはひっそりとしている、というのである。(略)「木末の上」を木立の枝先だけでなく、言葉通りその上を考える。しんと静まりかえっている木立の枝々を透けて見えるうす黄色い暁空をもいっているのだと考える。(略)私はそうした受け取り方をして、この歌に格別の親近感を持つ。時空を越えた親近感だ。(略)現代のわれわれと同じ思想で、同じ感情や感覚をもって歌われていると思われる。

そういう感じのする歌なのだ。一口にいえば近代的だ。じつに洗練されている。

あしびきの山つばき咲く八峯越え鹿待つ君が斎ひ嬬かも (同・一二六二)

西の市にただ独り出でて眼並べず買ひてし絹の商じこりかも (同・一二六四)

斎藤茂吉は「女が男にむかって云った言葉として受納れる方がいいのではあるまいか」といっている。(略)表向きの言葉通りに解したらよい。しずかな夜明けの空気が身に染むようだ。清澄限りない。