2025年4月16日(水)

天気だ。

  もう疾うに蛇口から出る水流のぬくとければ春のさ中なりけむ

  蛇口よりこぼるる水に手を濡らす温かきゆゑ春深きなり

  汚れたる麻の食器を洗ひをり洗剤まみれの春の水なり

『論語』陽貨二六 孔子曰く、「年四十にして(にく)まるるは、其れ終らんのみ。」

年が四十になっても憎まれるのでは、まあおしまいだろうね。

まあ、そうなんだろうね。

  四十にしてなほ憎まるるはさてこれで終はらんのみか

前川佐美雄『秀歌十二月』一月 斎藤茂吉 

雪の中より小杉ひともと出でてをり或る時は生あるごとくうごく (『白き山』)

『小園』につづく第十六歌集が『白き山』で、昭和二十一年から二十二年まで。茂吉六十五歳から六十六歳の二年間の作。金瓶村から更に北方の大岩田に居を移した茂吉は、ここで間もなく重い病の床に臥し、苦悩に呻吟し、孤独の寂寥に堪えながら、しかもよく努めて晩年におけるまた一つの新しい境地を開くに成功した。この歌は、

道のべに(ひ)(ま)の花咲きたりしこと何か罪ふかき感じのごとく

やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ぬけにして紺の最上川

などからはじまる「ひとり歌へる」と題する四十一首ほどの群作。他にもっとすぐれたのがあると思うにかかわらず、妙に心をひかれる。(略)私はこの歌にさびしい茂吉の心境を読み取った。茂吉は情熱の人だ。すぐに激怒したり、しかもけっして敗けたとはいわぬ強情者だが、茂吉は限りなくさびしい人なのである。

2025年4月15日(火)

雨だったり、晴れだったり、また雨、そして晴。風が強い。

古川順弘『僧侶はなぜ仏像を破壊したか 国宝に秘められた神仏分離・廃仏毀釈の闇』読了。改めて日本近代、維新期の大きな過ちについてのルポルタージュを読んだ。とはいっても、「明治の廃仏毀釈は政府が命じたものではない。それは、神仏分離令に刺激されて、地方官や神職ときに民衆が主体となって行われたものだった。」地域によって濃淡があり、それぞれの地の特色があった。「いずれにしても明治新政府の宗教政策によって生まれた一種の「新宗教」であり。現在の神社神道もその延長線上にあるといえるのではないか。どちらにしても日本近代の大きな過ちである。

  あたたかになれば老いの軀もうねりくねりさるすべりの木の真似をしたりき

  たんぽぽの黄の色惚けそろそろに綿毛となりて飛びゆかむとす

  こんな日々が続けばよいがどうだろう梅雨も早かろ夏も近かろ

『論語』陽貨二五 孔子曰く、「唯だ女子と小人は養ひ難しと為す。これを近づくれば則ち不孫なり。これを遠ざくれば則ち怨む。」

女子と小人は養い難き、有名な文言であるが、これ差別ではないのか。

  女子と小人は養い難しといふけれどこれこそ差別といはざるべきか

前川佐美雄『秀歌十二月』一月 斎藤茂吉

くやしまむ(こと)も絶えたり炉のなかの(ほのほ)のあそぶ冬のゆふぐれ (『小園』)

歌集『小園』(第十五歌集)は昭和十八年から二十一年に至る茂吉六十二歳から六十五歳までの作を収めている。二十年四月に郷里山形県南村山郡堀田村金瓶に疎開し、ここで八月十五日の敗戦をむかえた。(略)茂吉にあってはこの敗戦は言語絶する痛恨事であり、その精神的打撃は深刻極まるものがあったと思われる。この歌は「金瓶村小吟」中の一首だが、それを思い、これを読むと「くやしまむ言も絶えたり」と言わねばならかった真情がおしはかられて、ひとしおにあわれを催すのである。(略)抑制しきれずにようやく絶望に似たうめき声を発したのがこれなのだ。「言も絶えたり」にはそういう沈鬱のひびきがこもっている。(略)敗戦を悲しむ詩歌は数多くあらわれたけれど、これほど深くしずかに身に沁みわたるものは一つもなかった。

  沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ

2025年4月14日(月)

昨夜は雨のようだったが、今朝からはしっかり晴れ。

  今朝も鳴く鳥の声する強き声これはひよどり甲高きこゑ

  命あはれせいいっぱいに花ひらく木蓮の白けふはいと愛し

  海棠の赤きも増えてぽつりぽつりさみどりの葉の繁れる中に

『論語』陽貨二四 子貢問ひて曰く、「悪むこと有りや。」孔子曰く、「人の悪を称する者を悪む。下に居て上を訕る者を悪む。勇にして礼なき者を悪む。果敢にして塞がる者を悪む。」孔子曰く、「賜(子貢)や亦た悪むこと有るや。」徼めて以て知と為す者を悪む。不孫にして以て勇と為す者を悪む。訐きて以て直と為す者を悪む。」

  孔子も子路も悪むことある。悪むことあまたあれども致し方なし

前川佐美雄『秀歌十二月』一月 西行法師

年たけて又こゆべしと思ひきやいのちなりけりさ夜の中山 (新古今集)

東大寺重源上人との約による、東大寺再建勧進の沙金を得るための大旅行。

西行が初めての東国下りしたのは二十六歳の時だったから、今回は四十年ぶりということになる。

数百数千言を費やしても如何ともいい尽くせない。千万無量の思いがこもっている。

2025年4月13日(日)

朝方曇りだったが、やがて雨。今日一日雨である。

松下龍之介『一次元の挿し木』読了。大学でのDNA鑑定と日本の企業、そして樹木の会という新興宗教が絡み合って、ミステリアスな展開、少女たちが美しい。なかなかに鬼気迫りながら、たちまちに読ませる。たのしい読み物であった。

  満開の木蘭をよそにザクロの木独自にくねり太き幹なり

  海棠も赤きを交えさみどりの色見せて春の訪れである

  冬の木も枝ごとの芽のみどり色あきらかにここに春の目覚め

『論語』陽貨二三 子路曰く、「君子、勇を尚ぶか。」孔子曰く、「君子、義以て上と為す。君子、勇ありて義なければ乱を為す。小人、勇ありて義なければ盗を為す。」

上に立つ者・下々の者。「君子・小人」はここでは在位者と被治者。

  勇ありて義もあればそれが君子なり勇ありて義なければ盗をなすのみ

前川佐美雄『秀歌十二月』一月 西行法師

はるかなる岩のはざまにひとりゐて人めおもはで物思はばや (新古今集・巻第十二)

ともあれはなはだ近代的な感じのする歌で、しずかだけれどその感情は強く端的に表現されていて、新古今集中恋歌の絶唱、これにおよぶものなしと断じたい。

2025年4月12日(土)

いい天気だ。途中から曇りになるそうだが、おおむね春らしい。

  自動(じ)販売機(はんき)の下に平たき西洋蒲公英ここにもことしの春が来てゐる

  木蓮の枝ごとにある花ひらく純白の花日にうつくしく

  いつのまにか暖かくなり春の気配小さき花のむらさきひらく

『論語』陽貨二二 孔子曰く、「飽くまで食らひて日を終え、心を用ふる所なし、難いかな。博奕(はくえき)なる者あらずや。これを為すは猶已むに(まさ)れり。

  なにもしないより博奕でもするほうがいい心用ふる

前川佐美雄『秀歌十二月』一月 大伴家持

あたらしき年の始めの初春の今日降る雪のいや()吉事(よごと) (万葉集巻二十・四五一六)

『万葉集』全二十巻の最後の歌である。

2025年4月11日(金)

あまり天気はよくなさそうだ。

  殻割りてつぼみの白きものひかる木蘭の花もうすぐに咲く

  ゑんじゅの冬の枝にきてそれぞれに枝揺らす目白三羽が

  冬の木を揺らして黒鶺鴒お尻重たく次の木に移る

『論語』陽貨二一 「(さい)(が)問ふ、三年の喪は期にして已に久し。君子三年礼を為さずんば、礼必ずや(やぶ)れん。三年楽を為さずんば、楽必ず崩れん。旧穀既に(つ)きて新穀既に(みの)る、(すい)(き)りて火を改む。期にして已むべし。」

孔子曰く、「夫の稲を食らひ、夫の錦を衣る、(なんじ)に於いて安きか。」曰く、「安し。」「女安くんば則ちこれを為せ。夫れ君子の喪に居る、旨きを食らふも甘からず、楽を聞くも楽しからず、居処安からず、故に為さざるなり。今女安くんば則ちこれを為せ。宰我出ず。

孔子曰く、「予(宰我)の不仁なるや。子生れて三年、然る後に父母の懐を免る。夫れ三年の喪は(それを考え合わせてさだめたもので)天下の通喪なり。予(宰ガ)や、其の父母に三年の愛あらんか。」

  三年の喪はそれなりに意味がある勝手のかえるは不仁にやあらむ

蓮田善明訳『古事記歌謡』は、前の日に終えた。蓮田善明の訳は、俗っぽくもあるが、なるほどと思わせ、おもしろくもあった。上官の敗戦後の物言いが許せず、上官を撃ち殺し、自裁しというのも、彼の倫理であった。私は、それを已むを得ぬものと肯定する。

今日からは、前川佐美雄『秀歌十二月』から歌を載せていく予定だ。すこし季節は外れるが一月からはじめる。

大伴家持

初春の初子(はつね)の今日の(たま)(ははき)手に(と)るからにゆらぐ玉の緒 (万葉集巻二十・四四九三)

初春のめでたい初子の日に際して今日賜った玉箒はちょっと手に取ってみただけでも、もうその玉の緒がゆれて何ともいえずすがすがしい気持だ。

2025年4月10日(木)

曇りだけど、気温は上がっているようだ。

  走る走る孫の(を)の子がひた走るその姿老いには少し重たし

  孫が走る映像を見てよろこべるわが妻の声ただ笑ひをり

  走り蝶追ふ男の子なり下総の春によろこびをらむ

『論語』陽貨二〇 孺悲(じゆひ)(哀公の命をうえて、孔子から士の喪礼を学んだとある魯の人物)、孔子に(まみ)えんと欲す。孔子辞するに(やまい)を以てす。(めい)(おこな)ふ者、戸を(い)ず。(しつ)を取りて歌い、これをして聞かしむ。

仮病だと知らせて孺悲の反省をうながした。

  禱悲なる者孔子に会はんと来たりしが疾と偽り瑟を聞かしむ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 百一一 顕宗天皇

そのうちに、ある日、置目老媼は参上して、「わたくしは、いたく年をとっておりますので、」おいとまをいただきまして、故郷に下がろうとぞんじます。」と申し上げた。そこで、言うままにお下げになる時、天皇はお見送りになって、
歌い給うには、
置目もや (あふ)(み)の置目        近江の置目よ さようなら
明日よりは み山(がく)りて     これで別れてしまったら 明日から山に隔てられ
見えずかもあらむ          そなたの姿も見られぬか

  淡海の置目老媼明日からは山を隔てて見るもかなはず