2025年1月6日(月)

朝は雲がもも色になり、晴れていたのだが、やがて雨になるらしい。ほどよい雨ならばうれしいのだが。

  大山に雲かかりたる睦月三日寒げなり空は重し

  大山は動かぬところ穏やかなり木々も動かず一月の空

  ことしこそまあまあ穏やかであればよし日々戦乱の報ぞなければ

『論語』憲問二八 曾子曰く「君子は思ふことの其の位を出でず。」

  君子は職分以外は考えず曾子言ひけりこのことばよし

『古事記歌謡』 一八 イスケヨリヒメ
あめつつ ちどりましとと   これはこれは千鳥さま
など裂ける利目        なんでお目目が裂けてるの

  目が裂けて見ゆるは目尻に刺青を入れてゐるせいだからだらう

2025年1月5日(日)

快晴だ。

谷崎潤一郎『鍵・瘋癲老人日記』の二編を読む。どちらも性的には不能になっている老人の性欲の話である。「鍵」は、美形の妻との交渉を、それぞれの日記を秘密に読む、といってもお互いに読んでいることを悟られないように、実は知っているのだが、その交渉が中心になる。「瘋癲老人日記」は、嫁の颯子への偏愛ぶりが異常なほどで、どちらも奇抜ながら楽しめるし、おもしろい。年をとった谷崎は変だ。ま年寄ってからだけではないのだが。

  赤いポスト一本足に立ちたるにここより異界かポスト跳び飛ぶ

  まだ少し葉の残りたるあけぼの杉朝のひかりに照らされてゐる

  けやき樹はとうに少しの葉は落ちて死にたるか洞の穴深くして

『論語』二七 孔子曰く「其の位に在らざれば、其の政を謀らず。」
その地位にいるのでなければ、その政務に口出しをしない。

  その位置になければ孔子は政務に口出しをせじず

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一七 カムヤマトイハレビコノ命
かつがつも      まずまず
最先だてる      真先の
愛をし纏ふ      美人を得たいものじゃ

  先頭の大きな目の娘を選ばむとカムヤマトイハレビコノ命言ふ

2025年1月4日(土)

今日は晴れてる。しかし寒いのだ。

今年の紅白歌合戦の題名から、

  晩餐会はあんたの花道、幾億光年はいよろこんで

  神田川になごりの雪のぽつりぽつり寂しきときのすぎとすらむ

  冬日差しながくのびたるこの日暮れなにごともなく一日すぎたり

『論語』憲問二六 (きょ)(はく)(ぎょく)(衛の大夫)、人を孔子に使ひせしむ。孔子これに坐を与へて問ひて曰く、「夫子何をか為す。」対へて曰く「夫子は其の過ち寡なからんことを欲して、未だ能はざるなり。使者出ず。孔子曰く「使ひなるかな、使ひなるかな。」

  反省をよく重ねたる蘧伯玉その使者立派なりよき使ひなり

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一六 オホクメノ命
オホクメノ命は、イスケヨリヒメを見て、歌をもって、
倭の 高佐士野を      倭の高佐士野を
七行く 媛女(をとめ)ども      おとめ七人並び行く
誰をし(ま)かむ        妻に召すにはどれがよい

  倭の高佐士野を並びゆく媛女(をとめ)妻に召すにはいづれよからむ

2025年1月3日(金)

曇っていて寒い。

鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を抹殺したのか』読了。廃仏毀釈は江戸時代に水戸藩ではじまっていたこと。また維新後は、地方官僚による忖度、さらに大寺の堕落などがかさなり暴走したこと。浄土真宗をはじめ寺院側からの働きかけもあって、復寺院も見られたこと。あれこれ実地に調査して書かれている。

  無謀なる神仏分離令の解釈を良しとしたるか水戸、そして薩摩

  忖度は碌なこと無し各地区に仏像、寺院建築毀釈されたり

  仏像は信者が隠しほとぼりのさめたるときに直されてゆく

『論語』憲問二五 孔子曰く「古の学者は己れの為にし、今の学者は人の為にす。」
なんだか、今の学者を言い当てているようだ。

  古の学者と今の学者とを比べて語る孔子なりけり

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一四 カムヤマトイハレビコノ命
また、
神風の 伊勢の海の     神の風吹く伊勢の海の
大石(おひし)に 這ひ廻ろふ     石にとりつく細螺(きさご)(がい)
細螺(しただみ)の い這ひ廻り     とりつき這いつき じりじりと
撃ちてしやまむ       囲み撃て撃て 撃ち果たせ

  伊勢の海の石にとりつく細螺のとりつき這ひつき撃ちてしやまぬ

2025年1月2日(木)

穏やかな晴れである。

  戦争好きはこの人類のものなるかロシア、イスラエルまず滅ぶべし

  一向に戦ひやまざるウクライナお互ひに負けたることを知らず

  ガザ地区をかくも無惨に破壊してイスラエルよいい気なもんだ

『論語』憲問二四 孔子曰く「君子は上達す。小人は下達す。」

  孔子言ふ君子は上達小人は下達ああそれぞれに通ずることなし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一三 カムヤマトイハレビコノ命
また、
みつみつし 久米の子らが    若々しい久米の子らが
垣下(かきもと)に 植ゑに(はじかみ)       垣根に植えた生薑を
(ひび)く われは忘れじ      かめばぴりりと口疼く 亡兄を思へば胸疼く
撃ちてしやまむ         おのれ撃て撃て 撃ち果たせ

  久米の子よ亡き兄おもへば胸疼く撃ちてしやまむ仇は撃つべし

2025年1月1日(水)

天、晴れ。

今日から「さねさし歌日録Ⅲ」として続けようと思う。今年は二〇二五年、ほんとうに早いものだ。一首目は、年賀状に刷ったものだ。

  いくそたび危地にふれしも生き延びて今年の年酒『晴雲』に酔ふ

  ひよっとこの仮面に手足動かしてひょっとこになるわれならなくに

  お多福の仮面かぶりし妻ならむその顔いきいきと阿亀の踊り

『論語』憲問二三 子路、君に事へんことを問ふ。孔子曰く「欺くこと勿れ。而してさからってでも諫めよ。」

  主君には欺く事勿れそしてさからってでも諫めることぞ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一二 カムヤマトイハレビコノ命
トミビコを討つ時の歌
みつみつし 久米の子らが    若々しい久米の子が
粟生には 臭韮一茎       つくる粟畑の韮草を 一茎抜けば皆
其根が基 其根芽つなぎて    つづいてそっくり抜けてくる
撃ちてしやまむ         つづけて撃て撃て 撃ち果たせ

  みつみつし久米のみ子らが韮草を根からひき抜け撃ちてしやまむ

2025年1月30日(木)

今日また晴れ。しかし寒い。

メメント・モリ

  すべからく曖昧になり死にむかふ骨と皮のみぬけがらの死か

  それとも死の間際まで明晰でありつつ肉体滅びゆくかも

  おそらくはあれもこれも渾沌とからだの滅びとらへがたなし

『論語』衞靈公六 子張、行はれんことを問ふ。孔子曰く、「言 忠信、行 篤敬なれば、蛮貊の邦と雖ども行なはれん。言 忠信ならず、行 篤敬ならざれば、州里と雖ども行なはれんや。立ちては則ち其の前に参ずるを見、輿に在りては則ち衡に倚るを見る。夫れ然る後に行はれん。」子張、「諸れを紳に書す。」

  行なうといふことの難しさを子張に答ふ言忠信、行篤敬がたいせつならむ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 四三 応神天皇
ヤガハエヒメに杯を奉らせ、天皇は杯を捧げさせたままで、歌を詠んだ。
この蟹や 何処(いづく)の蟹        やれ蟹よ そなたはどこの蟹である
(もも)(づた)ふ (つぬ)鹿(が)の蟹        わたしははるばる(こし)(ぐに)の 敦賀の蟹でございます。
横去らふ 何処に至る       横ばいしながらどこに行く
伊知遅(いちぢ)島 (み)島に着き       伊地遅島から美島にと 着けば疲れて息苦し
(みほ)(どり)の (かづ)き息づき        ちょいと休みは琵琶の湖 水を潜って浮び出て
しなだゆふ 佐佐那(ささな)(み)(ぢ)を     (にお)が吐息をつくように 息を休めて近江路の
すくすくと わが(い)ませばや    坂をせっせとやって来りゃ
木幡の道に (あ)はしし嬢子(をとめ)     木幡の村にかかる時 会ったおとめの美しさ
後姿(うしろで)は 小楯(をだて)ろかも        後姿は楯の様で すらりと伸びて 出そろった
歯並(はなみ)は (しひ)(ひし)なす         歯並は椎か菱の実か
(いちひ)(ゐ)の 丸邇(わに)(さ)(に)を       顔には丸邇坂のよい土を
初土(はつに)は 膚赤らけみ        上土は少し赤すぎる
庭土(しはに)は (に)(ぐろ)きゆゑ        下土はちょいと黒いので
(みつ)(ぐり)の その中つ(に)を       栗の三つのその中に 中の土をば採ってきて
(かぶ)つく 真日には当てず      日にも当てない(ま)(びたい)
眉画(まよが)き (こ)(か)(た)れ       濃くまゆずみを引いている
遇はしし(をみな)            おとめに会った昨日から
かもがと わが見し子ら      ああもしようかあのおとめ
かくもがと あが見し子に   こうもしようかこのむすめ 思い続けたおとめ子に
うたけだに 向ひ(を)るかも     あゝ目の前で杯を とらせて酒を酌むことよ
い添ひ居るかも          間近に添うていることよ

かくてお婚しになって、産んだ子が、さきに述べたウジノ若郎子であった。

  美しきをとめごと杯をかはして添ひねるを思ひ続けしスメラミコトは