2024年12月25日(水)

今日もいい天気だが、寒い。

  暁闇の県道を行く大型トラック赤信号にゆったり停止す

  信号の赤から黄色そして青走りだすべしわが乗る自動車(くるま)

  払暁に地平の色はだいだいに染まりゆくなり未だ寒し

  県道を通る自動車のすくなくて横断歩道でないところ渡る

『論語』憲門一六 孔子曰く「晋の文公は、譎りて正しからず。斉の桓公は正しくて(いつわ)らず。」

  晋の文公と斉の桓公とを比べたる優劣は道義にあり桓公俊る

『古事記歌謡』 四 ヌナカハ姫

  青山に 日が隠らば       青山西山 日が暮れて

  ぬばたまの 夜は出でなむ    暗い真暗い夜になれば

  朝日の 笑みて栄え来て   朝日のようにうれしさを 笑みに浮べて会いましょう。

  栲綱の 白き腕         栲綱の様な白腕

  沫雪の わかやる胸を      淡雪の様な軟胸

  そだたき たたきまながり    互いにしっかり抱きかわし

  真玉手 玉手差し纏き      互いに手をば差しかわし

  股長に 寝はなさむを      足も長々さしのべて 心ゆく夜もあるものを

  あやに な恋ひ聞こし      あまり急いたり遊ばすな

  八千矛の 神の命        八千矛の神の命よ 心から

  事の 語り言も 此をば     聞かせてやりたい この歌を

こうして、その夜にはお許しにならずに、翌る日にお婚いになった。

  恥じらひて即日返辞は返さざる沼河比賣の嗜みとおもふ

2024年12月24日(火)

晴れ、少し雲が増えてくる。

  褐色の貧寒たる庭のあけぼの杉冬のはだか木に化すまへの様

  貧相なるあけぼの杉にぼそぼそとしがみつくなり褐色の葉々

  あと数日のうちに褐色の葉は落ちて冬のはだかの木に荘厳す

『論語』憲問一五 孔子曰く「臧武仲、(罪によって魯を追われた)防(臧武仲の封地)を以て魯に後たらんことを求む。君を要せずと曰ふと雖ども、吾は信ぜざるなり。」

この反乱には同情の余地はない、ということだろうか。

  蔵武仲の氾濫は信用しがたしと孔子のたまふゆるぐことなく

『古事記歌謡』蓮田善明訳 三 ヌナカハ姫

ヌナカワ姫は、戸をあけず家の中から歌われる。

  八千矛の 神の命        八千矛の神の命よ

  ぬえ草の 女にしあれば     なよなよ草の女ゆえ 胸の思いを譬うれば

  わが心 浦渚の島ぞ      浦渚に棲める鳥のよう 人目が気が気でなりませぬ

  今こそは 千鳥にあらめ     千鳥の群れ鳴く思いして 心が千々に乱れます

  後は 和鳥にあらむを    けれどもやがて時を見て きっと静かに会いましょう

  命は な死せ給ひそ       待って下さい 死なないで

  いしたふや 天馳使       心焦がるるこの歌は 心も空に飛ぶ思い

  事の 語り言も 此をば     聞かせてやりたい かのひとへ

  八千矛の神の命に恋すれどぬえ草の女にしあれば人目気になる

2024年12月23日(月)

快晴。

四方田犬彦『わたしの神聖なる女友だち』を読む。四方田の刊行する本を必ず読んでいた若い時代があったが、いつからかほとんど読まなくなった。久しぶりの四方田犬彦である。軽快な文章が四方田のものだが、この「女友だち」との稀有のつきあいの暴露は、人生週末を意識したものように思える。あの若かった四方田も七十を越したようだ。私は六十八、そう変わるわけではないが。

  出雲国松江の城に松平不昧がたてる茶を喫したり

  不昧公に育てられたる和菓子文化松枝はどこか落着きのある

  松江城をめぐる掘割の深き水小泉八雲もめぐりたりしか

『論語』憲問一四 孔子問ふ「公叔文子を公明賈に問ひて曰く、信なるか。夫子の言

はず、笑はず、取らざること。公明賈対へて曰く、「以て告す者の過ちなり。夫子、時にして然る後に言ふ、人其の言ふことを厭はざるなり。楽しみて然る後に笑ふ、人其の笑ふことを厭はざるなり。義にして然る後に取る、人其の取ることを厭はざるなり。孔子曰く「其れ然り。豈に其れ然らんや。」

  公叔文士を公明賈に問ふ孔子にて其れ然り豈に其れ然らんや

  『古事記歌謡』蓮田善明訳 二 ヤチホコノ神

  八千矛の 神の命は       八千矛の神の命ぞ

  八島国 妻求ぎかねて      八島国こそ広けれど 気に添う妻を求めかね

  遠遠し 高志の国に       遠い遠い越国に

  賢し女を ありと聞かして    賢いおとめがあると聞き

  麗し女を ありと聞こして    美しいおとめがあると聞き

  さ婚ひに 在り立たし      いくたび会いに来たことか

  婚ひに 在り通はせ       いくたびも来ては立つことか

  太刀が緒も 未だ解かずて    太刀の緒紐をまだ解かず

  襲をも 未だ解かねば      忍びの衣もまだ解かず

  処女の 寝すや板戸に      閨の板戸をがたがたと

  押そぶらひ わが立たせれば   押して夜すがらわが立てば

  引こづらひ わが立たせれば   引いて夜すがらわが立てば

  青山に 鵼は鳴き        青山に鳴く鵼鳥の 声に心も身もわびし

  さ野つ鳥 雉は響む       はては雉らが野らで鳴き

  庭つ鳥 鶏は鳴く        はては庭べで鶏が鳴く

  慨たくも 鳴くなる鳥か   ええ 夜も明け方に近づくか 恨めしく鳴くこの鳥め

  この鳥も 打ち止め臥せね    とめてやろうか息の根を

  いしたふや 天馳使       心焦がるるこの歌は 心も空に飛ぶ思い

  事の 語り言も 此をば     聞かせてやりたい かのひとへ

  八千矛の神の命は遠どおし高志の沼河比売恋ふ

2024年12月22日(日)

寒い、晴れ。

  まぼろしの猫ところがるリビングの毛足の長き絨毯のうへ

  すすき野をかけぬけてゆく三毛猫の走る姿のピユーマのごとき

  咽喉を鳴らし甘えよりくる三毛猫に癒されてゐるわれも声あぐ

『論語』憲問一三 子路、成人を問ふ。孔子曰く「(ぞう)(ぶ)(ちゅう)の知、公綽(こうしやく)の不欲、(へん)荘子(そうし)の勇、(ぜん)(きゅう)の藝の(ごと)き、これを(かざ)るに礼楽を以てせば、亦以て成人と為すべし。

孔子曰く「今の成人は、何ぞ必ずしも然らむ。利を見ては義を思ひ、危うきを見ては命を授く、久要、平生の言を忘れざる。亦成人と為すべし。」

  子路の問ふ成人について答へたる孔子の文言ていねいなりき

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一 スサノウノ命

  ・八雲立つ       雲が立つ立つ 八雲立つ

   出雲八重垣      出雲は雲が垣をなす

   夫妻隠みに      (つま)とこもれと垣をなす

   八重垣造る      (つま)とこもれと垣をなす

   その八重垣を

  出雲の國に八重垣立てて妻隠みにわれもこもれり八重垣のうち

2024年12月21日(土)

晴れ、寒い。

  床に敷くカーペットの熱に朝鮮のオンドル思ふハングルは読めねど

  韓国文学なかんづくハン・ガンさんの作品を二冊読むその深きところ

  けふ一日この寒空にふるへたり大陸の冷めたさには及ばざれども

『論語』憲問一二 孔子曰く「猛公綽(魯の国の大夫)、趙魏の老と為れば、則ち優。以て藤薛の大夫と為すべからず。」

猛公綽は、魯の国の大夫だが、趙や魏の大家で家老となるには十分だが、藤や薛のような小国では大夫にすることはできない。

  猛公綽の力量を孔子は言ひ当てる小国をまかせることは遠くおよばず

『王朝奇談集』より
『平家物語』鵼
・人知れず大内山の山守は木隠れてのみ月を見るかな 源三位頼政
・昇るべき便りなき身は木の下に椎を拾ひて世を渡るかな 同
・ほとゝぎす名をも雲井に上ぐるかな(藤原頼長)
弓張月のをるにまかせて(頼政)
・五月闇名をあらはせる今宵かな(右大臣公能)
たそかれ時も過ぎぬと思ふに(頼政)

  椎の実を拾ひてこの世を渡らんかそれでいい出世など求めなくてよし

まあ、源三位頼政とはちがいますな。

2024年12月20日(金)

寒いけれど快晴。

  一ハン・ガンさんの『少年が来た』を読みよみ終へる光州事件の魂しずめ

  『すべての、白いものたちの』死と生をくりかえす人間讃歌と読めぬか

  に移りゆくハン・ガンの書く小説の彩散文詩、韻文詩それぞれ

『論語』憲問一一

孔子曰く「貧しくて怨むこと無きは難く、富みて驕ること無きは易し。」
富めばいいというのか。安易ではないか。

  貧しさに怨むはたやすく富たれば驕ることなし本当にさうか

『王朝奇談集』から
『古今著聞集』能因法師
・天の川苗代水に堰くだせ天くだります神ならば神
・都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関
小野小町
・侘びぬれば身をうきくさの根をたえて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ
女房小大進
・思ひ出づや無き名つ身は憂かりきと荒人神になりし昔を
成通の今様
・雨降れば軒の玉水つぶつぶと云はばや物を心ゆくまで
・いづれの仏の願よりも 千手のちからぞたのもしき
枯れたる草木も忽ちに 花咲き実なると説きたれば
・薬師の十二の誓願は 衆病悉除ぞ頼もしき
一経其耳は扨ておきつ 皆令満足すぐれたり
経信と鬼神
・から衣うつ

  音聞けば月清みまだ寝ぬ人を空に知るかな 藤原公任

・北斗の星の前に旅雁を横たふ
南楼の月の下に寒衣を擣つ

  いづれの仏の願よりも千手の力ぞたのもしき枯れたる木にも花咲かせたり

2024年12月19日(木)

今日は曇りがちで寒い。

須永朝彦編訳『王朝奇談集』読み終える。須永朝彦が選び、現代語訳したものだ。『日本霊異記』『日本往生極楽集』『大鏡』『今昔物語集』『成通卿口伝集』『唐物語』『古事談』『発心集』『続古事談』『十訓集』『宇治拾遺物語』『今物語』『古今著聞集』『沙石集』『撰集抄』『平家物語』『海道記』から選んである。現代語訳の中に括弧して注記が入れてあり、また訳もわかりやすく原文に近い感じで読める。

  みささぎに冬の雪ふるそのときこそこころしづめておろがみまつれ

  猿のかたちの陪臣どもが寄りあひてみささぎの主に深き(いや)する

  耳原の御陵に灯る一つ火のしづかに燃えてすめらきの霊

『論語』憲問一〇 或るひと(鄭の)子産を問ふ。孔子曰く「恵人なり。」(楚の)子西を問ふ。曰く「彼れをや、彼れをや。(語るまでもない。)」(斉の)管仲を問ふ。曰く「伯氏の駢邑三百を奪い、疏食を飯ひて歯を没するまで怨言なし。

  鄭、楚、斉のそれぞれの人をとりあげて孔子のたまふ優れたる人

『春秋の花』 岡本かの子
・流るる血ながしつくして厨辺に死魚ひかるなり昼の静けさ 『浴身』(1925)所収。
・風もなきにざっくりと牡丹くづれたりざっくりくづるる時の来りて
  *
・かくばかり苦しき恋をなすべくし長らへにけるわれにあらぬを

  あけぼの杉冬木にならむ。いつくるか木の周辺(まはり)には葉がちらばりて

本日で『春秋の花』を終えることになる。この復刊に寄せて大西巨人の配偶者である大西美智子の文章が載っている。巨人は二〇一四年に九十七歳で亡くなっている。百十五歳まで生きると本人はいっていたらしいが、しかし長寿だと思う。こんなことが書いてある。「うそつき、ごまかし、あいまいを嫌悪した。」そういう人だったのだろう。私には、とっても及ばない。私はうそをつき、ごまかしが多く、あいまいだ。とはいえ大西巨人の人物像が浮かんできた。敬愛するに足る人である。

明日からは須永朝彦編訳『王朝奇談集』から和歌を少々、その後蓮田善明による『古事記』の現代語訳から歌謡を取り上げる予定です。