2025年3月26日(水)

朝から18度、27度になるらしい。

  白梅の花爛れたやうにほころびて淫靡なる香に滅びかゆかむ

  この頃は梅の花ほろび香らざる然るに茫と立つわれなむ

  ときをりは三人官女のしろき肌いづれも若く熟れたるやうな

『論語』陽貨五 (こう)山不擾(ざんふじょう)(公山氏は季氏の家臣。陽虎の反乱のあと季氏に叛いた)、費を以て(そむ)く。招く。子往かんとす。子路説ばずして曰く、「(ゆ)くこと(な)きのみ。何ぞ必ずしも公山氏にこれ之かん。」孔子曰く、「夫れ我を召く者にして、豈に徒ならんや。如し我を用うる者あらば、吾は其れ東周を為さんか。」招く者が本気ならば、孔子はその国にゆく。そして東の周を興す。

  いづこにも本気で招くことあればただちに往って東の周興す

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九九 オホハツセワカタケルノ王

またある時、天皇が葛城山の上に登った。すると、大きな猪がとび出してきた。

天皇は見るより早く、(なり)(かぶら)(や)で射たところが、猪は怒って寄ってくる。天皇は、その怒号に恐れて、(はん)の木の上によじ登った。そして、
やすみしし わが大君の     わが大君が射止めたる
遊ばしし (しし)の         手負いの猪が荒れ狂い
(やみ)(しし)の (うた)(かしこ)み       唸りをあげて飛びかかる
わが逃げ登りし        幸いこれなる丘の上の
在丘(ありを)の (はり)の木の枝      榛の枝へと逃げ登る
と、歌を詠む。

  病猪の激しく怒り大君に突進してくれば榛の木に登る

2025年3月25日(火)

暖かである。

文庫版の松下竜一『私兵特攻 宇垣纏と最後の隊員たち』を読んだ。昭和天皇の玉音放送があっての後、特攻に向かった宇垣長官とそれに従った若い隊員たち。なぜ宇垣は若い隊員を引き連れて死への飛行を実施したのか。宇垣たちだけではない終戦の後の特攻などの謎に取り組んだルポルタージュ。寺司勝次郎の追跡調査が中心テーマのように書かれるが、筆者は松下竜一であり、その点でも変わっているのだが、やはりこの「私兵特攻」とも言うべき事態をどう見るかが、読者それぞれに問われている。戦争が終わっているにもかかわらず若者を死に導いた宇垣を許せるのかどうか、命令が絶対だった、反意を告げることもできない純粋な若き隊員たちの姿が戦争経験のない私には痛烈な問いが課せられているように思われる。それは、実際に戦争が行われている世界を思うと、よりつらいものであった。

宇垣ら特攻には二人乗りの彗星が使われている。宇垣は、その彗星に3人目として乗り込んだのだ。ちなみに彗星は、太平洋戦争に於いて日本海軍の飛行機の中で私のもっとも好きな機種である。

  冬の木の枝移りつつ小雀がちひさく鳴きをり枝をゆらして

  水木の枯たる枝に雀ゐるふるへて鳴くか枝動かして

  木を移り枝を移れる雀ゐるてっぺん近き枝に鳴きをり

『論語』陽貨四 孔子、武城に之きて絃歌の声を聞く。夫子莞爾として笑ひて曰く、「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用ひん。」子遊対へて曰く、「昔者偃や諸れを夫子に聞けり、曰く、「君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易しと。」孔子曰く、「二三子よ、偃の言是なり。前言はこれに戯れしのみ。」

  孔子にても弟子を前にし揶揄したることもあるべしそれも聴きにき

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九八 オホハツセワカタケルノ命

阿岐豆野に行幸して、狩りする時に 天皇が椅子に倚っているところへ、虻が来て天皇の腕にくいついたのを、蜻蛉が来てその虻をくって飛び去った。ここに歌を詠みんだ、
み吉野の 袁牟漏(をむろ)が岳に       吉野の奥の袁牟漏岳
(し)鹿(し)伏すと たれぞ大前に(まを)す    いのししや鹿が多いと
やすみしし わが大君の       お誘いしたのは何者じゃ
猪鹿待つと (あ)(ぐら)(いま)し       呉床に(ま)して(しし)鹿(しか)
白妙の (そで)(き)(そな)ふ          出てくるやつを待っていりゃ
手腓(たこむら)に 虻掻(あむか)きつき      虻が飛びつき手腓に 食いつくところを飛びついて
その虻を (あき)(づ)早咋(はやぐ)ひ        蜻蛉(とんぼ)がぱくっと食い殺す
かくのごと 名に負はむと   これは蜻蛉の国の名を、自分の名にして仕えようと
そらみつ 倭の国を         忠義を尽くしたものだろう
蜻蛉(あきづ)島とふ
だから、その時から、その野を阿岐豆野というのである。

  大君の手腓(てtaむら)に虻がくらひつく(あき)(づ)早咋(はやぐ)ひその名を呼びき

2025年3月24日(月)

曇り空で、昨日ほど暖かくないが、木蘭が満開である。

  停留所の看板の前に悄乎(しょんぼり)としてゐる老いを指さす子らが

  なんとなくをかしき姿(なり)をしてゐるか子らの囁き耳に聞こゆ

  自販機に買ひ求めたるペットボトル海豹(あざらし)のごとく貌あげて飲む

『論語』陽貨三 孔子曰く、「唯だ上知と下愚とは移らず。」

だれでも習いによって善くも悪くもなるものだが、ただとびきりの賢い者とどん尻の愚か者とは変らない。

ふむふむとは、思うものの、ここにも差別感覚があるような、ないような。

  孔子が言ふただ上知の者と下知のものとはつひに変らろうとせず

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九七 オホハツセワカタケノ命

天皇が、吉野の宮に行幸した時、吉野川のほとりで、少女に会った。美しい少女であったので、この少女をつれて還幸になった。その後また吉野に行幸のみぎり、その少女に会った所にとどまって、椅子を据えさせてそれに倚って、琴を弾いて、その少女に舞を所望した。少女は、よく舞うた。そこで、
(あ)(ぐら)(ゐ)の 神の御手もち      呉床にわが居て琴ひけば
弾く琴に 舞する(おみな)        立ち舞うおとめよ 永久にあれ
常世にもがも           花のおとめよ 永久にあれ
と、歌をよんだ。

  大君の琴に合わせて舞ふをみなその舞こそは永久にありけれ

2025年3月23日(日)

春の陽気になるという。

北方謙三『降魔の剣』読了。日向景一郎シリーズ2である。おもしろくはあったが、景一郎が強いことは、『風樹の剣』で分かっていた。その意味で緊迫感が少し欠けているようにも思える。

鉄馬や森太郎にも多く触れ、杉谷や町方、薬剤師、医師、あるいは庄内藩の出方なども興味深くはある。それにしても景一郎は、いったい何人の人を斬るだろう。

  朝靄にパティオの木々は明けてゆくあけぼの杉も夏つばきの木も

  それぞれに花を咲かせる準備あり枝に尖り芽けばけば弾丸

  椿にはすでにあまたの花着けて葉のみどりのうちに赤きを隠す

『論語』陽貨二 孔子曰く、「性、相ひ近し。習へば、相ひ遠し。」

生まれつきはにかよっているが、しつけ(習慣や教養)でへだたる。まあ、そういうこともあるが、近年の教育は、できるだけ平等にしたいと俺は思ってきた。しかし、この世界はままならぬことばかりだ。

  ままならぬこと多かれど孔子言ふ「性、相ひ近し、習へば遠し」

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九六 アカキコ
また、
日下江の 入江の(はちす)       日下の入江に咲き盛る
花蓮 身の盛り人        蓮のような若人の
(とも)しきろかも          花の歳こそうらやまし

そこで、この老女に、物をたくさん賜って帰した。右の四首(九三・九四・九五・九六)は「静歌(しずうた)」である。

  日下江の蓮のごとき若人のすめらみことの羨もしきろかも

2025年3月22日(土)

晴れ、しかし朝は寒い。やがて二十度を超すらしい。

  今日もまたベランダをゆく黒鶺鴒織女のごとく大尻振りて

  そしてまた図体のわりに足ほそき黒鶺鴒に似合はぬ歩み

  冬の木の繊き枝には愛らしき数羽の目白木を揺らしをり

  なんとなく間抜け顔なる目白なり絵のやうな目のくりくりとして

『論語』陽貨第十七 一 陽貨(季孫氏の家臣。主家をおさえて魯の国政を握ったが、後に失脚) 、孔子を見んと欲す。孔子(まみ)えず。孔子に豚を(おく)る。

孔子其の亡きを時として往ききてこれを拝す。(みち)に遇ふ。孔子に謂ひて曰く、来たれ。(わ)(なんじ)と言はん。曰く、其の宝を懐きて其の邦を迷はす、仁と謂ふべきか。曰く、不可なり。事に従ふを好みて亟々時を失ふ、知と謂ふべきか。曰く、不可なり。

  日月逝く、歳我れと(とも)ならず。孔子曰く、諾。吾れ将に仕へんとす。

  陽貨のもとに仕へん日やあるか孔子どん答へ曖昧なり陽貨を嫌ふ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九五 アカキコ

そこで、アカキコの泣く涙は、その着ている丹染めの袖もぬれ通るほどであった。アカキコが答えた歌は、
御室に (つ)くや玉垣        御室の神の神主が 年ごろ仕えて来たように
築き余し (た)にかも寄らむ     年ごろ守ってきた上は
神の宮人             いまさら誰に仕えましょうか

  八十年、年とるままに天皇を思へばいまさら誰に仕へむ

2025年3月21日(金)

朝はやはり寒い、昼には十八度、春の陽気になるというが。

『文豪怪談傑作選 泉鏡花集|黒壁』(東雅夫選)をやっとこさで読み終えた。鏡花の小説の文章は、実にレトリカルで勉強になるし、声に出して読むのに最適だ。「高桟敷」「浅茅生」「幻往来」「紫障子」「尼ケ崎」「菊あわせ」「甲乙」「黒壁」「遺稿」「幼い日の記憶」の十編。どれもおもしろい、怖い。とりわけ蝮を殺す「尼ヶ崎」、あとはつぎつぎに出る「女怪幻想」が凄い。蝮の描写とか女性の怪を堪能してほしい。

  春や来るにいまだ寒き日つづきたり庭の椿に花(さは)に咲く

  葉に隠れ一輪一輪咲きにけり赤き椿はものいふごとし

  どことなく色艶感ず椿の花そろそろ春も近しと思ふ

『論語』季氏一四 邦君の妻、君これを称して夫人と曰ふ。夫人自ら称して小童と曰ふ。邦人これを称して君夫人と曰ふ。異邦に称して寡小君と曰ふ。異邦の人これを称して亦君夫人と曰ふ。

国君の妻は国君がよばれるときには夫人。夫人が自分でいうときには小童。その国の人が、国内でよぶときには君夫人。外国に向かっていうときには寡小君。外国の人がいうときにはやはり君夫人という。

  呼び方の乱れを正す孔子なりたとへば邦の夫人の言ひ方

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九四 オホハツセワカタケルノ命
また、
引田(ひけた)の (わか)(くる)栖原(すばら)        そなたの在所の栗林 若木が多いというけれど
若くへに (ゐ)(ね)てましもの    その若い日にそなたをば
老いにけるかも         (め)したいものを 老いはてて

  若き日に恋せしものを老いたれば婚したきものを老いはてたまふ

2025年3月20日(木) 春分の日

一九九五年地下鉄サリン事件から、この日で三十年になる。あの日、私も都心に出て別の地下路線に乗ったので、危険は他人事ではない。

夕べ寒かったようで。大山・丹沢連山は斑に雪が被っている。

  大山や丹沢連山の谷筋に雪残りをり夕べ雪降る

  昨夜までひとしほ寒きに大山も丹沢連山も雪降るらしき

  見上ぐれば谷筋白く斑なり大山、丹沢昨夜雪降る

『論語』季氏一三 陳亢、「伯魚(孔子の子)に問ふて曰く、子も亦た異聞ありや。」対へて曰く、未だし。嘗て独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。」曰く、「詩を学びたりや。」対へて曰く、未だし。詩を学ばずんば、以て言ふこと無し。」鯉退きて詩を学ぶ。他日又独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、「礼を学びたりや。」対へて曰く、「未だし。」「礼を学ばずんば、以て立つこと無し。」鯉退きて礼を学ぶ。「斯の二者を聞けり。」陳亢退きて喜びて曰く、「一を問ひて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞く。」

  孔子父子のおこなひ分かる章段なり特別扱ひはついぞなかりし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九三 オホハツセワカタケルノ命

またある時、天皇は、旅行に美和川に行くと、その折り、川のところで衣を洗っている少女がある。たいそう美しい少女で、「そなたはだれの子か」と尋ねると、「わたしの名は、引田部のアカキコと申します」と言った。そこで、「そなたは、嫁がないでいなさい。京に帰ったらすぐに召すことにするから」アカキコは天皇のお召しを待って、八十年を経た。(略)多くの献上物を整えて参内して奉った。しかし天皇は、先に言ったことを、とっくに忘れて、「そなたは何という老女かの。また、何の用事で参内したのだね」と尋ねるのであった。

「これこれの年の、これこれの月に陛下の仰せをこうむりましてから、今日までお召しを待っておりましたが、はや八十年もたって、もう今では、顔かたちも全くの老いぼれ、お召しをいただく望みも絶えはてたとは存じましたけれども、わたくしの、お待ちしていた心だけでもお知らせしたいと存じ、参内しました。」と申し上げた。天皇は、非常に驚き、「わしは、全くその時のことを忘れていた。しかるに、そなたは、操を守って、わしの言葉を待って、むなしく女の盛りを過ごしてしまったのは、まことに気の毒なことであった」と仰せられて、心に婚したくお思いはなったが、非常な老年であるのをおはばかりになって、お婚しにはならずに、歌を賜わった。
御室(みもろ)の 厳白檮(いつかし)がもと          御室の社の神木の
白檮がもと 忌々(ゆゆ)しきかも        白檮は畏み守るもの
白檮原嬢子(をとめ)               破ってはならぬ約束を 忘れてしまって気の毒な

  御室の厳白檮がもと白檮がもと忌々しきものよ約束破り