2024年7月29日(月)

暑い、熱い。

谷川渥『三島由紀夫 薔薇のバロキスム』を読む。美学者ならではの三島論。三島由紀夫の死の謎を解く。だから薔薇。三島の薔薇。

  あけぼの杉の下枝(しづえ)にすがる蟬の殻。蟬はいづくに消えしや。分からず

  朝の日は透けてすがれる空蟬を照らしゆくなり光あるごとく

  蟬声の鳴きてうるさき木のかたへ耳澄ましをりこの木に鳴くか

『論語』郷黨七 潔斎(ものいみ)には必ずゆかたを備え、それは麻布で作る。潔斎には必ずふだんとは食事を変え、住まいも必ずふだんとは場所を移す。

  (ものいみ)には明衣、布なり。食変居を遷りてぞなすべかりけり

『正徹物語』207 「手がひの犬」(飼い慣らした犬)とは、彦星は犬を飼う。万葉集に見えている。

彦星を「犬かひ星」(倭名類聚抄)、万葉集には見えない。

  彦星の手がひの犬をとやこうや言ひても典拠を探すにかなはず

『百首でよむ「源氏物語」』第三十三帖 藤裏葉
夕霧と対面した娘と結ばせる内大臣。
・紫にかことはかけむ藤の花まつより過ぎてうれたけれども 内大臣
・いく返り露けき春を過ぐしきて花の紐とくをりにあふらん 夕霧

雲居雁へむかう夕霧
・浅き名を言ひながしける河口はいかがもらしし関の荒垣 雲居雁
・浅緑若葉の菊を露にても濃き紫の色とかけきや 夕霧

2024年7月28日(日)

今日も暑い。午前五時過ぎに歩きに出るのも四日目だ。犬の散歩やら歩く人がそれなりにいる。

黒川みどり『評伝 丸山眞男 その思想と生涯』を読む。時系列に沿って丸山の書いたものを中心にして編まれた評伝で、今までに読んだことのない形式であった。分かりやすくおもしろかった。

黒川みどりは、部落問題の研究者でもある。なかなかの著作である。

  揺りかう揺られ揺り揺られ遊びせむとやわれら生まれし

  遊びせむとや、戯れせむとや生まれけりさてもいづくへ参らむものよ

  うたふ声うるはしくして今様をうたふものあり白河の女

『論語』郷黨六 君子は紺(紺色)緅(朱鷺色)を以て飾らず。紅紫を以て褻服と為さず。(ここからは訳文を参考に)暑い時はひとえの葛布であるが、必ず上に着て出る。黒服には小羊の黒い毛皮、白い衣には鹿の子の毛皮。普段着の皮の衣は長くするが、右の袂は短くする。必ず寝まきを備えて、長さは身の丈とさらに半分。狐や貉の厚い毛皮を敷いて座る。喪があければ何でも腰にさげる。惟裳でなければ、必ず裳の上部をせまく縫いこむ。小羊の黒い皮衣と赤黒い絹の冠は、それでは葬儀にいかない。朔日には必ず朝廷の礼服を着けて出仕する。

君子の服装に関するきまりであろう。孔子はうるさいなあ。

  吉日には朝服を着て出仕する孔子うるさいと思ひけらずや

『正徹物語』206 「衣手の七夕」とは、手を言おうとして「衣手の七夕」と続けた。これはこんな風でもよかろうかということで、自分で考案した。「衣手の田上」のようなものである。「衣手のた」とさえ続ければ、あとはともかく詠むことができる。

これも、なんだか胡散臭いなあ。

  衣手の田上につづく琵琶の湖縹渺として波の音する

『百首でよむ「源氏物語」』第三十二帖 梅枝
香合に朝顔の女君から艶っぽく優美な香。
・花の香は散りにし枝にとまらねど移らむ袖に浅く染まめや 朝顔
・花に枝にいとど心を染むるかな人のとがめん香をばつつめど 光源氏

  宮中にあまたの香がにほへども源氏の君のすがたにかなはず

2024年7月27日(土)

今日も暑い、熱い。

  猿田彦にみちびかれこの世に生れしか杜の大木に降りて来たれり

  真みどりの葉のうちに隠るる猿田彦神のすがたのおぼろに見えず

  いづれあの世へおさらばをするわれならむ少し怯えて死の国のこと

『論語』郷黨五 圭(諸侯が天子から与えられた)を執れば、鞠躬如たり。勝えざる如し。上ぐることは揖するが如く、下すことは授かる如し。勃如として戦色。足は蹜蹜如として循ふこと有り。享礼には容色あり。私覿(してき)には愉愉如たり。

使者として他国にあるときのふるまい。おそらく孔子のことであろう。

  享の儀式には容色ありて私覿には愉愉如たり孔子のふるまひ

『正徹日記』205 「たちぬはぬ日」とは、七月七日だけは、織女は機をも織らず、裁縫もしない。他の時は、三世常住、機を織るのである。

  七夕は裁ち縫はぬ日その他は機織り、機織る休む間もなく

『百首でよむ「源氏物語」』第三十一帖 真木柱
髭黒大将と玉蔓
・心さへ空に乱れし雪もよにひとり冴えつる片敷の袖 髭黒大将

返歌はない。
・ひとりゐてこがるる胸の苦しきに思ひあまれる炎とぞ見し 木工の君

式部卿のむすめ、父親の顔を見ないまま、柱のひび割れの中へ押し込んだ。
・いまはとて宿離れぬとも馴れ来つる真木の柱はわれを忘るな 真木柱
・馴れきとは思ひ出づとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ 北の方

  宿離れてゆきにしわれを思ひ出でよ真木の柱に隠さうものを

2024年7月26日(金)

暑い。

  虫喰ひ葉拾ふてくれば心楽しバッグにたいせつに蔵ひて帰る

  少しだけ虫に喰はれし迹あれば色も変化す拾ひし落葉

  一枚、二枚落葉それぞれに色変はるそのそれぞれを拾ひくるなり

『論語』郷黨四 公門に入るに、鞠躬如たり(おそれ慎んだありさま)。容れられざるが如くす。立つ門に中せず。行くに閾を履まず。位を過ぐれば、色勃如たり(緊張)。足躩如たり(足取りはそろそろ)其の言ふこと、足らざるに似たり。斉を摂げて堂に升るに、鞠躬如たり。気を屏めて息せざる者に似たり。出でて一等を降れば、顔色を逞つて怡怡如たり。階を没せば、趨り進むこと翼如たり。其の位に復れば踧踖如たり。

  王宮に仕えるときのありさまを『詩経』の文字に修飾したり

『正徹物語』204 「天つ彦」は太陽のことだ。彦星も「天つ彦星」とも詠んでいる。

「つ」は助辞である。通常は天彦だ。

  太陽を天つ彦といふうたひかたそれも可なりし「天彦」といふ

「百首でよむ「源氏物語」」第三十帖 藤袴

夕霧は玉蔓を好ましく思う。
・同じ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかごとばかりも 夕霧

うんざりとしつつ返歌する。
・たづぬるにはるけき野辺の露ならば薄紫やかことならまし 玉蔓

髭黒大将から玉蔓へ
・数ならばいとひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき 髭黒大将

螢兵部卿宮、式部卿宮の息子も求婚
・朝日さす光を見ても玉笹の葉分けの霜を消たずあらなむ 螢兵部卿宮
・忘れなむと思ふもののかなしきをいかさまにしていかさまにせむ 式部卿宮の息子

螢兵部卿宮にだけ返事をする玉蔓
・心もて光に向かふ葵だに朝おく霜のおのれやは消つ 玉蔓

  宮中の男あまたに見初められ玉蔓いづれの方を選ぶや

2024年7月25日(木)

今日も暑いのだ。昨日よりは少しましだというが……

  このままに衰へ死する蟬ならむこころ残酷なるとおもへば、うごく

  日の影にひつくりかへる雌の蟬しづかにしづかに触れば、動く

  最期の鳴動せるか蟬の動きひつくり返るがいまだ生ある

『論語』郷黨三 君、召して擯たらしむれば、色勃如たり。足躩如たり(主君のお召しで接待役を命ぜられたときは、顔つきは緊張し、足取りはそろそろしていた)。与に立つ所を揖すれば、其の手を左右にす。衣の前後、襜如たり。趨り進むには翼如たり(いっしょに並んでいる人々に会釈される時は、その手を右にくんだり、左にくんだりして、着物の前後が美しくゆれ動いた。小走りに進まれる時はきちんと立派であった)。賓退けば必ず復命して曰はく、賓顧みずと(客が退出すると、必ず報告して、客はふり返らなかったといった。)

  賓客をむかへるときの作法あり満悦すれば賓かへりみず

『正徹物語』203 一度に歌を多く詠むには、初一念に思いついた着想を、離さないように次々に詠んでゆくのである。あれこれと着想を取捨すると詠めなくなる。

  いちどきに多く詠むには初一念にこだはりつづけることがたいせつ

『百首でよむ「源氏物語」』第二十九帖 行幸

帝に宮仕えを望む玉蔓。
・うち霧らし朝曇りせしみゆきにはさやかに空の光やは見し 玉蔓

末摘花からの歌、祝いにはふさわしくないのだ。
・我が身こそ恨みられけれ唐衣君が袂に馴れずと思へば 末摘花

玉蔓に代わって源氏の返歌
・唐衣また唐衣からころもかへすがへすも唐衣なる 光源氏

  いづれにしても唐衣と詠む末摘花からかひ気分に返し歌送る

2024年7月24日(水)

暑い。もう34度ある。

  大、小の蚯蚓のかばねさらされし舗道を歩むにつまづきやすし

  いまだなほ生乾きなる蚯蚓あり裂けやうとして踏みつぶしをり

  完全には乾かず縮むミミズ殿(どん)いつまでもそのままに残る

『論語』郷黨二 朝にして下大夫と言へば、侃侃如(かんかんじょ)たり(なごやか)。上大夫と言へば、誾誾如(ぎんぎんじょ)(慎み深く)たり。君在せば踧踖如(しゅくせきじょ)たり(うやうやしく)、与与如(よよじょ)たり(のびやか)。

孔子のことだろう。こういう人物が良いと言っている。

  下大夫には侃々如、上大夫には誾誾如、君には踧踖如、そして与与如に

『正徹物語』202 初心の頃は、人接して歌を詠むのが最良の稽古である。上達後は独吟してもさしつかえない。はじめから独吟していると、おぼつかないことも多く、そのような歌が感興を誘うようなこともない。

  初心にはまじはり多くして歌を詠む上達すれば独吟もよし

『百首でよむ「源氏物語」』第二十八帖 野分

光源氏が夕霧とともに台風見舞いもかねて、玉蔓のもとを訪れる。
・吹き乱る風のけしきに女郎花しをれしぬべき心地こそすれ 玉蔓
・下露になびかましかば女郎花荒き風にはしをれざらまし 光源氏

その後、花散里へ、夕霧に送るようにいった。
・風さわぎむら雲まがふ夕べにも忘るる間なく忘られぬ君 夕霧

夕霧の歌はそれほどでもない。

  吹き乱れはげしき野分の去りしのちしをれしぬべき心地こそすれ

2024年7月23日(火)

今日も暑い、暑い。

  鏡の内の悪鬼悪相がいまのわれいづれのもののけかこのわれの貌

  窓遠く初蟬の鳴く声きこゆどこかのみどりの樹に拠りて鳴く

  根もとには蟬穴あらずあけぼの杉まだこのあたりから出でて来ざりき

『論語』郷黨第十 一 孔子、郷黨に於いて恂恂如たり。言ふこと能はざる者に似たり。其の宗廟・朝廷に在ますや、便便として言ひ、唯だ謹しめり。」

孔子は郷里では出しゃばらなかったということだろうか。こういう孔子は好きだな。

  郷黨には惇々としてでしゃばらず宗廟・朝廷には便々として

『正徹物語』201 歌の数寄についてあまたある。茶の数寄にも様々ある。まず茶数寄とはこういう者だ。茶道具を整え、建盞・天目・茶釜・水挿など様々な茶道具を、満足いくまで取り揃え持っている人が茶数寄である。これを歌道で言うと、硯・文台・短冊・懐紙など見事に取りそろえ、いつでも当座の続歌などを詠み、そして会所なども設けている人が茶数寄の類であろう。

また茶飲みという者は、とりたてて茶道具の善悪を言い立てず、どこででも十服茶などをよく飲み分けて、宇治茶ならば、「三番茶である。時期は三月一お日前後に摘んだ茶である」と言って飲み、栂尾茶では、「これは戸畑の茶」とも、あるいは「これは逆の薗の茶」とも言い当てる。これはどこの産地の茶と、故右衛門督入道山名時熈などがそうであったが、口に含めばすぐに言い当てる茶飲みという。これを歌道で言うと、歌の善し悪しを弁別し、歌語の選択にも心をかけ、心の持ち様が正しいか歪んでいるかも明察し、他人の歌の品の上下さえよく見究めなどするは、なるほど和

神髄に通じよく分かっていると考えられる。これを前に出した茶飲みの類にするのがよい。

さて茶喰らいと言うのは、大きな茶椀で簸屑茶でも上質な茶でも、茶と言えばとりあえず飲んで、少しも茶の善し悪しをも分からず、がぶがぶ飲んでいるのが茶喰らいである。これを歌道で言うと、表現を選択することもなく、心の持ち様も問題とせず、下手でも上手とも交際して、いくらともなく和歌を詠んでいるのが、茶喰らいの類だ。

この三種の数寄が、どれであれ、同じ仲間であるから、会では席を同じくする。智蘊は「わたしは茶喰らいの衆である」と申した。

こんなどうでもいいことを長々と書かねばならない時代だったんだなあとつくづくつまらないものだと思う。

  茶数寄でも茶飲みでも茶喰らいでもどうでもいいと言ひしか智蘊

『百首でよむ「源氏物語」』第二十七帖 篝火
・篝火に立ち添ふ恋の煙こそ世には絶えせぬほのほなりけれ 光源氏
・行くへなき空に消ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙とならば 玉蔓

そしてここに、夕霧、柏木、弟の弁少将と連れ立ってやってくる場面がある。

  篝火のゆくへ消すべしあまりにも熱き恋する人ありぬべし