2024年6月19日(水)

朝から青天。雲がない。

  キャベツ畑にてふてふ二頭まひをどるからみあひつつまた離れつつ

  キャベツ畑のうへとぶ白き蝶二頭上になり下になり踊るがごとく

  いつのまにか消えたる蝶、のゆくへ追ふ天上たかく浄土の方へ

『論語』子罕一 「子、罕に利を言ふ、命と仁と。」
孔子は、利益と運命と仁とのことは殆ど語らなかった。

  利と命と仁については多くを語らず孔子の思ひはここにこそあり

『正徹物語』167 「首夏の藤」という題で、こう詠んだ。
・夏来ても匂ふ藤波あらたへの衣がへせぬ山かとぞみる 草根集3264

万葉集に「荒栲の藤江」と詠んでいる。藤の花の房は、木の根はあらあらとして、しかも妙なるものなれば「荒栲の藤江」と言った。
「荒栲の衣」と詠んだことはまずない。私が初めて詠んだ。「白妙の衣」という句も、白く妙なる衣ということなので、「荒栲の衣」と詠んでもさしつかえないだろう。

  荒栲の衣と詠める歌少なし正徹の自慢ここにきはまる

『伊勢物語』百十七段 昔、帝が住吉に行幸した。帝は詠んだ。
・われ見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松いく代経ぬらむ

すると、住吉の大御神が姿をあらわし。
・むつましと君はしら波瑞垣の久しき世よりいはひそめてき

  帝のこと幾代もいはひ神をりぬ住吉の大御神すがたあらはす

2024年6月18日(火)

雨。よく降る。激しく降るらしい。

  わが眼鏡と妻の眼鏡が卓上に対峙してゐる睨みあつてる

  近視度はすこしだけわれが勝つもののメガネのセンスは妻のはうがいい

  卓上に妻のメガネが開いたまま本を読んでる百ページあたり

『論語』泰伯二一 孔子が言った。「禹は吾れ間然することなし。飲食を(うす)くして  孝を鬼人に致し、衣服を悪しくして美を黻冕(ふつべん)に致し、宮室を卑くして力を溝洫(こうきょく)に尽くす。禹は吾れ間然すること無し。」

  禹の国を大絶賛する孔子なりされどいにしへ今は無き国

『正徹物語』166 懐紙を書くに、下をあけない。上を十分あけてあるのがよい。

  懐紙にも書き方がある下をあけず上をあけるよろしかかろうか

『伊勢物語』百十六段 陸奥の国まであてもなくさまよう男がいた。陸奥から京へ、思う人に歌をおくった。
・波間より見ゆる小島の浜びさし久しくなりぬ君にあひ見で

「旅に出て、かえってあなたのことを思うようになったのです」という意味なのだった。

最後のことばはいるのでしょうか。歌だけで充分わかりますが。

  みちのくはさびしきものよ京に住む君を思ひてすべあらざらむ

2024年6月17日(月)

雲が多いけれども、暑い。

  ふりかへるふと横をむくこと苦手にて悪性リンパ腫の後まあまあ歩く

  三千歩を歩きて帰るわが部屋に敷きっぱなしの床に倒れる

  わが前を人が通る、人がゐることに戸惑ふ歩行ままならず

『論語』泰伯二〇 舜には五人の臣下がいて、それで天下が治まった。周の武王が言うことには、「私には治めてくれるものが十人いる。」孔子が言う。「人材は得がたい、そのとおりだ。堯舜時代からあとでは、この周の初めこそ盛んだ。しかし婦人がいるから九人だけだ。文王は西方諸国の旗頭となり、天下を三つに分けて、その二つまでをにぎりながら、なお殷に仕えていた。周の徳は、まず最高の徳だといって宜しかろう。」
しかし、婦人一として外すのは、ジェンダー理論に反するような。時代でしょうか。

  周の文王至徳なり孔子称揚す人材あれば

『正徹物語』165 「巌の苔」という題で、このように詠んだ。
・乱れつついはほにさがる松が枝の苔のいとなく山かぜぞ吹く

「苔のいとなく」とは、さがり苔(サルオガセ?)は巻かれて糸が垂れるものであるから、そこで「苔のいと」と詠んだ。「いとなく」は「あしのいとなく」などというのと同じで、休みのないことである。舟子…

  乱れつつ風に吹かれてぶらりぶらりサルオガセわが行く手さへぎる

『伊勢物語』百十五段 男と女が、みちのくに住んでいた。男が「都へいなむ」と言うと女はひどく悲しんだ。せめて餞別をと思い、おきのいてみやこしまというところで、酒をふるまい、歌を詠んでおくった。
・おきのゐて身を焼くよりも悲しきはみやこしまべの別れなりけり

京へ帰る男の心だが、女に未練が残りそうだが。

  汝が胸に熾火のごとき思ひあればこの別れこそかなしきものを

2024年6月16日(日)

朝は割合涼しかった。次第に気温は上がっている。

  わが家を守るヤモリの出現にへっと驚くその小ささに

  あけぼの杉も夜の雨に濡れその重さ濃きみどり葉の下垂れてゐる

  夏つばきの花もすつかり散り落ちて苔に横たふ茶に犯されて

『論語』泰伯一九 孔子が言う。「大なるかな、堯の君たるや。堂々として天だけが偉大である。堯は、それを見ならわれた。蕩蕩として民能く名づくること無し。堂々として立派な業績をうちたてた。そして輝かしくも礼楽制度を定められた。」

  いにしへの堯の業績を絶賛すこの政治この礼楽尊きものを

『正徹物語』164 「虎の生けはぎ」ということが、新撰六帖題和歌に見えている。作者の為家が大納言であったところ、さらに子の為氏が大納言に任じられようとして、この官職に欠員があれば任ずるがいまは無いので無理だという。そこで父為家を辞退させて前大納言とし、為氏が大納言に任じられた。このとき為家は自らの感慨を述べて、「虎の生けはぎ」と詠んだのである。
 「生けはぎ」には無理やり官職を奪う意もあり。

  為氏が大納言職を奪ひたり虎の生けはぎやましきならむ

『伊勢物語』百十四段 仁和の帝が芹川に行幸したとき、お供をした男がいた。男は以前、大鷹の鷹飼いだったのだが、今はもう若くはない。役からも退いている。けれど帝は、男をお供としたのだった。男は、自分の着ていた模様摺りの狩衣のたもとに、歌を書きつけた。
・翁さび人なとがめそ狩衣今日ばかりとぞ鶴も鳴くなる

ところが、帝はこの歌を聞き、機嫌を悪くしてしまったという。男が自分のこととして詠んだのに、若くない帝は、「翁さび」をあてつけととってしまった。

  翁さびはわがことならむすこしばかり若からぬ帝の勘違ひなり

2024年6月15日(土)

晴れだ。朝方は涼しいのだが、やがて30℃。暑いのだ。

  ことしまた小さき守宮に出逢ひたりこの小さきもの愛らしきもの

  ベランダに逢いしは親が産みたらむいづこに親の産屋ありけむ

  九階のベランダに守宮素早きは去年より育つ守宮ならむか

 『論語』泰伯一八 孔子が言う。「巍巍たるかな、舜・禹の天下を有てるや。而して与らず(堂々たるものだ、舜や禹が天下を治めた様子は。それでいて自分では手を下さなかった」

  舜や禹の天下を治めたありさまを而して与らず理想の政治

『正徹物語』163 「虎に寄する恋」の題では、時刻の寅は詠まない。時刻の寅も動物の虎であるが、暦の寅は字も違う。この題は生きている虎のことなので、「虎ふす野べも」とか「石にたつ矢」など詠んでいるのがよい手本である。暦の寅はインと字音で読む。

  虎とみて射たるに石にあたり立つかくわが恋はとほらざりけり

『伊勢物語』百十三段 女と別れやもめ暮らしの男が詠んだ。
・長からぬ命のほどに忘るるはいかに短き心なるらむ

  長からぬいのちと思へど忘れたる女よこの世はかくも短かし

2024年6月14日(金)

朝からよく晴れて、暑い。30℃になるという。家の内も暑い。

  歩行してもふりかへるとよろけるわれならむ前から来る人の顔もわからず

  踏切を前にしてとどまるわれにしてJR相模線下り四輌が通る

  踏切の長くて途中に鳴りだせばあわててバーを潜りて出づる

『論語』泰伯一七 孔子が言う。「学は及ばざるが如くするも、猶これを失はんことを恐る。」

  努めても失なはんことを恐れたり孔子にしてかくも学成りがたし

『正徹物語』162 「爐火」の題にては、埋火をも焼火も詠むなり。埋火の題にては、爐火をば詠まぬなり。

  爐火といへば埋火も焼火も詠むべきぞ而して埋火では爐火詠まぬなり

『伊勢物語』百十二段 ねむごろに言ひ契りける女の、ことざまになりにければ、
・須磨の海人の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり

  わが身にはたなびかざるを恨みにて率直うたふがもとへはかへらぬ

2024年6月13日(木)

朝から曇っているが、やがて晴天になるらしい。

  と揺りかう揺り揺りゆられわが身も心も揺りゆられ

  遊びをせむとや戯れせんとや生れたるに四角四面のこの世に停まる

  このうるはしき今様うたふ遊女たち小舟に乗りて揺られうたへる

『論語』泰伯一六 孔子の言。「狂にして直ならず、侗(頭の中がからっぽ)にして愿(誠実)ならず、悾悾(おろか)にして信ならず。吾れはこれを知らず。」

  狂にして直、(とう)にして(げん)、悾々にして信ならずではどうしやうもない

『正徹物語』161 
・折ふしよ鵙なく秋も冬枯れし遠きはじ原紅葉だになし

これは「おもふともよもしらじ」をかくした沓冠の折句の歌だ。これはさっと詠めた。どんなに詠もうとしても、詠めない時もある。らりるれろは特に詠めない。天暦(村上天皇の治世)に女御・更衣など多くの方々へ、
・逢坂もはては往来の関もゐず尋ねて問ひこきなばかへさじ

と、詠まれて差し上げたところ、皆真意を理解しないので、ある女御で「尋ねて問ひこ」とあったので、「参上せよ」という歌であると勘違いして、その夜天皇のもとへ押しかけた人もいたし、また理解できませんという旨の返歌をした女御もいた。その中でただ一人、広幡の更衣という人から、薫物を進上されたのを、結構だとお思いになった。「あはせたきものすこし」という沓冠の歌であったのである。

  (くつ)(かうぶり)の難しさただならず広幡の更衣ひとりのみ解く

『伊勢物語』百十一段 高貴な女へ歌を詠んだ男がいた。ちょうど女房の一人が亡くなったところだった。それにかこつけて、女房を弔うふりで、女自身に詠んだ。
・いにしへはありもやしけむいまぞ知るまだ見ぬ人を恋ふるものとは

女は返した。
・下紐のしるしとするも解けなくに語るがごとは恋ひずぞあるべき

すると男はまた返した。
・恋しとはさらにも言はじ下紐の解けむを人はそれと知らなむ

う~ん、男の歌が最後だから、女の気持ちをくつがえせたのだろうか。どうも女の歌の方がよくはないか。

  女房の一人が亡くなるときにしも恋歌のごときはもつてのほかなり