2025年1月2日(木)

穏やかな晴れである。

  戦争好きはこの人類のものなるかロシア、イスラエルまず滅ぶべし

  一向に戦ひやまざるウクライナお互ひに負けたることを知らず

  ガザ地区をかくも無惨に破壊してイスラエルよいい気なもんだ

『論語』憲問二四 孔子曰く「君子は上達す。小人は下達す。」

  孔子言ふ君子は上達小人は下達ああそれぞれに通ずることなし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一三 カムヤマトイハレビコノ命
また、
みつみつし 久米の子らが    若々しい久米の子らが
垣下(かきもと)に 植ゑに(はじかみ)       垣根に植えた生薑を
(ひび)く われは忘れじ      かめばぴりりと口疼く 亡兄を思へば胸疼く
撃ちてしやまむ         おのれ撃て撃て 撃ち果たせ

  久米の子よ亡き兄おもへば胸疼く撃ちてしやまむ仇は撃つべし

2025年1月1日(水)

天、晴れ。

今日から「さねさし歌日録Ⅲ」として続けようと思う。今年は二〇二五年、ほんとうに早いものだ。一首目は、年賀状に刷ったものだ。

  いくそたび危地にふれしも生き延びて今年の年酒『晴雲』に酔ふ

  ひよっとこの仮面に手足動かしてひょっとこになるわれならなくに

  お多福の仮面かぶりし妻ならむその顔いきいきと阿亀の踊り

『論語』憲問二三 子路、君に事へんことを問ふ。孔子曰く「欺くこと勿れ。而してさからってでも諫めよ。」

  主君には欺く事勿れそしてさからってでも諫めることぞ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一二 カムヤマトイハレビコノ命
トミビコを討つ時の歌
みつみつし 久米の子らが    若々しい久米の子が
粟生には 臭韮一茎       つくる粟畑の韮草を 一茎抜けば皆
其根が基 其根芽つなぎて    つづいてそっくり抜けてくる
撃ちてしやまむ         つづけて撃て撃て 撃ち果たせ

  みつみつし久米のみ子らが韮草を根からひき抜け撃ちてしやまむ

2025年1月30日(木)

今日また晴れ。しかし寒い。

メメント・モリ

  すべからく曖昧になり死にむかふ骨と皮のみぬけがらの死か

  それとも死の間際まで明晰でありつつ肉体滅びゆくかも

  おそらくはあれもこれも渾沌とからだの滅びとらへがたなし

『論語』衞靈公六 子張、行はれんことを問ふ。孔子曰く、「言 忠信、行 篤敬なれば、蛮貊の邦と雖ども行なはれん。言 忠信ならず、行 篤敬ならざれば、州里と雖ども行なはれんや。立ちては則ち其の前に参ずるを見、輿に在りては則ち衡に倚るを見る。夫れ然る後に行はれん。」子張、「諸れを紳に書す。」

  行なうといふことの難しさを子張に答ふ言忠信、行篤敬がたいせつならむ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 四三 応神天皇
ヤガハエヒメに杯を奉らせ、天皇は杯を捧げさせたままで、歌を詠んだ。
この蟹や 何処(いづく)の蟹        やれ蟹よ そなたはどこの蟹である
(もも)(づた)ふ (つぬ)鹿(が)の蟹        わたしははるばる(こし)(ぐに)の 敦賀の蟹でございます。
横去らふ 何処に至る       横ばいしながらどこに行く
伊知遅(いちぢ)島 (み)島に着き       伊地遅島から美島にと 着けば疲れて息苦し
(みほ)(どり)の (かづ)き息づき        ちょいと休みは琵琶の湖 水を潜って浮び出て
しなだゆふ 佐佐那(ささな)(み)(ぢ)を     (にお)が吐息をつくように 息を休めて近江路の
すくすくと わが(い)ませばや    坂をせっせとやって来りゃ
木幡の道に (あ)はしし嬢子(をとめ)     木幡の村にかかる時 会ったおとめの美しさ
後姿(うしろで)は 小楯(をだて)ろかも        後姿は楯の様で すらりと伸びて 出そろった
歯並(はなみ)は (しひ)(ひし)なす         歯並は椎か菱の実か
(いちひ)(ゐ)の 丸邇(わに)(さ)(に)を       顔には丸邇坂のよい土を
初土(はつに)は 膚赤らけみ        上土は少し赤すぎる
庭土(しはに)は (に)(ぐろ)きゆゑ        下土はちょいと黒いので
(みつ)(ぐり)の その中つ(に)を       栗の三つのその中に 中の土をば採ってきて
(かぶ)つく 真日には当てず      日にも当てない(ま)(びたい)
眉画(まよが)き (こ)(か)(た)れ       濃くまゆずみを引いている
遇はしし(をみな)            おとめに会った昨日から
かもがと わが見し子ら      ああもしようかあのおとめ
かくもがと あが見し子に   こうもしようかこのむすめ 思い続けたおとめ子に
うたけだに 向ひ(を)るかも     あゝ目の前で杯を とらせて酒を酌むことよ
い添ひ居るかも          間近に添うていることよ

かくてお婚しになって、産んだ子が、さきに述べたウジノ若郎子であった。

  美しきをとめごと杯をかはして添ひねるを思ひ続けしスメラミコトは

2025年1月29日(水)

晴れだが、寒い。

  ゆきつけばあづまのくににあたらしき恋もめばへてたのしきことあり

  椿に木に椿の赤き花咲きて蕾もほんのり赤らみてゐる

  つひにゆく道とは誰も思ひしもそのときのさま誰も語らず

『論語』衞靈公五 孔子曰く、「無為にして治まる者は其れ舜なるか。夫れ何をか為さんや。己を恭ゝしくして正しく南面するのみ。」

  何もせずただ南面する舜のごとき国は稀なりと孔子のたまふ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 四二 応神天皇
ある時、天皇が、山を越えて近江の国に行幸した時、宇治野のほとりに立ち、葛野をはるばる見渡して歌った、
千葉(ちば)の 葛野(かづぬ)を見れば        葛野を見れば満ち足りて
百千(ものち)(だ)る 家庭(やには)も見ゆ        賑う民の家も見え
国の(ほ)も見ゆ            国にすぐれし所かな

  はるばると葛野を見れば満ち足りて民の賑はひ国の秀のごとし

2024年12月31日(火)

晴れ。

  髪の毛の少し伸びたる分のみを刈り上ぐる妻の手技そこそこ

  一ケ月かニケ月目になる散髪の日妻がやさしく刈り上げくれる

  床屋の主はわが妻にして刈り上げるこのよろこびは外には告げず

『論語』憲問二二 陳成子、簡公を弑す。孔子、沐浴して朝し、哀公に告げて曰く、

「陳公、其の君を弑す。請ふ、これを討たん。」公(哀公)曰く「夫の三子(魯の実力者、孟孫・叔孫・季孫の三家)に告げよ。」孔子曰く「吾れ大夫の後に従えるを以て、敢て告げずんばあらざるなり。君の曰く、夫の三子に告げよと。三子に之きて告ぐ。可かず。孔子曰く「吾れ大夫の後に従えるを以て、敢て告げずんばあらざるなり。」

哀公の力は衰えていて、孟孫・叔孫・季孫はちょうど斉の陳公の立場にあった。孔子は大夫としての責務からのことである。話してももむだとは思われていただろう。

  陳成子が簡公を弑すとき孔子討たんといへどむだなる

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一一 カムヤマトイワレビコノ命

「もしわたしの歌を聞いたならば、いっせいに立って、切り殺せ」とお含めになった。その、土賊を討つ合図に歌った歌、

  忍坂(おさか)の 大室屋に       忍坂に名ある大室屋

  人(さは)に 来入り居り      土賊(つちぐも)多く来おるとも

  人多に 入り居りとも     土賊多くおるとても

  みつみつし 久米の子が    若々しい久米の子が

  (くぶ)(つ つい) (いし)(つつい)もち       (つか)の大きいその太刀で 石(ごしら)えのその太刀で

  撃ちてしやまむ        撃つに手間(てま)(ひま)いるものか

  みつみつし 久米の子らが   若々しい久米の子が

  頭椎 石椎もち        柄の大きいその太刀で 石拵えのその太刀で

  今撃たば 良らし       今撃て 今こそ良い時じゃ

こう歌い、刀を抜きつれて、いっせいに土賊どもを撃ち殺してしまった。

  忍坂の大室屋に土賊多におる久米の子らいつせいに撃ち殺すべし

「さねさし歌日録」パートⅡは、ちょうど一年、二〇〇頁。よく書いたものだ。能登の震災から丸一年、今回も入院したり、脳に出血があったりしたけれども、歌集が賞を受けたり、まあまあの年でありました。    来年は、パートⅢになります。以前に変わらずよろしくお願いします。

2024年12月30日(月)

曇って寒いが、だんだんに温度は上がるらしいが、11℃くらいまでらしい。

  夜のテレビにバァイオリン、ピアノ曲しばし聞こえて心やすらぐ

  曲名は知らねどもこのやさしさを昼バィオリン音色のひびく

  足指の爪を切る時鳴る音のがさつなりバィオリンとえらく違へり

『論語』憲問二一 孔子曰く「其の言にこれ(は)ぢざれば、則ちこれを為すこと難し。」

自分のことばに恥じを知らないようでは、それを実行するのはむつかしい。

ことばは慎んでこそ、それを実行できる。

  自分の言をたいせつにせよ恥じてこそ全てが実行し得る

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一〇 カムヤマトイハレビコノ命

弟ウカシの奉った供応を、残らず軍兵に分ち賜わり、歌をよみ遊ばされた。その歌は、

宇陀の高城に (しぎ)(わな)張る       宇陀のとりでに鴫取ろと

わが待つや 鴫は(さや)らず       罠張りかけて待っていりゃ

いすくはし 鯨障る         思いがけない大鯨

前妻(こなみ)が 魚乞(なこ)はさば         これこれ皆の軍兵ども

立柧棱(たちそば)の 実の無けくを       そなたの前妻が魚くれと

()きしひゑね            乞うたらちょっぴり切ってやれ

後妻(うはなり)が 魚乞はさば         また後妻がくれと言や

(いちさかき)実の多けくを          さかきの枝の実のように

幾許(こきだ)ひゑね             持きれぬほど取ってやれ

ええ しや こしや         ええ こりゃ あはは

(こ )(いのご)ふぞ             こら やっつけろ

ああ しや こしや         ああ こりゃ あはは

此は嘲笑(あざわらふ)ふぞ            こら 笑っちゃれ

  ええしやこしやああしやこしや前妻後妻が魚乞へばこは嘲笑へ

2024年12月29日(日)

良い天気である。

  妙なる音たたへたる山茶花の白き花びら透けてただよふ

  赤と白の山茶花の花ちかくにあり赤き花少し濃厚にして

  白き花には薄あかき縁取り山茶花の高貴、清純なる花びら動く

『論語』憲問二〇 孔子、「衛の霊公の無道(むどう)なるを」言う。康子(こうし)が曰く「(そ)(か)くの如くんば、(いか)にしてか喪なはざる。」孔子曰く「仲叔圉(ちゅうしゅくぎょ)は賓客を治め、祝鮀(しゅくだ)は宗廟を治め、王孫(おうそん)(か)は軍旅を治む。夫れ是くの如くんば、奚んぞ其れ喪なはん。」

  仲叔圉、祝鮀、王孫賈それぞれなれば衛の国治まる

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八 タマヨリ姫

  赤玉は 緒さへ光れど     色もうるわし赤玉は 貫く緒までさえかがやいて

  白玉の 君が装し       けれども真白い玉の様な

  尊くありけり         君の装いぞ慕わるる

トユタマビメノ命の夫ホヲリノ命の答えた歌(九)

  沖つ鳥 (かも)()く島に      鴨も並んで泳ぐ島

  わが率寝(ゐね)し 妹は忘れじ    そこに寝た日の面影は

  世の(ことごと)に          忘れられない 死ぬまでも

  沖つ鳥鴨潜く河に近づきて世のことごとを思ひ忘れず