雨ではないが寒い。
お米
妖艶なる三十路の女と連れ添ふて燈籠寺へと参り候
雪国の冬にはあれど小春日和、石段に坐す。ああ提灯、いやどっこい
就中、公孫樹は黄にて紅樹、青林。見渡す森は錦葉を含む
『孟子』離婁章句下122-2 其の妻帰り、其の妾に告げて曰く、「良人なる者は、仰ぎ望みて身を終ふる所なり。今此の若し」と。其の妾と与に、其の良人を訕りて、中庭に相泣く。而るに良人は未だ之を知らざるなり。施施として外従り来り、其の妻妾に驕れり。君子由り之を観れば、則ち人の富貴利達を求むる所以の者、其の妻妾羞ぢず。而も相泣かざる者、幾んど希なり。
君子より観れば富貴利達を求むるはこの斉人のごとく妻妾相泣く
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
われらは何して老いぬらん 思へばいとこそあはれなれ 今は西方極楽の 弥陀の誓ひを念ずべし
(法文歌・雑法文歌・二三五)
【現代語訳】自分はいったい、何をしてこのように年老いたのだろう。考えてみれば本当に悲しいことだよ。今はただ、西方極楽浄土の阿弥陀如来の誓願におすがりしよう。
【評】自分の来し方を振り返り、後悔の思いに沈む哀感に満ちた一首。「われら」の 「ら」は複数を表すのではなく、卑下の気持ちを表す接尾語。仏道修行に励むこともなく無為に過ごしてきた老いの身にとっては、衆生の極楽往生の願いをかなえようという阿弥陀の誓いがただ一つの救いになっているのである。
後白河院の今様の弟子である平康頼が編んだ説話集『宝物集』巻七には次のような話が収められている。
神崎の遊女とねぐろは、仏道に心を向けることもなく、往き来の客に身を任せては日々を過ごしていた。ある男と一緒に西国へ下る旅の途中、海賊に襲われて何か所も斬られ、命が尽きるという時に、西方に向かってこの今様を何度も歌って息絶えた。すると西の方からかすかに音楽が聞こえ、海上に紫雲がたなびいたという。
遊女が死に臨んで、自らの得意芸であった今様をもって阿弥陀如来への信仰心を吐露し、それによって極楽往生を遂げたという説話は、後白河院にも深い感銘を与えたらしく、『梁塵秘抄口伝集』巻一〇の末尾近くに「遊女とねぐろが戦に遭ひて、臨終の刻めに「今様は西方極楽の」とうたひて往生し」と簡略化した形で紹介されている。