11月9日(日)

雨、雨、雨……そして寒い。

今村翔吾『じんかん』を読む。文庫本で五八〇ページになる時代小説。松永久秀の少年期から滅びまで息を吐かせぬといいながら、読み終えるまでには、随分時間がかかっている。しかし最後は、少し涙ぐんだ。松永久秀が、大和に城をもっていたこと、寺社勢力と対抗していたこと、筒井家と争っていたことなどは知っていたが、手に汗握る面白さであった。久秀の生涯を語る織田信長が、なんだか親しく感じられてくる。

  斑雲があかねの色に明けてゆく公園のけやきの木もあかね色

  太陽は大山山頂付近も朝焼けの色に染めたり。明けてゆくなり

  だんだらの雲あかねの色に染め十月中旬の空明けてゆく

『孟子』公孫丑章句下39-2 曰く、「古は棺椁(くわんくわく)度無し。中古は棺七寸。(くわく)之に(かな)ふ。天子自り庶人に達す。直に観の美を為すのみに非ざるなり。然る後人の心を尽すなり。得ざれば以て(よろこび)を為す可からず。財無ければ以て悦を為す可からず。之を得ると財有ると、古の人皆之を用ふ。吾何為れぞ独り然らざらん。且つ(くわか)するときの(ころ)まで、土をして膚に親しまむる無きは、人の心に於て独り(こころよ)きこと無からんや。吾之を聞く、『君子は天下を以て其の親に(けん)せず』と。

  孟子は言ふ君子は親の喪に倹約などはせぬものである

藤島秀憲『山崎方代の百首』

生れは甲州鶯宿峠に立っているなじゃもんじゃの股からですよ 『右左口』

ここからは第二歌集『右左口』に入る。奥付は昭和四十八年十二月二十五日になっているが、実際には四十九年に刊行。方代は五十九歳だった。

このころの方代は短歌総合誌に五十首を発表するなど歌人としての地位を固めていて、東京の私学会館で行われた出版記念会には約八十名が出席した。

鶯宿峠のなんじゃもんじゃはリョウメンヒノキ。樹齢五百年と言われていた。明治二十四年、この木の下を方代の母となる二十一歳のけさのが馬の背に揺られて通った。峠を超えた先に嫁いでゆくためである。

何のため四十八年過ぎたのか頭かしげてみてもわからず 『右左口』

実にトボケタ歌である。何のために生きているのか、自分の存在理由を考えてみることは、私にもある。だが普通は頭を抱えることはあっても、頭をかしげない。頭を抱えて真剣に人生を考えていると方代に笑われてしまいそう。

「君はちょっと考えすぎだね。もっと肩の力を抜いて気楽にいきなさいよ」と方代に諭されているような歌。

方代は自分の年齢をよく歌った。何歳になったけど、相変わらずダメに生きています……そんな歌い方が大方である。

11月8日(土)

気温があまり上がらない。曇り空。

  朝一巡り午前・午後にも巡りたり毎日歩くも筋肉付かず

  大欅の木をめぐりきてわがマンションの九階へ帰る

  朝は伴ふ人もゐず午前・午後にはぼちぼち人が

『孟子』公孫丑章句下39 孟子 斉(よ)り魯に葬る。斉に反り、(えい)に止まる。(じゆう)(ぐ)請うて曰く、「前日は虞の不肖なるを知らず、虞をして匠事(しやうじ)(をさ)めしむ。厳なり。虞敢て請はざりき。今、願はくは(ひそ)かに請ふこと有らん。木(はなは)だ美なるが(ごと)く然り」と。

  孟子の母をおさむるに充虞尋ねき棺の木はなはだ立派にすぎたるような

藤島秀憲『山崎方代の百首』

ほんとうの酒がこの世にあった時父もよいにき吾もよいたり 『方代』

『青じその花』にこんな文章がある。

あのころは、まだ本当の酒がこの世の中にあった。

ある晩、父とともにのみ明かしたことがあった。酒は黄金色をしていた。

「あのころ」とは母もまだ生きていた時代。「本当の」が意味することは、闇市で売られていた密造酒とは違うということではなく、楽しかった時代に飲んだ酒という意味。もう二度と取り戻せない時代なのだ。

父は昭和十九年に亡くなる。方代は転戦中でジャワ島のスラバヤにいた。

がぶがぶと冷えたるお茶を呑み終る如くせわしく終らんとする 『方代』

何を終らんとするのだろう。比喩があっても、何を喩えているのか肝心のことが抜け落ちている。仕方がないので読者がいろいろと、もやもやしながら考える。もうその時点で、読者は方代の仕掛けた罠にはまっている。

方代のオノマトペは極めて単純だ。「がぶがぶと……呑み」、きっと歌会では「平凡」

「陳腐」とやり玉にあがるだろう。方代ほどの感性をもってすれば斬新なオノマトペを生み出せるはず。だが、しなかった。

単純ゆえわかりやすい。単純ゆえ味わいがある。方代短歌の人気の秘訣がオノマトペの使い方に垣間見える。

11月7日(金)

晴れ。スーパームーンの翌々日、西空高く月が残っている。

  葉のみにて花も実もつかず石榴の木少しひょうげて夜半踊りだす

  花も実もつけずに一夏すごしたり葉々の緑のただ濃くなりて

  三本の石榴それぞせんじょうでれに花も実もつけず葉々を濃くする

『孟子』公孫丑章句下38 孟子(まうし) 斉に(けい)(た)り。出でて(とう)(てう)す。王 (かふ)の大夫王驩(わうくわん)をして(ほ)(かう)為らしむ。王驩朝暮に(まみ)ゆ。斉縢(せいとう)の路を反し、未だ嘗て之と行事(かうじ)を言はざるなり。公孫丑曰く、「斉卿の位は、小と為さず。斉縢の路は、近しと為さず。之を反して未だ嘗て(とも)に行事を言はざる何ぞや」と。曰く、「夫れ既に之を治むる或り。予何をか言はんや」と。

  孟子言ふだいたいに使命のことは処理する者ありわれ何をか言はん

藤島秀憲『山崎方代の百首』

死に給う母の手の内よりこぼれしは三粒の麦の赤い種子よ 『方代』

死の間際に麦の種子を握っていることは考えにくいのでフィクションだろう。

三粒が意味するところは、父・姉・方代。母から見れば、夫・娘・息子。つまり残してゆく三人。母の無念と心配が比喩的に語られた一場面だ。

母は十九歳の時に馬の背に揺られ、鶯宿峠を越えて嫁いできた。結婚式の当日、花婿は開拓地の見分に行くと出かけて留守。花婿不在の結婚式が行われた。

花婿が戻って来たのは二か月半後。第一声は「今けえったど」。

まっくらな電柱のかげにどくだみの花が真白くふくらんでいる 『方代』

そもそも全ての短歌に言えるのだが、実景の中には作者の真理が潜んでいる。方代の短歌は心理の存在が顕著で、潜むというよりも漂っていると言った方が良い。

この歌も、失意の日々を送る中で希望をついに見つけたときの心境がくっきり浮かび上がっている。ただ暗いだけではなく「まっくら」、単に白いだけではなく「真白」、

暗さと白さが強調されているから余計に失意と希望の落差が明確になる。

希望を象徴するドクダミが群れ咲く様子を「ふくらんでいる」とする。希望の花に相応しい言い回しだ。

11月6日(木)

今日も寒い。

  これの世の戦さ好きたちにもの申す人を殺すこと即座に辞めろ

  ガザ地区にいくたりの死者。イスラエルなど作らねばよし

  すべてを寛容にこそすべきなり調子に乗るなイスラエル軍よ

『孟子』公孫丑章句下37 孟子蚳鼃(ちあ)に謂ひて曰く、「子の霊丘を辞して士師を請ひしは似たり。其の以て言ふ可きが為なり。今、既に数月なり。未だ以て言ふ可からざるか」と。蚳鼃(ちあ)王を諫めて用ひられず。臣為ることを致して去る。斉人(せいひと)曰く、「蚳鼃の為にする所以は則ち善し。自らの為にする所以は則ち吾知らざるなり」と。(こう)都子(とし)以て告ぐ。曰く、「吾之を聞く、『官守有る者は、其の職を得ざれば則ち去り、言責有る者は、其の言を得ざれば則ち去る』と。我官守無く、我言責無し。則ち吾が進退は(あに)綽綽(しゃやくしやく)(ぜん)として余裕有らずや」と。

  孟子言ふ我れ官守なく言責なしされば我が進退は綽綽然たり

藤島秀憲『山崎方代の百首』

あたらしき悔い残すため生くるため今日も朝からセッコウをねる 『方代』、戦場で負傷して右眼は失明、左眼は0、01の方代だから、仕事で失敗することも多かったらしい。

「あたらしき悔い残すため」は今日も失敗するのではないかとの怯えであろうか。失敗すれば、負傷を悔やみ、生きる辛さに直面する。斜に構えているとか、ユーモラスに表現しようとか、そういう意図は感じない。

「残すため」「生くるため」と「ため」を繰り返してリズムを良くする。リフレインを方代は多用した。

宿無しの吾の眼玉に落ちて来てどきりと赤い一ひらの落葉 『方代』

葉が落ちて来て、どきりとした。要はそれだけなのだが、「どきりと」を赤の修飾に使い、目の前に落ちる情景を「眼玉に落ちて」と言い替えている。こういうところに方代の詩情を感じ取れる。

「眼玉に落ちて来てどきりと赤い」から思うのは、爆撃による破片である。焼けただれた破片はさぞ赤かったことだろう。視力を失う前の右眼が捉えた最後の色は赤だったのではないだろうか。    視力の低い方代は中間色をあまり使わず、原色を好んで使った。

11月5日(水)

太陽は、ずっとくもの中。

  水仕事すればトイレに行きたくなる冷たき水は秋の水なり

  秋の水、蛇口よりほとばしり皿、碗を洗ふ水流となる

  蛇口よりほとばしり出る秋の水。冷たく思ふがそれもよきなり

『孟子』公孫丑章句下36-3 他日、王に(まみ)えて曰く、「王の都を(をさ)むる者、臣五人を知れり。其の罪を知る者は、惟孔距(こうきよ)(しん)のみ」と。王の為に之を誦す。王曰く、「此れ則ち寡人の罪なり」と。

  他日、孟子は王に見え罪をしるは孔距心のみと言へば此れ私の罪である

藤島秀憲『山崎方代の百首』

亡き母よ侮る勿れ野毛市の夜のとどろきに歌一つなす 『方代』

『青じその花』で方代はこのように書いている。

私の歌のすべては学問の中から生まれてくるものではない。二十貫の力石をかつぎかついだこの中から生まれてくるものだ。

野毛市は横浜にあった闇市。混乱の中で、一首が生まれた。侮られるような生き方であることを自覚してはいるが、自分に今できることは歌を成すことのみ。

「亡き母よ」と母に呼び掛けているが、全ての人々に「侮る勿れ」と言いたい気分なのだ。

野の末に白き虹たつくれどきよ吾に憩いの片時もなし 『方代』

「白虹」と書いて「はっこう」という虹がある。太陽の光が霧に反射して出来るもの。とても深く、とても儚い虹である。

この歌が発表された昭和二十五年、歯科医師と結婚している姉・関くまの許に方代は落ち着き、放浪生活を終りにした。そして懸命に働いた。

戦後に初めて訪れた安定した生活だった。でも、方代は知っていたのだ。この暮らしが白い虹のように淡く儚いものであることを。片時の憩いでもないことを。

11月4日(火)

朝から晴れなれど寒い。

  これの世に悪しきこと良きこととりどりに幾つもあるもの人の世なれば

  この生に歓び悲しみあるもののそれでも少し楽しければよし

  生きるために切磋琢磨す。あれこれとあれどただ平穏であること祈る

『孟子』公孫丑章句下36-2 「然らば則ち子の伍を失ふや、亦多し。凶年(き)(さい)には、子の民、老羸(ろうるゐ)溝壑(こうがく)に転じ、壮者の散じて四方に之く者幾千人ぞ」と。曰く、「此れ(きよ)(こころ)の為すを得る所に非ざるなり」と。曰く、「今、人の(ぎう)(やう)を受けて、之が為に之を牧する者有らば、則ち必ず之が為に牧と(すう)とを求めん。牧と芻とを求めて得ずんば、則ち諸を其の人に反さんか。抑々亦立つて其の死を視んか」と。曰く、「此れ則ち距心の罪なり」と。

  牛羊の牧場と牧草を得られずばもとに返すか死を視てゐるか

藤島秀憲『山崎方代の百首』

汚れたるヴィヨンの詩集をふところに夜の浮浪の群に入りゆく 『方代』

愛読した詩人が二人いる。尾形亀之助とフランソワ・ヴィヨン。二人の詩との出会いは昭和二十三年、三十四歳のときだった。『青じその花』には「(ヴィヨンの)詩をくり返しくり返して、読んでいくうちに、力強いなにものかが、私の心をゆさぶってくるのである」とある。

この歌三句以下を比喩として読むのが良さそうだ。ヴィヨンの詩を心に刻みつけ、厳しい現実を生きて行こうという意思表示。

ちなみにこの詩集は、鈴木信太郎訳の『ヴィヨン詩鈔』、新宿の紀伊国屋書店で買った。

ゆくところ迄ゆく覚悟あり夜おそくけものの皮にしめりをくるる 『方代』

傷痍軍人として訓練を受けた方代は、靴職人の家に住み込んで修理技術を学んだ。その後、新宿駅などで靴の修理をして過ごすが、住居を持たずに知人の家を渡り歩く放浪生活は変わらなかった。

この時期の歌としては生きることに前向きである。なんとしても生きて行こうという覚悟がある。と言うのも、戦争と戦後の混乱によって途絶えていた作歌に、ふたたび取り組むようになったからである。

戦前に参加していた「一路」に再入会。歌会に出るために、しばしば右左口村に帰るようになっていた。

11月3日(月)

朝から晴れだ。

  もうとうに役に立たざるわがペニスただ小さきが垂れてゐるなり

  役立たぬゆゑになくなればよしとおもふとはいへ簡単に無くならぬもの

  あらあら不思議。夢なれば役に立つ女もをりき

『孟子』公孫丑章句下36 孟子 平陸に之き、其の大夫に謂つて曰く、「子の持戟の士、一日にして三たび伍を失はば、則ち之を去るや否や」と。曰く、「三たびを待たず」と。

  孟子、平陸に行き長官に、三度職務を怠るに辞めさせると問ふ

藤島秀憲『山崎方代の百首』

今日はもう十一月の二十日なり桐の梢空に桐の実が鳴る 『方代』

この歌も『右左口』に収録された際に<今日はもう十一月の二十日なり桐の梢に桐の実が鳴る>と推敲されている。圧倒的に読みやすくなったのだが、単なる情景描写になってしまった気がして、いささか残念。「空」のある方が空間が広がる。

十一月二十日は何の日だろう。たとえば十一月二十五日は母の祥月命日。今年もまた不満足な生活の中で母の忌を迎えることを嘆いているのだろうか。

一見意味のない日付も、こうして歌われると何か意味があるように感じる。余白の効果と言ってよい。

ふかぶかと雪をかむれば石すらもあたたかき声をあげんとぞする 『方代』

「石」は方代短歌の重要なキーワード。これからもたくさん出て来る。

人に踏まれても動けないし、声も上げられない。弱いものの代表格だ。でも、肝が据わっていて、不要なように見えて、しっかり役立っている。

この歌、実は『青じその花』では失恋の歌として語られる。石になって失恋の痛みに耐えているのだ。

恋については後々書くことになるが、相手は広中淳子。和歌山に住む彼女に手紙を送り続けたものの、片思いに終わった。