2022年10月26日(水)

朝からあかるい秋のひかりが満ち溢れている。

  てふてふにまがふがごとき欅もみぢあさのひかりに木の葉散りくる

  米二合にトイレットペーパーを購ひて小田急線を一駅戻る

『徒然草』第73段・74段

  兼好の時代もいまのこの時も「とにもかくにも、虚言(そらごと)多き」

()するところ、ただ(おい)と死とにあり」かくいふほどに覚悟はできず

『老子』上篇19

()(あら)はし(ぼく)(いだ)け」 飾りけのない(きぢ)地のままを外にあらはし、()り出したままの(あらき)のやうな純朴さを内に守れ。  いいこというね。

  いつまでも(あらき)のままで生きてゐたし世に泥むこと断固拒むべし

2022年10月25日(火)

今日も朝から寒い。今年初のセーターを着る。

  こんな日は暖炉の部屋に火を燃やしあまきココアにあたたまるべし

暖炉の部屋なんかありません。

  ミステリイ小説を読み(ほど)きゆく秋の昼どき()けさうで解けず

『徒然草』第72段

  文車ふぐるま)(ふみ)塵塚(ちりづか)の塵は多くとも賤しげにはあらずと兼好は言ふ さて

『老子』上篇18

「大道廃、有仁義。智慧出、有大偽。六親不和、有孝慈。国家昏乱、有貞臣。」

  逆説にこの世の乱れを説く『老子』いまこそ読むべし無為こそ自然

2022年10月24日(月)

一日曇りだな。

  妻が淹れし珈琲に湯気たちのぼる牛蒡、大根ころがるキッチン

  どんみりとけさの曇りに中庭の木々もどことなく不機嫌の風体(てい)

『徒然草』第71段 兼好法師にもこのような既視感のいたずらがあったのだ。

  心のうちにいつぞやありしとおもふことたびたびあるはわれのみにあらず

『老子』上篇17「我れは自然なり」◎「自然」は「おのずから然り」であって、他の力に頼らずそれ自体でひとりでにそうあること。『老子』の理想とするあるがままのありかたである。

  無為自然を理想とせむにおのづからことばあふれるやうにはゆかず

2022年10月23日(日)

朝からさわやかな秋日和である。少し暑いくらいだ。

  秋の夜の益体もなきやるせなさ夢ながければけふも堪へがたし

昨日の歌の謎解きをしておきましょう。

 ふたつ文字=ひらがなの「こ」

 牛の角文字=形が牛の角に似ているから「い」

 すぐな文字=まっすぐなところから「し」 

 ゆがみ文字=ゆがんでいるから「く」

 上からつなげてみましょう。お父上がお好きであったのでしょうか。

『徒然草』68段もおもしろい。敵襲に大根が兵として助勢してくれた。日々大根を薬として二つづつ焼いて食べていたことによる。

  敵襲につはもの二人加勢してあぶなげもなし(つち)大根(おおね)なり

2022年10月22日(土)

いささか雲が多いものの秋のよき日であろう。

  少しづつ葉の色変りメタセコイヤ装ひはいま秋の貴婦人

土曜日も燃やせるゴミを出す日である。

  いまだなほコバヘは死なず。人類の最期を看取るはコバヘの類か

  透明なるビニール袋のゴミのなかにコバヘ潜むを指もて潰す

『徒然草』第62段は、短い章段だが延政門院(後嵯峨院皇女・悦子内親王)の幼き日の謎を秘めた歌が載せられている。こんな歌だ。

 ふたつ文字牛の角文字すぐな文字ゆがみ文字とぞ君はおぼゆる

さて、この歌、父後嵯峨院に宛てたものだが、何を伝えようとしているのであろうか。考えてみてください。辞典を引いてみるとわかるかもしれません。答えは明日のこの欄にて。

夕日に映えたメタセコイヤ。

  一日の余光が照らすあけぼの杉しなやかにして淑女のすがた

今日は盛りだくさんになった。

2022年10月21日(金)

今日も穏やかな日だ。今ごろ楠原先生一行は北陸新幹線の中だろう。

  はるか能登の海のひかりをおもふなり旅の四日の穏しくあれよ

  夕波のしづけき海に迢空と春洋の歌を和して唱へよ

しかし、どうも能登地方は天気がよくなさそうだ。

  正月の歌つくらむと喫茶店に朝の珈琲すすり案ずる

台所に洗い物をする。食器洗剤の口よりシャボン玉が飛ぶ。

  キッチンに小さなちひさなシャボン玉なないろの玉いくつも上がる

2022年10月20日(木)

横須賀短歌会10月例会。おだやかな横須賀港の海であった。石渡さんが欠席。再入院という。心配だが、今日の会は見学者もあって楽しかった。

  コンビニのおにぎり二つを喰ひ終へて横須賀軍港雲一つなし

横須賀では金木犀がまだ匂っている。

  秋日和にわがめぐり翔ぶ紋黄蝶こは誰が死者のたましひならむ

  わが死者のひとりを憶ふ金木犀香ればすこし涙ぐみたり