朝からずっと雨だ。
てのひらにレモン一顆の重みあり烏克蘭はいまも殲滅の嵐
染井吉野の綾なす花に溺れたしうつつはかくも理不尽なれば

朝からずっと雨だ。
てのひらにレモン一顆の重みあり烏克蘭はいまも殲滅の嵐
染井吉野の綾なす花に溺れたしうつつはかくも理不尽なれば

晴れてはいるが、まだ寒い。寒川のわいわい市、井出トマト、そして国分寺台のパン屋さん、そして大谷のコープへ買物ドライブ。雲の上に浮かぶ富士山が円盤のようだった。
深緑野分『ベルリンは晴れているか』を読み終えた。文庫になったので早速買ったのだが、戦中、ヒットラーの時代から敗戦時のドイツを背景にした一人の少女の生き方をえがいて圧倒的な迫力を感じた。ただ本に脱字というか文字がはいっていない、ただ「?」とだけある箇所が二箇所。筑摩さんこれはどうなのでしょうか。p278とp477。これは気になります。両者とも「つかむ」だと思われますが、たしかに「つかむ」には「掴」「攫」「把」「抓」など、また旧字にすればいくつかの可能性があります。著者が特殊な漢字を使ったのでしょうか。二版以降修正されていることを願います。
びわの木も古き葉枯らし変若る。黄の葉、朽ち葉の落ちて春なり
木蓮のむらさきの花ふきちらし春狼藉の風あばれたり

朝は雨だったが、じきに晴れてきた。しかし風が冷たい。大山から北へつらなる山やまは、ある一線から上が斑らに雪にいろどられている。山は雪だったのだ。
昨夜、千葉で地震があり、ここも揺れた。千葉には息子が住んでいる。
この国の土の下には鬼が棲む大地を揺する地獄の鬼なり
海棠の花にふる雨。しばらくは花に残りて春のきらめき

短い旅ではあったが、けっこう歩いたし、非日常の空間・時間体験は夢のようでもあり、疲れをもたらすのだろう、今日はなんだか茫然とした感じだ。そしてこの二日のあいだに相模川から鴨が飛び立ってしまったようだ。カイツブリだけが残っている。
鴨どりよいつ飛び発ちし。いつかはとおもひしものの さびしきものを
鸊鷉に聞けどせむなし。さがみ川の流れさびしき 鴨去りし春

二日目は静岡鉄道のカラー電車に乗って新清水へ。乗車した電車は黄色。昨日と違いあたたかな春らしい日になりました。たまたまの黄色の電車も、あかるさの一因かもしれません。コートと荷物をコインロッカーに預け、窓からのあかるい春のひざしに心楽しき電車旅。清水港は少し波がありましたが、三保までの水上バスに揺られ、東海大学の海洋博物館前の庭でソフトクリームをいただき、帰りは陸上のバスで新清水へ。昼は茶そば。茶そばというと、これまでロクなものにあったことがなかったのですが、これはけっこううまかった。晩飯のためのさしみを数種買いこんで帰路へ。なんと4時前に帰宅。短かったけれどたのしい旅でした。
三保へむかふ水上バスは両側にかもめ率ゐて春の海ばら
清水港に停泊してゐるまぐろ船、海洋探査船春の日の色
水上バスにゆられて遠く仰ぎ見る不二のいただき雪被きをり
椰子の木の木陰のベンチに妻とふたりソフトクリームを舌に舐めづる
静岡鉄道の沿線のさくらのかがやきに黄色い電車に運ばれてゆく
静岡はどこか明るいひかりあり芽吹きはじめし木々もはなやぐ

今日から静岡への旅。妻と二人で楽しんできます。
と書いて実際静岡へ行ってきました。その報告を書いておきましょう。小田原から静岡は新幹線のこだまで1時間もかからずに着いてしまいました。静岡は曇り空で思っていたより寒い日でした。窓に欅の木が映る二階の洒落た喫茶店で寡黙な店主の淹れる珈琲を楽しんでから静岡市の旧庁舎、静岡県庁の旧庁舎と威厳のある建物に感心し、駿府城公園、静岡浅間神社を回って、たまたま近くの蕎麦屋で昼食。その蕎麦のうまかったこと。午後はタクシーで登呂遺跡へ。妻が奇妙なほどの感動を示すことに驚きました、バスで静岡駅に戻りホテルへ。夕食は仕入れてきた新鮮なさしみや寿司で部屋食。静岡の酒に楽しく酔いました。二日目のことは明日。
薬缶より湯気たつ音のしづかなり珈琲店の主人語らず
駿府城の石垣のさくら咲きみちて旅の二人のこころしづまる
深堀に緋の色の鯉浮かびくる姫御前なるか堂々として
杉の木を鉄器に削り巧みなり弥生後期の稲作の跡
どんよりと曇る駿河の登呂の里子ども躍れり家族たのしげ
二千年前の水田に稲育てわが祖も住む邑ありにけり

今日の染井吉野はおおむね五分咲きか。花の木を求めて海老名界隈のあちらこちらを歩く。
春風の気儘に吹かれ落下する白木蓮あはれ花びら散らばる
根っこごと流されて中洲にたどりつく女の姿態のごとき寒木
桜の歌ではありませんが。
毛羽だてる殻を残してひらきけりむらさき木蘭清逸にして
