2025年1月29日(水)

晴れだが、寒い。

  ゆきつけばあづまのくににあたらしき恋もめばへてたのしきことあり

  椿に木に椿の赤き花咲きて蕾もほんのり赤らみてゐる

  つひにゆく道とは誰も思ひしもそのときのさま誰も語らず

『論語』衞靈公五 孔子曰く、「無為にして治まる者は其れ舜なるか。夫れ何をか為さんや。己を恭ゝしくして正しく南面するのみ。」

  何もせずただ南面する舜のごとき国は稀なりと孔子のたまふ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 四二 応神天皇
ある時、天皇が、山を越えて近江の国に行幸した時、宇治野のほとりに立ち、葛野をはるばる見渡して歌った、
千葉(ちば)の 葛野(かづぬ)を見れば        葛野を見れば満ち足りて
百千(ものち)(だ)る 家庭(やには)も見ゆ        賑う民の家も見え
国の(ほ)も見ゆ            国にすぐれし所かな

  はるばると葛野を見れば満ち足りて民の賑はひ国の秀のごとし

2024年12月31日(火)

晴れ。

  髪の毛の少し伸びたる分のみを刈り上ぐる妻の手技そこそこ

  一ケ月かニケ月目になる散髪の日妻がやさしく刈り上げくれる

  床屋の主はわが妻にして刈り上げるこのよろこびは外には告げず

『論語』憲問二二 陳成子、簡公を弑す。孔子、沐浴して朝し、哀公に告げて曰く、

「陳公、其の君を弑す。請ふ、これを討たん。」公(哀公)曰く「夫の三子(魯の実力者、孟孫・叔孫・季孫の三家)に告げよ。」孔子曰く「吾れ大夫の後に従えるを以て、敢て告げずんばあらざるなり。君の曰く、夫の三子に告げよと。三子に之きて告ぐ。可かず。孔子曰く「吾れ大夫の後に従えるを以て、敢て告げずんばあらざるなり。」

哀公の力は衰えていて、孟孫・叔孫・季孫はちょうど斉の陳公の立場にあった。孔子は大夫としての責務からのことである。話してももむだとは思われていただろう。

  陳成子が簡公を弑すとき孔子討たんといへどむだなる

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一一 カムヤマトイワレビコノ命

「もしわたしの歌を聞いたならば、いっせいに立って、切り殺せ」とお含めになった。その、土賊を討つ合図に歌った歌、

  忍坂(おさか)の 大室屋に       忍坂に名ある大室屋

  人(さは)に 来入り居り      土賊(つちぐも)多く来おるとも

  人多に 入り居りとも     土賊多くおるとても

  みつみつし 久米の子が    若々しい久米の子が

  (くぶ)(つ つい) (いし)(つつい)もち       (つか)の大きいその太刀で 石(ごしら)えのその太刀で

  撃ちてしやまむ        撃つに手間(てま)(ひま)いるものか

  みつみつし 久米の子らが   若々しい久米の子が

  頭椎 石椎もち        柄の大きいその太刀で 石拵えのその太刀で

  今撃たば 良らし       今撃て 今こそ良い時じゃ

こう歌い、刀を抜きつれて、いっせいに土賊どもを撃ち殺してしまった。

  忍坂の大室屋に土賊多におる久米の子らいつせいに撃ち殺すべし

「さねさし歌日録」パートⅡは、ちょうど一年、二〇〇頁。よく書いたものだ。能登の震災から丸一年、今回も入院したり、脳に出血があったりしたけれども、歌集が賞を受けたり、まあまあの年でありました。    来年は、パートⅢになります。以前に変わらずよろしくお願いします。

2024年12月30日(月)

曇って寒いが、だんだんに温度は上がるらしいが、11℃くらいまでらしい。

  夜のテレビにバァイオリン、ピアノ曲しばし聞こえて心やすらぐ

  曲名は知らねどもこのやさしさを昼バィオリン音色のひびく

  足指の爪を切る時鳴る音のがさつなりバィオリンとえらく違へり

『論語』憲問二一 孔子曰く「其の言にこれ(は)ぢざれば、則ちこれを為すこと難し。」

自分のことばに恥じを知らないようでは、それを実行するのはむつかしい。

ことばは慎んでこそ、それを実行できる。

  自分の言をたいせつにせよ恥じてこそ全てが実行し得る

『古事記歌謡』蓮田善明訳 一〇 カムヤマトイハレビコノ命

弟ウカシの奉った供応を、残らず軍兵に分ち賜わり、歌をよみ遊ばされた。その歌は、

宇陀の高城に (しぎ)(わな)張る       宇陀のとりでに鴫取ろと

わが待つや 鴫は(さや)らず       罠張りかけて待っていりゃ

いすくはし 鯨障る         思いがけない大鯨

前妻(こなみ)が 魚乞(なこ)はさば         これこれ皆の軍兵ども

立柧棱(たちそば)の 実の無けくを       そなたの前妻が魚くれと

()きしひゑね            乞うたらちょっぴり切ってやれ

後妻(うはなり)が 魚乞はさば         また後妻がくれと言や

(いちさかき)実の多けくを          さかきの枝の実のように

幾許(こきだ)ひゑね             持きれぬほど取ってやれ

ええ しや こしや         ええ こりゃ あはは

(こ )(いのご)ふぞ             こら やっつけろ

ああ しや こしや         ああ こりゃ あはは

此は嘲笑(あざわらふ)ふぞ            こら 笑っちゃれ

  ええしやこしやああしやこしや前妻後妻が魚乞へばこは嘲笑へ

2024年12月29日(日)

良い天気である。

  妙なる音たたへたる山茶花の白き花びら透けてただよふ

  赤と白の山茶花の花ちかくにあり赤き花少し濃厚にして

  白き花には薄あかき縁取り山茶花の高貴、清純なる花びら動く

『論語』憲問二〇 孔子、「衛の霊公の無道(むどう)なるを」言う。康子(こうし)が曰く「(そ)(か)くの如くんば、(いか)にしてか喪なはざる。」孔子曰く「仲叔圉(ちゅうしゅくぎょ)は賓客を治め、祝鮀(しゅくだ)は宗廟を治め、王孫(おうそん)(か)は軍旅を治む。夫れ是くの如くんば、奚んぞ其れ喪なはん。」

  仲叔圉、祝鮀、王孫賈それぞれなれば衛の国治まる

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八 タマヨリ姫

  赤玉は 緒さへ光れど     色もうるわし赤玉は 貫く緒までさえかがやいて

  白玉の 君が装し       けれども真白い玉の様な

  尊くありけり         君の装いぞ慕わるる

トユタマビメノ命の夫ホヲリノ命の答えた歌(九)

  沖つ鳥 (かも)()く島に      鴨も並んで泳ぐ島

  わが率寝(ゐね)し 妹は忘れじ    そこに寝た日の面影は

  世の(ことごと)に          忘れられない 死ぬまでも

  沖つ鳥鴨潜く河に近づきて世のことごとを思ひ忘れず

2024年12月28日(土)

晴れてます。

岩波文庫の『永瀬清子詩集』、谷川俊太郎が選んだものだが、読了。谷川との対談や自筆年譜がおもしろかった。もちろん詩も「初冬 新しい霜はきらびやかに/大地の冷える時わが魂も冷える/あけがたに佳い句を得たのに/目ざめると共に消え去っていた」「女はいつも損だ、損だ、損だ。」印象に残る詩句は山ほどある。

  ひむがしの空少しづつ赤くなる地平線にでこぼこありて人棲むらしき

  地平線の色変りゆく冬の朝だいだい色に空がひろがる

  信号の緑の色のくきやかに自動車進む相模大橋

『論語』憲問一九 公叔文子の臣、大夫僎、文子と同じく公に升る。孔子これを聞きて曰く、「以て文と為すべし。」

  エリートを選ぶその眼のたしかさを公叔文子に認めたりけむ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七 タカヒメノ命

妹のタカヒメノ命が、兄の名を神々に知らせようと思って、次の歌をうたった。  

  天なるや (おと)機織女(たなばた)の    天に機織る織女の

  項がせる 玉の御統(みすまる)     首にかけたる玉紐の

  御統に 穴玉はや      玉の光りの麗しさ

  み谷 二渡らす       その玉の様に輝いて 谷を二谷飛び渡る

  阿遅(あぢ)(し)(き)高日子(たかひこ)(ね)の神ぞや  あれはアジシキタカヒコネ

これは「夷振」という曲調である。

  二谷を飛びて御統の玉かけてわが兄アジシキタカヒコネノ命

2024年12月27日(金)

今日も天気がいい。

坂本龍一『音楽は自由にする』を読む。だいたいにしてから坂本龍一の音楽に魅力を感じたことはない。この自伝もいい気なもんだと思う。それがこんな本を読むことになったのは、彼が死んだからに他ならない。死は重たい。しかし、やはりいい気なもんだ。音楽も好きにはなれそうもない。

  酩酊といふ気分を味はふこともなくこの十年どこか物足りぬもの

  むらぎもの状態悪しく転倒する酔うたるにあらず熱発しつつ

  落下するごとくに堕ちてゆく堕ちて堕ちてもうもどれなくなる

『論語』憲問一八 子貢曰く「管仲は仁者に非ざるか。桓公、公子糾を殺して、死すること能はず。又これを(たす)く。」孔子曰く「管仲、桓公を相けて諸侯に覇たり、天下を一匡す。民、今に到るまで其の賜を受く。管仲(な)かりせば、吾れ其れ髪を被り(じん)を左にせん。豈に匹夫匹婦の諒を為し、自ら溝瀆(こうとく)(くび)れて知らるること莫きが若くならんや。

  管仲こそ仁の人なり公子糾殺されてその時天下を匡す

『古事記歌謡』蓮田善明訳 六 スセリビメノ命

スセリビメノ命は、盃を取って、ヤチホコノ神に寄り添いながら、それを捧げて歌った。

  八千矛の 神の命や        八千矛の神の命

  我が大国主            わが大国主よ

  ()こそは ()にいませば      あなたは男であるゆえに

  打ち見る 島の崎崎(さきざき)        見える島々 国の果て

  掻き見る 磯の岬落ちず      見える磯々 いずこでも

  若草の 妻持たせらめ       心のままに年若い 妻をお持ちになれましょう

  ()はもよ ()にしあれば      わたしは女であるゆえに

  汝を除きて 男は無し       あなたをおいて男なく

  汝を除きて 夫は無し       あなたをおいて夫はない

  綾垣の ふはやが下に       綾の帳を引き廻し

  蒸衾 柔やが下に         ふわふわなびくその下で 暖かい夜具その中で

  栲衾 さやぐが下に        真白い夜具もさやさやと

  沫雪の わかやる胸を       淡雪の様な若胸を

  (たく)(づな)の 白き(ただむき)         (たく)(づな)の様な白腕

  そだたき たたきまながり     ぴったり抱いて抱きかわし

  真玉手 玉手差し纏き       互いに手をば差しかわし

  股長に ()をしなせ        足も長々やすみましょう

  豊御酒 奉らせ          ごきげん直しにお杯ほしませ

こう歌い終えて、盃を酌みかわし、互いに首に手をかけ合い給うて、今に至るまで御鎮座になっている。右の歌は「神語(かむごと)」と申している。

  八千矛の神の命やわが大国主きみこそは男なりともに豊御酒を召す

  そだたきたたきまながりし恋あれどもてあますらむ老いたる(み)には

2024年12月26日(木)

晴、15℃くらいまで上がるらしい。

  暁闇の県道を行く大型トラック赤信号にゆったり停止す

  信号の赤から黄色そして青走りだすべしわが乗る自動車(くるま)

  払暁に地平の色はだいだいに染まりゆくなり未だ寒し

  県道を通る自動車のすくなくて横断歩道でないところ渡る

『論語』憲問一七 子路が言ふ。「桓公、公子糾を殺す。召忽これに死し、管仲は死せず。子路曰く「未だ仁ならざるか。」孔子言ふ「桓公、諸侯を九合して、兵庫を以てせざるは、管仲の力なり。「(殉死をしなかったのは小さいことで)其の仁に如かんや、其の仁に如かんや。」

  殉死せぬ子路は武力を用ひざるそのことたしかに仁に如かんや

『古事記歌謡』 五 ヤチホコノ神 出雲から大和の国に行こうとして、旅装を整えて片手を馬の鞍にかけて、片足を鐙に踏み入れて歌い給う。

  ぬばたまの 黒き御衣(みけし)を     つやつやの黒いこの衣

  まつぶさに 取り(よそ)ひ      よくよく着けて海鳥の

  (おき)つ鳥 胸見る時        胸見るように身を反らせ

  はたたぎも これはふさはず   見ればこの色 気に入らぬ

  ()つ波 ()に脱ぎ()て      磯辺に波の寄るように 後ろにさっと脱ぎすてる

  (そに)(どり)の 青き御衣を       かわせみ色の青衣

  まつぶさに 取り装ひ      よくよく着けて海鳥の

  奥つ島 胸見る時        胸見るように身を反らせ

  はたたぎも ()もふさはず    見ればこの色 気に入らぬ

  辺つ波 磯に脱ぎ捨て      磯辺に波の寄るように 後ろにさっと脱ぎすてる

  山県(やまがた)に ()きし(あかね)()き      山田に蒔いた茜草

  (そめ)()が汁に (しめ)(ごろも)を       着いて濃染めの緋の衣

  まつぶさに 取り装ひ      よくよく着けて海鳥の

  奥つ鳥 胸見る時        胸見るように身を反らせ

  はたぎも ()しよろし      見ればこれこそよく似合う

  いとこやの (いも)(みこと)       いとしい妻よ 群鳥の

  (むら)(どり)の わが群れ()なば     群れ行くようにわが行けば

  引け鳥の わが引け去なば    引け行く鳥とわが行けば

  泣かじとは ()は言ふとも    泣いたりなどはしませぬと

  山処(やまと)の 一本(ひともと)(すすき)         そなたは気強く言ったとて 山に一本たつ薄

  項傾(うなかぶ)し 汝が泣かさまく    うなだれ伏して泣くように そなたの泣くのが目に見える

  浅雨の さ霧に立たむぞ     浅雨砂霧しおしおと 悲し涙に曇ろうよ

  若草の 妻の(みこと)         まことは若いわが妻に

  事の 語り言も 此をば     聞かせてやりたい この歌を

  翠鳥の颯爽と飛び河原辺の一本薄に揺れつつ留まる