2025年4月9日(水)

快晴、あったかいようだ。

岡本綺堂『旅情夢譚』を読む。どの話も、どこか不思議で、百物語を思わせ興味深いのだが、いささか無気味度が薄いかな。でも、おもしろかった。

少し前のことだが、

  真みなみに薄き半円の残り月われまだこの世に未練ありにき

  少しづつ動く半円の残り月はかなきものはあの世のものか

  これの世の行く末いかに。この頃は滅びの後も戦乱の果て

『論語』陽貨一九 孔子曰く、「予れ言ふこと無からんと欲す。」子貢が曰く、「子如し言はずんば、則ち小子何をか述べん。孔子曰く、「天何をか言ふや。四時、行なはれ、百物、生ず。天何をか言ふや。」

孔子先生は、もう何も言うまいと思うと言った。子貢が「先生が何も言わなけれ、門人に何を受けつたえましょうか。どうかお話をして下さい」というと、先生は言われた、「天は何か言うだろうか。四季はめぐっているし、万物も生長している。天は何か言うだろうか。何も言わなくとも、教えはある。ことばだけを頼りにしてはいけない。

  われ言ふこと無し季節はめぐり万物生長すあえて天にはことばあらず

『古事記歌謡』蓮田善明訳 百一〇 ヲケノイハスワケノ命

その老婆の住む家を、皇居の近くに作り、毎日必ずお召し寄せになるのであったが、それには、御殿の戸に大鈴をかけて、老婆をお召しになりたい折りは、その大鈴を引き鳴らすということを定めてあった。それによって歌がある。
浅茅(あさぢ)(はら) 小谷(をだに)を過ぎて      浅茅の原や谷過ぎて
(もも)(づた)ふ (ぬて)ゆらぐも       はるばる伝うて鈴が鳴る
置目(おきめ)(く)らしも          置目がどうやら来たようだ

  大鈴が鳴れば宮近き住まいより置目老婆ここに来らしも

2025年4月8日(火)

今日は二十度に。しかし朝は寒い。

野口冨士男『わが荷風』読了。最初の単行本の時からこの文庫本になるまで三回読んでいるはずだが多くが記憶にない。最初の単行本の時は、この書物を案内役のようにしながら永井荷風の『あめりか物語』『ふらんす物語』をほじめ文庫になっていたほとんどの小説を読んだ。しかし大学生にとって手に負えるようなものではなかった。野口の案内記のような作品は、それを思い知らせてくれたのかもしれない。三度目の読書は、自分を確かめるためにも重要なものであった。

  隠形の術にて姿を忍ばせてトイレにこもるわれならなく

  トイレとの扉一枚隔てたる見えざる廊下を妻が歩く

  扉の向かふを妻が往く老母が返る足を摺る音

『論語』陽貨一八 孔子曰く、「紫の朱を奪ふを(んく)む。鄭声の雅楽を乱るを悪む。利口の邦家えお覆すを悪む。」

間色である紫が、正色である赤を圧倒すのが憎い。鄭の国のみだらな音曲が、正統な雅楽を乱すのが憎い。口達者なものが、国家をひっくりかえすのが憎い。

朱に代り紫、正統な雅楽に代り淫らな音曲、邦を覆す口達者これらを憎む孔子なりけり

『古事記歌謡』蓮田善明訳 百九 志毘臣
志毘臣は、いよいよ怒って、
大君の 王子(みこ)の柴垣       たたき破るこの方だ
八節結(やふじまり) (しま)(もとほ)し        八重の柴垣固めても ひとたびこうと思うたら
切れむ柴垣 焼けむ柴垣     切って火をつけ焼いてやる

こう歌って、争いかわして夜を明かし、おのおのに引き取られたのであった。

  大君の王子の柴垣燃やしけむただに焼けたる切れむ柴垣

2025年4月7日(月)

桜が満開、散りはじめている。まあ曇りだね。

  若やいだ桜の花の満開のさま観てよろし日の暮れ歩む

  日の暮れに桜のたましひもてあそぶこのたましひを手に包みり

  日暮れから暗闇になるそれまでを花のたましひ老いれが見つ

  ひねるやうな枝を隠して照り葉繁り葉あまた花咲く椿の一木

  根もとには赤き花一つ落としたり椿の木あまた花を咲かせて

  飛びこめば異界まうでかひよどりの一羽、そして二羽木にまぎれ行く

『論語』陽貨一七 孔子曰く、巧言令色、鮮なし仁。」

前にも出て来た文言(学而篇第三章)だから、よっぽど重要なのか。

ことば上手の顔よしでは、ほとんど無いものだよ、仁の徳は。

  巧言令色、鮮矣仁は孔子得意の文言なりき

『古事記歌謡』蓮田善明訳 百八 志毘の臣
かれ志毘の臣、また歌って、
(おほきみ)の こころを(ゆら)み      こちらの心が寛大で 許しておいてやるまでだ
(おみ)の子の 八重の柴垣(しばがき)      少女を得ようと思ったら いかに八重垣結い固め
入り立たずあり         防ごうとてもむだことだ

  大君の心の(ゆら)みあればこそ少女得んとて八重垣を結ふ

2025年4月6日(日)

午前中は晴れているようだが、昼頃には雨に変わるらしい。

上田早夕里『上海灯蛾』読了。全編586ページ。なかなかに苦労したが、おもしろかったんだろう。最後は、涙しながら読み終えた。この構想力には感心する。

  上海租界を描き分けフランス租界と日本租界と

  吾郷次郎と楊直の阿片畑の話題わくわくどこどきたのしまざらん

  結末は次郎も死して寂しきに上海の海しづかなりけり

  中庭を風抜けて春の気配する少しく気温も高くなりゆく

  まだ冬の枝、幹さらすあけぼの杉枝の尖り芽やや春立つか

  息ややに楽になりゆくこの二、三日われもたのしく春をよろこぶ

『論語』陽貨一六 孔子曰く、「古者、民に三疾あり。今や或いは是れ亡きなり。古への狂や肆、今の狂や蕩。古への矜や廉、今の矜や忿戾。古への愚や直、今の愚や詐のみ。

  古へと今との違ひ三疾もひどくなりたり狂・矜・愚ぞ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 百七 顕宗天皇
命は、
大匠(おほたくみ) 拙劣(をじな)みこそ      大工の仕事が拙いので そんなことにもなったのだ
隅傾けり          おまえもすこしは気のきいた 大宮仕えするがよい

  大工仕事が拙いのでこんなことにもなったのだもっと気の効く仕事をせねば

2025年4月5日(土)

久々の快晴である。風が強いらしいが、本当に久しぶりの晴だ。ちょっとうれしい。

  寝る前にベルナール三錠高価なる薬物を飲む効きてゐるのか

  手が延びて足が縮まり首長の老いがわれなり醜きものぞ

  山茶花の花びら拾ひかがむときああ老いたるや赤き花びら

『論語』陽貨一五 孔子曰く、「鄙夫(ひふ)は与に君に(つか)ふべけんや。其の未だこれを得ざれば、これを得んこと患へ、既にこれを得れば、これを失はんことを患ふ。苟もこれを失わんことを患ふれば、至らざる所なし。

  身分の低い、粗野な男は主君得ても使ひものにはならざるべしや

『古事記歌謡』蓮田善明訳 百六 志毘臣
今度は志毘臣の方から、
大宮の (をと)端手(はたで)       あなたの宮の軒ははや 傾きかけておりますぞ
(すみ)(かたぶ)けり           気をつけなさい御位も

  大宮の軒の端手はもう早く傾きかけたり注意すべし

2025年4月4日(金)

いやあ、晴れた。ひさしぶり、いいねえ太陽の光り。

  髭面の爺はわれなり木にあまた赤き花咲かす椿を廻る

  ひょろひょろに傾きかたむきひょこひょことうごめくやうな足弱われなり

  山茶花の花の赤きが散り落ちてあまたの赤き花びらを踏む

『論語』陽貨一四 孔子曰く、「道に聴きて塗に説くは、徳をこれに棄つるなり。」

道ばたで聞いてそのまま道で話して終りというのは、よく考えて身につけようとしないのだから、徳を棄てるものだ

  道ばたに聴きてそれで終りといふならばそれこそ徳を棄つるに似たり

『古事記歌謡』蓮田善明訳 百十一 シビノ臣
(百六)こう歌って、その歌のあとを求められると、志毘臣は、
大魚(おほを)よし (しび)突く海人(あま)よ    わたしを鮪と言わば言え 鮪突きたいと思っても
(し)があれば (うら)(こほ)しけむ    少女はわたしが取っている
鮪突く鮪           さぞかし恋しいことでしょう

  少女はわたしが手にあらむさぞかし恋しいことでしょう

2025年4月3日(木)

今日も雨、やがて曇るようだが、どうだろう。寒い。

  春がきたからとコートを脱ぐいささか寒く堪へがたきかも

  マフラーも毛糸の帽子も脱ぎすててさねさしの空を仰ぐなりけり

  本を読む速度遅々たるものなれどやうやう月に七冊を読む

『論語』陽貨一三 孔子曰く、「郷原は徳の賊なり。」

村で善い人といわれるものは、いかにも道徳家に見えるから、かえって徳をそこなうものだ。

なるほどとは思うものの、村には、そういう人ばかりではないだろう。

  孔子言ふ郷原は徳の賊なりされどされども果たしてさうか

『古事記歌謡』蓮田善明訳 百九 ヲケノ命

かくて、この二王子が皇位におつき遊ばされようとするころのことである。平群臣の祖先の志毘(しび)臣は、歌垣に出て、ヲケノ命のお婚しになろうとする少女の手を取った。その少女は莵田首の娘で、オホヲという名であった。ヲケノ命は歌垣に出場されてまず
(しほ)(せ)の (な)(をり)を見れば     沖の波間にぽかぽかと 鮪が泳ぐをよくみれば
遊び来る (しび)鰭手(はたで)に     途方もないぞ鰭かげに
妻立てり見ゆ         わたしの妻が立っている

  潮瀬の波折を見ればその鰭のかげにわたしの妻が立ちをり