10月7日(火)

曇りだが涼しいのだ。

綱淵謙錠『刑』を読む。古本の文庫本。短編七編を編集したものだが、綱淵らしい歴史小説である。いくつかは最後の首斬り山田浅右衛門吉亮を描いたもので、なかなか凄い。戦慄する。ただ私に興味深く思われたのは永岡久茂と妻・せんを描いた「研」である。永岡が作った歌、「泥棒、追剥、窃盗、掏摸の/中に引かるゝ新聞者/世のために、死ぬはかねての/覚悟ぢやないか/禁獄なんどは、へのふ、へのへ」。「へのふ、へのへ」が何とも言えぬ。

  いつせいに朝焼けの空、雲がピンクに染まる束の間

  束の間の全天ピンク地獄も極楽も人の工夫か

  しかし、地獄・極楽思へばたのしだからこそ昔の人は思ひつきたり

『孟子』公孫丑章句25-10 曰く、「伯夷・は如何」と。曰く、「道を同じうせず。其の君に非ざれば事へず、其の民に非ざれば使はず、治まれば則ち進み、乱るれば則ち退くは、伯夷なり。何れに事ふるとして君に非ざらん、治まるも亦進み、乱るるも亦進むは、伊尹なり。以て仕ふ可くんば則ち仕へ、以て止む可くんば則ち止み、以て久しかる可くんば則ち速やかにするは、孔子なり。皆古の聖人なり。吾は未だ行ふこと有る能はず。乃ち願ふ所は則ち孔子を学ばん」と。

  伯夷・伊尹それぞれに見どころはあるが、私ならば孔子に学ばん

林和清『塚本邦雄の百首』

こと志に添ひつつとまどへりある日つゆけき言葉「七騎落」 「歌人」(一九八二)

『歌人』とは含みある題名である。五〇歳代には小説、評論など年に一〇冊ほどのペースで精力的な出版を続けてきた塚本が、還暦の歳に原点へ還ったように自らを歌人だと改めて名のったのだ。芭蕉の「旅人と我名呼ばれん初時雨」を踏まえているのだろう。

この歌には岡井隆の精緻な分析がある。「初句から二句への渡り具合や、四句から結句へのつながり具合は(略)区切り意識をいやでもつよく意識させてくる。そのときに、結句の八音がとくに気になる」(『つゆけき言葉』注釈)と。私は能の題名の圧が効いていると思うのだがどうか。

朱の硯洗はむとしてまなことづわが墓建てらるる日も雪か 『歌人』

塚本はこのころ自らの墓を京都の古刹・妙蓮寺に建立している。生前の墓石には、その名が朱で刻まれることになる。塚本は毎月の京都での仕事のあと、自らの墓へ熱心に詣でていた。どんな心境だったのか。

実際には自ら建立したのだが、「建てらるる」というと、否応なく訪れる死を強く意識させる。添削の仕事をしていたのか、朱の硯を洗おうとして瞑目する。音もなく降る雪、そのように死もやがて生を覆う。

境涯詠であるとともに職業詠であり、身辺詠でもある。そこには斎藤茂吉の影響も濃く感じられる。

10月6日(月)

今朝も昨日と同じように涼しい。昼も同じ。

  愛欲に溺れて何が愉しかろ地獄へ堕ちても悔いなかりけり

  赤飯を喰ひすぎて地獄の古き構造をおもふ。夕べの雨過ぎてゆく

  祝いもなく赤飯喰へばなんとなく心たのしも身体もはずむ

『孟子』公孫丑章句25-9 「、に之を聞けり。『子貢・子遊・子張は、皆聖人の一体有り。・・は、則ち体を具へて微なり』と。敢て安んずる所を問ふ」と。曰く、「く是をけ」と。

  孟子、ちょっとその話はやめようではないか。われはたいへん不満足なり

林和清『塚本邦雄の百首』

沈丁花何ぞふふめる殺さるるもの殺すもののみの世界に 『天變の書』

珍しくストレートに断言した表現だが、こう言ってしまっては身も蓋もまいような気がするしかしあえて塚本は断言したのだ。どんな綺麗ごとを言っても生命ある限り、この世界は殺し殺されるだけ、殺すもの殺されるものだけ存在しているではないか、と。

冬が終わり冷たい空気の中でつぼみをふくらませる沈丁花よ。なぜこの殺戮の世に咲こうとするのか。

この歌が詠まれた七〇年代末期、中東紛争やアフガン侵攻などもあったが、むしろ今世紀の方が、なまなましく殺される世界が現前しているではないか。

秋風に思ひ屈することあれど天なるや若き麒麟の面 『天變の書』

塚本邦雄の代表作にして、解釈の分かれる歌のひとつである。私は、秋風に思い屈しているのは作者だと取る。初老の愁いに閉ざされる自分ではあるが、若者はのびやかに背高く、晴れ晴れと歩んでいる。そのさわやかな生命力を「天なるや」と尊く思い、「面」と親しみを込めて表したのだ。その根拠として、同歌集「文弱のわがこゑほそる六月のやみに突つたつ美男韋駄天」という同工異曲の歌をあげたい。思い屈する文弱のわれと麒麟・韋駄天の青年が対比されている。

類歌頻出は問題もあるが、読解のヒントにはなる。

10月5日(日)

涼しいが、どうだろう。28℃まで上がる。

  公園のけやき大樹に繁りあふ枝葉を透し朝の陽が差す

  ひむがしの平野にはあやしき雲のゐるあやしきひかり湛へながら

  鳥の声なにかおしゃべりするごとくいくどもいくどもこゑ鳴き交す

『孟子』公孫丑章句25-8 「宰我・子貢は善く説辞を為し、冉牛・閔子・顔淵は善く徳行を言ふ。孔子は之に兼ぬ。曰く、『我 辞命に於ては、則ち能はざるなり』と。然らば則ち夫子は既に聖なるか」と。曰く、「悪、是れ何の言ぞや。昔者、子貢 孔子に問うて曰く、『夫子は聖なるか』と。孔子曰く、『聖は則ち吾能はず。我は学びて厭はず、教へて倦まざるなり』と。子貢曰く、『学びて厭はざるは、智なり。教へて倦まざるは、仁なり。仁且つ智なり。夫子既に聖なり』と。夫れ聖は孔子にも居らず。是れ何の言ぞや」と。

  孔子でさへみづから任じてはをらざるを聖人なるもの遠くに存す

林和清『塚本邦雄の百首』

水を切る敦盛蜻蛉水くぐる維盛蜻蛉 男ははかな 『天變の書』(一九七六)

この三首前に「サッカーの制吒迦童子火のにほひが矜羯羅童子雪のかをりよ」と同工異曲の歌がある。不動明王の脇侍として描かれる二体の童子は、国宝の仏教彫刻などでよく知られている。塚本はその名の響きや漢字表記も好みだったのだろう。島内景二は、「背高のっぽ」と「こんがり日焼け」したサッカー選手になぞらえた言葉遊びだと指摘している。

この歌は平家の公達ふたりの名のトンボを配した。ふたりとも海に関わる死に方をしたので、「水を切る」「水をくぐる」は納得される。結句はやや通俗的あるが……。

夢前川の岸に半夏の花ひらく生きたくばまづ言葉を捨てよ 『天變の書』

夢前川は歌枕あると同時に塚本眷恋の地名のひとつ。半夏の花は、夏の修行「夏安居」の中日に咲く仏教色濃い花であり、また塚本好みの素材でもある。

「夢の沖に」の歌で「ことばとはいのちを思ひ出づるよすが」と詠んだ塚本が、ここでは同じ「夢」を配して、生きたければ言葉を捨てろ、と詠む。矛盾ているようだが、そうではない。言葉を捨てて生きることなどできない歌人は、言葉によって生の証しをたてながら虚と実に引き裂かれ、半死半生の命を生きてゆくしかないのだ。まさに半分白い半夏生のように。

10月4日(土)

朝、22℃。ちょっと寒い。一枚羽織る。

呉勝浩『爆弾』、ムチャクチャおもしろいが、ムチャクチャ時間がかかった。しかし、読み終えた。充実感はある。スズキタゴサクを訊問する三人の刑事、とりわけスズキと対峙した白いスニーカー姿の類家という刑事が魅力的であり、また野方警察署の面々にも魅力がある。警察の失態。こんな爆弾事件、本当にあっては困るが、小説にはあってもいい。おもしろかった。

  西の山、連山もこもこ夏の山ことしは猛暑にいつまでも夏

  大山のいただきあたりを隠したる黒き雲あり雨雲ならむ

  われが立つ、上空いまだ青きところ。曇り空なれど、陽が差してくる

『孟子』公孫丑章句25-7 「何をか言を知ると謂ふ」と。曰く、「は其の蔽はるる所を知る。淫辞は其の陥る所を知る。邪辞は其の離るる所を知る。遁辞は其の窮する所を知る。其の心に生ずれば、其の政に害あり。其の政に発すれば、其の事に害あり。聖人復た起るとも、必ず吾が言に従はん」と。

  昔の聖人が出現されたとしても必ずやわが言に従はん

林和清『塚本邦雄の百首』

劉生のあはれみにくき美少女はひるの氷室の火事見つつゐし 『閑雅空閒』

名歌「夢の沖に」のあとに数首「鶴」の歌が続くのは、やや興ざめの感がある。塚本は類歌の処理に関しての自己基準が、やや緩やかだったのではないか。

などと思いながら読み進めると度肝を抜かれるような歌に出会う。この歌の前後には岸田劉生はおろか、絵画をテーマにした歌もない。「麗子」が唐突に出現するのだ。四三点発表された「麗子像」のうち、これは毛糸のショールをまとった『麗子微笑』であろう。

あの微笑の先に氷室の昼火事があるのだという。独創なのに説得されるのは、文語定型の力業だろうか。

花の若狭知らず靑葉の加賀も見ずわれに愕然として老い來る 『閑雅空閒』

あまり注目されないが、塚本にはこのころ旧国名を詠んだ歌が多くなり、後の歌集ほど頻出する傾向が見られる。塚本自身の出身は滋賀県神崎郡だが、決して滋賀県とは言わず、近江と表現する。それは現実を基としながら、現実とはすこしちがう空間を詠む意識の表れだろう。陰暦や旧月名も同じ。塚本のフィルターを通し、現実に似て非なる時間を表現しているのだ。

ただこの後、塚本は政田岑生とともに能登をめぐる旅をする。それが名著『半島』(一九八一)や次の歌集『天變の書』の能登の地名を詠んだ歌が生まれる契機となる。

10月3日(金)

晴れて、涼しいが、もう少し上がる。

  日本に二発の原子爆弾を落としてより各国それぞれに核を作る

  これの世に戦乱なくなることぞなき各国に核のやむこともなく

  人を憎むはわれも彼も些細なことに怒るぞわれらは

『孟子』公孫丑章句25-6 必ず事とする有れ。めすること勿れ。心に忘るること勿れ。助けて長ぜしむること勿れ。宋人のくすること無かれ。宋人に其の苗の長ぜざるをへて、之をく者有り。芒芒然として帰り、其の人に謂ひて曰く、『今日疲れたり。予苗を助けて長ぜしむ』と。其の子りて往きて之を視れば、苗は則ちれたり。天下の苗を助けて長ぜしめざる者寡し。以て益無しと為して、之を舎つる者は苗をらざる者なり。之を助けて長ぜしめる者は、苗をく者なり。に益無きのみに非ず、而も又之を害す」と。

  浩然の気を養ふには努力、努力。目的を忘れず予期してはならず

林和清『塚本邦雄の百首』

豪雨來るはじめ百粒はるかなるわかもののかしはでのごとしも 『閑雅空閒』(一九七七)

このころの塚本の仕事は質量とものにすさまじい。会社を早期退職し、政田岑生という相棒を得て、数年間に歌集、小説、評論など、五〇冊以上の書を出版している。オーバーペースでもあったのだろうか、前科集の『されど遊星』には、やや性急な不熟さもあったのだが、この『閑雅空閒』は格段の完成度を見せる。

「現代閑吟集」と題された冒頭の三〇首一連。パラパラと乾いた音を立てる雨の降り始め、遠く聞く拍手。

塚本に過激派右翼青年との交流を描いたエッセイ風短編小説(『半島』「火の國半島」)があったことを思い出させる。

夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが 『閑雅空閒』

塚本懸命の行為、「言葉をもって詩を成す」ことを主題とした歌の中で、最高作だと言ってよいかもしれない。

平仮名の連続を避けるための一字あけが、絶妙の余白を生み出している。鶴は鳥であることを超えて、琳派を思わせる美の化身として、しかも映像的な動きを見せる。言葉こそが生きて命あることを保証するよりどころだという、歌人としての覚悟。そして結句六音により彫琢された「よすが」という和語の美しさ。

歌そのものに対して塚本が敬虔な思いを表白し、瞑目しているさまのように私には感じられる。

10月2日(木)

朝、18度。しかし昼には27℃。でも晴れてよかった。昨日の雨は嫌だ。

  かくも勝手に私用電話を傍受して権力側は反省もなし

  二・二六事件にかこつけて北一輝、西田税の電話傍受す

  われわれの携帯電話も傍受され詐欺電話とやらに利用さるるか

『孟子』公孫丑章句25-5 「敢て問ふ、夫子にか長ぜる」と。曰く、「我、言を知る。我善く、吾が浩然の気を養ふ」と。「敢て問ふ、何をか浩然の気と謂ふ」と。曰く、「言ひ難きなり。其のるや、以て直、養うて害すること無ければ、則ち天地の間に塞がる。其の気為るや、義と道とに配す。是無ければう。是れ集義の生ずる所の者にして、義襲うて之を取るに非ざるなり。行ひ心にからざること有れば、則ち餒う。我故に曰、『告子は未だ嘗て義を知らず』と。其の之を外にするを以てなり。

  孟子がいふ浩然の気とはいひ難き、外にあるのではなく内にこそある

林和清『塚本邦雄の百首』

あはれ知命の命知らざれば束の間の秋銀箔のごとく満ちたり

『されど遊星』(一九七五)

知命ちは五〇歳。歌の製作時における塚本の実年齢とも一致する。ただその齢になっても自分は天命を知らないという。成句をもじるのは得意の手法だが、ここには塚本の人生観が表れているのかもしれない。

人間は悩みや迷いの果てに熟成し、完成してゆくという一般的な概念を拒み、美のきらめきを見せる一瞬に出会うことを欲し、その刹那的な美に満ち足りる気持ちを尊いものとする、という価値観であろうか。

坂井修一がこの歌を「空中に静止しているような下句」(『鑑賞・現代短歌七塚本邦雄』)と評しているのが印象深い。

散文の文字や目に零る黒霞いつの日雨の近江に果てむ 『されど遊星』

塚本短歌に使用される語彙は、それが俗語調であっても美意識によって吟味されたものであるのが基本であるが、この「散文の文字」は異色である。無味乾燥で面白味に欠ける。その無造作加減がうまく効果を発揮していて、これも塚本マジックかと思わせられる。

おそらく新聞などの活字が見づらい現実の出来事を基にしているのだろう。近眼から老眼へ、さらに乱視もあったのかもしれない。このリアルな感触の上の句があってこそ、下の句の詠嘆に至りつくのだろう。

上下句ともに、老境を意識する作者がそこにいる。

2025年10月1日(水)

雨、雨、雨……

  青年将校の身を弄ぶ盗聴の真実いまも録音盤に

  青年将校らを騙さんと電話を傍受する卑怯なりとりまく戒厳部隊

  いつの世も若きがつぶされ生き残るは老人ばかりせんなきものよ

『孟子』公孫丑章句25-4 曰く、「敢て問ふ、夫子の心を動かさざると、聞くことを得可きか」と。「告子は曰く、『言を得ざれば、心に求むること勿れ。心に得ざれば、気に求むること勿れ』と。心に得ざれば気に求むること勿れとは可なり。言に得ざれば心に求むること勿れとは不可なり。夫れ志は気のなり。気は体の充てるなり。夫れ志至り、気は次ぐ。故に曰く、『其の志を持し其の気を暴すること無かれ』と」「既に志至り、気は次ぐと曰ひ、又其の志を持し其の気を暴すること無かれと曰ふ者は何ぞや」と。曰く、『志なれば則ち気を動かし、気壱なれば則ち志を動かせばなり。今、夫れく者のるは、是れ気なり。而るに反って其の心を動かす」と。

  気が充てばその心うごかしはっとしてつまづかざるや

林和清『塚本邦雄の百首』

靑き菊の主題をおきて待つわれにかへり來よ海の底まで秋 『蒼鬱境』(一九七二)

定家は承久の乱へ走った後鳥羽院をどう見たのか、三島由紀夫の死の衝撃を受けた自らと重ね合わせたのだろう。そして、いきなり出奔を試みた藤原良経への定家の思いはいかようであったのか。塚本と岡井の七歳差は、定家と良経の年齢差とほぼ重なりあう。この歌の主題はまさに岡井への呼びかけである。結句の豊かなイメージは「波わけて見るよしもがなわたつ海の底のみるめも紅葉散るやと」(文屋朝康)など、古典和歌に由来する。

ただこの歌集、小説と短歌の競演や頭韻などの言語遊戯、いささか凝りすぎて食傷気味にさせられる。

柿の花それ以後の空うるみつつ人よ遊星は炎えてゐるか 『森曜集』(一九七四)

「序数歌集」という呼称を塚本は特に重要視し、間奏歌集や小歌集とは区別していた。それだけ多くの歌集が政田岑生の裁量により、さまざまな機会に出版されたのだ。一九七四年、塚本邦雄書展を記念して編まれた『森曜集』所収のこの歌は、自賛歌の一つでもある。揮毫する時にひと際映える歌なのであろう。

柿の花が散ると梅雨、この星に燃えるべきものはあるのか、と問う。ドメスティックな柿からSF的な遊星への飛躍。映画『パリは燃えているか』を連想させて、結句六音で字足らず。自在な歌心が発露する。