10月3日(金)

晴れて、涼しいが、もう少し上がる。

  日本に二発の原子爆弾を落としてより各国それぞれに核を作る

  これの世に戦乱なくなることぞなき各国に核のやむこともなく

  人を憎むはわれも彼も些細なことに怒るぞわれらは

『孟子』公孫丑章句25-6 必ず事とする有れ。めすること勿れ。心に忘るること勿れ。助けて長ぜしむること勿れ。宋人のくすること無かれ。宋人に其の苗の長ぜざるをへて、之をく者有り。芒芒然として帰り、其の人に謂ひて曰く、『今日疲れたり。予苗を助けて長ぜしむ』と。其の子りて往きて之を視れば、苗は則ちれたり。天下の苗を助けて長ぜしめざる者寡し。以て益無しと為して、之を舎つる者は苗をらざる者なり。之を助けて長ぜしめる者は、苗をく者なり。に益無きのみに非ず、而も又之を害す」と。

  浩然の気を養ふには努力、努力。目的を忘れず予期してはならず

林和清『塚本邦雄の百首』

豪雨來るはじめ百粒はるかなるわかもののかしはでのごとしも 『閑雅空閒』(一九七七)

このころの塚本の仕事は質量とものにすさまじい。会社を早期退職し、政田岑生という相棒を得て、数年間に歌集、小説、評論など、五〇冊以上の書を出版している。オーバーペースでもあったのだろうか、前科集の『されど遊星』には、やや性急な不熟さもあったのだが、この『閑雅空閒』は格段の完成度を見せる。

「現代閑吟集」と題された冒頭の三〇首一連。パラパラと乾いた音を立てる雨の降り始め、遠く聞く拍手。

塚本に過激派右翼青年との交流を描いたエッセイ風短編小説(『半島』「火の國半島」)があったことを思い出させる。

夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが 『閑雅空閒』

塚本懸命の行為、「言葉をもって詩を成す」ことを主題とした歌の中で、最高作だと言ってよいかもしれない。

平仮名の連続を避けるための一字あけが、絶妙の余白を生み出している。鶴は鳥であることを超えて、琳派を思わせる美の化身として、しかも映像的な動きを見せる。言葉こそが生きて命あることを保証するよりどころだという、歌人としての覚悟。そして結句六音により彫琢された「よすが」という和語の美しさ。

歌そのものに対して塚本が敬虔な思いを表白し、瞑目しているさまのように私には感じられる。

10月2日(木)

朝、18度。しかし昼には27℃。でも晴れてよかった。昨日の雨は嫌だ。

  かくも勝手に私用電話を傍受して権力側は反省もなし

  二・二六事件にかこつけて北一輝、西田税の電話傍受す

  われわれの携帯電話も傍受され詐欺電話とやらに利用さるるか

『孟子』公孫丑章句25-5 「敢て問ふ、夫子にか長ぜる」と。曰く、「我、言を知る。我善く、吾が浩然の気を養ふ」と。「敢て問ふ、何をか浩然の気と謂ふ」と。曰く、「言ひ難きなり。其のるや、以て直、養うて害すること無ければ、則ち天地の間に塞がる。其の気為るや、義と道とに配す。是無ければう。是れ集義の生ずる所の者にして、義襲うて之を取るに非ざるなり。行ひ心にからざること有れば、則ち餒う。我故に曰、『告子は未だ嘗て義を知らず』と。其の之を外にするを以てなり。

  孟子がいふ浩然の気とはいひ難き、外にあるのではなく内にこそある

林和清『塚本邦雄の百首』

あはれ知命の命知らざれば束の間の秋銀箔のごとく満ちたり

『されど遊星』(一九七五)

知命ちは五〇歳。歌の製作時における塚本の実年齢とも一致する。ただその齢になっても自分は天命を知らないという。成句をもじるのは得意の手法だが、ここには塚本の人生観が表れているのかもしれない。

人間は悩みや迷いの果てに熟成し、完成してゆくという一般的な概念を拒み、美のきらめきを見せる一瞬に出会うことを欲し、その刹那的な美に満ち足りる気持ちを尊いものとする、という価値観であろうか。

坂井修一がこの歌を「空中に静止しているような下句」(『鑑賞・現代短歌七塚本邦雄』)と評しているのが印象深い。

散文の文字や目に零る黒霞いつの日雨の近江に果てむ 『されど遊星』

塚本短歌に使用される語彙は、それが俗語調であっても美意識によって吟味されたものであるのが基本であるが、この「散文の文字」は異色である。無味乾燥で面白味に欠ける。その無造作加減がうまく効果を発揮していて、これも塚本マジックかと思わせられる。

おそらく新聞などの活字が見づらい現実の出来事を基にしているのだろう。近眼から老眼へ、さらに乱視もあったのかもしれない。このリアルな感触の上の句があってこそ、下の句の詠嘆に至りつくのだろう。

上下句ともに、老境を意識する作者がそこにいる。

2025年10月1日(水)

雨、雨、雨……

  青年将校の身を弄ぶ盗聴の真実いまも録音盤に

  青年将校らを騙さんと電話を傍受する卑怯なりとりまく戒厳部隊

  いつの世も若きがつぶされ生き残るは老人ばかりせんなきものよ

『孟子』公孫丑章句25-4 曰く、「敢て問ふ、夫子の心を動かさざると、聞くことを得可きか」と。「告子は曰く、『言を得ざれば、心に求むること勿れ。心に得ざれば、気に求むること勿れ』と。心に得ざれば気に求むること勿れとは可なり。言に得ざれば心に求むること勿れとは不可なり。夫れ志は気のなり。気は体の充てるなり。夫れ志至り、気は次ぐ。故に曰く、『其の志を持し其の気を暴すること無かれ』と」「既に志至り、気は次ぐと曰ひ、又其の志を持し其の気を暴すること無かれと曰ふ者は何ぞや」と。曰く、『志なれば則ち気を動かし、気壱なれば則ち志を動かせばなり。今、夫れく者のるは、是れ気なり。而るに反って其の心を動かす」と。

  気が充てばその心うごかしはっとしてつまづかざるや

林和清『塚本邦雄の百首』

靑き菊の主題をおきて待つわれにかへり來よ海の底まで秋 『蒼鬱境』(一九七二)

定家は承久の乱へ走った後鳥羽院をどう見たのか、三島由紀夫の死の衝撃を受けた自らと重ね合わせたのだろう。そして、いきなり出奔を試みた藤原良経への定家の思いはいかようであったのか。塚本と岡井の七歳差は、定家と良経の年齢差とほぼ重なりあう。この歌の主題はまさに岡井への呼びかけである。結句の豊かなイメージは「波わけて見るよしもがなわたつ海の底のみるめも紅葉散るやと」(文屋朝康)など、古典和歌に由来する。

ただこの歌集、小説と短歌の競演や頭韻などの言語遊戯、いささか凝りすぎて食傷気味にさせられる。

柿の花それ以後の空うるみつつ人よ遊星は炎えてゐるか 『森曜集』(一九七四)

「序数歌集」という呼称を塚本は特に重要視し、間奏歌集や小歌集とは区別していた。それだけ多くの歌集が政田岑生の裁量により、さまざまな機会に出版されたのだ。一九七四年、塚本邦雄書展を記念して編まれた『森曜集』所収のこの歌は、自賛歌の一つでもある。揮毫する時にひと際映える歌なのであろう。

柿の花が散ると梅雨、この星に燃えるべきものはあるのか、と問う。ドメスティックな柿からSF的な遊星への飛躍。映画『パリは燃えているか』を連想させて、結句六音で字足らず。自在な歌心が発露する。

9月30日(火)

秋を感じさせる涼しさ。

  二・二六事件の謎にかかはりし通信傍受いや盗聴のこと

  知らされず青年将校ら銃殺され盗聴のこと闇に埋まる

  死にするは青年将校のみにして陸軍参謀ろくなことせず

『孟子』公孫丑章句25-3 孟施舎は曾子に似たり。は子夏に似たり。の二子の勇は、未だ其の孰れか賢れるを知らず。然り而うして孟施舎は守り約なり。昔者、曾子 に謂ひて曰く、『子 勇を好むか。吾嘗て大勇を夫子に聞けり。自ら反してからずんば、と雖も、吾れざらんや。自ら反してくんば、千万人と雖も吾往かん』と。孟施舎の気を守るは、又曾子の守りの約になるに如かざるなり」と。

  みずから反省して正しきならば千万人といへども吾れゆかむ

林和清『塚本邦雄の百首』
雪いまだ觸れざるはがねいろの地 紅旗征戎をきみは事とす 『蒼鬱境』(一九七三)

二人の知己への供華として書かれた三〇首の短歌をもって、第八歌集『蒼鬱境』とした。歌の数も跋文無しも異例中の異例だが、「序数歌集」として扱うことこそ、事態の深刻さと衝撃の大きさ、そして以後の塚本の生の在り方への決意を示しているのであろう。

この歌には藤原定家の言葉が引かれている。武をもって世に渡り合うことを否定した定家と、あくまでも文に執しつづける覚悟をした塚本は同じ地平に立つ。

そして紅旗征戎を事とする君が行くのは、未踏の荒野。その地には雪さえ触れることはできないのだ。

すでにして詩歌黄昏くれなゐのかりがねぞわがこころをわたる 『靑き菊の主題』(一九七三)

政田岑生と出会った塚本は精力的に散文の仕事に注力し始める。小説集『紺靑のわかれ』(一九七二)や評論集『定型幻視論』(一九七二)などの名著が生れる。岡井隆や三島由紀夫の文も、と言えば軽々しいが、政田の献身的な助力により、大家への道が開かれたのは確かなことだ。

第七歌集のころより、天命としての詩歌そのものを主題とした歌が増えてゆく。前衛の時代を駆け抜け、いま詩歌は陽の傾く時刻。その時、落日に染まる雁の姿は、古典和歌の言語世界のよみがえりを示す。やせ細る現代短歌にくらべその世界はなんと豊穣なのか。

9月29日(月)

今日も、今は涼しいが、暑くなるらしい。

  台風の去りし後には天上はやうやう晴れて地上は濡るる

  各地に線状降水帯あらはれて水害、災害、土砂崩れ

  激しき雨の時間を耐えてゐる窓を壊すが如き雨なり

『孟子』公孫丑章句25-2 曰く、「心を動かさざるに、道有りや」と。曰く、「有り。の勇を養ふや、せず、せず。を以て人にめらるるを思ふこと、之をにたるるが若し。にも受けず、万乗の君を刺すを視ること、を刺すが若し。る諸侯無し。悪声至れば、必ず之を反す。孟施舎の勇を養ふ所や、曰く、『勝たざるを視ること猶ほ勝つがごとし。敵を量りて而る後進み、勝つをつて而る後会するは、是れ三軍を畏るる者なり。豈能く必勝を為さんや。能くるる無きのみ』と。

  勝てぬとも必勝の信念にたちむかふけっして恐れてはならず

林和清『塚本邦雄の百首』
掌ににじむ二月の椿 ためらはず告げむ他者の死こそわれの楯 『星餐圖』(一九七一)

この歌集制作中にあたる一九七〇年の夏に、好敵手・岡井隆が出奔した。そし一一

月二五日、いち早く塚本の才を見出した恩人・三島由紀夫が自決した。『星餐圖』はその二人に献じられた歌集となる。

残された者にはどこにも帰る場所はなく、二人の不在を楯としてお歌い尽くすのみ、と決意を詠じている。

奇しくもこの年、塚本はあらたな盟友と出会う。詩人で装幀家の政田岑生である。これ以降、政田が彼の死まで塚本の著書を美しく装飾することになる。この歌集は政田の裁量により一首一頁として刊行された。

掌の釘の孔もてみづからをイエスは支ふ 雁來紅 『星餐圖』

神の子キリストとしてではなく、一人の夭折の青年としてイエスを愛する塚本。生涯おびただしい数のイエスの歌を詠んだが、その中でも代表作がこの歌。

十字架上のイエスが手のひらの釘穴によって自らの存在を支えているという。釘により磔にされているのではなく、穴という虚無が彼を支えているのだ。

イエスは叫ぶ。「わが神わが神なんぞわれを捨て給ふや。」と。ゴルゴタの丘を暗黒が覆う。ただ眼前には、襤褸布のような赤い葉が秋風に弄られている。その瞬間、塚本はイエスの内面を歌に捉えたのだ。

9月28日(日)

朝、歩きに出ると雨が、たいして歩けなかった。

  ぐしやぐしやのわが魂を苛むか老い病むわれの怯へたりけり

  朝からポツンポツンとふる雨はやがて台風の降雨とならむ

  伊豆半島のあたりを線上降水帯災害招くほどに強く

『孟子』公孫丑章句25 公孫丑問うて曰く、「夫子 斉の卿相に加はり、道を行ふことを得ば、此に由りて覇王たらしむと雖も異まず。此の如くんば則ち心を動かすや否や」と。孟子曰く、「否。我四十にして心を動かさず」と。曰く、「是の若くんば則ち夫子 に過ぐること遠し」と。曰く、「是れ難からず。告子は我に先だちて心を動かさず」と。

  孟子がいふ是れ難からず。告子は我に先だつことなし

林和清『塚本邦雄の百首』
鑚・蠍・旱・雁・掏摸・檻・囮・森・橇・二人・鎖・百合・塵 『感幻樂』

塚本邦雄は『水葬物語』の時から言語遊戯に執して来た。それは遊戯を愚劣なものとしてひたすら謹厳実直な道を歩んできた近代短歌の流れに対する反措定でもあったのだ。その最大のものは限定本『花にめざめよ』(一九七九)で、一六八首すべてが二六字で統一され冠歌になっているというすさまじさ。それが全くの無償性により成り立ち、純粋遊戯であるというものである。

この歌も言語遊戯だが、通常の歌群の中にさりげなくある。「り」の脚韻名詞をたどると、さまざまなドラマが展開し、最後は弔花が捧げられ塵と化す。

いたみもて世界の外に佇つわれと紅き逆睫毛の曼殊沙華 『感幻樂』

『感幻樂』のもう一つの名歌。上の句の自己と下の句の花が同質の存在感を持つことを「と」という助詞がつないで示している。曼殊沙華が田の周縁に咲くように、自分自身も常識に守られた世界の外側に立つしかない。曼殊沙華は美しいが毛羽立ち、見るたびに逆睫毛のように目が痛む。しかしを見てしまうのは、美は本質的に温く癒してくれるものではなく、目に激しい痛みを与えるものだという確信からであろう。

若き日に「この花がめらめら炎え上がると、背中をどやされた様な烈しいショックをうけ」と書いている。

9月27日(土)

涼しいんだけど。

  満面に笑みをたたへる妻の顔エレヴェータに降りゆくなり

  エレヴェーターに上り来る窓に妻の顔みえて私の顔もほころぶ

  エレヴェーターの窓より見ゆる駐車場わづかなれども幾台かみゆ

『孟子』公孫丑章句24-5 且つ王者の作らざる、未だ此の時より琉き者有らざるなり。民の虐政に憔悴せる、未だ此の時より甚しき者有らざるなり。飢うる者は食を為し易く、渴する者は飲を為し易し。孔子曰く、『徳の流行は、置郵して命を伝ふるより速やかなり』と。今の時に当り、万乗の国、仁政を行はば、民の之を悦ぶこと、猶ほ倒懸を解くがごとけん。故に事は古の人に半ばにして、功は必ず之を倍せん。惟此の時を然りと為す」と。

  ただ今日今こそ為すべきぞ仁政を行なひ人民悦ぶ

林和清『塚本邦雄の百首』
馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ 『感幻樂』

塚本邦雄生涯の代表作である。この歌の前に三行詩「水に降る雪/火のうへに散る百日紅/わがために死ぬは眉濃き乳兄弟」が置かれている。「おおはるかなる」が狂言小唄からそのまま初句を用いながら、景は近代的であったのに対して、この歌には直接の典拠がないにもかかわらず、世界は極めて中世的である。

夏の季語「馬洗う」の通り、鮮烈な水を迸らせ丹念に馬を洗う男。そこには『葉隠』を思わせる武士道精神がよぎる。かつて三島由紀夫が「馬の薄い皮膚の精緻なスケッチ」と評したように、馬の存在感が際立つ。

ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一臺 『感幻樂』

「馬を洗はば」とともにこの歌集きっての名歌と言われる歌。私は遠い昔、はじめてこの歌を読んだ時、象徴技法というものを体感として会得した気がした。

霜月の火事、燃えるピアノ、それは微笑のようであり、目前から遠く遥かであるという。どこにも写実的なものはない。それなのに、塚本が死にたいほど希求する絶対美の確かな感触に満ちているのはなぜか。この一連はレオナルド・ダ・ヴィンチを主題とする。火中のピアノにモナリザの微笑が浮かびあがる。破調ではなく正調で、塚本は滅びの美を確実に仕留めたのだ。