晴れて、涼しいが、もう少し上がる。
日本に二発の原子爆弾を落としてより各国それぞれに核を作る
これの世に戦乱なくなることぞなき各国に核のやむこともなく
人を憎むはわれも彼も些細なことに怒るぞわれらは
『孟子』公孫丑章句25-6 必ず事とする有れ。めすること勿れ。心に忘るること勿れ。助けて長ぜしむること勿れ。宋人のくすること無かれ。宋人に其の苗の長ぜざるをへて、之をく者有り。芒芒然として帰り、其の人に謂ひて曰く、『今日疲れたり。予苗を助けて長ぜしむ』と。其の子りて往きて之を視れば、苗は則ちれたり。天下の苗を助けて長ぜしめざる者寡し。以て益無しと為して、之を舎つる者は苗をらざる者なり。之を助けて長ぜしめる者は、苗をく者なり。に益無きのみに非ず、而も又之を害す」と。
浩然の気を養ふには努力、努力。目的を忘れず予期してはならず
林和清『塚本邦雄の百首』
豪雨來るはじめ百粒はるかなるわかもののかしはでのごとしも 『閑雅空閒』(一九七七)
このころの塚本の仕事は質量とものにすさまじい。会社を早期退職し、政田岑生という相棒を得て、数年間に歌集、小説、評論など、五〇冊以上の書を出版している。オーバーペースでもあったのだろうか、前科集の『されど遊星』には、やや性急な不熟さもあったのだが、この『閑雅空閒』は格段の完成度を見せる。
「現代閑吟集」と題された冒頭の三〇首一連。パラパラと乾いた音を立てる雨の降り始め、遠く聞く拍手。
塚本に過激派右翼青年との交流を描いたエッセイ風短編小説(『半島』「火の國半島」)があったことを思い出させる。
夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが 『閑雅空閒』
塚本懸命の行為、「言葉をもって詩を成す」ことを主題とした歌の中で、最高作だと言ってよいかもしれない。
平仮名の連続を避けるための一字あけが、絶妙の余白を生み出している。鶴は鳥であることを超えて、琳派を思わせる美の化身として、しかも映像的な動きを見せる。言葉こそが生きて命あることを保証するよりどころだという、歌人としての覚悟。そして結句六音により彫琢された「よすが」という和語の美しさ。
歌そのものに対して塚本が敬虔な思いを表白し、瞑目しているさまのように私には感じられる。