2024年8月14日(水)

今日も、とっても暑い。

李人稙(イ・インジク)『血の涙』を読む。韓国文学「新小説」の作品。オンギョンの平壌・大阪・アメリカへの変転の生。日清戦争の終結にはじまる韓国少女の遍歴。「人間にとって最悪のものがいくさじゃ。」そのとおりだ。

  土の中は安穏、あんのん幼虫のままにまるくなるいつ蟬になる

  蟬の穴が一つしかない木の傍を寂しく見てをり土の平を

  太き、白き蟬の幼虫奇妙なるすがたに埋まる土の中なり

『論語』郷黨二〇 寝ぬるに尸せず(寝るときは死体のようにぶざまにならず)。居るに容づくらず(ふだんのときは容儀をつくらなかった)。

  尸のやうにはい寝ずとりわけてふだんは容儀つくらずにゐる

『百首でよむ「源氏物語」』第四 十五帖 橋姫

ここから「宇治十帖」、薫と匂宮を主人公とする。
・橋姫の心を汲みて髙瀨さす棹のしづくに袖ぞ濡れぬる 薫
・さしかへる宇治の川をさ朝夕のしづくや袖をくたし果つらむ 大君

・命あらばそれとも見まし人知れぬ岩根にとめし松の生ひ末 柏木

薫は光源氏の子として育っているが、実は柏木の子である。出生の秘密。

  岩の音にとめし松の木恋ひしくてわが子を思ふ死の後なれど

『春秋の歌』 道元

この心あながちに切なるもの、とげずと云ふことなき也。 正法眼蔵隋聞記

「心に念じて、私自身を激励した。」「いまも私は、制作について、また人生社会の万般について、掲出語を大いに尊重している。」
・山のはのほのめくよひの月影に光もうすくとぶほたるかな

  この心切なるものよやりとげてとげずといふことわれになきなり

2024年8月13日(火)

今日もまた暑いのだ。

貫井徳郎『悪の芽』を読む。つらい読書であり、何度もページを閉じた。384、389pの言葉が大切だろう。ここでは詳しくは書けないが、貫井ミステリイ、人間社会に潜む悪の芽を考えさせられる。悪の芽は、私にも確実にあるのだ。

  蔦の蔓這ひだす河原土堤をゆくのらりくらりと足弱われは

  石礫の埋もれし道を歩くなり百日紅の花散るを踏み

  朝のひかり浴びつつ河原土堤をゆく大山につらなる山やまを見る

『論語』郷黨一九 朋友死して帰する所なし。孔子が言う。「我に於いて殯せよ。朋友の贈りものは、車馬と雖ども、祭の肉に非ざれば、拝せず。」

  朋友帰して弔ひの場所なくばわが家の内に殯するべし

『百首でよむ「源氏物語」』第四十四帖 竹河
・折りてみばいとど匂ひもまさるやとすこし色めけ梅の初花 宰相の君(玉蔓派)
・よそにてはもぎ木なりとや定むらんしたに匂へる梅の初花 薫

・人はみな花に心を移すらむひとりぞまどふ春の夜の闇 蔵人少将

  人はみなあらたなる花に心移すわれのみひとり闇夜にまどふ

『春秋の花』 土岐善麿
・いまもなほ、青き顔して、革命を、ひとり説くらむ。ひさしく逢はず。(『黄昏に』1912「啄木追懐」)

・杜かげに新しき家のまた建つや往きかひしげき人の寂しさ

  革命を今の世に説く啄木のその覚悟やある頼もしきもの

2024年8月12日(月)昨日は山の日。日曜だったので今日振替休日だそうだ。

暑い、暑いと音をあげる。東北地方は台風5号で雨が心配される。

  山の民は炭を焼き、杣を刈る、また鹿を打ち、猪を滅ぼすあしひきの民

  千年を土に埋もれてゐし土器ならむ蛇がしつかり胴を巻きをり

  毬栗がみどりの栗の葉にまぎれその戦闘性まぎれなかりき

『論語』郷黨十八 大廟に入りて、事ごとに問ふ。(大廟(魯の周公の霊廟)の中では、儀礼を一つ一つ尋ねた。)

  大廟に入りて葬の儀式にて行ふことを事ごとに問ふ

『百首でよむ「源氏物語」』第四十三帖 紅梅

按察大納言は亡くなった柏木の弟である。
・心ありて風のにほはす園の梅にまづ鶯の問はずやあるべき 按察大納言
・花の香の誘はれぬべき身なりせば風のたよりを過ぐさましやは 匂宮
・もとつ香のにほへる君が袖触れば花もえならぬ名をや散らさむ 按察大納言
・花の香をにほはす宿にとめゆかば色にめづとや人の咎めん 匂宮

  光源氏のかがやきにとほくかなはねど匂宮にもはなやぎはある

『春秋の花』春の部 中野重治

「おれは上り坂を上って行くぞ。「死」のことはわからぬ、わからぬけれど上り坂だ。」短編『写しもの』(1951))主人公安吉の心内語。森鴎外『妄想』の中の有名な「死を怖れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下って行く。」に対する安吉の決意表明である。壮年期にむかう中野重吉の覚悟であろう。

  死のことを意識しつつも生きてゐるわれならなくに『妄想』を読む

2024年8月11日(日)

昨晩は、雨が降ったようだが、今朝はもう暑い。

澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』、おそらく二度目の読書。ある時期、三島のもっともよき理解者であったに違いなく、それぞれに違和を感じつつも、付き合いが続いた二人の姿が懐かしい。二人とも、今は幽界に属す。

  キッチンの床にひろがるキャップの色五色に遊ぶやさしき妻が

  母もまたフローレンス原人のなれのはてその骨格のいかにも小さし

  たましひは明けのからすに攫はれてふがひなきなり老いたるわが身

『論語』郷黨一七 君、命じて召せば、駕を俟たずして行く。

孔子は、ある意味、せっかちなような。そんなに急がなくともと思うけれども、その緊迫感が必要なんだろうな。駕よりも先に君のもとへ。

  命ぜられれば駕よりも先に君のもとへ参ずるならむ孔子先生

『百首でよむ「源氏物語」』第四十二帖 匂兵部卿

「光隠れたまひにし後」源氏には及ばないが匂宮と薫が中心になる。とりわけ冷泉院のおぼえめでたき薫。
・おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめも果ても知らぬ我が身ぞ 薫

  八少女はわが八少女ぞ神のます高天原に立つ八少女ぞ

『春秋の花』春の部 松尾芭蕉
・紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ 元禄二年

「うら若い近世男子心情をさながら表現している。」
・此の秋は何で年よる雲に鳥 元禄7年 死の二週間前の作。

  御簾のうちの見ぬ恋ひをするをのこごの幼きを愛すその率直さ

2024年8月10日(土)

朝はいくらかは涼しかった。五時過ぎに、少しだけ歩く。

  黄金蟲の廊下にしづかに死せるありきみに満足なる生ありしかな

  まだ死んではゐない蟬がゐる触るればじじつとまだ生きてゐる

  あいかはらずみみずの自殺つづきをりなまなましきよ死にゆくみみず

『論語』郷黨一六 疾あるに、君これを視れば、東首して朝服を加へ、紳を拖く。(病気をして主君が見まいに来た時には、東枕にして朝廷の礼服を上にかけて広帯をひきのべられた。)これも孔子の考える「礼」の類であろう。

  疾にあるわれを主君が見舞ふとき東向きに寝、朝服に帯

『百首でよむ「源氏物語」』 雲隠 第四十二帖「匂兵部卿」の前に題だけの「雲隠」巻があって、光源氏の死が暗示される。「雲隠」は、五十四帖の内には入らない。本文もない。だから歌もない。

  題のみに文章もなくて暗示のみ光源氏は雲隠れたまふ

『春秋の花』春の部 若山牧水
・しみじみとけふ降る雨はきさらぎの春のはじめの雨にあらずや 『くろ土』

「恐ろしゅう上出来」の一首。
・朝酒はやめむ昼ざけせんもなしゆふがたばかり少し飲ましめ

牧水の歌はいいなあ。

  けふ雨は驟雨のごとく激しくて土をたたきてふりやまずけり

昨日の夕方、激しい雨が降った。

2024年8月9日(金)ナガサキの日

またまた暑い。

  桃三つ取り待ち撃てば黄泉の国を逃れ出でたるわれにやあらむ

  渋滞を避けて中央高速路。路面荒れ、跳ぬ。後部座席は

  桃の実を二人で分けて語りあふ旅の終はりは少しさびしく

『論語』郷黨一五 君に侍食するに、君祭れば先ず飯す。

主君とともに食事をする時は、(毒みの意味で)先に食べられた。

主君に仕えるコツですか。

  主君とともに食するときはおのれから先づ食すべし毒見のために

『百首でよむ「源氏物語」』第四十一帖 幻

紫の上の死を悲しむ源氏。
・わが宿は花もてはやす人もなし何にか春のたづね来つらん 光源氏
・香をとめて来つるかひなく大方の花のたよりと言ひやなすべき 螢兵部卿宮

紫の上に仕えていた女房たちと話す。雪が積もった。
・うき世にはゆき消えなんと思ひつつ思ひの外になほぞほどふる 光源氏

・さもこそは寄るべの水に水草ゐめ今日のかざしよ名さへ忘るる 中将の君
・大方は思ひ捨ててし世なれどもあふひはなほやつみをかすべき 光源氏

その年の暮れ、仏名の行事に光源氏が姿を見せた。その姿は昔に増して光輝いてみえた。
・もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間に年も我がわが世も今日や尽きぬる 光源氏

光源氏最後の歌である。

  あんなにもひかりかがやきしその人もつひに果てなむ日もあるものを

『春秋の花』(大西巨人)春の部 有島武郎

「前途は遠い。而して暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。/

行け。勇んで。小さき者よ。」短編『小さき者へ』1918年)の結び。
・世の常のわが恋ならばかくばかりおぞましき火に身はや焼くべき

  小さき者よ恐れてはならぬ恐れざる者の前にこそ道は開くる

2024年8月8日(木)

昨日までより気温は低くなっているようだが、暑いことに変わりはない。

木内昇『よこまち余話』(中公文庫)を読む。浩三少年を通して、駒さん、トメさん、遠野さんなどのあの世の人々が捉えられ、この横町、というか路地のあの世とこの世の交わるところが魅力的だ。

  尖石の土に眠れる土偶あり孕み女が三角顔して

  スーパーつるやにおやきを買へばわれもまたみこもかる信濃の老人なりき

  コシヒカリ五キロを背負ひかへるべし黄泉にはあらず科の国なり

『論語』郷黨一四 君、食を賜へば、必ず席を正して先づこれを嘗む。君、腥(生肉)を賜へば、必ず熟して(煮て)これを薦む。君、生けるを賜へば、必ずこれを畜ふ。

君主は色々下さるのだが、食物は少し食べ、生肉は火を通し、いきているものは飼うのだ。

  潔癖なる孔子とおもふ。あれこれの賜りものへの対応みれば

『百首でよむ「源氏物語」』第四十帖 御法(みのり)

法華経千部を奉納する仏事に紫の上を中心に歌を詠みあう。
・惜しからぬこの身ながらも限りとて薪尽きなんことの悲しさ 紫の上
・薪こる思ひは今日をはじめにてこの世に願ふ法ぞはるけき 明石の御方

・絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる世々にと結ぶなかの契りを 紫の上
・掬びおく契りは絶えじ大方の残り少なき御法なりとも 花散里

紫の上は死を意識した。
・おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩の上露 紫の上
・ややもせば消えをあらそふ露の世におくれ先立つほど経ずもがな 光源氏
・秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草葉の上とのみ見ん 明石中宮

紫の上の死
・いにしへの秋さへ今の心地して濡れにし袖に露ぞおき添ふ 致仕の大臣
・露けさはむかし今とも思ほえず大方秋の夜こそつらけれ 光源氏

秋好中宮から
・枯れ葉つる野辺をうしとや亡き人の秋に心をとどめざりけむ 秋好中宮
・上りにし雲居ながらも返り見よ我秋果てぬ常ならぬ世に 光源氏

  秋果てぬ我を見むとやあの世より紫の上返りきませよ

昨日で『正徹物語』を読み終えた。なんだか分かったような、分からなかったような。

正徹の蘊蓄を読まされているような古典であり、『徒然草』には、到底及び難い。

ということで、今日からは大西巨人のアンソロジー『春秋の花』を読んでいくことにしたい。大西巨人は、『神聖喜劇』をはじめ、没後の『日本人論争』中の自作の短歌を見ても短歌好きであったことがわかる。『春秋の花』は、短歌のみではないが、読んでいきたい。
とはいえ今日は満腹である。明日からのことにしよう。