3月25日(水)

朝はいい天気だけれど曇って雨になるらしい。

  若き頃のわたくしに似る青年が自動販売機にいのちを選ぶ

  正一位三眼六足の(きつね)(がみ)小さな社に手を合せをり

  わが願ひは世界に戦乱の無きことなりせんなきものと思へど祈る

『孟子』万章章句上126 (かん)(きう)(もう)問うて曰く、「語に云ふ、『盛徳の士は、君も得て臣とせず。父も得て子とせず。舜南面して立つや、尭諸侯を(ひき)ゐて、北面して之に(てう)す。瞽瞍(こそう)も亦北面して之に朝す。舜、瞽瞍を見て、其の(かたち)(いた)める有り。孔子曰く、<(こ)の時に於てや、天下(あやう)いかな。岌岌乎(きふきふこ)たり>と』識らず。此の語誠に然るか」と。孟子曰く、「否。此れ君子の言に非ず。(せい)東野人(とうやじん)の語なり。堯(らう)して舜(せつ)するなり。堯典に曰く、『二十(いう)八載、(はう)(くん)乃ち(そ)(らく)す。百姓(ひやくせい)考妣(かうひ)(さう)するが如し。三年、四海八音(はちいmm)(あつ)(みつ)す』と。孔子曰く、『天に二日無く、民に二王無し』と。舜既に天子為り。又天下の諸侯を帥ゐて、以て堯の三年の喪を為さば、是れ二天子なり」と。

  孔子が言ふ「天に二日無く、民に二王無し」尭の生前、舜は摂政なり

     *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

熊野へ参らむと思へども 徒歩(かち)より参れば道遠し すぐれて山(きび)し 馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽(た)(にやく)王子(わうじ)  (四句神歌・神分・二五八)

【現代語訳】熊野にお参りしようと思うけれど、歩いて参詣すれば道が遠い。とりわけ山が険しい。馬で参詣すれば苦行にならない。空からお参りしよう。羽を授けてください。若王子の神よ。

【評】馬の旅を否定しながら、翼を望むという、熊野詣に関するユーモラスな一首。身体的苦痛に耐えることこそ功徳となって、神仏の利益を得られるという考え方が前提にあるため、熊野詣には、馬に乗るほど楽をしてはならないが、かといって徒歩で行くのはひどくつらい。徒歩の旅と馬の旅との間に位置付けられるのが、与えられた翼を使い、自力ではばたいていくことであった。自由奔放な想像力がほほえましい。熊野に祀られた十二の神(十二所権現)の中に「飛行(ひぎよう)夜叉」のいることや、神武天皇が東征の折、熊野で八咫烏に導かれたという『日本書紀』に見える伝承が、空から参詣するという発想のきっかけになった可能性もあろう。

「若王子」は、若宮とも呼ばれ、十二所権現の一つで、熊野の御子神(主神の子である神)の第一位とされた。当該今様では、直接には、その若王子の神を勧進し、祀った藤代王子を指すと考えられる。熊野参詣路には、熊野の御子神を祀った社が設けられ、九十九王子と総称された。王子とでは奉幣や経供養、芸能の奉納が行われている。藤代王子は若一王子とも呼ばれ、和歌山県名草山付近和歌の浦にある。十二所権現が初めに示現した地であり、熊野の神域の最初の入り口(一の鳥居)であった。

建仁元年(一二〇一)一〇月の藤原定家『熊野御幸記』によると、京都を出発してから藤代王子までは四日かかっており、それから七日で熊野本宮に到着している。京都から本宮までの道のりのおおよそ三分の一、いささか疲れも溜ってきた折、いよいよく、熊野の神域に足を踏み入れるその藤代王子という結界の地で、参詣者は思いを新たにしたことであろう。当該今様の次に置かれた一首には、「和歌の浦」の地名とともに、若王子(藤代王子)が歌われている。

熊野の権現は 名草の浜にこそ降りたまへ 若の裏にしましませば 歳はゆけども若王子
  (二五九)
(熊野の神様は名草の浜にこそ降臨なさるのだ。和歌〈若〉の浦においでになるから、歳を経てもいつまでも若い若王子でいらっしゃることよ。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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