朝はいい天気だけれど曇って雨になるらしい。
若き頃のわたくしに似る青年が自動販売機にいのちを選ぶ
正一位三眼六足の狐神小さな社に手を合せをり
わが願ひは世界に戦乱の無きことなりせんなきものと思へど祈る
『孟子』万章章句上126 咸丘蒙問うて曰く、「語に云ふ、『盛徳の士は、君も得て臣とせず。父も得て子とせず。舜南面して立つや、尭諸侯を帥ゐて、北面して之に朝す。瞽瞍も亦北面して之に朝す。舜、瞽瞍を見て、其の容蹙める有り。孔子曰く、<斯の時に於てや、天下殆いかな。岌岌乎たり>と』識らず。此の語誠に然るか」と。孟子曰く、「否。此れ君子の言に非ず。斉東野人の語なり。堯老して舜摂するなり。堯典に曰く、『二十有八載、放勲乃ち徂落す。百姓考妣を喪するが如し。三年、四海八音を遏密す』と。孔子曰く、『天に二日無く、民に二王無し』と。舜既に天子為り。又天下の諸侯を帥ゐて、以て堯の三年の喪を為さば、是れ二天子なり」と。
孔子が言ふ「天に二日無く、民に二王無し」尭の生前、舜は摂政なり
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
熊野へ参らむと思へども 徒歩より参れば道遠し すぐれて山峻し 馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽賜べ若王子 (四句神歌・神分・二五八)
【現代語訳】熊野にお参りしようと思うけれど、歩いて参詣すれば道が遠い。とりわけ山が険しい。馬で参詣すれば苦行にならない。空からお参りしよう。羽を授けてください。若王子の神よ。
【評】馬の旅を否定しながら、翼を望むという、熊野詣に関するユーモラスな一首。身体的苦痛に耐えることこそ功徳となって、神仏の利益を得られるという考え方が前提にあるため、熊野詣には、馬に乗るほど楽をしてはならないが、かといって徒歩で行くのはひどくつらい。徒歩の旅と馬の旅との間に位置付けられるのが、与えられた翼を使い、自力ではばたいていくことであった。自由奔放な想像力がほほえましい。熊野に祀られた十二の神(十二所権現)の中に「飛行夜叉」のいることや、神武天皇が東征の折、熊野で八咫烏に導かれたという『日本書紀』に見える伝承が、空から参詣するという発想のきっかけになった可能性もあろう。
「若王子」は、若宮とも呼ばれ、十二所権現の一つで、熊野の御子神(主神の子である神)の第一位とされた。当該今様では、直接には、その若王子の神を勧進し、祀った藤代王子を指すと考えられる。熊野参詣路には、熊野の御子神を祀った社が設けられ、九十九王子と総称された。王子とでは奉幣や経供養、芸能の奉納が行われている。藤代王子は若一王子とも呼ばれ、和歌山県名草山付近和歌の浦にある。十二所権現が初めに示現した地であり、熊野の神域の最初の入り口(一の鳥居)であった。
建仁元年(一二〇一)一〇月の藤原定家『熊野御幸記』によると、京都を出発してから藤代王子までは四日かかっており、それから七日で熊野本宮に到着している。京都から本宮までの道のりのおおよそ三分の一、いささか疲れも溜ってきた折、いよいよく、熊野の神域に足を踏み入れるその藤代王子という結界の地で、参詣者は思いを新たにしたことであろう。当該今様の次に置かれた一首には、「和歌の浦」の地名とともに、若王子(藤代王子)が歌われている。
熊野の権現は 名草の浜にこそ降りたまへ 若の裏にしましませば 歳はゆけども若王子
(二五九)
(熊野の神様は名草の浜にこそ降臨なさるのだ。和歌〈若〉の浦においでになるから、歳を経てもいつまでも若い若王子でいらっしゃることよ。