4月9日(木)

羽咋・金沢行。泉鏡花記念館、徳田秋聲記念館……

妻・俊子作

  木の枠の中に収まる絵はがき、靴……。コラージュ重きたましひの箱

  ノグチ・イサム〈こけし〉を中に安瑆と俊子並びし寫眞ありにき

  妻と(あ)と石像を挟み写したる内間夫妻の真似ごとをして

  葉山の海にも由比ガ浜にもサーファーの黒ずくめの頭あまたが浮かぶ

『孟子』万章章句下132-4 孔子の斉を去るや、(せき)を接して行く。魯を去るや、曰く、『遅遅として吾行く』と。父母の国を去るの道なり。以て速やかなる可くんば速やかに、以て久しかる可くんば久しうし、以て処る可くんば処り、以て仕ふ可くんば仕ふるは、孔子なり」

  斉を去るには速やかに魯は父母の国なれば時かけて去る

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

思ひは陸奥に 恋は駿河に通ふなり 見初めざりせばなかなかに 空に忘れて止みなまし
      (四句神歌・雑・三三五)

【現代語訳】思いは満ちて陸奥まで、恋する気持ちは駿河にまで通うことだ。あの人を見初めなかったなら、かえつてぼんやりしたまま中途で忘れて、苦しむこともなく終わっただろうに。

【評】「陸奥」の「みち」に「(思いは)満ち」を掛け、「駿河」の「する」に「(恋は)する」を掛ける。和歌の伝統にのっとった恋の歌であるが、一首の中に、陸奥と駿河、二か所の地名を出し、都から遠い陸奥国(現在の福島・宮城・岩手・青森の四県)、駿河国(現在の静岡県中央部)の地まで自分の思いが広がっていくことを暗示して、孤独な切なさが強調されている。相手への恨みよりも恋の苦しみをわが身に引き受ける、静かな諦めを感じさせる一首であり、特に「見初めざりせばなかなかに 空に忘れて止みなまし」という一節は、その調べの美しさのためか、佐藤春夫や芥川龍之介の詩に引用されている。

後の日に

つれなかりせばなかなかに
そらにわすれて過ぎなまし
そもいくそたびしぼりけむ
たもとせつなしかのたもと
(後聯略)  (佐藤春夫『殉情詩集』大将一〇年刊) 

相聞一

あひ見ざりせばなかなかに
そらに忘れてやまとんや
野べのけむりも一筋すぢに
立ちて後はかなしとよ    
(芥川龍之介 大正一四年) 

さて、当該今様の主体としては、女を考えるのが一般的であり、それを積極的に否定すべき根拠はないが、「通ふ」「見初む」の語から、この今様の主体に男を考えてもよいのではないだろうか。ここでは恋の「思い」が通うのであって、人が通うわけではないから、女が主体でも問題はないが、当時の恋のあり方を考えると、「通う」の語からは、男が想起されやすい。また、恋の場で「見初む」というと、男が女を、という場合が圧倒的に多い。男が女を「見初む」といっている例は、『源氏物語』『狭衣物語』『うつほ物語』『浜松中納言物語』『夜の寝覚め』などにあわせて三十例ほど見られるのに対し、女が男を「見え初む」といっているのは、管見では『蜻蛉日記』の一例のみであった。女が主体の場合は「見え初む」となるのが一般的である。

このように考えると、当該今様からは、まさに春夫や芥川の詩に見えるような、恋に悩める優しい青年の姿が浮かび上がってくる。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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