羽咋・金沢行。泉鏡花記念館、徳田秋聲記念館……
妻・俊子作
木の枠の中に収まる絵はがき、靴……。コラージュ重きたましひの箱
ノグチ・イサム〈こけし〉を中に安瑆と俊子並びし寫眞ありにき
妻と吾と石像を挟み写したる内間夫妻の真似ごとをして
葉山の海にも由比ガ浜にもサーファーの黒ずくめの頭あまたが浮かぶ
『孟子』万章章句下132-4 孔子の斉を去るや、淅を接して行く。魯を去るや、曰く、『遅遅として吾行く』と。父母の国を去るの道なり。以て速やかなる可くんば速やかに、以て久しかる可くんば久しうし、以て処る可くんば処り、以て仕ふ可くんば仕ふるは、孔子なり」
斉を去るには速やかに魯は父母の国なれば時かけて去る
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
思ひは陸奥に 恋は駿河に通ふなり 見初めざりせばなかなかに 空に忘れて止みなまし
(四句神歌・雑・三三五)
【現代語訳】思いは満ちて陸奥まで、恋する気持ちは駿河にまで通うことだ。あの人を見初めなかったなら、かえつてぼんやりしたまま中途で忘れて、苦しむこともなく終わっただろうに。
【評】「陸奥」の「みち」に「(思いは)満ち」を掛け、「駿河」の「する」に「(恋は)する」を掛ける。和歌の伝統にのっとった恋の歌であるが、一首の中に、陸奥と駿河、二か所の地名を出し、都から遠い陸奥国(現在の福島・宮城・岩手・青森の四県)、駿河国(現在の静岡県中央部)の地まで自分の思いが広がっていくことを暗示して、孤独な切なさが強調されている。相手への恨みよりも恋の苦しみをわが身に引き受ける、静かな諦めを感じさせる一首であり、特に「見初めざりせばなかなかに 空に忘れて止みなまし」という一節は、その調べの美しさのためか、佐藤春夫や芥川龍之介の詩に引用されている。
後の日に
つれなかりせばなかなかに
そらにわすれて過ぎなまし
そもいくそたびしぼりけむ
たもとせつなしかのたもと
(後聯略) (佐藤春夫『殉情詩集』大将一〇年刊)
相聞一
あひ見ざりせばなかなかに
そらに忘れてやまとんや
野べのけむりも一筋すぢに
立ちて後はかなしとよ
(芥川龍之介 大正一四年)
さて、当該今様の主体としては、女を考えるのが一般的であり、それを積極的に否定すべき根拠はないが、「通ふ」「見初む」の語から、この今様の主体に男を考えてもよいのではないだろうか。ここでは恋の「思い」が通うのであって、人が通うわけではないから、女が主体でも問題はないが、当時の恋のあり方を考えると、「通う」の語からは、男が想起されやすい。また、恋の場で「見初む」というと、男が女を、という場合が圧倒的に多い。男が女を「見初む」といっている例は、『源氏物語』『狭衣物語』『うつほ物語』『浜松中納言物語』『夜の寝覚め』などにあわせて三十例ほど見られるのに対し、女が男を「見え初む」といっているのは、管見では『蜻蛉日記』の一例のみであった。女が主体の場合は「見え初む」となるのが一般的である。
このように考えると、当該今様からは、まさに春夫や芥川の詩に見えるような、恋に悩める優しい青年の姿が浮かび上がってくる。