昨日ほどではないが、暖かくなるらしい。朝から晴れている。
沙羅の木は未だ花着けず中庭に清浄可憐の若みどり色
公園の一木のさくら。この花は染井吉野ならず。山桜花
縁葉を共にし咲くは山ざくら少し白くて豊かなる花
『孟子』万章章句下133 北宮錡問うて曰く、「周室爵禄を班するや、之を如何」と。孟子曰く、「其の詳は聞くを得可からざるなり。諸侯其の己を害するを悪みて、皆其の籍を去れり。然り而うして軻や、嘗て其の略を聞けり。
周の記録は破棄されたるに孟子言ふかつてその大略聞きしことあり
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
われを頼めて来ぬ男 角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ 霜雪霰降る水田の鳥となれ さて足冷たかれ 池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け
【現代語訳】私を頼みに思わせておきながら訪ねて来ない男よ。角の三本生えた醜い鬼になれ。そして人に嫌われよ。霜や雪や霰の降る水田を歩き回る鳥になれ。そして足が冷たく凍えてしまえ。池の浮草になってしまえよ。あちらへ揺られこちらへ揺られして、定めなく漂い歩け。
【評】あてにさせておきながら通ってこない、薄情な男に投げかけた女の呪詛。
「角三つ生ひたる鬼」について、『梁塵秘抄』の注釈史においては、長く、鬼の角は通常一本か二本であり、三本角の鬼の例が知られないことを前提に醜さの協調であろうとされてきた。しかし、早くに、追儺(大晦日の夜、一年の災厄を払うため、それを象徴する鬼を追い払う年中行事。後世の「豆まき」に繋がるもの)の鬼の面や絵巻の中に見出されるという重要な指摘がなされていた。恐ろしく醜く、嫌われる存在であり、時には罵られて排除され、嘲笑される対象である。また、この三本角の鬼は、女の「胸に住む嫉妬の鬼」と考える説の流れに、頭に三本の蠟燭を立てて火をともす、丑の刻参りの女の醜く恐ろしい姿を重ねて見る説もある。
続く「水田の鳥」「池の浮草」では、足が冷たく凍え、寄る辺なくさまよわなければならないという、鳥あるいは浮草それ自体のつらさ、苦しみに焦点が当てられて、最初の「鬼」が、人に嫌われるという外側からの視点で捉えられているのとはやや異なる。
当該今様の主体が、水辺を漂泊する遊女であったとすると、寒い冬の足の冷たさや定めなく漂わざるを得ない浮草のような境遇のつらさは、十分すぎるほどに知っているであろう。そのように身をもって知っている苦しみを相手に味わわせようとして「水田の鳥」や「池の浮草」といった素材が選ばれたと考えられるが、自らの境遇のつらさと重なるだけに、これらの素材列挙からは女の悲しみが強く伝わってくる。能面のうち、女の鬼を表す般若の面は、口元には激しい怒りが現れている一方で、目元は深い悲しみを示すが、あたかもそうした般若の面のように、この今様の激しい怒りと呪いの底には、深い悲しみと絶望が沈潜しているように感じられる。
さて、当該今様の歌われた場として、『紫式部日記』寛弘五年(一〇〇八)五月二二日(推定)の条が指摘されている。土御門殿での法華三十講の法会が終わって、貴族たちは舟に乗り、音楽を楽しんでいる。月がおぼろに照らす中で、若い貴公子たちが今様歌を歌っている。「池の浮草」と歌って笛などを吹き合わせているのは、暁方の風の気配まで格別の風情があるとの記述が見えるが、原文に「「池の浮草」と歌ひて、笛など吹きあはせたる」とある「池の浮草」が、当該今様ではないかという詩的である。
さらに、『徒然草』五三段に見える、鼎(三本足の金属の器)をかぶって舞っているうちに、それが抜けなくなる仁和寺の僧の失敗談において、その舞の折に、当該今様に類する歌謡を一座で合唱したのではないかとの指摘もある。
いずれも推測の域を出ないが、庭園の池に浮かべた舟の上で歌う歌として、「池の浮草」の語はふさわしいし、鼎をかぶった姿を「角三つ生ひたる鬼」になぞらえるのも面白い。これらの推測に従うとするならば、本来の歌詞の深刻な意味を離れて、今様を楽しむ場の様子というものが垣間見えて、興味深い。