朝から激しい雨、そして風である。午後には止むというが。止んだら買物に出よう。11時半には上がって、気温も上がり、あゆみ橋をわたり夕飯の買物に。
あけぼの杉の若き葉ちらし吹く風とはげしき雨に幹もぬれゆく
泥流は小鮎川からくる流れ。上流は雨多にふるらし

朝から激しい雨、そして風である。午後には止むというが。止んだら買物に出よう。11時半には上がって、気温も上がり、あゆみ橋をわたり夕飯の買物に。
あけぼの杉の若き葉ちらし吹く風とはげしき雨に幹もぬれゆく
泥流は小鮎川からくる流れ。上流は雨多にふるらし

今朝は海老名駅方面へ。水が入りはじめた田もあるが、まだ少ない。半袖で出掛けた。
今期の朝ドラは沖縄の戦後、復帰が基底にある。
朝ドラにどきどきはらはら日々経つつしあわせは海のかなたから来る
路傍には皐月つつじの花ざかり。天下分け目の道歩みゆく
マスクを外している人がどうやら増えているようだ。
いづこにも衆人の目あり夏の道

今日は半袖Tシャツで出掛ける。
楠公祭。南北朝時代、楠木正成の死んだ日である。楠木正成、正行父子はわが幼き日々の英雄であった。今でもその思いは余香のごとく残っている。桜井の駅の父子の別れをうたう「青葉茂れる桜井の」は、わが子守唄であり、わが心の底流を流れるテーマ曲でもある。歌詞は落合直文の作である。
楠公祭は、頼山陽『日本外史』などの流行もあって幕末時代からあり、それが維新への思想的背景の一つにもなっている。戦後も右翼のあいあだでは大事な行事であった。わたしも父につれられて東京大神宮で開かれた楠公祭に一度参加したことがある。中学生の頃であった。直会の場は、酒にひどく乱れて怒号、日本刀をふりまわすものもあらわれ、いい思い出はない。右翼に絶望した日でもある。
父の腕に抱かれて父のうたふこゑ五月雨の空に時鳥鳴く
「青葉茂れる桜井の」は6番まであります。この歌はその最後の6番の歌詞から借りました。6番の歌詞をあげておきます。「共に見送り見反りて/別れを惜しむ折からに/復も降り来る五月雨の/空に聞こゆる時鳥/誰か哀と聞かざらん/あわれ血に泣く其声を」
父と子の訣れをうたふエレジーにわが心根の育ち来しなり

上原和『斑鳩の白い道のうえに』の講談社学術文庫版を読んだ。1975年の初刊本を学生時代に読んでいる。朝日新聞の「天声人語」の深代惇郎の絶筆も読んだ。しかし50年近く経って再び読んでみると、聖徳太子の「血塗られし手」やその「捨身の思想」のみではなく、建築史や美術史の学術的な見解が詳細・緻密に述べられていて、なかなかに読みでがあった。時間もかかった。
梅原猛は解説で「青春の書」とこの本を呼ぶ。上原も1924年生まれの学徒出陣組の戦中派であったことをあらためて知り、上原の青春がいかなるものだったかをあらためて納得。だから文章が熱いのだ。梅原もまた戦中派である。楽しく、厳しく、心躍る、充実した読書であった。わが青春の書でもあるのだ。そして池田克己の詩「法隆寺土塀」を思う。また法隆寺を訪ねたいものだ。
法隆寺をはじめて訪ねたときの記憶をたどる。
斑鳩のま夏の乾く道のうへ遠く五重塔を視てゐつ
となりにはまだ若かりし父がゐて搭のいただきを指さしにけり
昨夜はむすめがわが家に立ち寄った。
夜の道をむすめを送り妻とゆく三人のドライブすこしたのしき

朝は薄雲が空を隠していたが、やがて青天に。そして暑くなる。妻と海老名に出掛けようと駅まで行くと小田急線事故情報、JR相模線で海老名へ。帰りは、散歩がてら歩いてきた。
曇天にはじまる今朝のパティオの木つばきの若き葉むらさみどり
中庭を九階から見下ろす。
あけぼの杉の上枝、中枝、下枝のそれぞれに風とりどりに揺る

午前中、ひさしぶりの日の光りあり。修学旅行から帰ってきた妻と井出トマトへ。富士山は厚い雲に巻かれて見えず。午後、厚木へ牛乳買いに。
花に就く思ひあるべし。赤き花 ざくろは、激しく燃やす愛欲
花に就くおもひあるべし。白き花 沙羅の木の花、天の清浄

今日は妻が帰ってくる日だ。仕事とはいえいないとさびしいものだ。
朝からどんよりして、10時には雨がふってきた。昨夜もふっていたようだ。
満開のさつきつつじに雨がふる雨ふればへたる赤き花ばな
歩みゆくをちこちに蕺草の花みつけそのたびにかがむ雨のふる日も
どくだみの花と思っている、あの四弁の白いものは、実は葉が変化したもので、花はその真ん中に立つ短い穂状のものに付いた淡黄色の粉のような小花なのだそうだ。
傘のうちに蕺草の花かがみこむ
さみどりの穂に付着する黄の小花。ペニスを守る語法童子ら
