まあ、晴れてます。
ノアの箱舟には乗る資格なきはこのわれなり。階段を前にただ呆然と
これだけの薬を服用している。
バクトラミン・リクシアナ・アシクロビル・セレスタミンそしてべレキシブル
北海の氷山壊れ全地球の海面上昇す。滅びに近く
『孟子』万章章句上128-3 伊尹は湯に相として、以て天下に王たらしむ。湯崩じ、太丁未だ立たず。外丙は二年。仲壬は四年。太甲、湯の典刑を顛覆す。伊尹、之を桐に放すること三年なり。太甲過ちを悔い、自ら怨み自ら艾めて、桐に於いて仁に処り義に遷ること三年、以て伊尹の己に訓ふるを聴くや、毫に復帰す。周公の天下を有たざるは、猶ほ益の夏に於ける、伊尹の殷に於けるがごときなり。孔子曰く、『唐・虞は禅り、夏后・殷・周は継ぐ。其の義は一なり』と」
唐堯と虞舜は賢者に譲り、夏・殷・周は子孫が継承すいづれも天意なり
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
妙見大悲者は 北の北にぞおはします 衆生願ひを満てむとて 空には星とぞ見えたまふ
(四句神歌・仏歌・二八七)
【現代語訳】妙見菩薩様は、空の北の果てにいらっしゃるよ。衆生の願いをかなえようというので、空には星としてのお姿を現していらっしゃるのだよ。
【評】星の信仰を歌った一首で、四句神歌・仏歌の最終歌。
「妙見大悲者」は北極星を神格化した妙見菩薩を言うが、信仰の対象にはしばしば北斗七星も含まれる。「大悲者」は大きな慈悲の心を持つ者の意で、ふつう、観音菩薩の尊称に用いるが、妙見菩薩の本地を観音とする考え方もあり(『覚禅抄』)、ここでは妙見菩薩に用いて、信仰の深さを強調しているのであろう。妙見菩薩は、国土を擁護し、災難を消滅させ、敵を退ける菩薩とされ(『七仏八菩薩諸説大陀羅尼神呪経』)、三井寺では、この菩薩を本尊とする修法・尊星王法は、秘法中の秘法とされる。尊星王法は今様の流行した院政期に特に重んじられるようになり、白河・鳥羽両天皇によって、三井寺には二つもの尊星王堂が建てられた。応永年間(一三九四~一四二八)に、三井寺の記録を集大成した『寺門伝記補録』によると、「尊星王堂 北院」は承歴四年(一〇八〇)、白河天皇によって建てられたものであり、等身の尊星王菩薩(妙見菩薩)像が安置された。また、「尊星王堂中院」は、三井寺の平等院内に鳥羽天皇が一堂を建てて、尊星王菩薩像を安置したことに始まるが、後白河院もまた信仰が深く、永暦二年(一一六一)には、この尊星王堂の供養に臨幸した。こうした時代背景を考えると、今めかしい素材としての妙見菩薩は、仏歌の最後を飾る一首にふさわしいものと言えよう。