2月26日(木)

曇りで寒い。風もある。

  デスゲーム蟲毒に果てし男らの魂といふものありしと思ふ

  天・地・人と京から東京へ殺し合ふ二百九十二人次々に滅ぶ

  イクサガミ、勝ち抜くものは誰ならむわくわくどきどき終らんとする

『孟子』離婁章句下109 孟子曰く、「禹は(し)(しゆ)(にく)んで善言を好む。(たう)は中を執り、賢を立つること方無し。文王は民を視ること傷つけるが如く、道を望むこと未だ之を見ざるが(ごと)し。武王は(ちか)きに(な)れず、遠きを忘れず。周公は三王を兼ね、以て四事を施さんことを思ふ。其の(がつ)せざる者有れば、仰いで之を思ひ、夜以て日に継ぐ。幸ひにして之を得れば、坐して以て(たん)を待つ」

  禹・湯・文王・武王・周公それぞれに秀でたるものをもつ

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

われらが疲れし所にて 休むる心しなかりせば 宝の所に近くとも 途中(みちなか)にてぞ帰らまし
(法文歌・法華経二十八品歌・化城喩品・八八)

【現代語訳】われらが長旅に疲れ果てた場所で、休息させようという心が導師になかったとするならば、いくら宝の在り処に近くても、途中で引き返していたことだろう。

【評】『法華経』化城喩品で説かれる化城の譬えを歌った一首。宝を求めて荒野を旅する人々が疲れ切って進めなくなり、引き返そうと言いだした時、引率者が神通力で仮に城を作り出し、そこで一行を休ませてから再び進み、目的を達した。仏が衆生の意志の弱さを知り、方便によって彼らの回復を待つことの譬えである。

一首は、この譬え話がよく知られていることを前提にした反実仮想(事実に反することを仮定して想像すること)から成っており、化城喩の中心である、幻術によって城を仮に作り出したことには一切ふれない。「休むる」は「休息させる」意の他動詞、「心し」の「し」は協調の副助詞。導き手の、人々を休息させようという心に注目しており、疲れ果てて引き返そうとした衆生の行動と、導師の優しい配慮が対置される。仏の慈悲の心に対する深い感謝の気持ちがにじむ。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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