曇りで寒い。風もある。
デスゲーム蟲毒に果てし男らの魂といふものありしと思ふ
天・地・人と京から東京へ殺し合ふ二百九十二人次々に滅ぶ
イクサガミ、勝ち抜くものは誰ならむわくわくどきどき終らんとする
『孟子』離婁章句下109 孟子曰く、「禹は旨酒を悪んで善言を好む。湯は中を執り、賢を立つること方無し。文王は民を視ること傷つけるが如く、道を望むこと未だ之を見ざるが而し。武王は邇きに泄れず、遠きを忘れず。周公は三王を兼ね、以て四事を施さんことを思ふ。其の合せざる者有れば、仰いで之を思ひ、夜以て日に継ぐ。幸ひにして之を得れば、坐して以て旦を待つ」
禹・湯・文王・武王・周公それぞれに秀でたるものをもつ
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
われらが疲れし所にて 休むる心しなかりせば 宝の所に近くとも 途中にてぞ帰らまし
(法文歌・法華経二十八品歌・化城喩品・八八)
【現代語訳】われらが長旅に疲れ果てた場所で、休息させようという心が導師になかったとするならば、いくら宝の在り処に近くても、途中で引き返していたことだろう。
【評】『法華経』化城喩品で説かれる化城の譬えを歌った一首。宝を求めて荒野を旅する人々が疲れ切って進めなくなり、引き返そうと言いだした時、引率者が神通力で仮に城を作り出し、そこで一行を休ませてから再び進み、目的を達した。仏が衆生の意志の弱さを知り、方便によって彼らの回復を待つことの譬えである。
一首は、この譬え話がよく知られていることを前提にした反実仮想(事実に反することを仮定して想像すること)から成っており、化城喩の中心である、幻術によって城を仮に作り出したことには一切ふれない。「休むる」は「休息させる」意の他動詞、「心し」の「し」は協調の副助詞。導き手の、人々を休息させようという心に注目しており、疲れ果てて引き返そうとした衆生の行動と、導師の優しい配慮が対置される。仏の慈悲の心に対する深い感謝の気持ちがにじむ。